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1/23(日)クラトン・ジョグジャへ
8:30~10:30 
一観光客としてジョグジャのクラトン(王宮)を見学。北のアルン・アルン(広場)の通行方向がソロの王宮と逆で、反時計回りなのが不思議。インドネシアは右側ハンドルだから、時計回りに廻るのが普通だと思うのだが…。

11:00-12:00観光客向けの公演を見学。スリ・マガンティSri Mangantiにて。スリマガンティは賓客が王の到来を待つ所。ソロのクラトンでは、スリ・マガンティは回廊の部分だけを指し、その横のプンドポはバンサル・スモロコトという。しかしジョグジャではプンドポを指してスリ・マガンティと呼ぶみたいだ。

演目は
1 スリンピ・ロンゴジャヌールSrimpi Rangga Janur
2 クロノ・トペン Klana Topeng
3 ビスモ×セト Bisma Seto

033 - コピー
1/20 MKさん送別会
1/20 MKさん送別会

朝から汽車に乗ってソロへ。馴染みの鍼灸師の所で治療してもらい、インドネシア銀行ですでに使用できない旧札を換え(インドネシアはお札のモデルチェンジが速い、偽造防止のためらしいが)、以前住んでいた地域をぶらぶら歩き、口座を開いている銀行の通帳を換え、あちこちに挨拶に廻る。ノスタルジアに浸るも、街の急激な変貌ぶりには少し失望。やたらとカラフルなペンキ塗りのテナントビルが増えた。

お昼御飯を食べて、ソロのクラトン(王宮)の近くに住む亡き師匠の家へ。娘さんが家を守っている。だべっている間に大雨。4時から5時の間に別の人と会う約束になっていたが、全然降り止まない。5時前に意を決して外出。

ソロに来た主目的は、22日に2度目の留学を終えて帰国するMKさんの、お別れ演奏会(klenengan)に出るため。そしてMKさんの家に泊めてもらう。ただしこの演奏会は郊外に住むMKさんの家ではなくて、駅の近くの芸大ソロ校の教員夫妻の家で開催。夜7時からと本人が言っていたにも関わらず、本人が来たのは8時前…。まあ、半数以上の演奏家は彼女より後に来たけど。MKさんはかつての留学生仲間の間でも一番インドネシアに馴化したねえと、この家の夫妻とする。
1/19 ISI Yogyaへ
1/19 ISI Yogyaへ

7:30にMさんが迎えに来てくれて、今回の滞在のスポンサーである芸大ジョグジャ校(イシ・ジョグジャ/ISI Yogya)学長に挨拶に行く。

学長とのアポは10:30過ぎだったので、それまで知った顔はいないかとカラウィタン科(ガムラン音楽科)をうろうろしている間に舞踊の練習が始まり、これで一気に旧知の面々と出会え、さらに日本人留学生とも知り合える。聞けばこの練習はクラトンでの公演用で、ジョグジャのクラトン(王宮)で毎週日曜にやっている観光客向けの公演が、今度の日曜はISIジョグジャの担当なんだという。2,3カ月に1回担当しているらしい。

10:30過ぎに学長室へ。学長はBu Hermien。2006年11月に私がソロの芸術高校の定期公演でスリンピの上演(1時間)をしたときに、ジョグジャからBu Hermienが率いるISI Yogyaがブドヨ(2時間)を上演した。このときの演目はたったこの2曲だけ(しかし3時間公演)という、前代未聞のことをやったのだが、Bu Hermienもそのことを覚えていてくれたのに感激。
1/18ジョグジャ入り
1月18日(火)

夕方の便でジョグジャ(ジョグジャカルタのこと)へ。
以前、日本に研究に来ていたUGM教員のMさん一家が迎えに来てくれる。
ジョグジャの空港がえらく広く、立派になっていて(その分歩く距離も増えて)驚く。

Mさんがガジャマダ大学(UGM)のゲストハウスの1つ、ダルマ・プトラ・レジデンスを予約してくれていたので、とりあえずはそこに1ヶ月滞在することにする。2室でカマル・マンディ(浴室)が共用という部屋割で、もう1部屋は6か月前からここに入居している法学部1年生の女の子。日本のアニメとキティちゃんが大好きというラブリーな子で、浴室や洗面セットがキティちゃんで揃えられていた。実際に日本文化ファンの子を目の前にすると、日本人としてちょっと嬉しくなる。

夜はMさん一家と一緒に食事。
1/17 関空発、ジャカルタ着
2011年1月17日(月)

