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2022.11水牛「舞踊の基本姿勢」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2022年11月」(水牛のように)コーナーに、
舞踊の基本姿勢」を寄稿しました。

舞踊の基本姿勢
冨岡三智


『水牛』2016年8月号に「ジャワの立ち居振る舞い」と題して、座り方(胡坐や立膝)、座った姿勢からの立ち方、歩き方(座り歩きやナンバ)などについて書いたことがあるのだが、今回は、ジャワ(スラカルタ様式)の宮廷舞踊を中心とするジャワ舞踊の基本姿勢について少し書いてみる。

●立つ

体を正面に向けてまっすぐに立ち、腰を落とす(mendhak)。ただし、スラカルタ王家の女性の踊り手はやや前傾する(mayuk)。一般的にこれは良くないこととされる。私もその傾向があるのでよく注意された。彼女たちが前傾するのは視線をより下に落とすためだと思われる。

●視線

視線はまっすぐ前方に向けるのではなく、前方の床に落とす。これは、宮廷では王と視線を合わせないようにするためである。私の師匠(1933年生)の場合、自分の身長分だけ前方の床を見るようにと言ったが、芸大では3メートル前方、大劇場なら5メートル前方を見るようにと教わった。私の身長は158センチメートルだから、3メートル前方の床を見るというのは2倍ほど遠い所を見ることになる。私はジョコ女史には芸大留学以前の1991年から師事していたから、芸大に入ってかなり感覚が違うと驚いたものだ。一方、ジョコ女史と同世代で、幼少から宮廷に上がって踊り手(ブドヨと呼ばれる)となったS女史は、1メートル前方を見る、視線が横を向くときは肩山を見る、と言う。これだと、踊り手はかなりうつむくことになる。さすがに現在では、王家の踊り手でもここまで下を向くことはない。

S女史とジョコ女史は同世代だが、その立ち姿の印象はかなり異なる。そして、そこに、王家の踊り手としてその封建的な環境の中で生きてきたS女史と、芸術高校で定年まで伝統舞踊の指導に当たっていたジョコ女史との生き方の違いが見て取れる。また、同じ王家の中でも、王女たちが踊る時の視線は家臣(abdi dalem)であるブドヨよりも高い。このことは私が留学中に芸大で行われたセミナーでも話題に出たことがあるが、舞踊には踊り手の立場が反映されることもある。ジョコ女史の次世代である芸大の教員・学生たちになると、視線をより高く上げてより広い舞台空間の中で踊るようになる。これは芸大が伝統舞踊の改革に積極的で、舞台芸術としての教育を進めてきたからだと言える。そんな風に、踊り手の姿勢には舞踊を取り巻く社会や立場、空間の認識の仕方が表れる。

●手の構え

体は正面を向き、手は横に伸びる。踊り手の身体は凧のように(ワヤン人形のように、と言うべきか…)、左右に平たく広がる。肘が体の線より後ろに出る(mbedhah geber)のは良くない。一番基本のポーズは、右手を伸ばし、左手は肘を曲げて手首が腰骨の前にくるようにするものだろう。この時、ジョコ女史は脇に卵1個を挟むくらい開けるようにと説明したのだが、芸大では脇がもっと開き、手の位置が高くなる。そのため身体がより大きく、型がより明確に見える。大きい空間では映えるのだが、宮廷舞踊の演目には踊り手の身体が頑丈過ぎるように見えてしまう…と私自身は思っている。

●空間

ジャワ舞踊が前提とするのはプンドポという方形の儀礼空間である。プンドポは王宮や貴族の邸宅に必ず備わっている建物で、壁がなく、多くの柱で高い屋根を支えている。その中央の4本の柱で囲まれた空間で、儀礼たる舞踊は上演される。芸大大学院の主催する公演で教員たちとプンドポで宮廷舞踊を上演した時、当時大学院を指導していたサルドノ・クスモ氏から、ジャワ舞踊ではプンドポの4本の柱を意識することが重要だよとアドバイスされたことが心に残っている。

