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10/5インドネシア・日本まつり に出演
インドネシア・日本まつり
Indonesia - Japan Festa 2019


日時: 10月5日(土)10:00~20:30
     10月6日(日)10:00~18:00
場所: 湊町リバープレイスプラザ2・3
    (大阪市浪速区湊町1-3-1、なんばHatch) 
私の出演は5日(土)18:30~19:00の間、ガンビョンを踊ります。
ちなみにこの後にジャワのワヤン(影絵)があります。

indo-japan festa2019
2019.9月インドネシアにて②


2019.9月インドネシアにて①
時系列に沿っていませんが、インドネシアでの写真をアップします。




8月日本語パートナーズ研修
8月の1か月間、国際交流基金日本語パートナーズ派遣前インドネシア語研修に携わっていました。2015年8月(インドネシア4期)からずっと携わっています(ただし昨年8月(インドネシア10期)は別のプロジェクトのため不参加)。懇親会の時の伝統衣装姿で。
20190830NP懇親会

2019.09水牛「ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2019年9月」(水牛のように)コーナーに、
ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~」を寄稿しました。



ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~

実は、『水牛のように』2006年3月号~5月号に「ここ10年のインドネシアと日本」と題して、スハルト時代の役所の習慣やら、電話やインターネットの事情やらについて書いた(バックナンバーには未収録)。ところが、それから10年あまりが過ぎて、もはや2006年に書いたことすら古くなってしまった。いつか、この駄文が風俗資料になるかもしれないと思いつつ、ここに30年間の変化を書き留めておこう。

1996年3月にインドネシアに留学するに当たり、私は初めてハンディカムのビデオカメラを記録用に買った。確か当時は20万円近くしたが、留学だからと奮発した。それはHi8という8ミリの上位機種で、アナログ式。SPモードで120分のテープに録画する。現在のデジタル画像に慣れた目で見ると、画質の差はいかんともしがたい。が、問題は記録があるかないかなのだ。70年代と80年代の調査記録を基に書かれた海外の舞踊研究書の序文に、80年代半ばに一般用8ミリビデオが発売されて研究が大いに進展したと書いてあったことが強く記憶に残っている。それまで舞踊研究に使われてきた資料といえば、伴奏音楽の録音、舞台写真、舞踊譜(動きを専門用語で書き留めたもの)、フォーメーション図(移動方向や向きを図で表したもの)しかなかった。これらの方法を併用しても動きを言葉で説明するには限界があり、しかも、その記録を基に動きを想像し再現することができるのはその舞踊の経験者だけだ。未経験者には無理なのである。しかし、映像なら未経験者でもどんな動きの舞踊かを知ることができる。そんなわけで、80年代の一般用ビデオの発売は舞踊研究において画期的な出来事だったと思う。

2000年2月、私は古いHi8カメラを携えてインドネシアに再留学した。が、4月以降に新しく留学してきた人たちが持ってきたのはデジタルのビデオカメラ。ちなみに、その人たちは写真カメラもデジタルだった。2000年頃を境に世はアナログからデジタルに移行しようとしていた。アナログ・データをダビングするには元データと同じだけ時間がかかるが、デジタルならすぐに複製でき、編集もできてしまう。画質以上に、この複製編集の手軽さこそがデジタル化の本質だ。

youtubeの設立は2005年らしい。私の周囲では2007~08年前後からyoutubeやfacebookなどに映像をまめにアップする人たちが増えたように感じる。たぶん、編集用コンピュータの容量増加やスマホの登場(2007年)も影響しているだろう。一方、Hi8時代―つまり1980~90年代―の記録は、デジタル変換されなければ存在しないも同然になってしまう。再生機もすでに製造中止になっているのだから。私は2005年頃に自分が記録したHi8映像の多くをDVD化したが、まだの分も少なくない。私より少し古い世代の人たちの記録なら世代ごと忘れられてしまう可能性もあるように感じる。デジタル時代の人たちがHi8時代の人たちより活躍しているというわけではないのだ。デジタル格差とは、インターネット等の技術を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差のことを言うが、このように世代による記録情報の残り方の格差は含まないのだろうか。
2019.08水牛「犠牲祭(イドゥル・アドハ)」
※ 9/4写真追加しました。

