FC2ブログ
 
12/18 大阪樟蔭女子大学 「芸術と鑑賞」
以下でレクチャー&コンサートの授業をしました。

日 時: 2018年12月18日(火) 14:40~16:10
会 場: 大阪樟蔭女子大学・高智館円形ホール
授 業: 「芸術と鑑賞」
テーマ: 「ジャワ舞踊の世界 ~スラカルタ様式~」


「芸術と鑑賞」は秋期の講座で、学生は毎週、音楽や美術のレクチャーコンサートを受けることになっている。同講座では今まで西洋音楽と造形美術が色々紹介されてきたが、アジアの芸術、さらに舞踊を紹介するのは初めてだったとのこと。私は映像を使った解説の他に"Bedhaya Pangkur"(冒頭5分だけ、笑)、"Retna Pamudya"、"Gambyong Pangkur"の3演目を実演。ジャンルがバラバラなものを一度に上演するのは、気分的に意外に大変だった。そもそも衣装も全然違うので、舞踊衣装は着ず、クバヤ(上半身の伝統衣装)にサンバラン(ジャワ更紗を引きずるように着付ける)の姿で話す。ガンビョンの時はサンバランの裾をスタゲン(下帯)に挟み込んで対応。

12/16 カパル設立記念大会出席
カパル(インドネシア研究懇話会)
設立記念大会・第1回研究大会


日時: 2018年12月16日(日)
場所: 京都大学稲盛財団記念館
サイト➡ https://kapal-indonesia-jepang.blogspot.com/

に出席しました。この懇話会のインドネシア語名称は Kelompok Pemerhati dan Peneliti Indonesia di Jepang。この会は「会員制をとらないオープンな集まりとし、特定の専門分野や国境のうちに閉じこもることなく、広い意味でのインドネシア研究の発展を図り、参加者相互の協力ならびに親睦を促進することを目的とします。この目的を達成するために、研究大会を開催し、懇話会のブログやメーリングリストなどを通じて情報の発信を行ないます」とのことです。

2018.12水牛「芸大スラカルタ校のキャンパス(2)レッスンの空間」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年12月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「芸大スラカルタ校のキャンパス(2)レッスンの空間」を寄稿しました。


芸大スラカルタ校のキャンパス(2)レッスンの空間

私が留学していたインドネシア国立芸術大学スラカルタ校(以下、芸大と略)のキャンパスの思い出話の第二弾は、舞踊の授業やレッスンをしていた場所について。

舞踊学科の実技の授業で使うのはE棟の1,2階とI棟の2,3階の教室だった。ワンフロア1教室で、40〜50人くらいの集団レッスンができるくらいの広さがあり、壁面に鏡がある部屋もあった。それ以外に、少し離れた所にあるF棟がコンテンポラリ舞踊や舞台装置の授業に使われていた。体育館のように天井が高く、小劇場や大劇場ができる以前はここで規模の大きい作品(野外大劇場でセットを組んで上演されるような作品)のゲネプロが行われていた。

教室は授業以外にも各種練習で使われ、届けを出せば個人レッスンにも使用できた。しかし、私はこの広い教室で個人レッスンをしてもらったことがほとんどない。

私は男性優形舞踊を芸大教員のP氏に師事し、個人レッスンを受けていた。留学するまで男性舞踊をやったことがなく、呑み込みも遅い私は、芸大の集団授業に全然ついて行けず、P氏に師事することにしたのだった。

最初の1セメスターは、I棟1階にある化粧室(今は別の部屋になっている)でレッスンを受けた。幅が一間半くらいの細長い部屋の両サイドに鏡と椅子がずらりと並んでいて、手狭である。音響設備もない。友人が広い教室でレッスンを受けていたので、私もそうしたいと言ったのだが、ダメだと言われた。理由は後になって判明するのだが、師は、当時の私はまだ広い環境では舞踊に集中できないだろう、狭くて静かで他人の目がない空間の方が良いと判断していた。