ジョコ女史の自宅にはプンドポがあり、舞踊の稽古もそこで行われていた。家族の冠婚葬祭の儀礼もプンドポで行われ、私もしばしばそれらの儀礼に立ち合った。スラカルタ出身でジャカルタ在住の舞踊家にプンドポの感覚があると褒めてもらったことがある。その人は、ジャカルタの自分の弟子たちは舞踊は上手いものの、プンドポの感覚が伝えられないと言うのだ。私に巧拙は別としてプンドポの感覚ができているのだとすれば、それはやはりこのレッスン環境の賜物である。そして、ジョコ女史の基本姿勢がそのプンドポ空間に見合っており、それが私自身の空間把握の核となったのではないかと感じている。
11/19 エスニックナイト写真
公演無事終了しました。ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
★この公演は12月下旬に全編動画配信(有料)されるとのことです。詳細が決まりましたら、あらためて告知いたします。当日ご来場できなかった皆様、楽しみにお待ちください。

20221119ブログ用全体写真

20221119ブログ用6人

20221119ブログ用1人


Ethnic Night 2022 エスニック・ナイト ジャワ舞踊編
日時: 2022年11月19日(土) 16:00~
会場: 玉水記念館ホール​(大阪・肥後橋)
料金: 大人 3,000円他

舞踊
① 西岡美緒、村岸紀子 「スカル・プディヤストゥティ」
② 岡戸香里 「トペン・クロノ」
③ 冨岡三智 「ガンビョン・パンクル」
④ 大石麻未、坂口裕美子 「ブクサン・メナッ・ルンガニスvsウィダニンガル 」

ガムラン演奏: インドネシア伝統芸能団ハナジョス、ほか
主催・事務局: 想造舎 大阪市旭区高殿2-12-18 

エスニックナイトちらし表  エスニックナイトちらし裏

※画像はクリックすると拡大します。



11/10 ブラウィジャヤ大学のオンライン対談に出演
ディディ・ニニ・トウォ氏とオンライン対談することになりました。
NEW! 一般視聴可になりました!

Meeting ID: 923 3077 8066
Passcode: 069422

Dialog Kolaboratif Bersama Didi Nini Towok & Michi Tomioka
伝統舞踊による日本―インドネシア芸術交流
2022年11月10日 14:30 WIB~16:50 WIB (日本時間16:30~18:50)
それぞれの紹介や対談の時間はだいたい日本時間で5時頃からです。
Universitas Brawijaya (ブラウィジャヤ大学)
モデレーター:Dr.Riyanto, M.Hum


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11/19 エスニックナイト
以下の公演でジャワ伝統舞踊「ガンビョン・パンクル」を踊ります。

Ethnic Night 2022 エスニック・ナイト ジャワ舞踊編
ジャワのガムランと優美な伝統舞踊
いろどる恋、炎の舞~饗宴ジャワ舞踊

日時: 2022年11月19日(土)
     開場15:30 開演16:00~約2時間
会場: 玉水記念館ホール​(大阪・肥後橋)
料金: 大人 3,000円/小学生~高校生 1,000円/小学生未満 無料
     12/18ワヤン・クリ編とのセット券(大人のみ) 6,000円


エスニックナイトちらし表

エスニックナイトちらし裏

※画像はクリックすると拡大します。

■舞踊家 & 演目
• 岡戸香里 「トペン・クロノ」
• 大石麻未、坂口裕美子 
  「ブクサン・メナッ・ルンガニスvsウィダニンガル 」
• 冨岡三智 「ガンビョン・パンクル」
• 西岡美緒、村岸紀子 
  「スカル・プディヤストゥティ」

■ガムラン演奏
インドネシア伝統芸能団ハナジョス、ほか

■会場アクセス
玉水記念館ホール​​ 
大阪市西区江戸堀1-10-31
大阪メトロ 四つ橋線 肥後橋駅8番出口、西へすぐ。
御堂筋線 淀屋橋駅12番出口から徒歩5分。
エスニックナイト地図

