fc2ブログ
 
7/31 イワン・ティルタ氏死去
本日 2010年7月31日 08:35 バティック・デザイナーのイワン・ティルタIwan Tirta氏(75歳)が入院先のジャカルタ市メンテンのAbdi Waluyo病院で亡くなりました。
7/24ジャワ茶会に出席
京都に30年以上在住し、茶の湯を教えておられるスァーン・ビスゴー氏によるジャワ茶会に参会しました。ジャワを中心とするアジアのお道具を使い、ジャワガムランと舞踊がつくという茶会です。

待合にはガムラン楽器が置かれています。狩野派の掛軸もひっそりと飾られていましたが、メインは40cmほどの高さの仏像、その前にクリス(剣)が置かれています。

そこから庭を通って茶室へ。待合への廊下の上や庭に出たところ、本籍に銅鑼や小さな梵鐘が釣られています。庭にはひっそりインドか東南アジアの石仏もおかれています。

本席ではお菓子とお薄をいただきます。お道具は30-40年前からインドや東南アジア各地で集めたというもので撮り合わせています。昔、樹皮に字を刻むのに使っていた金属製のスティック(柄に美しい彫刻があります)を火箸にしたり、カンボジアだったかの僧侶が本当に托鉢に使っていたという鉢を建水にしたり、子供のころから実家にあったという、黒檀などを嵌め込んだ、木製の小さな合子(おそらくはエジプト製だという話でした)を香合にしたりと、見たてにとてもセンスがあります。スマトラ島の魚籠やベトナムの水差しなど、形がよく、かつて堺商人たちが南蛮渡来のものを見たてた時の楽しさはこんなものだったろうというのが伝わってくるような会でした。

お薄が終わると、半東が銅鑼をたたきます。それを合図に、演奏者と踊り手がスタンバイするという段取りでしたが、なるほどうまく銅鑼を使っていると思いました。普通、銅鑼は中立ちした後の客に席入りを知らせるのに使いますが、必然性のある使い方ですね。

待合に戻ります。演奏はハナジョスのローフィットさん、マルガサリの西さん、留学から帰国したばかりの西田さんの3人で1曲目が佐久間新さんの舞踊「チャンクレ」(男性舞踊)、2曲目が「プスポワルノ」、3曲目が失念、4曲目がウルル・カンバン、最後がウィヤンタリさんの舞踊「アユン・アユン」(女性舞踊)です。少数でグンデルやスレンテムなど柔らかい音色の楽器を持ってきているので、こんな風に座敷で聞くのがとても似つかわしい。本席と待合は庭を挟んで向き合っているので、本席から待合で上演される舞踊を見ても素晴らしいなあという話を、終わってからしました。

茶会終了後、演奏者たちもお茶をふるまわれましたが、私も一緒におしゃべり。ジャワ茶会もよくされておられるようですが、バリ茶会もよくされるとのこと。水屋を手伝ったのは、私の長年の友人の日本人の女性、男性の大学生、それにビスゴーさんに茶の湯を師事しておられる外国人の方2名でした。この2人、所作が美しくてビスゴーさんの指導の確かさがあらわれているなあと感心しました。

ビスゴーさんへのインタビュー記事↓
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/foreigner/080729_chanoyu1/
7/19 A.C.O.A.の演劇ワークショップ
那須を拠点に活動する劇団A.C.O.Aの鈴木史朗氏のワークショップに参加しました。

鈴木史朗の身体表現ワークショップ
「受動態(passive)であることが能動態(active)なのだ」

日時:7月19日(祝)14:00~17:00
会場:奈良県五條市 Japanese Restaurant五條・源兵衛 別室

◆A.C.O.A./
1998年12月東京にて結成。2000年栃木県那須町にアトリエをもち拠点を移す。東京など都市部の劇場のみならず、水田、池、灯台の霧笛舎などさまざまなロケーションで公演を行う。BESETO演劇祭、鳥の演劇祭等に参加。今年10月、奈良・五條アートプログラムに参加。約10日間のレジデンスと3回の公演を行う。