化粧室で音楽なしできっちりと動きを指導してもらい、1曲目の舞踊作品の振付を最後まで覚えると、師は初めて広い教室でレッスンをやろうと言って空いている教室に入り、カバンやノートを床に置いて四角い舞台空間を区切った。その中で初めて向きだとか理想的な空間の取り方を指導してもらい、音楽に合わせて踊った。しかし、1回だけである。

その次のセメスターでは、F棟入口前のロビーでレッスンが行われることになった。屋根と床があるだけの空間である。レッスンに使えるのは四畳半くらいのスペースだ。教室の中ではなく、音響機材がないから、私はカセットデッキを抱えてレッスンに行った。このレッスンは夕方にやっていたのだが、師はいつも最低半時間くらい遅れて来る。ポツンと待っていると、F棟の中からは課外活動の少林寺拳法の声が響いてくるし、周囲では別の練習の音も聞こえてくる。F棟の前にはワルン(屋台)があって、この周辺で下宿している学生がいつもたむろしている。その時間帯にポンキーという愛猿を肩に乗せた学生がいつも散歩する(彼の名前は忘れた)。キャンパスのモスクからアザーン(イスラム礼拝の時刻を告げる詠唱)が聞こえてきて、山羊の集団がこのF棟のロビーを横切って疾走する。たぶん、彼らはF棟裏にあるテニスコートで草刈の仕事をし、人には聞こえない合図を聞いて一斉に帰路につくのだろう…。さらに雨季の走りとてスコールが降ってくると、一気に周辺は雨の音に包まれる…。と、一転して開放的過ぎる環境に私はイライラしたが、師はあえてここを選んでいた。2曲目に習ったのは『パムンカス』という宮廷舞踊の系統の内面的な曲だったのだが、舞踊が始まる前の正座して待つ部分(パテタンと呼ばれる音楽がつく)で、集中力が足りない!もう一度パテタンを聞いてろ!と何度もパテタンを聞かされたことがある。こんな環境の中でも自分に集中しなければならない、と言う。その当時の私はあの環境にイライラを募らせていたというのに、今となってはあの混沌さが一番懐かしい…。
2018.11水牛「芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年11月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場」を寄稿しました。


芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場

今年の4月からいくつかの大学に教えに行っている(インドネシアの言語とか文化とか)。大学によって立地やレイアウトはまちまちだが、ある大学のキャンパスを歩きながら、そういえば留学先の大学もこんな感じで高低差があったなあ…と思い出した。というわけで、今回は私が留学していたインドネシア国立芸術大学スラカルタ校(以下、芸大と略)のキャンパスの思い出の話。

芸大のキャンパス構内は、私が留学・調査していた頃(1996-2007)より建造物が増えたり教室が改装されたりして、今ではかなり感じが変わっている。芸大キャンパスは、プンドポ(ジャワの伝統的なオープンホール)や大小の劇場、野外劇場などが集まっている辺りが道路から近く、土地が平らである。船をかたどった門が設けられて、これが現在の正門だ。そこから南へ坂を下るにしたがって、本部棟や国旗掲揚広場(その前にある門がかつての正門)、事務棟や図書館、影絵科、舞踊科、音楽科、造形科と順々に配置されている。

実は芸大キャンパスがこの地に移転完了したのは1985年で、その前はスラカルタ王宮の一画:サソノムルヨにあった。サソノムルヨには国の芸術プロジェクト=PKJTの拠点や3月11日大学(UNS)のキャンパスも同居していて、これら3つの機関が揃って今の地域に移転した。というわけで、道路から芸大の船形正門を越えてさらに東に行くとUNSのキャンパスがあり、芸大から南下するとPKJTが発展解消してできた中部ジャワ州芸術センター(TBS)がある。

