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ジャワのある村長さんの話
ここのところ忙しくて、世間とはテンポがずれています。
大阪市長選では、橋爪先生当選ならず…で残念でした。
大阪の希望の星だったのですが。

さて、ここで(いつも通り)唐突にインドネシアの話になります。私が留学していたインドネシアの国立芸術大学スラカルタ(ソロ)校で、あるとき、振付の授業の課外授業がありました。どこぞの村に行って、田圃で(泥まみれになって)インプロビゼーションで踊るというものです。私は遠いので参加しなかったのですが、後からその授業を企画した先生に、誰が田圃を貸してくれたの?と聞いてみました。そんなことに田圃を貸すなんて酔狂な人は、ジャワでだって、そんなに多くありません。(多分)

そうしたらなんと、芸大の舞踊科の卒業生で村長さんになった人がその活動のために場を提供してくれたのだそうです。踊り手や踊りの先生としてだけではなくて、場を提供することで芸術を支える人になる、という生き方もあるのだなと思ったことでした。


インドネシアの選挙…その3
1997年のインドネシアでの選挙の時のこと。

私の隣の家が投票場になって、庭に選挙ブースが設置された。ブースといっても、木枠を組んで側面にカーテンを張っただけの代物が、1つだけ庭に置かれただけ。

そのブースで穴を開けて(選挙用紙に候補者名を記名するのではなくて、用紙に印刷された候補者の政党マークのうちの1つに穴を開ける)、投票箱に用紙を入れる。その前には監視員が3,4名くらいだったか(正確な人数は覚えてない)座っている。

この日、私の舞踊の先生の家(違うkecamatan=地区)でも投票があり、夕方用事があって家へ行ってみたら、いつもはレッスンをしてくれるプンドポ(日本でいう応接間、広間のような意味の空間)に、この仮設ブースが1個、置かれていた。

またさらに違うkecamatanの友達の下宿(ホテル並の敷地の広さがある)も投票場になったらしいが、ここでも、庭にこの仮設ブースが置かれたらしい。

というわけで、他地域のことは知らないが、ソロに関する限りは、投票所は公共の場所ではなくて、広い家(町内会長レベルの人の家)の敷地を使っていたようだ。





インドネシアの選挙…その2
インドネシアの選挙活動について、また思い出したこと。

これは2005年だったかのソロ市長選真っ最中のこと。スーパーに自転車で買い物に出かけて駐車場に停め、スーパーから出てくると、各バイクの上に新聞(ソロポス紙=地方紙)が置かれている。よく見ると、新聞にはある市長候補ペア※の名前のスタンプが押されている。新聞には別にその候補者達のPR記事は出ていなかったので、単純に名前を知ってもらうためだけにやったのだろう。それでも、へー、こんな選挙プロモーションもあるのかと感心した。これなら、もらっても嬉しい。(選挙活動でものをもらうのは良いのだろうか…?)しかも、これを見たときに、これはインドネシア研究の先生にお土産に持って帰ったら受けるだろうなと思って、隣のバイクからも1つ失敬してきました…。

※インドネシアでは市長候補+副市長候補のセットで選挙に出ます。これは大統領選でも同じ。だから選挙ポスターには2人ペアで写っています。
選挙に思う…
2007年11月7日(水)
橋爪先生の選挙事務所(大阪市長選)に顔を出してきました。偶然、今日は事務所解放デーだったとかで、先生は事務所におられて、大勢の後援の方々とお話されてました。
橋爪紳也後援会オフィシャルウェブサイト

ここで(唐突に)思い出すのがインドネシアの選挙戦…。

大統領選では、各政党は指定された日にカンパーニュを繰り広げる。カンパーニュとはキャンペーンのことだが、やっていることは、政党のTシャツを着た若者バイク集団が大通りを走り回るというもの。ほとんど暴走族集団みたいである。沿道の人たちとその政党を示す指サイン(Vサインみたいなもの)を交わし合い、その指サインに応えないとちょっと危ないと感じるときもある。

私が以前住んでいた町内の掲示板には、「あなたも一緒にバイクで走りましょう!」というチラシが貼られていた。これに参加すると、政党Tシャツが支給されるとある。この国の公職選挙法がどうなってるのか知らないが、キャンペーン活動には結構お金がかかるらしい。庶民にとっては小遣い稼ぎになるみたいだし、お墨付きで大騒ぎできる機会だったのかも知れない。

11月の水牛
11月は「己が姿を確かめること(2)ビデオを使うこと」について書きました。

帰国後の私は、どうもお腹の具合がすぐれず、あまり体を動かせていません。まだ日本の水に適応できていないのかも…