FC2ブログ
 
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
info 8/28・30 ジョグジャ王宮舞踊公演 in 宮津、大阪
ジョグジャからの来日公演のお知らせ
私も伝統舞踊の演奏と創作舞踊の一部に出演します。



京都府・インドネシア共和国ジョグジャカルタ特別区
友好提携30周年記念事業
ジョグジャカルタ王宮舞踊とガムランコンサート
―海の京都協力イベント―
日時: 8月28日(金) 18:00~開会式、18:30開演
場所: 宮津会館 (宮津市敦賀2164)

料金: 無料
主催: 京都府、共催: 宮津市
後援: 在大阪インドネシア共和国総領事館
問い合わせ: 京都府国際課推進担当 075‐414‐4313
公演以外に、バティック展示会もあります。

ジョグジャ公演in宮津


両丹日日新聞 8/21 記事↓
http://www.ryoutan.co.jp/news/2015/08/21/009513.html



大阪市立大学創立135周年記念事業/インドネシア共和国独立70周年
インドネシア王宮舞踊とガムラン公演
日時: 8月30日(日)15:30開場、16:00~18:00 上演
場所: 大阪市立大学 田中記念館 大会議室

料金: 無料
主催: 大阪市立大学、在大阪インドネシア共和国総領事館、
     ジョグジャカルタ特別区
定員: 先着順300名(当日、直接会場へ)
     ※ 当日3:00より整理券を配ることになったそうです。
問い合わせ: 大阪市立大学国際センター 06-6605-3452
交通: JR阪和線・杉本町駅 下車徒歩5分

201508_ジョグジャ王宮公演_表

詳細↓
http://www.indonesia-osaka.org/ja/uncategorized/2015/07/23/8108/



いずれも
出演: ジョグジャカルタから演奏家、舞踊家20数名が来日
     マルガサリ(日本の団体)

演目: ①宮廷舞踊 「スリンピ・チャトゥル・マンゴロトモ」
     ②仮面舞踊劇 「スカルタジ・クンバル」
     ③創作舞踊
スポンサーサイト
7/15ジャワ舞踊衣装の虫干し
ジャワ舞踊衣装の虫干し
airing of Javanese dance costume
jemuran busana tari Jawa

毎年夏、好天続きの日を見つけて少しずつ衣装の虫干し。家の狭いベランダで行うので、午後一番に洗濯物を取り込んだ後から…。今日はドドット・アグンをまず干し、夕方になっても晴れてるので第二弾を干す。

20150715虫干し

20150715虫干し2

20150715虫干し3
今日はこれだけ干しました。
ドドット・アグンdodot ageng11枚(白のパラン模様9+緑2)、カイン・サンバランkain sambaran+サンプールsampur 9セット、サンプール2枚、アンキンangkin(胴巻き)3枚…
ムルティア王女の記事
以下のサイトに、今年、福岡アジア文化賞を受賞される、スラカルタ王家のパク・ブウォノXII世王女、ムルティア氏について、詳しい記事が出ています。

★★★

ジャワ宮廷舞踊|クス・ムルティア・パク・ブウォノ|受賞者をもっと知るための特集サイト「FOCUS on」|福岡アジア文化賞
http://fukuoka-prize.org/campaign/2012/murtiyah/

2012年(第23回)芸術・文化賞受賞 クス・ムルティア・パク・ブウォノ|受賞者|福岡アジア文化賞
http://fukuoka-prize.org/laureate/prize/cul/murtiyah.php
7/31グスティ・ヘル没
本日2012年7月31日、マンクヌガランの王弟で、芸術担当のGPH Herwasto Kusumo (Gusti Heru)が急死されました。心筋梗塞だということです。8月1日お葬式(カトリック)、亡骸はAstana Giri Layuに埋葬されます。


7/8 トヒラン氏亡くなる
少し前のニュースですが覚書として…
2012年7月8日(たぶん)トヒラン氏没。

トヒラン氏が亡くなったのを聞いたのはジャカルタで、帰国寸前の7月8日夕方だった。私の舞踊の師(故人)の長女(ジャカルタ在住)がトヒラン氏の息子と結婚しているので、さっそくお悔みSMSを送ったら、いま家族でお葬式のためソロに向かうところだと返事があった。

トヒラン氏はソロのスリウェダリにあるワヤン・オラン劇場で長らく支配人を務めた人。つまり商業舞踊劇界で活躍してきた人なのだ。私もインタビューしたことがある。日本軍政下では、台本をあらかじめ提出しないといけなかったため、そのおかげでタイプライターが打てるようになったとか、必ず夜9時には終焉しないといけなかったとか、そんな話をたくさん聞くことができた。
訃報2件
2011年12月26日 ISI Solo舞踊科教員のSunarno Purwolelono(Mas Narno)氏没。マス・ナルノは芸大ソロ校がASKIと言われた頃から、同校の舞踊をけん引してきた舞踊家、振付家。荒型でクロノを得意とする。

2012年1月3日 元Taman Budaya Jawa Tengah di Surakarta (通称TBS)所長のMurtidjono氏没。タマン・ブダヤが1981年だったかにオープンして以来ずっと所長をつとめ、私が2007年6月にブドヨ・パンクル公演をしたときも所長で、その公演後1か月もしないくらいの時期に定年退職された。実は公演に当たっては反対した人もいた(ブドヨを完全版で上演するということに対して)のだが、必要なことだと擁護してくれた人。