久しぶりの更新です。4大学(兵庫、大阪、京都、奈良)での非常勤講師の仕事がなかなかに大変で、自転車操業のような毎日でした。7月末にあわただしく成績採点を終え、8月はここ数年恒例のインドネシア語集中研修講師の仕事に入っています。さて…

高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2019年8月」(水牛のように)コーナーに、
犠牲祭(イドゥル・アドハ)」を寄稿しました。

いったん書いてから添削している間に、肝心なことが抜け落ちてしまっていました。以下に1996年4月28日に経験した犠牲祭のことを書いていますが、実はこの日の早朝にスハルト大統領夫人Ibu Tienが亡くなりました。Ibu Tienは私が留学していた町スラカルタの出身で、亡くなってすぐに遺体はスラカルタに送られました。「Ibu Tienのように偉い人は、犠牲祭のような良い日に亡くなるんだね…」と人々が言っていたことを思い出します。



犠牲祭(イドゥル・アドハ)

犠牲祭(イドゥル・アドハ)は世界中の人々がメッカを巡礼する大巡礼の最終日を祝う行事で、イスラム教徒にとっては断食明けの大祭(イドゥル・フィトリ)と同じく重要な祭日だ。インドネシアでは祝日で、各町内会ごとに集まって供出されたヤギやウシなどの生贄を自分たちで殺し、皆で肉を分け合い、調理して食べる。今年の犠牲祭は8月11日で、その後には独立記念日(8月17日)も控えているから、今年のインドネシアの8月はとても賑やかになりそうだ。

さて、私が初めて留学した1996年の犠牲祭は4月28日だった。イスラムの祭日はイスラム暦(1年354日)に従うので、西暦で言えば毎年約11日ずつ早くなる。つまり、この23年の間に4月、3月、2月…12月、11月…とどんどん前倒しになって、今年は8月になったというわけなのだ。留学当時の日記が見つかったので、今回は1996年4月28日の犠牲祭の思い出について書いてみる。

私は4月13日には一軒家に引っ越していたが、犠牲祭の日はそれまで住んでいた宿のあるRT(町内)に見に行った。宿の従業員が、このRTは全戸がイスラム教徒だから犠牲祭はにぎやかだよ~、おいでよ~と誘ってくれたのだ。一方、新しく入居した家のRTの住人はほとんどキリスト教徒だったようで、特に町内では何もやらなかった。

朝9時から始めるというので行く。この町内は1つのガン(小路)を挟んだエリアである。このガンから大通りに出る手前にある排水溝の大きな蓋(コンクリート製)が開けられ、ホースが引かれていた。ここで屠殺するようだ。そして、小路にはヤギが10頭近く、牛も1頭つながれている。これらは住人らが供出したもの。持てる者は分に応じて持たざる者に施しをするのがイスラムの教えなのだ。だから、犠牲祭の数日前になると、急に街にヤギを売る人・買う人が現れる。ヤギ相場も値上がりするようで、お金に余裕がある人は少し前からヤギを仕入れておいて、犠牲祭直前に高値で売るようだ。私の日記には生後4~5年の小さ目のヤギが11万ルピアというメモが残っている。ちなみに、当時のレートは1ルピア=約20円。私の宿滞在費半月分の値段なので、庶民にはそれなりに大きな金額である。

さて、ヤギから屠殺が始まるが、肉屋ではなく地域の住民が手がけていることに驚く。ずっとお祈りを唱えている小さい子供たち(小学生低学年までくらい)に囲まれて、大人の男性がヤギの頸動脈を切り、血を排水溝に直接流す。子供たちと違って、私は怖くてその瞬間をどうしても正視することができなかった。その現場が見えない所につながれているヤギも自分の命運を察知し、順番が回ってきても抵抗してなかなか動こうとしない。屠殺されたヤギは木の枠にぶら下げられて解体が始まり、皮が剥がされ、肉や内臓が取られて骨だけがきれいに残る。皆とても手慣れていて、作業がてきぱきと進む。

