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スハルト死亡記事
インドネシアの新聞より スハルト死亡記事

●2008年1月28日Suara Merdeka紙

"SELAMAT JALAN... Minta Dimakamkan sebelum Zuhur"
http://www.suaramerdeka.com/harian/0801/28/nas01.htm

●2008年1月28日Kompas紙

"Golkar Pelopori Gelar Pahlawan buat Soeharto"
http://www.kompas.com/read.php?cnt=.xml.2008.01.28.19052153&channel=1&mn=1&idx=1

"Aktivitas Soeharto 27-28 Januari (3-Habis)"
http://www.kompas.com/read.php?cnt=.xml.2008.01.28.15095144&channel=1&mn=1&idx=1

"Presiden Ajak Bangsa Indonesia Berterima Kasih kepada Soeharto"
http://www.kompas.com/read.php?cnt=.xml.2008.01.28.15095144&channel=1&mn=1&idx=1

●2008年1月28日Solopos紙

"Indonesia berduka"
http://www.solopos.co.id/index_detail.asp?id=47146

その他関連記事一覧
http://www.solopos.co.id/index2.asp?kodehalaman=h68#
ソノ・スニ・アンサンブルSono Seni Ensembleの紹介
インドネシアの前衛音楽グループ「Sono Seni Ensemble ソノ・スニ・アンサンブル」のブログページのご案内です。

http://sonoseniensemble.multiply.com/

このグループはインドネシアのソロ(スラカルタ)市に拠点を置いて活動しています。
リーダーのイ・ワヤン・サドラI Wayan Sadra氏はインドネシア国立芸術大学(Institut Seni Indonesia=ISI Surakarta)の音楽科長で、同大学現役の先生やら卒業生らがメンバーとなっています。

このブログでも紹介しているイベントにもしばしば出演されているだけでなく、海外でも多くの公演をされています。
スハルト死去
1月4日から入院していたスハルト元大統領が
今日1月27日(日)午後1時過ぎ(日本時間3時過ぎ)
亡くなりました。
マタラムの王を描いた絵の展覧会のお知らせ
マタラムの王たちのポートレートを書いた展覧会だそうです。でもスナン・カリジョゴは王ではありません…。こんなおじさんたちの絵を買いたい人はいるんでしょうか?

PRESS RELEASE:

PAMERAN LUKISAN "MULAT SARIRO"
Pameran Lukisan Tokoh-Tokoh Raja Mataram

karya: Basuki Bawono

19 – 25 Januari 2008
Joglo Taman Sriwedari
Jl. Slamet Riyadi 275 Solo


普通でない音楽?の公演
ソロで普通でない音楽?の公演があります。ソロからの出演者はスラメット・グンドノさん率いるコムニタス・ワヤン・スケットです。バンドン代表の人については知りません…。STSIバンドンとあるので、芸大の先生なんでしょう。

スラメット・グンドノさんは、ガリン・ヌグロホの映画「オペラ・ジャワ」に出てくる、小錦みたいな巨体のダランと言えば分かるでしょうか。彼の作品は音楽にしろ、演劇・舞踊的なものにしろ、混沌としていて、もうワヤンとしか言えないような面白さがあります。もっとも今度の作品がどんなものかはぜんぜん知りません…。

ちなみにワヤン・スケットというのはスケット(わらしべ)を編んで作ったワヤン人形のこと。彼がワヤン・スケットのグループで活動するときはいつもワヤン・スケットがちらっと出てきます。(少なくとも私が見た限りでは)ワヤン・スケットが始まった当時に聞いた話では、一般の正統派ワヤンに対して、田舎の、民衆の生活から生まれてきた物語ということを表しているのだと言ってました。昔の田舎の子供はワヤン・スケットを作って遊んだものだそうです。

PENTAS BUKAN MUSIK BIASA
forum 1 x 2 bulan

Sabtu, 26 Januari 2008
pk. 19.30 wib
di WISMA SENI
Taman Budaya Surakarta, Jl.Ir.Sutami 57, Surakarta

mempresentasikan karya

dari Solo: SLAMET GUNDONO
Komunitas Wayang Suket

dari Bandung: S.LAWE
STSI BANDUNG

kerjasama:
Taman Budaya Surakarta & Komunitas Wisma Seni

マンクヌガランの即位記念日
1月19日にソロのマンクヌガラン王家で即位記念日の式典があったというニュースを「http://lambangsari.blogspot.com/」で読みました。<というわけで今日はマンクヌガランの即位記念日についての思い出を書くことにします。

今年の即位記念日では、ブドヨ「アングリル・ムンドゥン」とスンドラタリ「アルジュノ・ウィウォホ」が上演されたそうです。

実はマンクヌガラン王家では、即位記念日にやる演目は固定していません。ソロのもう一方のススフナン王家=クラトンが、重要な王家の舞踊演目として「ブドヨ・クタワン」を伝承してきたのとは違って、そういう伝承がないマンクヌガランでは、即位記念日は時代に合わせて一種のイベント化しています。これは、私の勝手な言い草ではなくて、マンクヌゴロの弟で芸術関係の責任者であるヘルワスト王子の言です。