現在でこそ、芸大に各種劇場が揃っているが、私が留学した当初にあったのはプンドポのみ。ここで入学式や卒業式、すべての試験公演が行われていた。余談だが、このプンドポはキブラット(方角)が間違っていたことが完成後に分かったそうで、そのためルワタン(魔除けの影絵)をして、その影絵人形をキャンパスからほど近いブンガワン・ソロ川に流しに行ったそうだ。

閑話休題。ソロはコンテンポラリ芸術も盛んな地域だが、それらも伝統的なプンドポで全部上演してしまうところに、私はジャワの伝統の懐の大きさを感じて感動した。しかし、同じジャワでもジョグジャカルタにある芸大には当時からクローズドの額縁劇場があった。私はむしろそのことに驚いたのだが、それは恐らく、ジョグジャカルタ校には西洋音楽のコースがあったためではないかと思う。実は、首都ジャカルタの交響楽団で活躍する人の多くがジョグジャカルタの芸大出身者なのである。一方、スラカルタの芸大のカリキュラムには西洋音楽の実践は全然なかった。ピアノを使うのも国歌、校歌を歌う時だけ…という状況だった。

そんな芸大にクローズドの額縁舞台の劇場が建ったのは1997年末か1998年早々で、こけら落とし公演がサルドノ・クスモ作『オペラ・ディポネゴロ』だった。だが実は、この公演時に劇場の電気系統はまだ完成しておらず、発電機を持ち込んでの上演だったと後で聞いた。当時、アジア通貨危機に見舞われて工事は中断し、2000年に私が再留学してきた後に工事が再開した。小劇場が完成した後、舞踊の試験公演はすべて小劇場で上演されるようになり、同時に多くの有料公演もそこで上演されるようになった。スハルトが退陣しオトノミ・ダエラー(地方自治)体制となったことで、それまで入場無料だった試験公演が有料化された。折しも、インドネシアではアートマネジメントの必要性が叫ばれるようになった。国際交流基金がその専門家をインドネシアに招聘したり、現地の財団が公演制作者の育成プログラムを始めたりしていた。というわけで、スラカルタの芸大では2000年前後がプンドポ芸術から劇場芸術への転換点(少なくとも舞踊にとって)だったと言える。

とはいえ、欧米の劇場と全然違うのがクローズドの度合いである。壁は薄く、劇場外の音もよく聞こえる。さらに外からいろんなものが入ってくる。小劇場のこけら落とし『オペラ・ディポネゴロ』公演では、よりにもよってクライマックスのシーンとした場面で、トッケイ・ヤモリの「トッケイ…トッケイ…」という連続する鳴き声が響き渡った。また、小劇場ではないが、プンドポの裏にある録音室で私が舞踊曲の録音をしたとき、一度バッタが入ってきて中断したことがある。トッケイやバッタをシャットアウトしてこそのクローズド劇場だと思うのだが、これでは音環境についてはプンドポと変わらない…(笑)。(つづく)
2018.10水牛「動きを生み出すもの」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年10月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「動きを生み出すもの」を寄稿しました。


動きを生み出すもの

舞踊の動きを生み出す要素は、結局はメロディーかリズムかのどちらかしかない。メロディもリズムも楽曲の形を取ると種々の規則によって制約されてしまうけれど、ここではもう少し広い意味で使っている。流れるような音や声のまとまりがメロディであり、何かがぶつかって生まれる衝動や脈打つものがリズム。一般的な舞踊作品ではメロディとリズムの両方を備え、ある部分では主にリズムによって動きがドライブされ、ある部分では主にメロディに運ばれるように動きが作り出されている。

ジャワ舞踊で言えば、ガンビョン(やキプラハン、ゴレッなど)がリズムによって作り出される舞踊で、これらは民間起源のチブロンという太鼓を使って演奏される。スリンピやブドヨといった宮廷舞踊はブダヤン歌唱のメロディに乗る舞踊だ。ブダヤンでは―特にグンディン・クマナという伴奏楽器がほとんどない古式の編成では―、歌が曲の中心であることが分かりやすいけれど、一般的なガムラン曲では分かりにくい。それは、歌がゲロンという男性斉唱パートと、シンデンという女性歌手のフリーリズムの歌の2種類に分かれ、大編成のアンサンブルのパートに組み込まれ、楽曲形式に当てはめられてしまっているからである。