■チケット予約

下記の公式サイト(QRコード)から、予約WEBフォームへアクセスして下さい。当日受付にてご精算をお願いします。予約は事務局の電話・FAX でも受け付けています。

エスニックナイト公式サイト

エスニックナイトチケット予約

• 公式サイト http://www.sozosha-net.jp/ethnic-night/
• 予約webフォーム https://forms.gle/HiHYFyN8fnFqykVD8
• チケット予約 ▶︎ 想造舎 TEL 06-6131-8884 / FAX 06-6131-8894

■感染予防のお願い
本公演は、新型コロナウイルス感染症対策を講じて開催いたします。必ずマスクをご着用の上ご来場ください。発熱・咳などの症状があるお客様には入場をお断りする可能性がございます。来場の方には入場時に体温測定をお願いします。

■主催・事務局
想造舎 大阪市旭区高殿2-12-18
2022.09水牛「インドネシアの新札に見る伝統舞踊の図柄」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2022年9月」(水牛のように)コーナーに、
インドネシアの新札に見る伝統舞踊の図柄」を寄稿しました。

「インドネシアの新札に見る伝統舞踊の図柄」
冨岡三智


この8月に2022年に発行される新札の図柄が発表され、各裏面には各地の舞踊、風景、インドネシア固有の植物や動物などの図柄が組み合わされて描かれている。というわけで、今回はその舞踊の図柄の紹介。紙幣は7種類で、舞踊の図柄は以下の通り。

(1)10万ルピア札…トペン・ブタウィ(ジャワ島・ジャカルタ)
(2) 5万ルピア札…レゴン(バリ島)
(3) 2万ルピア札…タリ・ゴン(カリマンタン島・ダヤク族)
(4) 1万ルピア札…パカレナ(スラウェシ島・マカッサル族)
(5) 5千ルピア札…ガンビョン(ジャワ島・スラカルタ)
(6) 2千ルピア札…タリ・ピリン(スマトラ島・ミナンカバウ族)
(7) 1千ルピア札…タリ・ティファ(パプア)

インドネシアは「多様性の中の統一」を国是とするので、舞踊もスマトラ、ジャワ、カリマンタン、スラウェシ、パプア(ニューギニア島)というインドネシアを代表する大きな島から万遍なく選ばれている。バリ島は小さいが、インドネシア文化を語る上では外せない。

(1)はジャカルタの舞踊。ブタウィはオランダ植民地時代以来、港市バタビア(=ジャカルタ)に集住してきた人々のこと。ブタウィの舞踊や衣装は中華などの影響を受け国際色豊かな雰囲気が特徴。トペンはインドネシア語では仮面という意味だが、ブタウィでは芸能や芝居の意味で、仮面とは関係がない。

(2)バリ舞踊のレゴンはこの中で最も有名な舞踊だろう。バリ・ヒンドゥー寺院で発展した舞踊。

(3)タリ・ゴンは東カリマンタンのダヤク族の舞踊。カリマンタン島はインドネシアにおける呼称で、ボルネオ島に同じ。ダヤク族はカリマンタン島の先住民のうちイスラム化されていない人々のことで、「森の民」とも呼ばれる。タリ・ゴンでは女性が両手に鳥の羽を扇のような形に持って、鳥の動きを模して優美に踊る。地面に伏せたゴン(銅鑼)の上にのって踊るのでこの名がある。サンペというギターに似た楽器で伴奏するのだが、どこか懐かしいような、のんびりした音がする。

(4)パカレナは南スラウェシのマカッサル族の舞踊。マカッサルといえば海洋交易で栄えた地域。女性が扇を持って、抑制的でゆっっくりとした動きで踊るのだが、音楽の方はそれとは対照的に激しく、2台の太鼓の音と甲高いチャルメラ笛の音が鳴り響く。私には神楽の音楽のような雰囲気にも感じられる。

(5)ガンビョンはジャワ島中部の、スラカルタ様式の民間舞踊。

(6)タリ・ピリンは母系社会で有名なミナンカバウ族の舞踊。磁器の皿(ピリン)を両掌にのせて踊るのだが、踊れる人に聞いたところ、子供の頃から踊っていても一度も落としたことがないと言う。ちょうどよい重さの皿を使うのがコツらしい。最後に皿を割って床にまき、その上で素足で踊るのも見たことがある。

