2.16-3.19 別府などの写真
2018.2.16~3.19 別府など/Places of Good Energy around Beppu
別府湾・高崎山・八幡竈門神社・柞原八幡宮・宇佐神宮・太宰府天満宮・宗像大社・神湊・鎮国寺
 

2月半ばから3月半ばまで、1ヶ月間缶詰でインドネシア語を教える研修講師として、別府に行っていました。その写真をアップしています。
カラフルな村、都市空間と絵
一昨日、インドネシアの村がテレビで取り上げられていたと聞いたので調べてみた。番組は関西テレビの「世界の村のどエライさん」で、2月5日取り上げられたのがカンポン・ペランギだった。Kampung Pelangi (私だったらカンプン・プランギと綴るが。「虹の村」の意味。)

そのサイト: https://www.ktv.jp/doerai/180205.html によれば、半年前までスラム街だった地域が、村の中学校長の発案でペインティングを始め、SNSであっという間に世界中から観光客になったとか。

このKampung Pelangiは、中部ジャワ州・スマラン市・南スマラン区ランドゥサリKelurahan Randusari, Kecamatan Semarang Selatan, Kota Semarang, Jawa Tengahにあり、2017年4月15日からペイントを始めたという(➡参考記事①②)。

実はインドネシアでカラフルな村というのはここだけではない。参考記事③は、インドネシアにあるインスタ映えするカラフルな村10選の記事だ。10選のうち、ここでは東ジャワ州マラン市ジョディパンKelurahan Jodipan, Kota Malang, Jawa Timurにあるカンプン・ワルナ・ワルニKampung Warna Warni(カラフルな村の意味)とジョグジャカルタ特別州にあるカリ・チョデKali Code(チョデ川の意味)地区を紹介。どちらも元は川沿いの貧困者居住地域である。カンプン・ワルナ・ワルニはKampung Wisata Jodipan(ジョディパン観光村)が正しいようで、2016年9月4日に――ということはカンプン・プランギ発足の半年前に――マラン市の都市開発・観光事業としてオープンした。

それらよりずっと先行するのがチョデ川地域である。この地域で2011年に行われたプロジェクトに私は参加しているのだが、この地域は川沿いの貧困な村だった地域に神父が80年代から入り、大学などと連携しながら人々の生活改善を主導してきた。住民たちが木と竹で作ってペインティングした家々は、1990-1992期のAga Khan建築賞を授賞している(➡④)。ただし、インスタ映えを狙っての都市づくりではなかったので、カンプン・プランギやカンプン・ワルナワルニほど派手ではない。ちなみに、カリチョデ地域での私の活動は2011年2月9日~3月4日までのブログ記事(分類:API Fellowship)を参照。

このカリ・チョデ地域があるジョグジャカルタだが、スハルト退陣前の暴動で荒れた時期(1998年~)に、橋げたや都市の壁に絵を描く運動が盛んになった。州政府(確か)がペンキを提供し、芸大大学生らが中心になって、ヘイト落書きなどの上から様々な絵を描いたのだ。ちなみに、このプロジェクトの様子のビデオ記録があり、私が字幕翻訳している(➡⑤)。このように、絵画による公共空間の美化の歴史はインドネシアのジョグジャカルタではすでに20年くらいあるのだが、そこではあくまでも住空間における絵画であったように思う。カンプン・プランギなどは、町全体に色を塗ることが主体のようだ。観光政策の意味合いが大きくなったのは最近かなあ…と感じている。

参考記事
① 2017.5.12 https://travel.detik.com/domestic-destination/d-3495045/yang-baru-dan-unik-di-semarang-kampung-pelangi
② 2018.1.12 http://voinews.id/japanese/index.php/component/k2/item/137-kampung-pelangi
③  https://phinemo.com/kampung-warna-warni/
④ http://www.akdn.org/architecture/project/kampung-kali-cho-de
⑤  UCRCエスノグラフィック映像コレクション>インドネシア国立芸術大学ジョクジャカルタ校 記録メディア学部>2005年公開>ジョグジャカルタの壁画制作 http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/movie/isi/2005.html
2/3-4ガムラン実験公演