解体の力仕事は男性がやる一方、内臓や肉のブロックを小さくしたり調理したりするのは女性。私も1頭分だけヤギの腸を伸ばすのを手伝うことにした。とはいえ3人がかりである。大きなざるに腸の塊が1頭分載せられてくる。塊に手を当ててみるとまだ温かい。さっきまで生きていた証。不思議に怖いとは感じず、命をいただく愛おしさを感じる。1人目がそのくねくね曲がった腸チューブをつまんで塊からはがし、しごく。2人目と3人目はそのしごかれたチューブを受け取ってさらにしごき、腸内の内容物を押し出してきれいにする。肛門に近い辺りでは内容物は全部コロコロした糞に変化してぎっしり詰まっている。1頭だけ…と気楽に考えていたが、腸がものすごく長いことに気づき、嫌気がさしてきた。いま調べたところ、ヤギの腸の長さは体長の25倍あるらしい。ヤギの体長は1~1.5mだから、腸の長さは約25~35mとなる。うろ覚えだが、2時間くらいひたすら腸をのばしていた気がする。

ヤギやウシの赤身や内臓は持ち帰り用に秤で測って分配される。それ以外にその場でヤギ肉の煮込みが調理され、皆で食べた。全部の解体と下ごしらえ、調理が終わって食事にありつけたのは2時過ぎだったと思う。暑さと周囲に充満する肉の匂いと空腹で頭がぼーっとしていたことを思い出す。こういう経験は1度で十分だというのが正直な感想だが、それでも経験できてよかった。命をいただいて食べることの重さを、私は腸の重さとして実感することができた…。

19960428iduladha1.jpg
1996年のIdul Adhaにて


7/4 ジャワ舞踊ワークショップ@桃山学院大
ジャワ舞踊ワークショップ「ジャワ舞踊のメロディとリズム」を下記のとおり実施しました。ジャワ舞踊のメロディ(宮廷舞踊の系統)とリズム(民間舞踊の系統)を体験してもらいました。

日時: 2019年7月4日(木)16:50-18:30
場所: 桃山学院大学1号館206教室にて
主催: 桃山学院大学インドネシア研究会(小池誠教授代表)

5.19岸城神社奉納上演
5/19(日)開催のむすび市(岸和田市・岸城神社)でのバリ舞踊&ジャワ舞踊奉納は無事に終了しました。ご来場くださいました皆様、ありがとうございました。ジャワ舞踊を上演したメンバーは昨年まで10年間、岸城神社で「観月の夕べ」公演を主催していた仲間たちです。「観月の夕べ」公演は昨年の第10回を以て終了しましたが、長年のご縁もあり、今回はむすび市での奉納となりました。

岸城神社むすび市 ジャワ舞踊奉納
日時: 5月19日(日) 奉納舞踊 12時半過ぎ~3時頃
会場: 岸和田市 岸城(きしき)神社 社殿前


1. 「サリクスモ」 (ジョグジャカルタ様式)
by 坂口由美子、村岸紀子、竹田敦子、櫻井有紀、谷口あかり
●IMG_3219 - コピー

2. 「ガンビョン・パンクル」(スラカルタ様式) 
by 岡戸香里
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3. ワヤン・カンチル
ダラン(語り&人形遣い): アナント・ウィチャクソノ
写真で解説しているのは西田
●IMG_3235

4. 「ゴレッ・アユンアユン」(ジョグジャカルタ様式) 
by 西岡美緒、坂口由美子、村岸紀子
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5. 「スリンピ・アングリル・ムンドゥン 前半」(スラカルタ様式) 
by 冨岡三智
桐原さん撮影