関空で土産物店を見ていると、上等な日本製ということを強調した粉ミルクや炊飯器、キティ・ブランドのペンなどが、梅干し、和菓子などと一緒に並んでいる。この辺りが外国人観光客に人気があるんだろう。チョコレートや抹茶、イチゴクリームのコーティングがある八橋もあってちょっとひるむが、これが外国人にも許容される日本テイストというものかもしれない。

関空からマレーシア航空(クアラルンプール経由)でジャカルタ着19:00。
ゲート間の移動のためのトレインが工事中で、空港の裏手という感じの場所をぐ

るりとバスで移動させられる。
ジャカルタではトランジットホテルに宿泊。
1.22 タイ舞踊と能のコラボレーションの案内
京都のアレックス・カー氏、およびタイ人のランナー舞踊家、ロナロンRonnarong Khampa(通称:オング)本人から次のような案内をいただきました。

オングは6ヶ月間日本に滞在し研修していましたが、1月いっぱいで日本を去ります。それで、さよなら公演として、金剛流の能楽師宇高竜成(たつしげ)と一緒に法然院の本堂で『竜成とロナロング』というイベントを催す運びとなりました。

パフォーマンスは三部に分けられ:最初は能とランナーの比較を見せる、第二部では能の本格的なお稽古から始まり、徐々に能とランナーの折衷を試みる、そして最後にはオングは装束と面を付けて『雪』の仕舞を法然院の本堂内で仏前で舞います。彼は存在感のある舞踊家ですし、能とのコラボレーションはユニークな公演になると思いますので、どうぞご覧ください。

そういう私は17日にインドネシアに向けて出発するので見られないのが残念…!とはいえ、オングはこのあとインドネシアで6ヶ月間研修をするので、向こうで会えそうですが。

竜成 オング ちらし
『竜成とロナロング』

能楽師宇高竜成とランナー舞踊家ロナロング・カンパ 仕舞『雪』
稽古から始まり、形を破る。創造からオリジンに戻る

平成二十三年一月二十二日
京都、法然院
開場:六時 開演:六時半 
前売 二千円 当日 二千五百円
(席は自由)

申込、問い合わせは以下から
http://www.ronnarongkhampha.com/Performance/Entries/2011/1/22_Tatsushige_to_Ronnarong.html
2011年1月の水牛
サイト「水牛」に、今月は「大晦日の礼拝 ジャワにて」を書いています。

「水牛のように」のコーナーにあります。
バックナンバー(2002年11月~ほぼ毎月寄稿しています)も読めます。
1/8-9 研究会 in 豊橋
第3回 前近代社会へのまなざし研究会
(「王国体制下のコミュニティ支配に関する研究」に関わる研究会)

2011年1月8~9日
愛知大学豊橋校舎にて

ビルマ古典歌謡の中にみられる「民族」観/愛知大学 伊東利勝

ジャワ古典劇にみる前近代社会の男女観/      冨岡三智

コメント―ビルマ古典劇の事例から/東京外国語大学 土佐桂子


伊東先生とはこれまで面識がなかったのですが、以前、東南アジア学会で私の発表を聞かれて、今回呼んでくださったとのこと。少人数でじっくり討論するという先生の御趣旨で、大変勉強になりました。私以外はミャンマー研究の人ばかりで、こんなに多くのミャンマー研究者をいっぺんに見たのは、初めてのような気が…

名古屋文化圏というのは鶏をよく食べるということで、1日目の終了後は焼き鳥屋へ。串に刺した焼き鳥以外にもメニューが多い。手羽先のから揚げも食べるが、手羽先はよく食べるみたいで、翌日お土産屋さんでも手羽先のから揚げをよく目にする。また豊橋はウズラも名物とのことで、ウズラの串焼きも食する。香ばしくておいしい。

豊橋自体は筆とちくわの町でした。ちくわは買わねど、ミニ筆のストラップがあったので、お土産に購入。1つ1つ筆の作りが違っていて、凝っている。しかし、このストラップを売っていたのは、なぜか食品売り場のちくわ屋さん…。

また豊川稲荷があるので、お稲荷さんも名物とのこと。帰りに電車内で食べようと、駅ビルの食品街で買うも、豊川稲荷には行かず。
年賀
1月9日にもなって年賀というのもなんですが…

初春のお慶びを申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。

実は、突然ですが、この1月17日より来年3月までインドネシアのジョグジャカルタに研究員として派遣されることになりました。今後もインドネシアから近況をお知らせしたいと思いますので、ときどきこのブログをのぞいていただければ幸いです。