5月の水牛
今月のサイト「水牛」の「水牛のように」コーナーに寄稿した文章を掲載します。
http://www.suigyu.com/



ジャワ舞踊家(ソロ様式)列伝 (2)

今回は、ガリマン氏とマリディ氏という2人の舞踊家を紹介したい。ロカナンタ社から出ているスラカルタ様式のジャワ舞踊のカセットを見ると、たいていの舞踊作品の作者はガリマンか、マリディか、またはPKJT/ASKI(ペーカージェーテー・アスキーと読む)、すなわち現在の芸大になっている。ロカナンタ社から舞踊カセットが発売されるようになるのは1972年からで、それ以前に活躍した人の作品はほとんど残ってないのだが(前回紹介したクスモケソウォの作品はマリディ監修のカセットに収録されている)、ジャワ舞踊が本当に発展したのは1970年から始まる宮廷舞踊の解禁後なのである。ガリマンとマリディが解禁された古典舞踊に学んで、さまざまな新しい古典を生み出し、それが芸術高校や芸大の教育にも大きな影響を与え、現在のジャワ舞踊のレパートリーが形成されたと言っていい。

この2人の特徴は、男性荒型、男性優形、女性舞踊のすべての型で作品を作っている上に、その作風も幅広いこと。さらに新しい舞踊ジャンルも切り開いていることだ。こういうタイプの巨匠は今後もう出ないだろうなと思われる。


1. ガリマン (S.Ngaliman Condropangrawit,1919〜1999)

ガリマンは一般的には舞踊家として有名だが、スラカルタ宮廷では太鼓とクプラ(舞踊の合図を出す楽器)を担当する音楽家で、宮廷から下賜された名前、チョンドロパングラウィットのパングラウィットが音楽家であることを表している。また、宮廷音楽家が住むクムラヤンという地域に住んでいた。

1950年に設立されたインドネシア初の音楽コンセルバトリ(後のSMKI)の第1期生として卒業、その後スタッフになっている。音楽と舞踊の両方に通じた舞踊教育者として、ソロはもとよりジョグジャやジャカルタでも大きな影響を与える。

ガリマンは、宮廷舞踊スリンピ、ブドヨ、ウィレンといった舞踊の掘り起こしに参加し、古い舞踊の復曲にも取り組んでいる。それらの演目の伴奏曲のカセットは市販されていないが、芸大には自主録音が残されていて、授業で習うことができる。それらの古い宮廷舞踊のエッセンスを継承した「レトノ・ティナンディン(女性2人の戦いの舞踊)」、「モンゴロ・ルトノ(女性4人の戦いの舞踊)」、「パムンカス(男性1人の舞踊)」などが、ガリマン作品の真骨頂だと言える。

その一方で、1970年代当時としては大胆に太鼓の手組をアレンジした「ガンビョン・パレアノム」が有名。この演目はもともとマンクヌガラン王宮で作られたものだが、ガリマンのアレンジで一躍有名になり、結婚式の定番舞踊となった。ガリマンの後、何人もの舞踊家がアレンジしている。ソロでは芸術高校がガリマン版、芸大が芸大版で教えるが、今やソロでは芸大版の方が有名。しかし、ジョグジャやジャカルタでは、「パレアノム」といえばガリマン版である。


2. マリディ (S.Maridi Tondokusumo,1932〜2005)

マリディはスラカルタ宮廷舞踊家で、宮廷から下賜された名前がトンドクスモである。彼は教育者でなく純粋な舞踊家として生きた人で、1961年に初めてスカルノ大統領の前で踊って(本人の記憶による)以来、大統領のお気に入りの舞踊家となった。2007年、スカルノお気に入りの芸術家5人がソロ市庁舎でメガワティ元大統領(スカルノの長女)から顕彰されたときも、その5人のうちの1人に入っている。

小柄なので、若い頃(1950年代頃まで)はチャキル(羅刹)やブギスなどを主に踊っていたが、晩年のマリディの踊りと言えば何と言っても男性荒型の伝統舞踊「クロノ・トペン」が代表だろう。煩悩を捨てきれず、スカルタジ姫に執着するクロノの心情の複雑な表現は、マリディが白眉と言える。とはいえ、数少ない男性優形舞踊家としても、マリディは定評があった。