実は、ジャワの伝統的なガムラン楽曲の旋律の多くはモチョパットが元になって作られている。モチョパットはパンクル、アスモロドノ、ミジル…といった韻律の異なる11種類の詩型を総称したもので、ジャワにはモチョパットを朗詠する伝統がある。伝統的なガムラン演奏会のように、特定の日に人々が集まる会(モチョパタン)やコンテストも行われている。

1970年代になってインドネシアで現代舞踊が模索された時(その先駆者がサルドノ・クスモ氏)、その1つの方向がガムラン音楽の演奏に合わせて踊るのではなく、モチョパットの歌で踊ることだった。そこには、動きを楽曲に当てはめるのが舞踊なのではないという理解があった。楽器という身体の外にある理知的な道具を使うのではなくて、歌という身体の声を聴いて踊ることに目を向け始めたのだった。

私がジャワで伝統的な男性優形舞踊を師事した師匠は、伝統舞踊の名手でもあると同時に現代舞踊家でもあった。師匠が、留学を終えて帰国する私のために授けてくれた最後のレッスンは、私には忘れられない。「これから私が詠うから、それに合わせて好きなように動きなさい。」と言って、師匠はいろんなモチョパットを詠い始めた。それまでの期間、私は師匠の現代舞踊の舞台を見たり、また他の人とのコラボレーションするのを見てきたりしていたから、言わんとすることは理解できた。私なりに流れを感じながら、自分が学んだ伝統的な動きの中からしっくりきそうなものを模索しながら、動きを紡ぎ出した。その時の動きはそれなりに拙いものだったろう。それでも、そのセッションが終わると、師匠は静かに「今の感覚を覚えておきなさい。それがジャワ舞踊の根底にあるもの、スメレ―semelehなものだよ。」と言った。スメレ―は穏やかで落ち着いたという意味で、瞑想修行にもたとえられるジャワ舞踊で到達すべき静寂な境地を指す。わが内なる旋律を見出すこと、そしてその旋律に身を委ねることで生み出される動きを、師匠はジャワ舞踊の本質として示してくれたのだった。
2006.04水牛「ここ10年のインドネシアと日本(3)インターネット」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。

水牛アーカイブ未掲載分の目次はこちらです。

※ 今年の6月頃まで、サイト『水牛』未掲載分のエッセイを本ブログにせっせとアップしておりましたが、いつの間にかすっかり忘れておりました。というわけで、またぼちぼち再開します。



2006年3月号『水牛』寄稿
「ここ10年のインドネシアと日本(3)インターネット」
冨岡三智

留学から帰国して間もない頃は、最近の日本はどうなっているのだろうと、せっせと本屋を廻って雑誌を立ち読みしていた。ちょうどスハルト退陣(1998年5月)の頃だ。その頃の女性誌には、「仕事のできるキャリアウーマンは、街角で颯爽とモバイルパソコンを開く」といったイメージを強調する特集が載っていたり、今なら始めからパソコンにインストールされている、簡単にプロバイダ接続できるCDが付録についていたりした。おそらくその頃から、一般個人がパソコンを買ってインターネットを利用し始めたのだろう。

逆に帰国前のインドネシアのソロでは、インターネット・カフェがぼつぼつ登場し始めていたところだった。ジャワの有名な音楽家の死亡ニュースを、ジャワに住む自分達よりも日本にいる友人達の方が先に知っていたと分かって驚く、ということが起き始めていた。おそらくジャワに滞在する欧米人がガムランのメーリングリストに情報を発信していたのだろう。