ご冥福をお祈りします。
観光、文化関係の省の名称
ちょっと前の情報ですが、私の覚書のために…。2011年10月19日の省庁改組でインドネシアの文化観光関係が次のように変わりました。1998年から、それまで教育文化省の一部だった文化部門が観光の方にくっついていたのが、今回の改組では文化は再度教育の方に戻され、観光は経済とくっつけられることに。

旧) 観光文化省 / Ministry of Culture and Toursism / Kementerian Kebudayaan dan Pariwisata (Kemen Budpar)
新) 観光創造経済省 / Ministry of Tourism and Creative Economy / Kementerian Pariwisata dan Ekonomi Kreatif (kemen Parekraf)

旧) 教育省 / Kementerian Pendidikan Nasional (Kemen Diknas)
教育文化省 / Kementerian Pendidikan dan Kebudayaan (Kemen Dikbud) 

歴代の観光大臣一覧
http://id.wikipedia.org/wiki/Daftar_Menteri_Pariwisata_dan_Ekonomi_Kreatif_Indonesia
歴代の教育大臣一覧
http://id.wikipedia.org/wiki/Daftar_Menteri_Pendidikan_dan_Kebudayaan_Indonesia
2011 新本の紹介
misi kesnian buku

新本のお知らせです。スカルノ時代に各国に派遣された大統領の海外芸術施設派遣(misi kesenian)、インドネシア化mengindonesia、共産党芸術の影響など、スカルノ時代の文化状況を新聞雑誌等の資料から明らかにした書です。

タイトル:Ahli Waris Budaya Dunia: Menjadi Indonesia 1950-1965
編集:Jennifer Lindsay、Maya H.T.Liem
出版社:Denpasar: Pustaka Larasan; Jakarta: KITLV-Jakarta、2011年第1版。

これはインドネシア語版ですが、英語版もこのあと出版されます。

7/29 マンクヌガラン~スクー寺院、チェト寺院
7月29日 マレーシアから来た友達を連れて、私のテリトリーとも言うべきソロに案内。

まずは、マンクヌガラン見学。今日はツーリストなので、入場料を払って正門から堂々と入る。

MN 2011
プンドポにて。シャンデリアが黄金色にきらめいているのがお分かりだろうか。以前は黒ずんていたのを、ここ半年以内くらいに磨いたらしい。あの黒い色はオリジナルの色ではなくて、長年の埃と汚れが付着したものだったのだ。全部のシャンデリアが黄金色になって、プンドポの中が一気に明るくなった気がする。

jamasan gamelan 2011
留学中、私はマンクヌガランの東隣にあるPrawedananという所でやっているガムラン練習に参加していたので、その指導をしていたマンクヌガラン王宮演奏団長のハルトヨ氏(氏は同王家の敷地内に住んでいる)に挨拶しようと行ったら、ちょうどPrawedananのガムランのジャマサンjamasan をやっていた。ジャマサンとは洗い清める儀式のこと。インドネシアでは今年は8月1日から断食に入る。断食中はガムランは演奏しない決まりで、王家では毎年断食に入る直前にこうやってガムランを洗い清めるのだが、なにせ王家には多くのガムランセットがあるので、毎年順繰りに洗っていく。今年は私のなじみのprawedananの楽器を洗っていて、感無量。

* * * * *

昼からヒンズー教のスクー寺院、チェト寺院を廻る。

sukuh.jpg
スクー寺院にて。ピラミッドのような形状。

チェト寺院に行くには本当に険しい細い道を通る。スクーまで来ても、チェトに来るひとは少ないというのはうなづける。しかしチェト寺院はジャワにおけるヒンズー教の総本山で、この日も連続9日間続いたヒンズー教の儀礼が終わる日とかで、バリから来た人達や近隣のヒンズー教徒の人たちがお祈りしていて、一番頂上にある祠には入れなかった。

ceto 祠
終わったばかりの儀礼のお供えがおかれた祠

candi ceto
3つ目くらいの門から来た道を望む。下に見えるのはカメの形、男根の形に置かれた石で、この部分がチェト寺院で一番有名な所。

チェト寺院は入口から14の門をくぐって、参道をだんだん頂上に上がって行くのだが、高低差があるので、門を入るたびに全然違う景色になり、しかも下の門から上の門の奥は見えない。金毘羅山なみに上るのがしんどかった…。

candi ceto 17時頃
一番上近くの祠から来た道を望む。

着いたのは4時半(閉鎖は5時)で、来てみて初めて気づいたのだが、この宗教施設は西に面して建てられている。だから、来た道を振り返ってみると、まるで門がスリットのようになって、その間から太陽の西日がまっすぐ寺院奥に向かって深く差し込んでいる。極楽浄土もかくやと思われる光が眼前に広がる…。ここでなぜか、安藤忠雄の建築に、確か光のスリットというテーマのものがあったよなと、思い出す(違ったかしら?)。写真では、私の後から来た人の影が、ずーっと寺院奥(写真手前)に向かってまっすぐにのびている。普通、インドネシアでは寺院巡りは早朝の涼しい間にと勧められることが多いのだが、この西日差す時間帯に来てよかった…。
7/31 イワン・ティルタ氏死去
本日 2010年7月31日 08:35 バティック・デザイナーのイワン・ティルタIwan Tirta氏(75歳)が入院先のジャカルタ市メンテンのAbdi Waluyo病院で亡くなりました。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。