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4/29 カンボジア舞踊公演を見る
4/29-30役所での用と、29,30日にある公演を見るため、再びジャカルタに舞い戻る。

芸術局長(direktur kesenian)から招待券をもらったので、カンボジア舞踊の公演を見に行く。これはアセアン10カ国が毎月公演するという企画の一環で、今回が8回目、ちなみに来月がインドネシアの番だという。アセアン事務局とカンボジア王国文化美術省(Ministry of Culture and Fine Arts)が主催。中央真ん中席は全部AEAN、政府関係の人たち用、そして外人率も高い。たぶんこの公演は招待制で、一般客はいなかったような雰囲気。ジャカルタで出会う芸術関係者に全然合わない。通常の公演と客層が違う。

Best of ASEAN Performing Arts VIII,
featuring the kingdom of Cambodia
"Cambodia: diversity of Intangible Cultural Heritage"


日時: 2011年4月29日7:00~9:30
会場: Usmar Ismail Hall Jakarta、Jl.H.R.rasuna Said

(Pasar Festivalの裏に新しくできた建物。建物の名前だけではタクシーには通じないので、Perfilmanの建物と言うと良い)

ドレスコード: ナショナル/ラウンジ・スーツ、長袖バティック

この長袖バティックというのは男性用のコードで、インドネシアでの男性の正装は普通これ。ナショナル・スーツというのは女性の民族衣装のこと。でもラウンジ・スーツは何だろう?あまりインドネシアでも使わない言い方だ。聞いてみたら、ワンピース、アフタヌーンドレス、イブニングドレスなどの昼夜の正装全般を指しているみたいだ。

開会の挨拶の後、全員起立してアセアンの歌「ASEAN Anthem The ASEAN WAY」を合唱。プログラムの裏表紙に楽譜が掲載されている。そんな歌があったとは!


演目

1.クメールの影絵 Sebak Thom
タイの影絵のように、踊り手が1人1つの襖の半分くらいの大きさはあると思われる影絵人形を持って上演する。幕の向こう側に踊り手がいるときは影が幕に映し出され、幕を背景にすると、踊り手はまるで舞踊を踊るような足つきで人形を持って動く姿が見える。そして時に人形を脇に置いて、猿の戦いの踊りが繰り広げられる。
人形と上で書いたが、ちょうど切り絵のように、楕円のような形の中に人物が彫り込んであって、人物の手足は動かない。そのかわり、襖のように大きな人形(?)を波打たせるように動かす。そんな動きはジャワの影絵にはないもので、その影がゆらゆらと幕の上を動いていく様子を見ていると、とてもうっとりする。
ラーマーヤナの物語なのだが、図像も音楽の雰囲気もジャワのものと違いすぎて、何のシーンだかちっともわからなかった。

2.女性舞踊 Te Vak Srey Sour(Angel Dance)
天使の舞踊と英訳されているが、シバ神像の姿をした女性の舞踊で、レオタードのように体にぴったり沿った衣装(チュチュのようにも見える)の上に仏像のような装飾品をつけている。、最初単独で、最後の方で2人出てきて三尊像のように舞う。
なめらかに流れる手の動きがジャワ舞踊に似ている。が、ジャワ舞踊では体が影絵人形のように、横に平べったい感じなのに対して、カンボジアのダンサーは、かの地の仏像のように前後に立体的な体つきだ。

3.民衆舞踊 Mouth Organ of the Suoy Ethnic Dance
Kampung spoeu州の舞踊。男女群舞。男性が笛を持ち、女性と対になって踊る。

4.音楽 Khemer Music Instrument Solo
たて笛や角笛など、3種類の笛をそれぞれ独奏。演奏者は女性。クメールの町のあちこちで聞かれる音楽だとのこと。

5.民衆舞踊 Kandob Ses Dance(Praying Montis Dance)
Svay Rieng州の舞踊。男女群舞。Montisはバッタの意味ということだが、バッタの祈りの舞踊?男女とも膝、肘、手にココナツの殻をつけて、それを叩きながら踊る。クメールの宗教儀礼で踊るものらしい。