◆鈴木史朗/
演出家・舞台プロデューサー・俳優。劇団SCOTで俳優を経験後、1999年劇団A.C.O.A.を立ち上げ。2006年よりスタートした自身出演の「共生の彼方へ」シリーズでは、ダンサー、舞踏家、彫刻家等との共同創作も行う。2004年より那須にて「なぱふぇす」をプロデュース。音楽、美術、ダンス、人形劇など、全国各地から様々な分野のアーティストを集めている。
7/17 研究会出席
科学研究費補助金研究班「南アジアおよび東南アジアにおけるデーヴァラージャ信仰とその造形に関する基礎的研究」(研究代表者:肥塚隆)研究会に出席

日時:2010年7月17日(土)13:30~17:00
会場:大阪人間科学大学(大阪薫英女子短期大学)
   
発表者:青山 亨 (東京外国語大学)
題 目:古ジャワ語文献にみる「神=王」観念を表わす表現の用例と意味
概 要:
14世紀後半の古ジャワ語文献『デーシャワルナナ』を主な史料として、古代ジャワ社会の「神=王」観念を検討する。古代ジャワ社会の「神=王」観念は、ユガの概念や、『ラーマーヤナ』のラーマや『マハーバーラタ』のパーンダヴァ兄弟によって描かれた「神=王」観念に深く影響されている。しかし、最も重要なことは、それが一意的ではなく、神と人の婚姻に由来する系譜、地上への神の転生、王権の神格化といった複数の機制によって成立していることである。

発表者:深見 純生 (桃山学院大学)
題 目:デーヴァラージャの小道具──新マタラムの場合
概 要:
ジャワの王国は古来王の神格化に務めてきた。イスラム化してもこの傾向は持続し、イスラムとの共生あるいは融合のもとで、様々な工夫がなされてきた。この報告では、ジョクジャカルタ王国の場合を中心に、最近の事例を含めて、そうした工夫のいくつかを紹介したい。新マタラムの宮廷史詩『ババッド・タナ・ジャウィ(ジャワ国縁起)』とそのなかのニャイ・ロロ・キドゥル(南海の女神)伝説についても取り上げたい。

7/16 ジャワ宮廷舞踊の優雅な夜 御礼!
日時:2010年7月16日(金) 18:30~21:00
会場:ドーンセンター 5F 視聴覚スタジオにて
主催:ギータンジャリ友の会
後援: 世界をつなぐ民族文化の会

ご参加くださいましたギータンジャリ友の会会員の皆様、また一般の皆さま、ご来場ありがとうございました。以下の舞踊3曲を踊り、懇親会では手作りのジャワのお菓子を出しました。ギータンジャリ友の会の皆さまもゼリーやフルーツポンチ、サラダなど作ってきてくださいました。

●披露した舞踊曲
1.Retna Pamudyaルトノ・パムディヨ
「マハーバーラタ」の物語より、女性の武将スリカンディが弓で敵を倒す様を描いています。1954年作。宮廷舞踊の動きだけで振付され、現在のジャワ舞踊の方向性を決めたとも言える古典作品です。

2.Sekarenaスコルノ
特定の物語がなく、女性が化粧したり優雅なしぐさをしたりする様を宮廷舞踊の所作を多く取り入れて描いています。1960年頃の作。1と同じ作者です。こんなゆったりとしたテンポで踊られる曲は、もう今ではつくられない、というくらい品のある舞踊です。

3.Gambyong Pareanomガンビョン・パレアノム
ガンビョンは民間で発展した、もとは性的なニュアンスがあって下品とされていた舞踊ですが、1960年代中頃から一般に受け入れられ、ソロを代表する舞踊となりました。1971年頃の作。結婚式で上演されることの多い演目です。1.2.に比べて、アップテンポで変化が多く、1970年代という時代や、庶民に支持された舞踊のエネルギーが感じられます。