2月4日午後、一般公開ではなく実験用の演奏だったため予告しなかったが、大阪市立大学で団体・マルガサリの演奏があり、私も助っ人として(ゴング奏者)演奏に参加。Ldr. Pangkur Sl.manyura、Gd. Kinanti Jurdemung S;.manyuraの2曲を演奏。2月3日にリハ。リハ終了後、1駅隣りのあびこ観音へ皆と行く。市大の大学院に行っていながら今まで知らなかったのだが、あびこ観音は日本最古の観世音菩薩の寺院とされ、厄除の寺として特に節分の護摩祈祷は知られているそうな。
日イネ国交樹立60周年
インドネシア・日本国交樹立60周年記念レセプション
RESEPSI PERINGATAN 60 TAHUN HUBUNGAN DIPLOMATIK RI-JEPANG

2018年1月22日(月)18:30~20:30
ヒルトン大阪 4階 金の間 にて
在大阪インドネシア共和国総領事館主催

ご招待を受けて出席してきました。写真を撮ろうと思っていたのに、知り合いの人に挨拶し、おいしい料理に舌鼓を打っていたら、すっかり忘れてしまいましたので、総領事館のサイトのリンクをあげておきます。

http://www.indonesia-osaka.org/ja/berita/2018/01/23/resepsi-peringatan-60-tahun-hubungan-diplomatik-ri-jepang/
ucapan selamat tahun baru/ greeting for new year / 年賀
Selamat Tahun Baru 2018 !
Semoga tahun ini lebih baik daripada tahun-tahun sebelumnya...
Happny New Year 2018 !
明けましておめでとうございます

~~~
Tahun lalu, saya mengunggah video-video (hasil proyek saya) di youtube sebagai berikut;
Last year, I uploaded my videos as follows:
昨年アップした公演ビデオ(私のプロジェクト)のリンクを上げておきます。

●tari Keraton Jawa 25 NOv.2017 di panggung NOH (teater tradisi Jepang) di Nara
performance of Javanese court dance on Noh theater on 25 Nov.2017
2017年11月25日 能舞台でのジャワ宮廷舞踊上演
https://youtu.be/Fy_SIfJpvWE

能舞台ブドヨ 年賀

●pentas wayang beber pada tgl.6 Sept.2008 di Shimane
wayang beber (scroll performance) performance in Shimane on 6 Sept.2008
2008年9月6日 島根県でのワヤン・べベル絵巻上演
https://www.youtube.com/watch?v=r5_3lFt1cso

●pentas kolaborasi tari Jawa dengan Iwami Kagura (seni tradisi Shimane) tgl. 8 Sept.2008 di Shimane
Collaboration of Javanese dance with Iwami Kagura (traditional performance in Shimane) on 8 Sept 2008 in Shimane
2008年9月8日ジャワ舞踊と石見神楽の共同制作

https://www.youtube.com/watch?v=OCsHP3W0pss (sambutan/greeting/挨拶)
https://www.youtube.com/watch?v=4g0yZY2jIUc (pentas/performance/公演)
https://www.youtube.com/watch?v=9jg4xSpPeDI (ucapan terima kasih/gratitude/御礼)

orochi061ブログ


●pentas "Srimpi Gondokusumo", tari Keraton Solo tgl.Nov.2006 di SMKN 8 Surakarta
dengan ISI Surakarta dsb.
performance of Javanese court dance "Srimpi Gondokusumo" on 26 Nov.2006 at Indonesian Art High School Surakarta. in corporation with Indonesian College of Arts Surakarta.