(7)パプアはニューギニア島の西半分を占め、他のインドネシア地域とは異なりメラネシアの方に含まれる。腰蓑をつけ、ボディペインティングをした格好を見るとそのことを強く感じる。ティファは脚付きグラスのような形をした片面太鼓のことで、踊り手はこの太鼓を手に持ち、リズムに乗って延々踊る。



参考
https://finansial.bisnis.com/read/20220818/11/1567986/ini-foto-dan-ciri-khas-7-uang-rupiah-baru-tahun-emisi-2022


2022.08水牛「ジャワの物語(3)マハーバーラタ」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2022年8月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(3)マハーバーラタ」を寄稿しました。

「ジャワの物語(2)マハーバーラタ」
冨岡三智


前回取り上げたラーマーヤナ同様、マハーバーラタも古代インドの叙事詩である。4世紀頃に現在の形になったと考えられ、東南アジアに伝播した。内容は、王位継承に絡んで、コラワ一族の100人兄弟が従兄弟のパンダワ一族の5人兄弟を陥れようと姦計を繰り返してバラタユダ(大戦争)に至るが、この大戦争は神が定めたものでパンダワの勝利に終わる…そののち静かな時代が訪れるもののパンダワ5王子は世を儚み次々と昇天していく、というもの。

現在、ジャワのワヤン芸能(影絵や劇)の題材はマハーバーラタのエピソードが多いが、インドネシアのアイコンや東南アジア紐帯のアイコンとしてコラボレーションの題材となっているのはラーマーヤナが多い。その一方で、マハーバーラタは西洋や日本において何度も取り上げられてきたという印象がある。

私が思い出すのは、ピーター・ブルックによる『マハーバーラタ』(1985年アビニョン演劇祭初演、1988年銀座セゾン劇場)、②横浜ボートシアターによる日イネ合作『マハーバーラタ 耳の王子』(1996年、水牛2022年3月号のエッセイを参照)、③宮城聰によるSPACの『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』(2003年~、2012年ふじのくに⇄せかい演劇祭、2014年アビニョン演劇祭など)、④宮城聰による歌舞伎の『極付印度伝マハーバーラタ戦記』(2017年歌舞伎座)、⑤小池博史によるアジア6か国のコラボレーション『完全版マハーバーラタ』(2013~2020年10か国で上演、2021年東京)などだ。ただし実際に見たのは②のみである。

インドネシアのワヤンで描かれるマハーバーラタは叙事詩全体ではなく、その中の個別エピソードで、物語全体を知らなくても作品を楽しむことに差支えはない。というか、大戦争やパンダワ昇天といった重大なシーンはめったに描かれない。一方、①のブルック作品は全編舞台化を謳っていて、初演時の舞台は9時間、のちにそれを編集して映画にしている。⑤の小池作品もブルック以来の全編舞台化を謳っている。②と④はカルノを中心に組み立てているが、②はカルノにインドネシア独立戦争に参加した残留日本兵の葛藤と悲劇を重ねている。カルノはパンダワ側であるアルジュノと同母兄弟ながらコラワ側で養育され、後にアルジュノと一騎打ちすることになる点で、同族内の対立を象徴する人物だ。③は、コラワの姦計(さいころ賭博)によりパンダワが王国を失って流浪していた時に賢者が聞かせた恋愛物語「ナラ王の物語」を下敷きにしている。未見なので、マハーバーラタ全体のテーマや人間関係をどれほど反映しているのかは不明である。

マハーバーラタの方が登場人物が多くて話もややこしいのに、なぜブルックやら日本人やらはマハーバーラタの方を好んで取り上げるのだろう…と実は不思議に思っていた。もっとも、なぜラーマーヤナではなくマハーバーラタなのか?という問いはきわめてジャワ的だ。上の演劇作品を手掛けた人たちは、インドから伝わった2つの物語しか知らないわけではないのだから。