それでは即位式にやる演目は何か。私が留学していた時はブドヨ「アングリル・ムンドゥン」かブドヨ「スルヨ・スミラット」を数年ずつ交代でやっていましたが、最近はどうやら「アングリル・ムンドゥン」に限定してきているようです。

「アングリル・ムンドゥン」といえばクラトンのスリンピが知られています。実は「アングリル・ムンドゥン」は元はマンクヌゴロI世から1790年にクラトンに献上された作品です。詳細が違う話がいくつかありますが、私が師匠のジョコ女史から聞いている話は次のようなものです。

元々マンクヌガランでは3人で踊るブドヨだったが、事情があって上演しなかった。その後踊り子ごと舞踊作品をクラトンに献上し、クラトンではそれに1人足して、4人のスリンピとして上演するようになった。

かつては、マンクヌガランの即位式でその3人構成のブドヨが上演されたときもあります。私の師匠はそのときに構成を頼まれました。しかし現在のブドヨは7人編成で、これは故ガリマン氏が手がけたものです。ちなみにマンクヌガラン家やクラトンの重臣の家では、クラトンと同じ9人のブドヨを作ることは許されていないので、7人で上演されます。

この演目はマンクヌガランの宝とすべく、クラトンにお願いして返してもらったそうで、かつクラトンと同じにならないように、後半の曲を変えてあります。こういう風に、クラトンと同じにならないように、曲の一部を変えるということはよくあります。

それで振付ですが、前半は曲の長さも振付もまったくクラトンと同じで、4人のフォーメーションを7人にしただけです。しかし後半の曲は、すでに時代を反映していて短くなっているため、元のスリンピにある振りを使いながらも、新しいフォーメーションに合わせてアレンジされています。

またこのブドヨでは弓を持つのですが、クラトンのスリンピでは弓は使いません。ただし、元々振付にパナハン(弓を射る)という動作があるので、弓を持つのも矛盾はありません。

マンクヌガラン王家の「アングリル・ムンドゥン」には2種類の衣装があります。どちらもアラス・アラサン(森羅万象の模様)のドドットという衣装で、早い話が結婚式のときの衣装です。私は両方とも見たことがあって、1つはマンクヌガラン・オリジナル制作のもの、もう1つはバティック作家イワン・ティルタ氏が制作したものです。イワン・ティルタ氏の方はやはり金泥もたっぷりと華やかなものですが、舞踊の衣装としてはマンクヌガラン制作のほうが控え目で私は好きです。


さてさてスンドラタリ「アルジュノ・ウィウォホ(アルジュノの饗宴)」が上演されたのがなぜか、については私は分かりません。スンドラタリというのは舞踊劇のことです。ただ昨年(だったか?)のマンクヌガランの戴冠式では「アングリル・ムンドゥン」以外にワノロだったか、おサルさんの踊りがありました。先のヘルワスト王子が主催する舞踊団「スルヨ・スミラット」(実はスルヨ・スミラットとはマンクヌゴロI世を指します)で学ぶ子供たちがた~くさんサルで出演しました。私の師匠の孫もこれで出演してました。ブドヨの上演はやっぱり儀礼的な雰囲気を醸し出しますが、サルは明らかに余興です。「アルジュノ・ウィウォホ」の出演者までは分からないのですが、これも余興的なものだろうな~と想像しています。
橋爪紳也先生の選挙活動記録
昨年大阪市長選に出馬された橋爪先生の選挙活動記録が出ています。

中央公論2008年2月号
「<大阪市長選・敗戦の記>衰退する大阪は救われるか」
共同執筆 橋爪紳也 松田馨

http://www.chuko.co.jp/koron/

橋爪先生は出馬前まで私のいる大学の専攻で教授をされていたのですが、出馬前に退職されて市長選に出られました。
とんどの日
今日1月14日には、この辺りで「とんど」があります。地域ごとに田圃や広場に竹を組んで大きな焚き火をし、正月の飾りを燃やす行事です。また書初めも一緒に燃やします。地域によっては「左義長」、「どんど焼き」と呼ばれるそうですが、奈良県ではどこでもやっていると思います。

さて同日、市内(奈良県五條市)の念仏寺では「陀々堂の鬼走り」という国の無形文化財に指定されている行事が行われます。

雰囲気は以下の写真から↓
http://www.geocities.jp/mimatyu2000/07onioi/onihasiri1.htm

この「陀々」という語は「韃靼」をあらわしていて、全国各地で見られる同系統の行事は、みな韃靼人の火を使った修行からきていると聞いたことがあります。火を使った浄化なのか、春を呼ぶ活動なのか、たぶん「とんど」にも同じような意味があるのかなと想像したりしています。

さて私はこの鬼走りに1回しか行ったことがありません。昔、民俗学の先生から、家から近いんだから行って調べて来なさい~と言われたので行ったのですが。私にとってはよその(市内とはいえ…)有名行事より、地元のありふれたとんどの方が愛着があったのでした。