2006年11月26日インドネシア国立芸術高校スラカルタ校にてジャワ宮廷舞踊「スリンピ・ゴンドクスモ」公演、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校他と共同
https://www.youtube.com/watch?v=5OTPv6ZwzVE

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●pentas "Srimpi Anglir Mendhung", tari Keraton Surakarta tgl.8 Sept.2012 di Shimane
dengan rombongan ISI Surakarta
performance of Javanese Court dance "Srimpi Anglir Mendhung" on 8 Sept.2012 in Shimane with Indonesian College of Arts Surakarta
2012年9月8日島根県熊野大社・庭火祭にて、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校と共にジャワ舞踊公演「スリンピ・アングリルムンドゥン」
https://www.youtube.com/watch?v=emN8e9B_qkI

srimpi2.jpg


●pentas "Bedhaya Pangkur", tari Keraton Surakarta tgl.28 Juni 2007 di Taman Budaya Jawa Tengah
dengan ISI Surakarta dsb.
performance of Javanese Court dance "Bedhaya Pangkur" on 28 June 2007 at Provincial Art Center of Central Java in cooperation with Indonesian College of Arts Surakarta
2007年6月28日中部ジャワ州立芸術センターにてインドネシア国立芸術大学スラカルタ校と共にジャワ宮廷舞踊公演「ブドヨ・パンクル」
https://vimeo.com/41615605

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年賀
初春のお慶びを申し上げます
本年もよろしくお願い申し上げます

能舞台ブドヨ 年賀

昨年は、主宰する岸城神社でのジャワ舞踊ガムラン音楽奉納公演も9年目、開講しているビジネス実践インドネシア語講座(会場:五條 源兵衛)も4年目、音楽家・高橋悠治氏のサイト『水牛』でのジャワ舞踊などに関するエッセイ執筆も15年目を迎え、また長年の夢だった能舞台でのジャワ舞踊上演(11/25)も実現し、充実した1年となりました。また、今年4月からは非常勤講師として大学で「アジア文化論」やインドネシア語を教えることになりました。今まで通り、企業でのインドネシア語講師や通訳・翻訳のお仕事も続けますが(このこと、このブログではほとんど書いておりませんでしたが…)、ジャワ舞踊に、インドネシア語に、活動を続けてゆく所存ですので、よろしくお引き立てのほどお願い申し上げます。

平成30年戊戌元旦
冨 岡 三 智



昨年のジャワ舞踊上演

7/29「インドネシア伝統舞踊の会」
場所:奈良市中部公民館イベントホール
ブログ記事➡ http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-date-201707.html
映像➡ https://www.youtube.com/watch?v=Fpb6W17GXs8

10/15 第9回 ジャワ舞踊・ガムラン奉納公演(主催公演)
場所:岸城神社(岸和田市)
ブログ記事➡ http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-898.html

11/11 ワールド・フェスティバル天理
場所:天理駅前広場コフフン
ブログ記事➡ http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-896.html

11/25 日本アートマネジメント学会第19回全国大会
関連企画「能舞台に出会う」
場所: 奈良春日野国際フォーラム 甍
作品名: 「ブドヨ ~天女降臨~」
ブログ記事➡ http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-897.html
『水牛』記事➡ http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-903.html
映像➡ https://youtu.be/Fy_SIfJpvWE
「スリンピ・ゴンドクスモ」の映像をアップしました
右下のリンク集 > 映像(宮廷舞踊) に、2006年にスラカルタ(通称ソロ)で上演したジャワ宮廷舞踊・スラカルタ宮廷様式のスリンピ公演「Srimpi Gondokusumo」の映像をアップしました。

演目:スリンピ・ゴンドクスモ (完全版)
Title: Srimpi Gondokusumo (long version)

日付:2006年11月26日
Date:26 November 2006

場所:インドネシア国立芸術高校スラカルタ校
Venue:SMKN8 (Sekolah Menengah Kejuruan Negara 8) Surakarta,Indonesia

踊り手/Dancers: 冨岡三智 / Michi Tomioka (batak)
            Setyoasih (gulu)
            Saryuni (dada)
            Hadawiyah (buncit)
演奏/Gamelan Music: Maju Mawas & Mijil Laras (Garasi Seni Benowo)
クプラッ/keprak player: Pamardi
インフォーマント/informant: the late Sri Sutjiati Djoko Soehardjo
映像制作/Video: 冨岡三智/Michi Tomioka

※この映像は日本財団API Fellowship助成を受けた冨岡三智の活動「Revaluing Javanese Court Dances (Srimpi and Bedhaya) within the Current Social and Cultural Context 」の一環として作成されました。

This video recording was made as one of Michi Tomioka's activities in the project titled "Revaluing Javanese Court Dances (Srimpi and Bedhaya) within the Current Social and Cultural Context" granted by the Nippon Foundation API Fellowhsip.