●私が作ったジャワのお菓子
1.pisang gorengピサン・ゴレン
 バナナ揚げ。
2.kue lapisクエ・ラピス
 ういろうのような、米粉を使った蒸し菓子。
3.kleponクルッポン
 白玉団子、ジャワ砂糖(黒砂糖で代用)入り、削りココナツまぶし。
 ジャワでは縁日の屋台で必ず出るお菓子。
4.kue ketanクエ・クタン
 店では売っていない、本当に家庭のお菓子。蒸した餅米にきな粉と削りココナツをまぶしただけ。味としてはきな粉餅と大差ありません。(って言うか、ココナツ以外、原料はきな粉餅と同じですが)

こうやってみると、ジャワはやはり米文化圏ですね。米を使ったおやつは多いです。

「ジャワ舞踊の優雅な夜」 はデザートつき!
「ジャワ舞踊の優雅な夜」が今週の金曜夜に迫っています!

ジャワ舞踊をいくつかご覧いただいたあとに、ジャワのデザートをご用意しています。誰が用意しているのかって?それは私です。思えば…いままでデザートつきのジャワ舞踊の会をしたことがありません…。それどころか、ジャワにおいてすら、日本食を料理した経験は何度もあれど、ジャワのお料理はしたことない…。

それで、これなら失敗するわけなかろうと思われるような簡単なデザートを選んで(3種類)作るつもりです。1つだけ、蒸すお菓子を昨日予行で作ってみましたが、どうも硬さが…しっかり硬すぎる。それでネットで調べてみると、粉の分量がレシピによってえらいまちまちなんですよね。それに2種類の粉をまぜる割合も違う。さて、どうしようか、踊りの準備より大変です。

会のタイトルと舞踊の優雅さに比べて、用意しようとしているデザートは庶民的です。私がレッスンの時によく先生が出してくれたものです。さてどんなお菓子になりますやら、乞うご期待!
7/16 「ジャワ宮廷舞踊の優雅な夜」鑑賞会
インド舞踊とインド文化の紹介に尽力されているギータンジャリ友の会が、ジャワ舞踊を紹介する場を設けてくださいました。


~ジャワ宮廷舞踊の優雅な夜~


インド舞踊 ジャワ5.7月

●日時:2010年7月16日(金) 18:30~21:00

18:10頃~受付開始
18:30~20:00 ジャワ舞踊の特徴についてお話したあと、実際にご覧いただきます。2,3種類の舞踊をお見せできればと思っています。
20:00~21:00 交流会、ジャワのお菓子をつまみながら、いろいろお話しましょう!

●会場:ドーンセンター 視聴覚室

●参加費:一般 \2,500
ギータンジャリ友の会会員 \2,000
小中学生 \1,000、幼児無料

●定員:40人(前日までにご予約を)

●お申込先:      
冨岡三智まで(右のメールフォームよりどうぞ)
またはギータンジャリ友の会の方はそちらの事務所まで

●ドーンセンターへのアクセス
大阪市中央区大手前 1-3-49
TEL: 06-6910-8500
http://www.dawncenter.or.jp/

京阪「天満橋」駅 1番出口より徒歩5分。
地下鉄谷町線「天満橋」駅 1番出口より徒歩5分。
JR東西線「大阪城北詰」駅 2番出口より徒歩7分。
※ ドーンセンターには駐車場があります(1時間400円)。
ドーンセンターmap

●その他
主催: ギータンジャリ友の会
    (会長)近藤精一 (事務局世話人代表)櫻井暁美
後援: 世界をつなぐ民族文化の会
テアトル・ガラシ公演プログラム
以下、公演プログラムに掲載した内容をここにもアップします。日付や会場、演出、スタッフ、出演者の名前、主催などのデータ類は「7/1公演」のところにそのままアップしていますので、そちらをご覧ください。