今年、NHKで放送している大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていて、ふとマハーバーラタは族滅の物語だとあらためて意識する。族滅という言い方が普遍的なものかどうかは知らないが、この大河ドラマを語るツイッターではこの語がよく使われている。大河ドラマの方では頼朝の死が7月初めに描かれた。頼朝が自身のきょうだいや他の源氏一党をつぶしていく様が今まで描かれ、今後は源氏の子孫、北条一族、それら縁続きの御家人同士の殺し合いが描かれていくはずだ。思えば、鎌倉時代の北条氏が主人公となる大河ドラマは1979年の『草燃える』以来で、戦国時代ものや幕末ものに比べてかなり人気がない。

マハーバーラタで敵味方になるコラワとパンダワは従兄弟同士で、争いになる発端には王位後継問題がある。ラーマーヤナの主人公のラーマの場合、継母がラーマを追放するとはいえラーマは異母兄弟の間で戦ってはいないし、むしろラーマに忠実な義弟のラクスマナは一緒に追放される。また、ラーマがランカー国の王・ラヴァナと戦うのは妻のシータ妃奪還のためで、ラーマ自身の王位継承のためでもないし、国同士の覇権争いでもない。

「A国とB国の戦い」や「諸国統一」の物語よりも、マハーバーラタのように「A国内における身内間の権力闘争」の物語の方が個人のむき出しの欲望とその結果の悲劇を極限の状態を描けて、現代の演劇向きなのかもしれない。
2022.07水牛「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」
先月、こちらに転載し忘れていました。

高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2022年7月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」を寄稿しました。

「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」
冨岡三智


ラーマーヤナは言うまでもなくインド起原の叙事詩で、4世紀頃までにヴァールミーキによりまとめられた。しかし、その冒頭の、主人公のラーマ王子がヒンドゥーの神ヴィシュヌの転生として誕生する場面と、最後にヴィシュヌ神に戻って昇天する場面は後世に別の作者によって付加されている。物語の主な内容は、森に追放されたラーマ王子が、魔王ラウォノにさらわれた妃シンタを取り戻すため、猿の援軍を得て魔王の国に乗り込み、魔王らと戦って王妃を奪還して国に戻るという話である。

ラーマーヤナは東南アジアに9世紀頃に広まった。ジャワ島中部にあるヒンドゥー寺院プランバナンの回廊にはラーマーヤナの物語のレリーフがある。が、ジャワはその後イスラム化するので、ラーマーヤナを題材とする舞踊作品が多く作られ始めるのは1961年にプランバナン寺院で観光舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』が始まって以来だと思われる。『ラーマーヤナ・バレエ』については今までも何度も書いているので今回は省略して、今回はコンテンポラリ舞踊作品に描かれたラーマーヤナを紹介したい。

●サルドノ・クスモ『サムギタ』(1969)

振付家のサルドノは『ラーマーヤナ・バレエ』で初代のハヌマン(白猿)を務めたが、元々は宮廷舞踊家クスモケソウォ(『ラーマーヤナ・バレエ』の総合振付家でもある)の弟子である。『サムギタ』はインドネシアのコンテンポラリ舞踊の嚆矢とされる作品で、ラーマーヤナの中にあるスグリウォとスバリという2匹の猿が戦うエピソードをテーマとしている。1969年のジャカルタ初演時は伝統と現代の融合したものとして好評だったが、1970年にスラカルタで再演された時には舞台に腐った卵が投げ込まれ野次が飛ぶというセンセーショナルな反応で、一躍伝説的な舞台となった。舞台背景を女性が開脚した形にして、その股間部から踊り手が入退場するようにしたという点は、スラカルタの観客には抵抗が大きかったようである。修士論文調査をしていた時に当時の関係者にいろいろと話を聞いたのだが、ともかく師匠のクスモケソウォには全く受け入れられず、他の弟子たちも師の怒りを恐れて舞台に参加できなくなったり、見に行けなくなったりしたという。卵を投げた陣営の人も私の留学先の芸大教員の中にいたのだが、その話によると、やはりブーイングをしたのはサルドノらと競い合っていた芸術団体の人たちだとのこと。熱い時代だったのだな…と思うのだが、ここは何といってもサルドノの勝ちである。新しいものを目指した舞台が首都で好評だったというだけでは伝説的な舞台にはならなかっただろう。偉大な宮廷舞踊家の師匠と対立し、破廉恥な舞台装置に怒った保守的な都市スラカルタの観客に腐った卵を投げつけられる…というストーリーが成立したからこそ、サルドノはカリスマ的存在になった気がする。