そういうことやなんかでやっぱりこれからの留学生にはパソコンが必要だと痛感して、それから1年半後の再留学ではモバイル・パソコンを持って行った。ソロにもプロバイダができたと聞いていたし、またインターネット・カフェの数もぐんと増えていた。私の住む市役所の裏辺りでは、徒歩10分以内に3軒ネット・カフェがあった。ちなみにその1軒がクスモ・サヒッド・ホテルに入っているALOHAネットだ。欧米からの宿泊客や留学生がよく利用しているが、インドネシア人も多く利用している。芸大でも学長室や各学科の事務室にパソコンが導入されており、さらにそれから半年か1年の間に、図書館の中に学生向けにインターネット室ができた。こんな具合に、日本で個人所有のパソコンが普及していった頃に、インドネシアでは公的機関のパソコンやネット・カフェが増え、おかげで日本との連絡はとても便利になった。

インドネシアでは、私は普段は自宅でダイヤルアップでインターネットにつないでいた。日本から持っていったモジュール・ケーブルがすぐにだめになり、どこで買えばよいかと大家さん(工務店)に相談すると、通りの向かいの文房具屋で売っているという。行ってみたら、そこではケーブルがメーター売りされていた。好きな長さでカットしてくれて、両端にジャック部分を取り付けてくれるのである。日本では長さを選べるといっても限定されているし、1つ1つパックされている。インドネシアの方が合理的で、それに物価から見てもケーブルの値段は安かった。日本ではなんでケーブル類というのはあんなに高く、しかも包装だけ立派なのだろう。

また液晶画面がどんどん暗くなり、ついに画面が見えなくなるということがあった。私の友人でも、ノートパソコンを使っている数人がこういう目に遭っている。これは、インドネシアでは電圧があまりうまくコントロールされていないから液晶に負担がかかるのだと、インドネシアのコンピュータ屋さんは言う。それで高価な家電品――パソコンとか冷蔵庫とか――を使うときには必ず電圧安定装置(スタビライザー、インドネシアではスタビリザーと発音したほうが通じる)を使い、コンセントに直接差し込まないようにとアドバイスされた。そういえば大学のコンピュータは必ず何かにつないで使っている。あれがスタビライザーだったのだ。大学で使っているような、差込口がいくつもあるようなスタビライザーは結構な値段がするので、1つだけのを買うことにする。これは電気器具屋さんで売っている。インドネシアでパソコンを使おうと思っている人は、絶対にこれを買ったほうが良い。

さて画面が見えないと困る。この頃私は芸大の先生を日本に招聘するため、日本と頻繁に連絡を取っていたからだ。けれど画面だけが使えないので、モニターだけを買ってパソコンにつなげば問題ないということになった。そこで中古モニターを買う。しかし私のはパソコンといってもモバイルなので、普通のパソコン用の周辺機器がそのままでは使えないことが判明。結局日本のメーカーから取り寄せることになるが、これが1万円近くもしたので、頭にくる。なんで日本のメーカーは周辺機器にやたら高値をつけるのだ。しかもそれだけでは直接モニターにつなげなかった。端末のオス・メスが逆になっていたのだ。これはいけずだろうか。さらに頭にきながら、オス・メスをつなぎかえる接続部品をインドネシアで買う。

私が2003年2月に帰国したら、私の持っているモバイルのタイプはすでに製造中止になっていた。3年前、2回目の留学に発つ前まではまだモバイル・タイプが多く売れていたのに、世はすでに大型ノートパソコンの時代となっていた。「キャリアウーマンが街角で颯爽と」というイメージではなくて、年賀状を作ったり音楽や映像を取り込めたりできる性能や実用性が強調されるようになっていて、パソコンのサイクルは速いものだと実感する。