この公演についてのブログ記事➡ スリンピ公演

この公演についての水牛寄稿記事
➡ 2007年4月号『水牛』_11月のスリンピ公演〜公演の周辺  
➡ 2007年5月号『水牛』_11月のスリンピ公演〜舞踊について
2004.09水牛アーカイブ「独立記念日と芸術あれこれ」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。

※ 8月号には寄稿していません。

なお、以下の「●紅白はちまき」の項目で挙げた舞踊「プジュアンPejuang」ですが、作者ガリマン氏をしのぶ舞踊公演(2007年1月26日、インドネシア国立芸術高校スラカルタ校)で上演された時の映像がyoutubeにあります。
➡ https://youtu.be/2ENMIg633Xk




『水牛』2004年9月号
独立記念日と芸術あれこれ


この7月、8月もインドネシアのソロ(スラカルタ)とジャカルタに行ってきた。8月になるとインドネシアは17日の独立記念日に向けて多くのイベントが各町内、地域、国レベルで催される。芸能好きにとっては楽しい時期だ。でも日本人の私は、独立という語の裏にある連帯感を本当には共有できていない気がして、いつもこのお祭り騒ぎに落ちつかなさを感じている。とは言いつつ、独立記念日が廻ってくると思い出すことをいくつか挙げてみよう。

 ●アメリカとインドネシア

1996年7月にアメリカのガムラングループ「サン・オブ・ライオン」がインドネシア芸大ソロ校で公演した。若い人も中にはいたが、かなり年配の人が多かった。それは、アメリカでは日本よりもずっと早くからガムラン音楽が民族音楽として教えられてきた歴史を物語っていた。そのわりに演奏はあまり上手くなかった気もするが、感心したのは彼らがインドネシア人に受けるツボを心得ていたことだ。公演の前半でオリジナル曲を演奏したあと、休憩をはさんで後半ではコラボレーションをするので視聴者にも参加してほしいと彼らは呼びかけた。曲のバルンガン(骨格旋律)はある程度彼らがすでに用意し、芸大側からメロディーパートの演奏者を出すというやり方で、休憩時間に簡単に曲の進行を打ち合わせてぶっつけで演奏するのである。そして曲のテーマは「独立」だった。アメリカの独立記念日は7月4日で、ちょうど時期的にもふさわしい。演奏に参加しなかった人々も高らかに謳いあげられる独立のテーマに大いに盛り上がった。

アメリカ人やインドネシア人にとって「独立」とは絶対的に善であり、かつ互いに共有し合えることのできるテーマなのだ。表現されたものがそのテーマに合っていたのかどうか私は覚えていないが、芸術的にあまり成功してなくてもこの場合はきっと大して重要ではなかっただろう。重要なのは「観客参加型パフォーマンスが成功した」ということだろうだから。

テーマ選択の成功はもちろんだが、もともとインドネシア人(少なくともジャワ人)観客はパフォーマンスに対して大いに乗り、盛り上がってくれるという性質がある。演者からの刺激にとても敏感に反応する。これはコラボレーションするにはとてもよい資質だと思うのだが、悪く言えば付和雷同的で乗せられ易いということでもある。1998年の暴動やその後の各種デモなどを見ていると、そういうところが裏目に出ているのではないかと思えてしまう。

 ●紅白はちまき

現在ではたぶんほとんど上演されないだろうと思われるものに「プジュアン」という舞踊作品がある。これはジャワ舞踊の大家・ガリマン氏が1964年に作ったものである。インドネシア国旗のように紅白に染め分けたはちまきを頭に締め、弓矢を持って戦争するという内容で、プジュアンとは闘士という意味である。1960~70年代頃にどんな舞踊作品が踊られていたかについてインタビューすると、男性だとこの作品を踊ったと言う人が多い。それも独立記念関係のイベントでよくリクエストがあったという。