●サルドノ・クスモ『キスクンド・コンド』(1989)

これもやはりサルドノのコンテンポラリ作品で、これもまたスグリウォとスバリのエピソードがテーマである。もしかしたら、サムギタとテーマは通底するのかも…と今になって気づいたが、まだ確認できていない。この作品は『<東西の地平>音楽祭III ガムランの宇宙』(1989年、東京)で上演され、私も見に行った。プログラムによれば、物語の内容は、母の所有するアスタギナという聖なる箱を取り合う男2人と女1人の武将階級のきょうだいが、その欲望ゆえに堕落するというもの。この2人の兄弟がスグリウォとスバリで、彼らはサルに変わってしまう。これはジャワの影絵で語られるバージョンである。この作品を演じたのはスラカルタの芸大教員の故スナルノ氏とパマルディ氏、そしてスラカルタ王家のムルティア王女の3人だった。男性2人は人間からサルへと変わっていく様子を動きで表現する。後に私は留学してパマルディ氏に男性優形舞踊を師事することになり、スラカルタ王家の定期練習に参加することになるのも不思議な縁だ。
2022.06水牛「ジャワの物語(1)パンジ物語」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2022年6月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(1)パンジ物語」を寄稿しました。

「ジャワの物語(1)パンジ物語」
冨岡三智


このエッセイを書き続けてほぼ20年、今まで物語に焦点を当てて紹介したことはなかったので、今回は物語に注目して紹介してみよう。

パンジ物語は13世紀頃にまで遡るジャワ発祥の英雄物語で、14〜15世紀のマジャパヒト王国時代に大流行し、17~18世紀頃には船乗りによってジャワからバリへ、さらに東南アジア各地に広まった。タイなどでは、王子はパンジではなくイナオInaoと呼ばれている。2017年にはインドネシア、カンボジア、マレーシア、オランダ、イギリスが協同申請し、パンジ物語はユネスコの世界無形文化遺産「世界の記録の一覧」に登録された。物語は東ジャワの宮廷が舞台で、パンジ王子が失踪した許嫁のチョンドロ・キロノ(別名スカルタジ)王女を探して放浪の旅に出、ついには王女と出会って結婚するという内容だが、様々な派生演目があるようである。この物語を題材にする芸能形態には、ワヤン・ベベル(絵巻を繰り延べながら語る芸能)、ワヤン・トペン(仮面舞踊劇)、ワヤン(=ワヤン・クリッ、影絵)などがある。

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ワヤン・ベベルとワヤン・トペンはワヤン・クリッより以前からあったとされる。ワヤン・ベベルは、今では辺境の地であるジョグジャカルタ州ウォノサリ県と東ジャワ州パチタン県でしか伝承されていない。特定の家系のダラン(語り手)によって魔除け、病気平癒祈願などのためだけに上演され、演目はそれぞれ1種類しかない。娯楽用ではないので、上演時間も短い。絵はダルワンと呼ばれる樹皮紙(カジノキの樹皮を薄く叩きのばして作る)に描かれている。樹皮紙の研究をされている坂本勇先生に記録映像を見せていただいたことがある。

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ワヤン・トペンはスラカルタでは見られないと言ってよい。パンジ物と言えば「クロノ・トペン」や「グヌンサリ」のように単独で舞う仮面舞踊だろう。クロノはスカルタジに横恋慕する異国の王で、男性荒型のキャラクターである。グヌンサリはスカルタジの兄弟で、男性優形のキャラクターだが、実はどんな場面で活躍する人物なんだか私もよく知らない。グヌンサリの場合、仮面なしで上演されることも多い。これらの単独舞踊は物語の特定の場面を描いているのではなく、恋に落ちた武将の様を描写しており、そのキャラクターを表現することが重要である。他に、芸大で作られた『トペン・スカルタジ』というパンジ王子とスカルタジ姫とクロノの3人が登場する演目があるが、これも劇というより三者三様のキャラクター表現を見る舞踊だと言える。