話は戻るが、中古のモニターを買うといってもすぐには在庫がなくて、しばらく待つことにする。その間メールを読む手段はないかとプロバイダに聞いてみたら、ウェッブ上で読めるという。という訳で、この頃はよくネット・カフェに通った。私がよく利用したのは上記のALOHAである。ここが一番近くて回線が速かったからだが、大学の先生や芸術系の知人、留学生なんかがよく利用していると分かる。そういえば、私は舞踊のレッスンを自宅でよくしてもらっていたが、その先生はレッスンのあとに決まって友人とALOHAで会う約束をしていた。そんな風に、ネット・カフェはちょっとした社交場になっている。それでパソコンが直っても、私も時々は知人に会うためにネット・カフェに行くようにしていた。

2003年から毎年夏に、私はジャカルタにも行くようになった。住んでいたのは都心部のカンプン(下町)で、その辺りには都心企業に勤める若い人向けの下宿が多い。そんな地域でネットカフェをなんとか1軒見つけて入ったら、そこでメール通信をしている人は誰もいなかった。皆インターネット・ゲームをしていたのである。客筋は中高生の若い男の子ばかり。壁に貼ってある料金表を見れば、基本料金はソロと同じであるものの、3時間とか6時間とかを超えるといくらという風に割引価格も示されている。6時間くらいゲームをする子もいるのかと思って、驚いた。この地域で遊びに来ている男の子達は明らかに華人系の顔で、察するところ、この辺りの裕福な下宿屋の息子達であろうか。下宿の住人達はたぶんオフィスでインターネット・メールを使い(少なくとも私のジャカルタの知人達のメールアドレスは皆オフィスのものになっている)、下宿近くではしないのだろう。ジャカルタにはソロのような社交場的ネット・カフェはないのだろうか、逆にソロにもこんなインターネット・ゲーム専門のようなカフェもあるのだろうか、と少し興味を覚えている。
12/2 インドネシアフェスタ in Nara
ご来場下さった皆様、ありがとうございました。下記公演は無事に終了いたしました。写真を掲載します。

20181202golekmanis.jpeg
撮影:池田冴子様

20181202奈良



以下の公演で踊りますので告知します。

日本・インドネシア国交樹立60周年
日本・インドネシア友好協会奈良30周年記念
インドネシアフェスタ in Nara


日時: 12月2日(日)
     開場13:30/開演14:00~16:00終了予定
場所: 奈良市中部公民館5階ホール
料金: 無料


●内容・出演:

インドネシア舞踊
 ・ジャワ舞踊『ゴレッ・マニス』/冨岡三智
 ・ジャワ舞踊『ガンビルアノム』/岡戸香里
 ・バリ舞踊『パニャンブラマ』/プランギ・サリ
 ・バリ舞踊『カスマラン』/大坪紀子、印貢陽子、佐々木みゆき

コーラス
 ・ラグラグ会
 ・ボーカル・マニス

アンクルン演奏
 ・アンクルン京都(日本インドネシア友好協会京都のチーム)
 ・アンクルンなら Con Brio

※ インドネシア往復航空券が1名様に当たります!

●アクセス: 
近鉄奈良駅から徒歩5分、JR奈良駅から徒歩10分
公共の交通機関をご利用ください。

●主催・問合せ
日本インドネシア友好協会奈良
事務局: 0742-26-7216
問合せ: yukokyokainara@gmail.com

後援: 在大阪インドネシア共和国総領事館、
     奈良市教育委員会、奈良市国際交流協会

インドネシアフェスタ in Nara ちらし
10/13観月の夕べ公演@岸和田市・岸城神社
第10回ジャワ舞踊・ガムラン奉納公演 観月の夕べ

日時: 10月13日(土)18:00~20:00
会場: 岸和田市 岸城(きしき)神社 社殿前
    ※ 雨天時は社殿内で開催します。

アクセス: 
南海本線・岸和田駅 徒歩10分、蛸地蔵駅 徒歩5分
お車でご来場の方は岸和田城周辺の公共駐車場をご利用下さい。

入場無料 ・カンパ歓迎
手作り市 併催(14:00頃~)