この作品が最初誰の注文で作られたのか、また振付がどうだったのかまだ調べていないので確かなことは言えないが、共産主義の風潮の影響を受けていたのだろうか、などと想像していた。1950年代後半から60年代にかけてはインドネシア各地で闘争や農作業、漁労、バティック、機織りなどの労働を描いた、共産的なニュアンスを感じさせる舞踊が多く作られたと言われているからである。

とはいえ、当時の振付家や踊り手にとってこの舞踊は政治思想の反映である、とは私は考えていない。作品の注文主の意向はともかく、振付家にとっては政治思想の説明よりも、テーマをいかに舞踊表現に昇華するかということの方が重大関心事のはずだからである。70年代始めに少年だったある踊り手は、プジュアンはとにかく格好よくて好きな作品だったと言う。彼も紅白のはちまきについては「インドネシア独立」のメッセージを感じているが、それ以上のものではないと考えているようだ。

今年の夏の独立記念日の前後はジャカルタで迎えた。プラザ・スナヤンではインドネシアの各地方舞踊の上演が行われていたが、やはり紅白の色を衣装の一部に使うグループも無くはなかった。民族衣装に似合わぬ紅白のねじりはちまきを頭にしているグループもあったし、赤いサテン生地の上着を着ているグループもあった。たぶん紅白の色は「独立を祝っていますよ」という気分の表明や観客へのアピールに過ぎず、当人達にとっては作品の本質に影響しないのだろう。 

●舞踊「ハンドコ・ブギス」

これはジャワ人のハンドコとブギス=マカッサル人の戦いを描いた舞踊で、古くからある宮廷舞踊の演目である。結果は当然ジャワ人の勝ちで、ブギス人は負けて死ぬ。ジャワ文化のコンテキストにおいてはブギス人は常に粗野な民族とされ、そのためにジャワ舞踊の中に「ブギス人の型」というものがある。しかし、ジャワ舞踊の大家・マリディ氏があるときブン・カルノ(スカルノ大統領)の御前でハンドコ・ブギスを上演したところ、見終わったあとブン・カルノからこう言われたという。「最後はブギスを殺さず、円満な終わり方にしなさい。彼らも同じインドネシア民族なのだから。」このエピソードには多くの民族をまとめて独立を果たしたスカルノの高揚した気分がうかがえる。とは言え、私が今までに見たハンドコ・ブギスは最後にブギスが負けて終わりであった。ジャワで上演している限りそれで良いのだろうし、たぶんこれからもそうだろう。
ジャワ舞踊×石見神楽作品(2008)映像アップ
2008年、石見神楽とジャワ舞踊の共同制作作品『オロチ・ナーガ』公演記録に関する一連の映像(下記3つ)を、右下のリンク集にある映像(その他) にアップしました。

(1/3) OROCHI NAGA - introduction - 公演前の背景・作品紹介
(2/3) OROCHI NAGA performance   公演
(3/3) OROCHI NAGA - gratitude -   公演後の出演者挨拶

なお、この事業に関するブログ記事・写真は、記事分類 > ジャワ舞踊公演 > '08 岩見神楽+ジャワ舞踊 にあります。
2004.07水牛アーカイブ「マンクヌガランの観光舞踊」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。



『水牛』2004年7月号
マンクヌガランの観光舞踊


