FC2ブログ
 
スリンピ「ラグドゥンプル」公演ビデオ
2002年に私の師匠や当時一緒にスリンピ練習に参加していたインドネシア国立芸大教員らとともに「スリンピ・ラグドゥンプル」完全版を上演したときのビデオをやっとyoutubeにアップしました。



https://www.youtube.com/watch?v=Kkx1LZ0c8Lw

"Srimpi Lagudhempel" versi utuh
「スリンピ・ラグドゥンプル」完全版

Waktu: Tgl.24 Januari 2002
2002年1月24日

Tempat: Sono Seni, Kemelayan, Surakarta, Indonesia
インドネシア、スラカルタ市、クムラヤン、ソノ・スニにて

Penari / 舞踊
Batak: Sri Sutjiati Djoko Soehardjo (nara sumber)
Gulu: Saryuni Padminingsih
Dada: Sri Setyoasih
Buncit: Michi Tomioka(冨岡三智)

pemusik / 演奏
Musik Pagyuban Sono Seni dari Kemelayan, Surakarta
    
Acara: "Gelar Tari - Empu Tari Surakarta dengan Mahasiswa Pascasarjana Program Penciptaan Seni Tari semester STSI Surakarta"
企画名:公演―芸大スラカルタ校大学院舞踊創作専攻1年前期学生と舞踊師匠が踊る

Panitia: STSI Surakarta, Pascasarjana Program Penciptaan Seni Tari

video: Michi Tomioka
宮廷舞踊映像
以下のビデオに、ジャワのスラカルタ宮廷の舞踊の映像がちらっと入っています。"manglung"の右手の形(おばさんが宮廷の踊り手だった人の情報によると、そのおばさんもこういう右手の形でサンプールをつまんでいたらしい)、サンプールの払い方(腰元で払う、ちょっとチレボンぽい)、そしてコスチューム(スリカンディのかぶり物にワリン=髪に見立てた黒布)に注目!

"Peoples Of The Indies, 1940s"
http://www.youtube.com/watch?v=a347rzSBrtY
uploaded by travelfilmarchive

特記によると、この映像は「U.S. military film about the inhabitants of the East Indies in the 1940s. Footage from this subject is available for licensing from www.travelfilmarchive.com」。ということで、米軍が撮影した1940年代の東インドということになります。
スアラ・プンバルアン紙で名前が言及
インドネシアのスアラ・プンバルアン紙(ジャカルタ)に2008年7月4日掲載された記事
"Sulistyo Tirtokusumo -Menanti Gerak Diam Selanjutnya"の中で、私のことが言及されています。
sulis suara pembaruan 04rodasu

該当箇所の日本語訳は次の通り。

このように、スリスティヨはこの2年間ほとんど踊っていない。…(中略)…

舞踊活動について聞かれると、氏はただため息をつくだけである。ジャワ舞踊に強い関心を持つ者はもはやいいない。この3年間、氏は本当にブドヨを学びたい1人の舞踊家に特別にレッスンをしていた。残念なことに、それはインドネシア人ではない。「冨岡三智という日本人で、ブドヨについて博士課程で勉強している人です。彼女は私たちからしつこく学び取ろうとした。最初は私も断りましたが、三智も譲らなかった。どんなに厳しいレッスンをしても、彼女は本当についてきた。」と語る。

http://www.suarapembaruan.com/News/2008/07/04/Personal/per01.htm
全文は以下