6.女性舞踊 Khmer Women Beauty Dance
タイ舞踊のような衣装で、腰布が足首上まで覆っている。この種の踊りにはいくつかバージョンがあることや、振付家の名前が書かれていることから、たぶん古典をベースに新しく創られたものかなと想像する。これも宮廷舞踊の系列でなめらかな動きの舞踊だったのだが、2.の舞踊と比べると印象が薄い…。


7.水牛儀礼の舞踊 Buffalo Ritual Dance

Ratanakiri州やMundulkiri州の高地で行われる水牛供犠の様子を舞踊化したものというが、これが失笑ものだった。最初のシーンではシンセサイザー音楽にのって、張りぼての水牛を持った踊り手一団がやってきて祈りを始めるのだが、本当に会場内から失笑が漏れた。あまりにも嘘っぽいのだ。私はジャワの儀礼で何度か水牛の頭を落とすのを見たことがあるので、このまるで緊張感のない雰囲気には本当にがっかりした。儀礼を舞踊化したいなら、その厳粛な雰囲気を再現できなければ、意味がない、と思う。

8.戦いの舞踊 Robam MoniMekhala
邪悪なReam Eyso(男)は善良なMoni Mekhala(女)を妬み、彼女の持つ魔法の水晶玉を奪おうとして戦いになる。彼らはかつて、同じ師について魔法を学んでいた。Ream Eysoは負ける。
頭部を全部覆う仮面をつけ、仮面から衣装からキンキラキンのReam Eysoは、その風貌としぐさから、見るからに邪悪を象徴している。一瞬、私は映画の「未知との遭遇」を思い浮かべてしまった。一方のMoni Mekhalaは2.や6.の舞踊のように、流れるような動きで舞う。特に冒頭の、水晶玉を持って1人で舞うシーンなど、善なるものということが良く分かる。
キャラクターは男女に分かれるが、踊り手は両者とも女性。

8.民衆舞踊 Chhai Yaim Dance/ASEAN Friendship Flag Dance
太鼓のリズムに乗って踊る男女の群舞。フィナーレ的に、踊り手はアセアンのミニ旗を手にしながら踊る。
4/21インドネシア入り
4/21(木)クアラルンプールより夜にジャカルタ着。
4/22(金・祝)~4/24 役所が休みで調査許可手続きができず。
4/27(水)ジャカルタでの手続きをだいたい終えてジョグジャへ飛ぶ。

ジャカルタではまずRISTEK(調査局)へ出頭し(基本的に到着から24時間以内に行かないといけないのだが、今回は夜に着いて、翌日から3連休だったということで、月曜出頭で許してもらえる。そこで、ジャカルタでの各機関(ジャカルタの法務局・入管、国家警察、内務省)へのお手紙をもらい、持って廻る。
マレーシア料理
API Projectのあったタシック・チニ(チニ湖)はパハン州にあり、オランアスリという先住民が住んでいる。ここの料理はとても辛いそうで、マレーシアのプロジェクト・スタッフは辛さ控え目にしてほしいと頼んだという。

APIは日本、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンの5カ国のフェローから成るのだが、この中でもフィリピン人が辛さに弱いのだ。見たところ、マレーシア人もあまり辛い料理を食べないみたいだ。私がクアラルンプールのホテルで食べた料理は、カレーでもなんでもマイルドな味だった。「Michiは辛いのが大丈夫なのね…」と他の国のフェローに言われたくらいだ。

チニ湖のホテルでは比較的マイルド味だったのだが、初日夜に地元民と一緒に料理したときのこと、料理用に用意された唐辛子の量を見て絶句、皆で使用料を半分に減らしてもらうよう頼む。それでも、バナナの花を蒸したもの(jantung pisang、バナナの心臓の意味)や、小さい生のハスの葉っぱにつけて食べるソースは、私でも口が曲がるくらい辛かった。あの唐辛子を全部使っていたら、とうてい耐えられる辛さではない。しかし、このバナナの花とか他の野菜とか、臭いのきつい野菜料理が、この辛いソースをつけて食べると、ほとんど気にならないから不思議だ。生活の知恵なんだろう。