リゾームの路上

今日、世界はますますリゾーム(注:中心となる主根がなく、四方八方に伸びていく地下茎の意)化している。リゾームはあらゆるものに忍び寄り、ほとんど瞬間的にからみついてしまう。孤立状態に戻ることはできない。中心であると思われていたものですら同様で、もはや中心としての孤立性を保つことはできない。

しかしこれは同時に、誰もが一人一人、世界全体と孤独に向き合っていることを意味している。それは世界がますますリゾーム化しているからである。誰もが、臨むと望まぬとに関わらず、気がつけばたくさんのものと絡み合っている。それもほぼ一瞬のうちに。これらのたくさんのものに、人は往々にして気づいていない。なぜなら、自分自身もその中でリゾームの一つとなっているから。なぜなら、自分自身も実はリゾームで、自分の中には複数の自己が存在しているから。

それゆえ挑戦というものは、どんな挑戦であっても、もはやひとつの結果を求める挑戦ではあり得ない。人は、自分自身でその挑戦を遂行しなければならない。

ならば国家はどこにいったのか?市民を守ってくれるものではなかったのか?

国家は、たぶん、存在しなくなったわけではない。ただ、少し前から、実質上の権威を失っているだけだ。それは、世界がますますリゾーム化しているからである。あらゆる人、あらゆるものが、国家という枠組みを越えたところで、たくさんのものと絡み合ってしまったからである。

インドネシアの大都市の路上には、このような現実が見てとれる。

そう、この作品はそんなインドネシアの大都市の路上から生まれたものである。この舞台では、日常生活から伸びてきたリゾームが絡み合っている。ここでは、資本にアクセスできる者とそうでない者、グローバリゼーションの恩恵を享受している者と弊害を被っている者との間で、争いや駆け引きが(ときに荒々しく)繰り広げられている。インドネシアのような第三世界の国にありがちな状況である。

「南十字☆路」(原題 Je.ja.l.an/英題 The Streets)はインドネシアの大都市における生活を描いた、ダンスと演劇が融合したパフォーマンスである。

近代的なものと伝統的なもの、コスモポリタンと田舎者、エリートと一般大衆、マジョリティとマイノリティの間で繰り広げられる、争いと駆け引きに満ちた生活。幾つもの物語や同時に起こる行為、オーバーラップする場面、そしてきらびやかな(ときに奇妙かつ滑稽でもある)イメージで塗り固められた生活。

今、この世界が、あなたの前で息づいている。

by ユディ・アフマッド・タジュディン

(静岡芸術劇場公演リーフレットより転載)




「南☆十字路」 上演歴

2008年5月 ジョグジャカルタ州立芸術センター
2008年5月 ジャカルタ芸術大学ルウェス劇場
2009年4月 インドネシア・ダンス・フェスティバル
2010年2月 ジョグジャカルタ州立芸術センター
2010年6月 静岡芸術劇場 「Shizuoka春の芸術祭2010」
2010年7月 アトリエ・エスペース

ユディ・アフマッド・タジュディン

演出家。テアトル・ガラシ創立者の1人で芸術監督。1993年の創立以来、テアトル・ガラシのほとんどの作品を演出。2000年、国際交流基金によるアジア舞台芸術家交流・研修事業として、坂手洋二氏演出の日本・インドネシア共同制作現代演劇「南洋くじら部隊」に参加。2006年、テアトル・ガラシとク・ナウカシアターカンパニーとの共同制作作品「ムネモシュネの贈りもの」を演出。

劇団テアトル・ガラシ

インドネシアのジョグジャカルタ市を拠点に、様々な分野のアーティストが集まり、実験的な現代演劇の創造に取り組む。1993年、ガジャマダ大学・社会政治学部の学生が中心となり設立。芸術監督はユディ・アフマッド・タジュディン。