スラカルタで見られないと言ったが、一度だけマンクヌゴロ王家によるワヤン・トペンを中部ジャワ州立芸術センターで見たことがある。同王家には古い仮面のコレクションが多くあるのでワヤン・トペンを復興したという話だった。スラカルタよりはジョグジャカルタの方がワヤン・トペンが盛んなようである。2011年にクロンプロゴ県(パクアラム王家の領地だった地域)で見たことがあるし、最近のyoutube配信でジョグジャカルタ王家のワヤン・トペンも見た。他にもジョグジャカルタのワヤン・トペンの映像はyoutubeに上がっている。スラカルタとジョグジャカルタの間にあるクラテン県にもワヤン・トペンがあり、私は現地で2回見た。それについては先月号の「ジャワの仮面舞踊」で触れたので割愛。しかし、ワヤン・トペンという名で一番有名なのは、たぶん東ジャワ州マラン県のもののように思う。私は2001年に芸大で見た。「ワヤン・トペン・マラン」や「トペン・マラン」と地名をつけて呼ばれることが多く、youtubeでも多くの映像が上がっている。パンジ物語は東ジャワが舞台だから、中部ジャワより人気があるのかもしれない。

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ワヤン・クリッといえば、現在のジャワではほとんどがマハーバーラタを題材としている。ワヤンはマハーバーラタやラーマーヤナなどインド伝来の物語を題材にした演目群(ワヤン・プルウォ)と、パンジ物語などをジャワ発祥の物語を題材にした演目群(ワヤン・グドッグ)に大別されるのだが、ワヤン・グドッグを上演できるのは現在ではバンバン・スワルノ氏のみらしい。私は2000年10月28日、マンクヌゴロ王家で、氏による『Jaka Bluwo』という演目を見たことがある。通常のワヤン・プルウォのように一晩ではなく、4時間余りの上演だったが(予定は2時間…)、ちょうど見つけたこの演目についての論文によると、これはバンバン氏が短縮上演用に作った演目らしい。この論文によると、ワヤン・グドッグの影絵はパク・ブウォノX世の時代(1893-1939)が最盛期だったが、上演はほぼ宮廷内に限られ、学ぶにも許可がいるといったことが衰退の原因のようだ。

ワヤンはラジオ(インドネシア国営放送)でも放送されてきたので、1980年代前半(私が初めて留学したのが1996年だったので、その一昔前)頃だと状況はどうだったのだろう…とふと思って、事情を知る人に聞いてみた。すると、当時のラジオ局の放送担当者にも確認を取ってくれて、次のような回答が届いた。ワヤン・プルウォの方は毎月、観客を入れて朝まで放送、ダランは毎回変わる。一方、ワヤン・グドッグの方は2か月に1度、ラジオ・トニル(生放送だが観客なし)で、夜9時のニュースの後(9時半頃)から24時まで放送(たまに一晩の放送)、ダランはスラカルタ王家のワヤン・グドッグの師匠であるMadyopradonggo氏が1人で担当(たまにもう1人の人も上演)していたとのこと。その師匠が亡くなった後はこの定期放送もなくなったとのことで、ワヤン・グドッグの伝統を絶やさないために続けていたようだ。

  ●

というわけで、パンジ物語の演目はワヤン・ベベルにしろワヤン・トペンにしろ、どうも田舎の方に残っていたものの、都の真ん中(スラカルタ王家)に残ったワヤン・クリッ(グドッグ)では逆に廃れていったという感じのようだ。ジョグジャカルタ王家の場合はよくわからないけれど。
2022.05水牛「ジャワの仮面舞踊」
先月(5月)号の『水牛』記事、紹介するのを忘れていたのに今気づきました!