2018観月の夕べ

~ 沖縄の民謡と地歌三絃も ~
~ ジャワの詩の朗誦(モチョパット)も ~

モチョパットに合わせ、出演者による自由舞(ジャワ舞踊)もありますが、飛び込みで踊ってくださる方歓迎します!各人のスタイルでOK!ジャワの音楽を体感してみたい方、どうぞ!詳しくは以下の解説をお読みください。


プログラム

・ジョグジャカルタ舞踊:「サリ・クスモ」
    by ウィジャヤ・クスマ
・楽曲:「ウィルジュン」

・マラン(東ジャワ)の仮面舞踊:「タリ・バパン」
    by ジョニー・アスモロプトロ
・ジョグジャカルタ舞踊:「スカル・プディアストゥティ」
    by 坂口裕美子、櫻井有紀、佐々木裕実、西岡美緒、西田有里
・スラカルタ宮廷舞踊:「スリンピ・アングリルムンドゥン」(前半)
    by 冨岡三智

--- 休憩 ---

・沖縄民謡:「花」、「童神(わらべがみ)」
    by てぃ~ら(澤田亜矢子、寺田栄子)
・地歌三絃:「由縁の月(ゆかりのつき)」
    by 津塚美葉 
自由舞:冨岡三智 ほか
・ジャワの詩の朗誦(モチョパット)
    by アナント・ウィチャクソノ、佐々木宏実、西田有里、松田仁美、
      ローフィット・イブラヒム ほか
    自由舞:坂口裕美子、西岡美緒、冨岡三智 ほか



本公演は、だんじり祭を終え静寂を迎えた神社で、中秋の名月にしっとりしたジャワ宮廷舞踊曲や影絵などを毎年お届けしてまいりました。
今年はジャワの伝統暦にちなみ、「ルギの土曜日の会Sabtu Legen」と銘打ち、ジャワの芸術家たちが自分たちのために行う会のようにしてみたいと思います。
深夜に電気を消して瞑想的な雰囲気で演奏したり、踊り手が即興で踊ったり、また詩の朗詠があったり…自由で不意打ちの要素が沢山あります。まったりしつつもハラハラワクワクするジャワ・ガムランの世界に浸っていただこうと思います。
千亀利(契り)の宮と呼ばれる岸城神社で今年もお待ちしています!

…という風にチラシに謳っておりましたが、以下のようにプログラムを組みました。

いつものメンバーによるジャワ舞踊(ジョグジャカルタ様式、スラカルタ様式)に加え、今年初めて、東ジャワの踊り手(しかもインドネシア人で男性!)を迎えます。東ジャワ舞踊は民衆のエネルギー溢れる舞踊として有名です。王宮のしっとりした舞踊とは違う魅力をお楽しみください。

実は、今回の公演では、ひそかに歌をテーマにしています。1部の最後に上演する宮廷舞踊「スリンピ・アングリルムンドゥン」は、フル編成のガムラン音楽と違い、かなり歌に重点がおかれています。様々な音楽的要素で練り上げられたジョグジャカルタ舞踊との対比をお楽しみください。

ジャワのガムラン音楽のメロディは、モチョパットと呼ばれる各種詩形の旋律が元になっています。ジャワには詩を朗詠する伝統があり、モチョパタンと呼ばれる詩の朗詠会もあります。休憩後は、歌い手が集って詩の朗誦を繰り広げるモチョパタンの雰囲気を再現してみたいと思います。

そして、その詩に合わせて即興的に自由に舞ってみたいと思います。出演者だけでなく、会場の皆さまの中で、ジャワガムランの音楽を体感してみたい方、どうぞ、飛び込みで踊ってみてください。冨岡が留学していたインドネシア国立芸術大学スラカルタ校(現代舞踊が盛ん)では、あるいはその関係者の人々の間では、そんな風な試みがよくありました。

ジャワの歌には、同じアジアの他の歌とよく似た要素もあります。それを感じていただくべく、今回はガムラン音楽以外に、沖縄の歌と地歌三絃の歌も聞いていただこうと思います。沖縄の歌を演奏するのは、岸和田在住で結成3年目の沖縄三線のユニット「てぃ~ら」です。実は昨年の公演で舞踊劇に出演していただいた2人。今度は本業で出演していただくことになりました。