ガラシはインドネシア語でガレージ、倉庫の意味。設立当初は大学の倉庫を借りて練習していたことにちなむ。しかし、命名の理由はそれだけにとどまらない。1990年代のインドネシアでは、文化的、社会的活動に大仰な名前をつけることを避ける傾向があった。それは、何かにつけ意味づけしたがる一昔前の世代に対して突きつけたアンチテーゼであり、あえて、取るに足りないような名前をつけたのだと、ユディは言う。

テアトル・ガラシは、ダンス、武術などの伝統に学んだ身体表現、現代的でさまざまなイメージを喚起する舞台美術、日常生活の観察などを融合させる取り組みによって、設立以来注目を集めてきた。

また、2001年にはNGO化し、若手演劇人に対するワークショップの開催や出版を通じて、インドネシア演劇界の芸術レベルの向上に積極的に取り組んでいる。

近年はシンガポール公演(2004年)、ベルリン公演(2005年)、東京公演(2006年)など、国際的に活動の場を広げている。日本には4度目の来日となるが、関西公演は今回が初めてである。

http://www.teatergarasi.org/

★古都ジョグジャカルタ

ジャワ島中部にあり、今なお王宮を擁する古都であり、多くの大学が集まる学研都市でもある。京都と姉妹都市提携。伝統舞踊や音楽が盛んなだけでなく、現代美術や西洋音楽が盛んな町としても知られる。

(以上、文責:冨岡三智)
5月、6月、7月の水牛
最近、「水牛」に寄稿した文章のご案内を忘れていたことに気づきました…。

水牛 2010年5月号 「時差と時間」
…3月にマレーシアに行ったときに気づいた、インドネシアとマレーシアの時差の設定の違いについて。

水牛 2010年6月号 「マニラより」
…5月30日にマニラで公演した作品の事後予告(?)みたいなもの。

水牛 2010年7月号 「クロスオーバーラップ」
…5月にマニラで公演した作品のことについて。
7/2 帰国
7/1夜公演終了後、10:00までに舞台撤収
音響、照明機材の撤収が終わったところで、ひとまず打ち上げ
差し入れのお酒、スウィーツ、佐久間シェフの味噌汁などが並ぶ中で乾杯~☆

小屋主の関川さんはこの日が誕生日だとか。いつの間にか1階では、関川さんとガラシの女優のxさん(名前失念!2人は同年生まれらしい、見かけの年齢が全然違うけど…)の怪しげなフォト・セッションが始まっていて、歓声(叫声)が沸き起こる。これは見なかったことにしておこう~っと、私は2階に戻ったので、その後の成り行きは知らず…。

音響、照明の日本人スタッフが帰ったあと、一行は静岡(SPAC)へ運ぶ舞台道具と手荷物で持ち帰るものを仕分けし、パッキング。一行がインドネシアから送ってきた舞台道具は、輸送会社との契約条件か何かで、行きと帰りの荷物が同じでないといけないらしいのです。

7/2に日付が変わり、夜中の1時頃
銭湯へ。私が銭湯に行ったのがほぼ一番最後。この鈴蘭温泉というお風呂屋さんは、一行のことをとても気にかけてくれていて、最後の日だからと、一行にジュースを差し入れてくれました。ありがとうございます!

ジュースを持って風呂から帰ると、女優陣は寝てましたが、男性陣(1階の舞台スペースで寝ている)は、カード遊び(お金をかけてるので賭博と言うべきか)をやっています。明日の朝は早いので、中途半端に寝ずに、夜通し起きることにしたから、と行ってますが、実はこの光景はこの夜だけに限りません。毎晩、静かになったなと思っていると、男女集まってインドネシア・ルピア紙幣をかけてました。このあたり、まったくジャワ人です。

朝6時に、横須賀さんと、応援の人が静岡行きの荷物を運ぶため、車で出発。一行もそれからほどなく出発。京阪・野江駅から京橋まで出て、そこから関空行きの快速に乗ります。楽器類は昨夜佐久間さんが車に積んで持ち帰り、この日、関空に持ってきてくれました。

teater garasi di KIX
関西空港にて、チェックイン後に。