高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2022年5月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの仮面舞踊」を寄稿しました。

「ジャワの仮面舞踊」
冨岡三智


5月7日に仮面舞踊を久々に踊る(10年以上ぶりのような気がする)…というわけで、今回はジャワの仮面舞踊の話。インドネシア語では仮面のことをトペンという。仮面舞踊やワヤン・トペン(仮面舞踊劇)はジャワやバリの各地にある。西ジャワのチレボンだと、ワヤン・トペンもあるけれど、1人の演者が5種類のキャラクターを演じ分けるトペン・ババカンが有名だ。東ジャワなら、マランの『パンジ物語』を題材にしたワヤン・トペンや、『マハバラタ』や『ラマヤナ』を題材にしたマドゥーラのワヤン・トペンが有名である。トペン・マランについては留学中の2001年7月16日にスラカルタの芸大で、トペン・マドゥーラは1991年に国際交流基金アセアン文化センターが招聘した日本公演を見たことを思い出す。トペンの演目は普通は『パンジ物語』なので、それ以外の演目があるというのが新鮮だった。

中部ジャワであれば、スラカルタの王家にもジョグジャカルタの王家にも仮面舞踊がある。仮面舞踊は民間派生のものなので、宮廷儀礼用ではなく貴族層たちの楽しみとして発展した。その両王家のある2都市の間にあって、どちらの宮廷にも多くの芸術家を輩出してきたクラテン村にはワヤン・トペンがある。そして、ダラン(影絵の人形遣いや語りをする人)たちが上演するものは、特にダラン・トペンとも呼ばれている(他の地方でも同様)。ダランたちは昼はワヤン・トペンに出演し、夜はワヤンをしたものだという。

クラテン村のワヤン・トペンは、2001年8月には村の広場に設置されたステージで、2002年8月にはダランの家で見た。ダランの家の正面は少し高くなっていて、約1間半×4間幅くらいの深い庇があり、そこをステージにしている。昔は上演できる場所が限られていたから、いつでも上演できるように家の作りをそうしているという話だった。庇の奥にある3枚の戸口は全部外して、奥の部屋を楽屋にしていた。観客はその家の外側から見るのだが、舞台が進行している奥で楽屋が丸見えなのが可笑しかった。舞台の雰囲気は岩見神楽が上演される神楽殿のような感じだった。(もっとも、岩見神楽では大きくて立派な幕を楽屋と舞台の間に張る…。)

クラテンのトペンで興味深かったのが、足を上げないことだった。現在、芸大や王家などで見られる仮面舞踊では、男性の登場人物たちは仮面をつけていないときと同様に動く。仮面をつけると視野が限られるから、片足を少し上げたり、戦いの場面で素早く場所移動したりするにはバランスを取る技量が必要だ。しかし、クラテンでは、2人戦う場面では肩を組んで互いに前に足を出し合うような振付で、昔の仮面舞踊の素朴さを実感する。歌舞伎の様式的な殺陣という感じだ。

また、台詞を話す際に、仮面を手に持って観客から顔を隠しながら話すというのも面白い。能だと面をかけたまま声を出すが、ジャワでは仮面の裏に取り付けた革をくわえて面を着けるので(つまり紐を使わない)、仮面をつけたまま声を出すことができない。どうやって台詞を話すのかずっと疑問に思っていたので、こうするとまるで仮面が話しているように見えるのか…と納得したことを思い出す。

昨年、このクラテン村のワヤン・トペンのグループの公演を20年ぶりくらいにyoutubeで見た。その中心の人がアカウントを作って発信を始めたことを知ったからなのだが、変わらず素朴な雰囲気があって懐かしい気分に浸り、facebookでもその人に連絡を取ってみた。私が見たときは芸大の協力も入っていたが、廃れつつある芸能で上演費用も大変だったようだ。私も寄付に応じたのだが、変わらず公演が続いているようで嬉しい。
5/21公演 中止のお知らせ
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■5/21(土)に予定されていた公演ですが、本日(5/18)企画の西村より連絡があり、急遽中止されることが決定されました。ご関心を持ってくださった皆様には大変申し訳ございません。
■I'm sorry to announce that the performance on May 21st will be cancelled by the organizer.
■Dengan sedih hati disampaikan bahwa pentas saya pada tgl.21 Mei ini akan dibatalkan oleh panitia.