民俗学の調査をやっている人を見ていると、自分の地元の行事には出ていない、よく知らないという人もいるように思います。だからこそ他所の地域の調査もできるのだろうし、客観的な立場に立つこともできるのかも知れません。けれど、何か根っこがないように思えなくもありません。そういう私もインドネシアにいてジャワの伝統行事を追っかけているときに、ふと、自分がやるべき地元(日本)の行事をこなしていない、と思うことがあります…。




2008年のインドネシアの祝祭日
1月 1日(火) 新年★

1月10日(木) イスラム暦1429年新年★
1月11日(金) 政令指定休日

2月 7日(木) イムレック(中国暦2559年正月)★
2月8日(金) 政令指定休日

3月 7日(金) ニュピ(サカ暦1930年新年)★

3月20日(木) ムハマッド降誕祭
3月21日(金) キリスト受難日
3月23日(日) 復活祭

5月 1日(木) キリスト昇天祭

5月 2日(金) 政令指定休日

5月19日(月) 政令指定休日

5月20日(火) ワイサック(佛教大祭)

7月30日(水) ムハマド昇天祭

8月17日(日) インドネシア共和国独立記念日
8月18日(月) 政令指定休日

9月29日(月) 政令指定休日
9月30日(火) 政令指定休日

10月 1日(水)
10月2日(木) イドゥル・フィトリ(1429年断食明け)

10月3日(金) 政令指定休日

12月 8日(月) イドゥル・アドハ1429年(メッカ巡礼最終日)

12月25日(木) クリスマス
12月26日(金) 政令指定休日
12月29日(月) イスラム暦1430年新年★
 
参考: http://www.visitindonesia.jp/info/02.html 

※2008年にはイスラム暦新年が2度巡ってきます。これはイスラム暦の1年が約354日だから。というわけで通常でも4日ある新年★が今年は5回もあり、しかも12/29の翌々日にはまた新年が来るんですよね…。
2008年1月9日のキラブ・プソコ
2008年今年の1月10日(木)はジャワ・ イスラム暦1429年正月ですが、その大晦日には王家でキラブ・プソコKirab Pusakaと呼ばれる行事があります。

王家の家宝=プソコである聖なる武器(槍が多い)が市街を巡回するというものです。プソコの霊力によって町を浄める意味があります。武器の後ろに、宮廷の家臣たちや、さらにその巡回の後に続こうと願い出た村々の人々が続いて歩きます。

マンクヌガラン王家の方が先で、確か夜8時頃から始まります。私が見たときは、プソコは宮廷の外側の壁を1周しか巡らなかったのですが、宮廷家臣らは引き続き廻って計7周するそうです。しかし、後で述べるようなスラカルタ宮廷=クラトンのキラブに比べると、あっさりしています。けれど、キラブが出発するここのプンドポは作りが大きくて開放的で、出発前の儀礼も見れて良いものです。

クラトンの方は夜中の0時に始まります。武器の先頭をKyai Slametという牛が進みます。この日は普段は閉じられているカマンドゥンガンの正面の扉が開き、中で終結していたプソコや人々があふれ出てきます。この扉が開く瞬間には、ものすごくエネルギーを感じます。

行列はそこからまっすぐ北に進み、庭アルン・アルン、郵便局を過ぎて東に曲がり、電話局を通り、次にパサール・クリウォンの交差点から南下していってフェテラン通りに入り、ずっと西へ進み、それから、スラマット・リヤディ通りに向かって北上します。確かパサール・ポンの交差点に出てきたような…。その後はスラマット・リヤディ通りをずっと東に進んで、宮廷に再び戻ってくると明け方5時頃になっています。

なんで詳しくルートを知っているかというと、私も2000年頃にこの行列について歩いたことがあったからです。しかし、牛の歩みに合わせて歩いていくというのはとても大変。何しろこのキヤイ殿(牛)に食べ物を上げると良いことRezekiがあるというので、食べ物を差し出す人が多いのです。

そして、昨年からはジャカルタのタマン・ミニ公園でもこのキラブが行われています。私は12月にジャカルタに行ったとき、政府の信仰局長から「キラブがあるから来てね~」と言われておりましたが、行けてないです。実は、タマンミニでキラブが行われるのはまったく新しいことではないのです。1970年代にスハルトの指示で行われていたのですが、そのうち止めになりました。

実はスラカルタでやっているキラブも、タマンミニと同様、1973年頃にスハルトが宮廷に依頼して始まったものです。宝物巡回という伝統自体はヒンドゥー・ジャワ時代に由来するらしいのですが、現在行われているのは比較的新しい行事なのです。そこには、クラトンの霊的な力によって国家を浄めたいというスハルトの思惑があったと推察されます。一方、クラトンにおいてもこの行事は神聖なもので、この日のキラブに参加する王族、宮廷家臣、村々から来た人々はみな黒色、あるいは暗い色のクバヤ(上着)を着ます。そして行列に加わるものは皆無言です。話してはいけません。そういうクラトンの真摯な取り組みが霊的なパワーを増幅させているのでしょう。