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別の日に、オラン・アスリが住む村でピナンという実を食べさせてもらう。ピナン=ペナン、つまりペナン州の地名の由来となった木らしい。この木の実を生で食べるというのに驚くが、それだけで食べるとものすごく「いぐい」(私の地域の言葉で言うとそうなる)。口の中にえぐみ、渋みが残る。その時にシリーの葉っぱをくれて、これも一緒に食べると良いというので一緒に口に入れると、不思議なことにさっきの渋みが消えて、マイルドな味になる。シリーは、噛みタバコ(びんろうじゅ)を包む葉っぱだ。もしかして、噛みタバコはまだ試したことはないが、シリーで包まなかったらひどい味なのかも。
サラワク&地震 よもやま話
4/20夜は、同じAPI Fellowで現在マレーシアで調査員をしているMさんの家に泊まらせてもらう。
タシックチニでのプロジェクトの様子について話したり、また彼女はもともとサラワクで調査していた人なので、いろいろサラワクの話で盛り上がる。

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私がクチンに着いた日(4/17)に、空港から市内にかけての道沿いに青地に秤マークの政党旗がずらっとはためいていて驚く。迎えに来てくれた人に聞いたら、昨日、州議会選挙があったばかりで、この旗は与党のものらしい。その旗は市内で全然見かけなかった。その話をMさんにしたら、空港の辺りは与党支持、市の中心部は野党支持なのだそうだ。

このサラワク州は入国審査もあるように、マレーシアとは違う独自の国という意識が非常に強いみたいだ。学校の先生の話の端々からも、ヌグリ(国)という語が出るが、文脈から明らかにそれはマレーシアではなく、このサラワクを指している。芸術方面の人だからよけいにそうなのかもしれない。

それに、この地域はクアラルンプールより華人が多そうだ。中国語の看板も目立つ。空港から市内に行くときに「不要回教国 ○○○○○」(すぐに通過したので○…部分は読みとれず)という看板が出ていてぎょっとする。マレーシアの国教はイスラムなのに!それでまた迎えの人に聞いてみたら、政治家の中には、道路を歩くにも男女別を徹底すべしというくらい過激なイスラム思想の人もいるので、そういうようなイスラムの国になるのはごめんだ、という意味らしく、イスラム全否定というわけではないようだ。この看板、写真に撮っておきたかったなあ。その看板の話にも、Mさんはびっくりしていた。

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地震の話になる。Mさんはお姉さんが関東にいるとかで、大変心配していたみたいだが、ここでは正確な情報が伝わってこなくて困る、特にアメリカのCNNは非常に恐怖を煽るような報道で信用できない、とのこと。私がKLで見た、4/7の地震ニュースもCNN放送だったので、同意。過剰に言う割には肝心の情報がないと、私もそのときに感じた。一番冷静な報道は英国のBBC放送だったと彼女は言う。

サラワクのホテルでも、現地の中国語新聞の国際版のトップのほぼ3/4面が地震というか被災した原発のニュースだった。だいたい紙面の1/3は枝野官房長官の話と彼の写真、その下に、枝野さんの記事の1/3~1/4くらいの大きさで菅総理の記事(写真も枝野さんより小さい!)、その下に原発の写真と記事…。ここでも総理の影は薄い。
4/20 オランウータンとラフレシア
4/20 サラワク森林局 Forest Department Sarawak管理のナショナルパークへ

今回のワークショップをアレンジしてくれたH(彼は森林局で働いている)が、オランウータンとラフレシアを見に連れて行ってくれる。

オランウータンには朝9時に餌やりをするということだった。ちょっと出発が遅れ、9:45くらいに現地着。Hはすでにオランウータンの餌やりが終わっていたと思っていたのだが、何頭も集まっていて驚く。彼も、こんなに沢山オランウータンが集まっているのは見たことないと言う。観客はオランウータンには近づけなくて、職員が森の真ん中にしつらえたテーブルに食べ物を置いておくと、オランウータンがやってきて、それぞれ取り、自分の気に入った場所に持って行って樹上で食べる。樹上にぶらさがりながら、ココナツを木に打ちつけて割り、中のココナツジュースを飲み、さらに殻を向いて白い実の部分を器用に手ですくって食べる。オラン(人間)、ウータン(森)というように、しぐさがえらく人間くさい。

そこからラフレシアの咲く森に行く途中、空港に寄る。私はこの日4時のフライトでKLに戻ることになっており、先にトランクを預け、チェックインを済ませる。空港からラフレシアの森まで80km!