スラカルタ(別名ソロ)のマンクヌガラン宮殿ではマンクヌガラン・ロイヤル・ディナーと呼ばれる観光パッケージを用意しており、旅行社などを通して団体で舞踊上演をチャーターするシステムになっている。インドネシア人にとってはかなりの高額だが、日本で舞台公演を見るくらいの料金でディナーと舞踊が堪能でき、しかもジャワの伝統的な舞踊・儀礼の空間=プンドポで、生演奏による上演を見ることができるのは貴重である。私は決してマンクヌガランの手先ではないが、おすすめである。

●パッケージの内容

まずは夜6時過ぎから宮殿内の食堂で王族の人とともにジャワ式ディナーをいただく。スラマタン(安寧を祈願する共食儀礼)の時のお供えであるナシ・トゥンパンも用意される。これはターメリックで黄色く色づけされたご飯を三角錐状に盛り、その周囲を野菜や卵などで飾ったものである。スラマタンでのように、その三角錐の先を切り取る儀式をしてから食事になる。これはジャワらしさの演出なのだろう。ナシ・トゥンパンも他の料理も食事は大変おいしい。インドネシア料理は辛いものと思われているが、少なくともジャワでは、王宮や高級店での料理はあまり辛くもなく上品な味である。食事のあとは博物館になっているプンドポの奥の間を見学して、8時頃からプンドポでお茶とデザートをいただきながらの舞踊鑑賞となる。ちなみに博物館の見学はいつでも午前中に有料で可能である。その方がガイド付きでゆっくりと見ることができる。

プンドポでは奥の間を背に椅子とコーヒー・テーブルがセッティングされて、客はそこからプンドポの中央空間(ソコと呼ばれる4本の柱で囲まれている)で上演される舞踊を見る。つまりこれは、王様の見る位置から舞踊を見させてもらえるということなのだ。本当の王宮儀礼であれば、普通の人がこんな位置から舞踊を見ることはできない。(もっともそれ以前に招待されないだろうが。)

舞踊は普通は20~25分くらいの男性舞踊、女性舞踊が1つずつ上演される。男性舞踊はたいていウィレンと呼ばれる戦いの舞踊であり、女性舞踊もウィレンか、あるいはガンビョンやゴレックと呼ばれる単独舞踊をたいてい2人で踊る。もしスリンピやブドヨ、舞踊劇(ワヤン・トペンやラングン・ドリアンなど)のような大きな演目が上演されたとしたら、それは特別な客だと考えてよい。レパートリーが何であれ、基本的にマンクヌガランのオリジナル作品が上演される。ソロではクラトン・カスナナン宮殿(本家にあたる)のスタイルがスタンダードになっており、マンクヌガラン・スタイルはここでしか見ることができない。この舞踊鑑賞の時には司会の人がいて作品説明をしてくれる。最後は記念に踊り子の手からマンクヌガランの紋章のバッジがもらえ、それぞれ写真撮影したりしておひらきとなる。

以上が全体の流れである。私も正式の客として堂々と上演を見たことが2000年と2001、2年頃に2回ある。それ以外はいつもプンドポの脇やガムラン奏者の後ろから舞踊上演を見せてもらっていた。ソロで舞踊や音楽を勉強している外人留学生はそうやって勉強させてもらう。

●客層

基本的にロイヤル・ディナーの客は外人で、日本人の団体も時々来る。1997年末からの経済危機以降ソロの観光客は激減、ほとんどいなくなった。2002、3年頃でも経済危機以前の状態までには戻っていない。観光の一環であれ、宮廷が舞踊や音楽で満たされ華やいでいるのを見るのは嬉しいものである。往時のことを思い出すとなんだかとても寂しい。

観光パッケージとは言えないが、インドネシア政府関係者とか偉い賓客の接待というのもある。だいたい食事は別の所でとり、デザートを食べながら舞踊鑑賞するだけのようだ。たぶんソロの視察というような名目なのだろうが、実態は観光と似たようなものだろう。この場合、お客さんは必ず本家のクラトンに先に行き、次にマンクヌガラン宮殿に来る。クラトンではどんな接待があるのか知らないが、そこで長引けば当然マンクヌガランに来るのは遅れる。いつだったか、どこかの国の大使が予定から2時間くらい経ってもマンクヌガランに現れないことがあった。けっきょくそれはクラトンを出たあとダナル・ハディ(有名なバティック=ジャワ更紗服の店)に買い物に寄っていたからだと判明。どこの国でも偉いさんというのは人を待たせるもんである。