演奏者:
アナント・ウィチャクソノ、西田有里、東山真奈美、松田仁美、近藤チャコ、山下奈美

ジャワ組出演者全員で
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写真撮影:
1~4、集合写真… 中口順児さま
5.… 桐原喜彦さま
5/19(日)奉納公演のお知らせ
5/19(日)開催のむすび市(岸和田市・岸城神社)にて、バリ舞踊「ルジャン」の奉納に続き、ジャワ舞踊の奉納があります。ぜひご来場ください。ジャワ舞踊に関しては、昨年まで10年間、岸城神社で「観月の夕べ」公演を主催していた仲間たちがガムラン生演奏で舞踊曲を奉納します。なお、「観月の夕べ」公演は昨年の第10回を以て終了しました。長年のご声援に感謝申し上げます。


岸城神社むすび市 インドネシア舞踊奉納公演
日時: 5月19日(日) 奉納舞踊 12時半過ぎ~3時頃
会場: 岸和田市 岸城(きしき)神社 社殿前

※ むすび市開催時間: 午前10時〜午後4時
   雨天の場合でも屋内にて上演します。

●ジャワ舞踊の演目:
  いずれも15~20分の曲です。私は3を踊ります。
1. 「サリクスモ」 (ジョグジャカルタ様式)
2. 「ガンビョン・パンクル」(スラカルタ様式) 
3. 「スリンピ・アングリル・ムンドゥン 前半」(スラカルタ様式) 
4. 「ゴレッ・アユンアユン」(ジョグジャカルタ様式) 

アクセス:
南海本線・岸和田駅 徒歩10分、蛸地蔵駅 徒歩5分
岸和田城周辺には公共駐車場があります。
3/3 ジャワ舞踊と和籟弦打と美の宴@都城
早春を舞う ジャワ舞踊と和籟弦打と美の宴
ジャワ舞踊、笛、太鼓、アートによるライブパフォーマンス


日時: 2019年3月3日(日)13:00~14:20 (開場:12:30)
会場: レインボーハウス 
     宮崎県都城市夏尾町6223

13:00~13:15 ジャワ宮廷舞踊 "Srimpi Anglirmendhung"前半
13:15~13:40 休憩・歓談
13:40~14:20 ライブパフォーマンス

■コラボレーション:
冨岡三智: ジャワ舞踊
井上大輔: 笛(能管、長菅尺八、篠笛)、桶太鼓、薩摩琵琶
        音楽家、劇壇井上天幕主宰
        https://gekidaninouetento.wixsite.com/inouetentozero
水口麿紀: アート
        アート工房ミルトス主宰
        http://mirutos.info/

■主催: レインボープロジェクト

20190303都城

昨年同様、今年も別府にインドネシア語研修の仕事で来ていますが、その別府から足を延ばして宮崎に初上陸、ジャワ舞踊を舞ってきました。土曜午前中の仕事を終えて12:30 職場発―別府駅―【バス・パシフィックライナー号】―宮崎駅―【JR日豊本線】―西都城駅―【迎えの車】―ミルトス工房着20:20頃と、約8時間の旅!九州は広い…。この日も翌日も雨。

このプロジェクトを企画してくれた水口さんとは、実は1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに知り合っています。被災した水口さんが私の地元に疎開して来られ、何度かアトリエにお邪魔しました。当時、鉄や木などを使ったオブジェを製作されていた水口さんは2000年(私は留学中)に高千穂へ転居。その後も年賀状でやり取りはありましたが、九州に行かれた水口さんは明るい光に満ち溢れた絵画作品を描くようになり、その変化に私は目を見張り、何があったのだろう…とずっと気になっていました。九州に行く機会も全然なかったところ、思いがけず別府での仕事が入ったので連絡を取ると、このようなライブを企画してくれました。相変わらずパワフルで軽やかな生き方にエネルギーをいただいて戻ってきました。また、今回水口さんが共演にと紹介してくれたのが井上大輔さん。繊細な声や物腰なのに、出てきた音は背骨にびくっとくる。ぶっつけで相手の出方を見ながらのライブは、とても刺激的でした。

●"Srimpi Anglirmendhung"前半
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●ライブパフォーマンス
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●スタッフや参加者の方と
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手前右から: 水口磨紀、私、井上大輔