マリディ氏の作品は、ガリマン作品の禁欲的な作風に比べると、ロマンチックでドラマチックである。ありふれた設定の舞踊が、マリディ氏が作品化すると、やけに感動的なドラマになる。たとえば「メナッ・コンチャル」というマンクヌガラン王宮で作られた舞踊。元々はラングン・ドリアン(女性だけによる舞踊歌劇、踊り手が歌いながら踊る)のスタイルで作られた舞踊だったのだが、マリディはこの作者の許可を得て再振付している。この作品は、出陣する男性武将の、恋する女性に対する心情を切々と描いたものだが、曲中にある女性舞踊家の独唱部分が男性歌手の歌に代えられ、最後にサンパ(ワヤンで場面転換や入退場などに使われる曲)を新たにつけて、男性が出陣していく様を暗示している(物語ではこの後戦死する)。その結果、ともすれば「王が男装した女性を鑑賞して楽しむ」舞踊になりがちな作品が、男性の心情を描いたドラマになった。

また、今や結婚式の定番となった男女による舞踊「カロンセ」もマリディの作。科白なしで、男女のドゥエットの振付だけで愛の物語を踊るというのは、それまでのジャワ舞踊にはなかったジャンルだ。たおやかな女性の表現はスリンピ風、最後の2人の愛の交歓といったシーンではゴレック風と、ソロ様式の舞踊のいろんな要素が折り込まれている。芸大では同様の作品が多く作られて一つのジャンルとなり、舞踊科学生の重要なアルバイト演目となった。


4/20の記事をアップ、遡ってご覧ください
4/20の記事を新しく書いて、前の前の項にアップしてあります。遡ってご覧ください。(記事が時間順になるように、前もって項目を作ってありました)
4/23 帰国
4/23帰国

4/19(木)夜、ジョグジャからジャカルタへ
4/20(金)夜、タマン・ミニ37周年記念イベントに出席
4/21(土)夜、ジャカルタからクアラルンプールへ
4/22(日)夜、クアラルンプール発
4/23(月)朝、関西空港着

1年3ヶ月の調査を終えて帰国しました。しばらく日本におります…
4/20 タマンミニ37周年記念
2012年4月20日(金)夜、タマン・ミニ37周年記念イベントに出席

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プレイベントとして、いくつかの地方の歌が電子ピアノ伴奏で)つまりドレミ音階で)歌われる。2曲目にはナルトサプトの「スワラスリン」二部合唱。ガムラン音楽ではドラナン(遊び歌)という範疇の曲だが、合唱曲になるとは思わんかった…。

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舞台から花火が噴きあがり、開演。

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マハ・カルヤ(巨大演目)として国家儀礼なんかで上演される舞踊劇には、インドネシアの大国旗、バックに国章のガルーダは必須。いろんな地方の舞踊が登場するが、近年はもちろん華人文化(ここでは竜舞)も必須。しかし、この竜、まだ下手で、竜に見えないというか、みみずか、良くてうなぎにしか見えない…

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大団円の背景には国是「多様性の統一(Bhinneka Tunggal Ika)」が浮き上がる。

今回の上演、観光想像経済省の芸術関係の人にも不評。私もコメントを求められたので、いろいろ言う。

一番の難点は、いろんな地域の舞踊がどれも大人数で、どれもテンポ速く、どんどん入れ変わる上、同時多発的に舞台上でいくつもの地域の舞踊が上演されるので、結局どの地域の舞踊の特徴も全然わからないということ。機械的に早い運動にしか見えない。たとえて言うなら、回転すしを食べに行ったら、コンベヤーの回転が速くて、皿に手が出せない、という感じ。もう少し、たとえ短くても、舞踊の身体表現をじっくり見せる時間がほしい。

あと、背景の映像が、まだまだお粗末。照明もニュアンスのある色合いがない。「多様性の統一」とか、「宗教の自由」とか、こういうマハ・カルヤものではナレーションが多用されるが、なんだか過剰で、舞台表現で足りない分を言葉で補いすぎる。まるで選挙におけるスローガンの連呼みたいなのだ。

最後には舞台の裏にある池(あの、インドネシア全州のミニチュア版になっている)の上空に花火が連発されるが、この花火も、単に連発しているだけで、打ち上げのタイミングとか、空間デザインなんかをまるで考えていない。うちの実家がある田舎の花火大会でも、このタマン・ミニの花火よりはるかにずっと美しく、風情というものがある。

一言で言うと、タマンミニのこの公演、全然風情とかヨインとかがないんだなあ…。単にスペクタクルであって、身体表現の美しさとか、それが空間に配置されたときの美しさとか、芸術を見る楽しみがない…。