ラフレシアは寄生植物で、同じ区域に固まって生えていた。やはりグロテスクな花だ。顔を近づけると、悪臭がする。花弁の中で数匹の蠅が飛んでいる。蝶ではなくて蠅が寄ってくるというのも厭な感じ。その近くには腐ったラフレシアが残っている。花の形は残っているのだが、炭化したみたいに真黒になっている。腐ったあとのラフレシアというのは考えたことがなかったので、この姿にもぞっとする。

とはいえ、小さいころから図鑑で見て知っていたこの花を、本当に森の中で見ることができるなんて思わなかったので大感激。Hに頼んで、ラフレシアと一緒に写真に撮ってもらうが、まだその写真は送られてきていない。

Hのハードな運転で空港には3:20チェックイン時間にかろうじて間に合う。フィリピン人の演劇家Gと音楽家Rは今晩もサラワクに泊まり、明日帰国する。

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しかし、ボルネオは暑かった…。日本の真夏みたいに湿気が多くてしんどい。5時半を過ぎると涼しくなって快適なのだが、マレーシアやインドネシアで、湿気が多くて日本なみに蒸し暑いという思いをしたことが今まではなかったのだ。ただ、オランウータンの森、ラフレシアの森の中は日中でも非常に涼しくて、森の中に霧雨とも言えないくらい細かい水滴というか水蒸気が満ちていてすがすがしい。初日に行った文化村にあった伝統家屋も、木でできていて、しかも隙間だらけなのでとても涼しかった。ここでは森に住むのが正解だなあ、と感じながら機上の人となる。
4/17 サラワク文化村へ
ワークショップする学校でお昼御飯をごちそうになったあと、学校のバスでこの学校の生徒(日曜なので希望者のみ)とサラワクの文化村に行く。着いたのは3時過ぎ。民族ごとにタイプの異なる伝統家屋を見、伝統芸術ショーを見る。

このショーは、現代風にアレンジされたショーになっているとはいえ、出演者も訓練されており、またショーとしてうまく構成されていて、なかなか見ごたえがある。盾と槍、吹き矢を持って踊る、今風イケメン男性の踊りは、途中で客席の女性にラブコールを送ったり、ステージに客席の女性を1人あげて吹き矢をさせてみたりするのだが、武器を持って踊る時の緊張感と、女性にウィンクするその間合いとがうまく取れていて、もしかしたら、この踊りには実際に女性を刈るというアナロジーもあったのかもしれないと思う。

ここでカメラのバッテリーが壊れてしまい、実は以後クチンでの写真がない。残念!
4/18-19 サラワクでジャワ舞踊ワークショップ
4/17 クアラルンプール(KL)よりエア・アジア航空でクチンへ。クチンはボルネオ島にあり、サラワク州の州都。国内移動なのに、入国審査があって驚く。聞けばマレーシア独立時の事情に由来するらしい。パスポートに7/5まで有効のスタンプが押される。ちなみに、KLに戻るときには、航空券にスタンプが押されたが、パスポートに出国スタンプは押されなかった。

迎えがあってまずはマレーシア芸術高校クチン校 Sekolah Seni Malaysia, Kuchingに向かう。マレーシアには国立の芸術大学がKLに1つ(アスワラ ASWARA)、国立芸術高校がジョホール(半島側)とここクチン(ボルネオ島側)にあるという。けれど、校舎は間借りでとても狭く、国立の学校として決して恵まれていない。

API FellowのHが娘をこの学校に通わせているという縁で、芸術関係のAPI Fellowでなんとかこの学校を盛りたてたいと考えて、2日間のワークショッププログラムを設けてくれたみたいだ。なので、今回のKL~クチン往復飛行機代、ホテル代、謝礼は学校(マレーシア)から出る。

4/18-19 1日中ワークショップ。舞踊、演劇、音楽の3つのクラスがある。生徒は公募制なのか30人以上いるのだが、スペースが十分ではない。真剣にジャワ舞踊のレッスンをしようと思ったら、このスペースではせいぜい6人くらいしか踊れない。しかも、先生からの呼び出しや用事があると出ていくので入れ替わりも激しく、また次第にドロップアウトもしていく。そのうえ学校からは2日目の夜に発表会してほしいと初めから言われていたので、こういう状況は非常に困る。