また国内観光旅行の団体や学校研修の一環としての鑑賞会などもある。私が見た限りではいつも昼間にやっていた。学校団体などかなりの人数が来るので、客は椅子に座らず床に敷いたマットの上に座っている。ディナーもお茶もつかない。

●上演

具体的にどんな演目があるのかについてはまた別の機会に説明するとして、今回は印象的だったケースをいくつか紹介しよう。ふつうは上演内容はお任せでマンクヌガランが決めているが、団体によってはリクエストしてくるところもある。

国内の婦人団体がチャーターした時に、ラングン・ドリアン(舞踊歌劇)の上演があった。これは宝塚歌劇みたいに女性だけが出演するもので、マンクヌガランのオリジナルである。女性ばかりの演目をリクエストされてそうなったらしい。

子供の舞踊がリクエストされることもある。決まって子供の団体(もちろん引率は大人)がチャーターする時である。同じ年頃の子供達が踊るのを見るほうが、観客の子供達の興味をそそるのだろう。そういう時はスルヨ・スミラット(マンクヌガラン子供舞踊教室)の子供達が出演する。宮廷舞踊は大人の舞踊で子供の演目はないからである。

マンクヌガランで一度「ボンダン」を見て驚いたことがある。これはソロの伝統舞踊としてとてもポピュラーだが、マンクヌガランのオリジナルではない。マンクヌガランで上演されるのはオリジナルの作品か、またそうではなくともマンクヌガラン風にアレンジを加えてレパートリー化した特定の演目である。だがボンダンは後者でもない。これは客からのリクエストだということだった。ソロの舞踊について知識はあるが、マンクヌガラン舞踊についてはあまり知らない客だったのではなかろうか。そういう依頼があった場合、その曲は自分達のレパートリーではないことを説明してオリジナル作品の上演を提案するという手もあると思うのだが、マンクヌガランはそうはしなかった。踊り子はいつもの宮廷の踊り子だった。

さらにマンクヌガランでカセットテープを使った上演も見たことがある。それは断食月のことだった。ジャワの王宮では断食月の1ヶ月間はガムランの音を出してはいけないことになっていて、その間に楽器を手入れするようである。このときは断食中で音が出せない理由を客に説明してから上演していたが、私にはどうも腑に落ちなかった。イスラムの断食について詳しく知らないが、ガムランの音を出してはいけないというなら、たぶんカセットでもだめなのではなかろうか? 事前に客はカセット伴奏を了承していたのだろうか。あるいはチャーター料金は生演奏の場合とで違ったのだろうか。断食月だからチャーターに応じられないという選択肢はなかったのだろうか、などといろんなことを考えさせられてしまった。

話があらぬ方向へ飛んでしまった。ボンダンやカセット伴奏の件のように、どこまで客の要求に合わせ、どこから妥協できないのかというポイントを決めることは難しい。これは観光がかかえる問題というよりも、興行・サービス産業における根本的な問題のように思える。日本の老舗旅館や料理屋ならもてなす側がある程度客を選別し(一見お断りとはそういうことだろう)、自分達が最高だと考えるサービスを提供する。場違いな客の要望は婉曲に断るだろう。それは文化的背景が比較的単一な日本でだからこそ可能なのだろうか。外国人観光客をターゲットにしていては、王宮といえどもそれは難しいのだろうか。そういうことをつい考えてしまう。