たぶん、ISI Solo(芸大ソロ校)とかで作れば――実際、私は何度もソロでマハ・カルヤものの制作を見ているが――、ここまで混沌としたものにはならない。いろんな要素を取り入れても、やっぱり、地域芸術という背骨が一本通っているし、身体表現にもっとフォーカスが当たる。ジャカルタという政権に近く、多様な地域文化がせめぎあっているジャカルタでは、こんなスローガン連呼のようなものしか作れなくなるんだろうか…
3/28 URP合評会
大阪市立大学都市研究プラザ
2012年03月27-28日 G-COE特別研究員(若手)研究発表会(合評会)

での、私の報告「ジョグジャカルタでのアートマネジメント調査を終えて」が掲載されています。

http://www.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/2012/03/20120327-28-g-coe.html
3/10-11 APIワークショップ
3/10(土)〜11(日)、コープイン京都にて
APIフェローシップ元受給者の国内ワークショップに参加。昨年2月にAPIリージョナル・プロジェクト・インドネシア、4月のAPIリージョナル・プロジェクト・マレーシアに参加したので、その活動を報告。

この発表のため、3/8朝に帰国したのだが、なんと、トランクが着いてない!!3/7夜にジャカルタを出発し、クアラルンプールでトランジットしたのだが(マレーシア航空に乗ったので)、そこで積み残されたらしいのだ。海外に初めて出て以来、はや四半世紀近くになるというに、こんな経験は初めて。帰国して3/8〜3/9で一気に発表原稿を作ろうと思っていた私は大慌て。荷物は翌朝の同じ便で無事到着…。

3/16 再びジョグジャへ旅立つ。残り1か月の滞在。
2/26 SMKI定期公演で踊る
2012年2月26日
SMKI Surakarta(国立芸術高校スラカルタ校)にて

毎月26日にやっている同校定期公演で、自作「Nut Karsaning Widhi」の一部を踊る。この作品は2011年8月にBp Waluyoに音楽を作ってもらったもので、全部完全に上演すると26分くらいあるのだが、まだ全部を一度に上演したことがない。全体構成は入場、前半、つなぎ、後半、退場で、今まで前半+後半で2度上演(9月:バンドン、12月:チャンディ・スクー)したのだが、今回は後半のみ12分ほど。上演の持ち時間に合わせて部分的に上演できるよう、トラックを分けてあるのだが、後半だけ上演すると、自分でも単調だなあと思う。やっぱり26分の中で起承転結がつくようにアレンジして作ったので…。

以下の写真はすべてArief Budiarto.

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2/20 アーバン・リサーチ・フォーラムで発表
2012年2月20日 ガジャマダ大学(インドネシア)にて
the 10th Urban Research Forum
主催:大阪市立大学都市研究プラザ、ガジャマダ大学、インドネシア芸大ジョグジャ校

"Development of People Empowerment in Kali Code"を発表
2/4,5 チレボンのスカテン
2012年2月4〜6日チレボンへ、王宮のイスラム行事ムルダン――ソロ、ジョグジャで言うところのスカテン――を見に行く。ソロ、ジョグジャと日程が少しずれていて、演奏時間帯も違う。

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2/4夜、カノマン王宮のスカテン。この王宮の入口の方にある市場(パサール)に加えて露天が立ち並び、人が2人行き交うのがやっという狭い道を徒歩で歩くしか、王宮に入る方法がない。露天のびっしり並ぶちょっとの隙間に、ガムラン・スカテンが置かれている…。
ガムランがあまりにも小さく(もっともチレボンのガムランは、もともとソロ、ジョグジャより小さい)、巨大ガムランをガンガン鳴らして人々をモスクに勧誘したのがスカテンの始まりと言われているには、あまりにも可憐な音色。こんな小さな音ではごく近くでないと聞こえない。これで人々をモスクに集めるのは無理な気が…。しかも、楽器が置かれている場所もモスク境内から離れているし…。

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2月5日夜9時から始まるパンジャン・ジマットの儀礼にて。この写真を撮ったのは夜中の0時頃か。スルタン・カノマンXII世エミルディン(Sultan Raja Moch.Emirudin)と共に。私は同王家に招待された観光想創造済省の人について入ったので、この一番大奥まで通してもらえた。
1/31 パクアラムIX世誕生日
2011年1月31日
パクアラムIX世の誕生日記念式典に出席

昨年末に奥さまが亡くなったとかで、当初は舞踊上演をなしにするという話だったらしいが、結局、ゴレック・アユンアユンを3人で上演することに。しかし、アユンアユンはごくごく普通のジョグジャ様式の舞踊演目で、パクアラム家独自の演目ではない…。