また、地歌三絃で出演していただく津塚美葉さんは、実は長らくガムラン音楽にも長らく取り組まれてきた方ですが、2008年以降は地歌三絃に専念されています。地歌とは、数ある三味線音楽(義太夫、長唄、常磐津、清元、津軽三味線、小唄、端唄など)のすべての始まりとなった音楽です。上演されるのは、1740年の初演という古い曲です。私たちもあまりなじみがなかった日本の古典ですが、ジャワの歌との違いや共通点などを発見してみたいと思います。ジャワ舞踊の型で自由舞いをつけてみたいと思います。



出演: 
・ジャワ舞踊の会(冨岡三智)
・ハナジョス(佐々木宏実 、ローフィット イブラヒム)
・ビンタンララス(アナント・ウィチャクソノ、 近藤チャコ、 坂口裕美子 、
          西岡美緒、 西田有里、 松田仁美、 山下奈美)
・ウィジャヤクスマ(坂口裕美子、 櫻井有紀 、佐々木あるむ、佐々木宏実、
          竹田敦子、谷川原恵美、谷田朋美、西岡美緒 、西田有里、
          村岸 紀子)
・Joni Asmaraputra
・津塚美葉
・てぃ~ら(澤田亜矢子、寺田栄子) 

主催・問合せ:ジャワ舞踊の会・冨岡三智、ハナジョス
後援:岸和田市、岸和田市教育委員会、
   関西インドネシア友好協会、
   在大阪インドネシア共和国総領事館
協力:蛸地蔵商店街手作り市
   NPO法人ラヂオきしわだ
9/30ワールドフェスティバル天理で踊ります
下のイベントは、台風接近のため、中止となりました。楽しみにしてくださっていた方、申し訳ございません。
~~~


来週日曜に奈良県天理市のイベントで踊ります。

ワールドフェスティバル天理2018
日時:9月30日(日)10:55~11:10の予定
会場:JR/近鉄・天理駅前広場コフフン
演目:「ゴレッ・マニス」(ジャワ舞踊スラカルタ様式)

※イベントは9月29~30日に2日間開催されますが、私が踊るのは30日のみです。

イベント情報 
➡ イベントチラシ(pdf) 
➡ 天理市サイト

ワールドフェスティバル天理2018表blog

ワールドフェスティバル天理2018裏blog
9/22 箕面グリーンホールにて踊る
9/22 公演終了しました!
ご来場くださいました皆様、ありがとうございます。ダルマブダヤの生演奏で、ガンビョン・パンクルGambyong Pangkurを踊りました。同じ演目を9/2に難波で踊っているので、衣装の趣をガラッと変えています。通常のガンビョンでは上半身は絞りの布を着用しますが、バティックを巻いて、宮廷の女官風に着付けました。

20180922ikedasaeko.jpeg
photo: 池田冴子様
20180922gambyong1okie.jpg
photo: Okie Dita様
20180922gambyong2pus.jpg
プスピトさんと photo: Puspito様

Poster PSI 2018 Japanese Final - ブログ

日本インドネシア国交樹立60周年記念
インドネシア伝統芸術公演2018
『ハノマンの紅の旅』


インドネシア文化が好きな日本人女性とハヌマンの恋愛物語を、演劇と伝統的な音楽や舞踊で描くインドネシア伝統芸術公演。

会場 :箕面市立市民会館(グリーンホール)
住所 :大阪府箕面市西小路4-6-1 → 地図

日時 :2018年9月22日(土)
    開場 12:30、上演 13:00~16:00

料金: 入場無料、要予約 →予約リンク 

主催: 在日インドネシア留学生協会大阪・奈良支部

詳細:
フェイスブック Indonesia Performing Arts 2018
公式サイト   https://psi2018.ppion.org