初めにジャワ伝統舞踊スリンピの一部(10分くらい)を見せて、その後少し基礎的なジャワ舞踊を体験させ、1日目のお昼から2日目のお昼まで、彼らの伝統舞踊にジャワ舞踊のアイデアを盛り込んでみるということをする。そして2日目の夜に発表会。
ヤマアラシの肉
チニ湖畔での調査の最初の日、現地の人とのコミュニケーションを図るため、クンドゥリという、簡単にいえば町内のみんなで集まって調理し、一緒に食べる会をする。現地のおばさんたちの指図に従って、私たちも手伝う。この日用意してくれた料理の最後に出てきたのが、ヤマアラシの肉。ちなみにマレー語でlandak、英語でporcupineという。まさか、こんな単語を覚える日が来ようとは…。初めは何の肉だか分らなかったが、山に住んでいて、体に針があって…というので、ああ、ヤマアラシかと分かる。そのときに、マレーシアのスタッフの1人が、「ほら、ピカチュウみたいな動物!」と言うので大爆笑。ピカチュウの知名度はなんて高いんだろう。でも、ピカチュウって、ヤマアラシがモデルなんだろうか…。

タシック・チニにて
APIのプロジェクトはチニ湖(タシック・チニ)湖畔にて、パーム椰子などのプランテーションによる自然破壊(自然林の消滅、水質汚染、生態系の破壊)、先住民族オランアスリの政治と文化の問題などについて学ぶという趣旨。(分かりやすく強引に言えば)

延々と続く、プランテーションのパーム椰子林というのは、なんだか不気味さを感じさせる。そういえば昨年クアラルンプールからマラッカに行ったときも、延々とパーム椰子林の間を抜けて行ったことを思い出す。
パーム椰子を植えたことで、湖の水質が悪くなり、外来種のエコール・クチン(猫の尻尾という意味)という藻が水中に生い茂り、○○(名前失念)という、汚染された所にしか生えない、丈の高い水草があちこちに群生し、かつてハスが咲き乱れることで有名だったこの湖から、ハスがかなり消えてしまったという。(今は時期外れ)

このチニ湖畔での調査は終わって、4/15の午後にクアラルンプールに戻る。ひどい土砂降りに雷で、えらく寒い。そういえば来たときも天気は悪かったなあ。

今日4/16でプロジェクトは終わり、4/17解散、それぞれ帰途につくのだが、私ともう一人、フィリピンの演劇人は、サラワクのクチンという町にある芸術系の学校でワークショップを頼まれていて、明日発つことになっている。アレンジしてくれたAPIフェローの人は、今日、一足先に現地入りし、明日空港に迎えに来てくれる予定。

4/20夜にまたクアラルンプールに戻ってきて、4/21インドネシアへ発つ予定。


マレーシア語、インドネシア語 メモ
インドネシア語(イと省略)とマレーシア語(マと省略)で、単語の違いをメモしておきます。

●砂糖もミルクも入らないお茶(ストレート・ティー)のこと

イ:teh tawar(味のないお茶)
マ:tea O (テーオーと読む)、tea O kosong, tea kosong

テーオーのオーって何だろうと思っていたら、「ゼロ」の意味らしい。それで、砂糖もミルクもゼロのお茶ということでテーオーらしいのだが、それだと、しばしばミルクなしだが砂糖は入っているお茶がくるので、どちらもないということを伝えたい場合はkosong(空)という語を付け加えたり、tea kosong(空のお茶)と言ったりするみたいだ。ここでも、ジャワ同様、お茶に砂糖は必須のようだ。しかし、ミルクを入れるのが普通というのは、明らかにイギリス支配の賜物だ。ジャワではミルク入りのお茶はない。ジャワにはミルクの屋台が夜に出るのだが、そこにはコーヒーミルクはあっても、ミルクティーはない。

●みぞれ菓子(果物や豆などが入る)
イ:Es Campur
マ:ABC(air batu campurのこと)

ジャワで混ぜ氷と言う意味のes campurに相当するのが、air batu campur。air batuもesと同様、氷という意味。

●すいか 
イ:semangka
マ:tembikai

他の、ありふれた果物の名称はだいたい同じみたいだが、すいかだけはなぜか、全然違う単語だ。