2011年07月06日 (水)
SIPA=Solo International Performing Artsの3日目、最終日。
ソロの芸大卒で王宮でも踊っていた私の数少ない友達が出演するので見に行く。私が「陰陽 ON-YO」というドゥエット作品を作ったときに、彼女に一緒に踊ってもらったのだ。彼女はそのときから付き合っていた同級生と結婚し、彼はマレーシアのコタキナバルで職を得たので移住してしまった。そして彼女はいまUniversiti Malaysia Sabahで舞踊を教えている。その生徒たちを連れて、彼女が振り付けた作品を上演するという、いわば里帰り凱旋公演。
典型的なジャワ伝統舞踊家だった彼女なのだが、話言葉がすっかりマレーシア訛りになっていて(インドネシア語もマレーシア語も同じ言語)、それに振り付けた内容もすっかりマレーシア現代ものになっていて(当たり前なのだが)、すっかり驚く!もう7,8年マレーシアに住んでいて、それだけ現地に溶け込んでいるのだろうけれど。
彼女の勤め先は芸術専門の大学ではなく、一般学生に舞踊を教えているので、ジャワ舞踊はやっぱり難しいらしい。というわけで、彼らの伝統舞踊(それも少ないみたいだが)の中から儀礼的なものをなるべくいろいろ勉強して、組み合わせて振りつけたという。釣鐘型みたいな舞台小道具があってそれが面白いと言ったら、それはやっぱり伝統儀礼で使うものなのだそうだ。
マレーシアの舞踊というわけで、私にとってはさほど面白くはなかったのだが(ごめんなさい、マレーシアの皆さん!)彼女の人生の軌跡がうかがえたことが何よりの収穫だった。彼女もがんばっているのだから、私も負けずにがんばらなくては、という感を新たにする。
ソロの芸大卒で王宮でも踊っていた私の数少ない友達が出演するので見に行く。私が「陰陽 ON-YO」というドゥエット作品を作ったときに、彼女に一緒に踊ってもらったのだ。彼女はそのときから付き合っていた同級生と結婚し、彼はマレーシアのコタキナバルで職を得たので移住してしまった。そして彼女はいまUniversiti Malaysia Sabahで舞踊を教えている。その生徒たちを連れて、彼女が振り付けた作品を上演するという、いわば里帰り凱旋公演。
典型的なジャワ伝統舞踊家だった彼女なのだが、話言葉がすっかりマレーシア訛りになっていて(インドネシア語もマレーシア語も同じ言語)、それに振り付けた内容もすっかりマレーシア現代ものになっていて(当たり前なのだが)、すっかり驚く!もう7,8年マレーシアに住んでいて、それだけ現地に溶け込んでいるのだろうけれど。
彼女の勤め先は芸術専門の大学ではなく、一般学生に舞踊を教えているので、ジャワ舞踊はやっぱり難しいらしい。というわけで、彼らの伝統舞踊(それも少ないみたいだが)の中から儀礼的なものをなるべくいろいろ勉強して、組み合わせて振りつけたという。釣鐘型みたいな舞台小道具があってそれが面白いと言ったら、それはやっぱり伝統儀礼で使うものなのだそうだ。
マレーシアの舞踊というわけで、私にとってはさほど面白くはなかったのだが(ごめんなさい、マレーシアの皆さん!)彼女の人生の軌跡がうかがえたことが何よりの収穫だった。彼女もがんばっているのだから、私も負けずにがんばらなくては、という感を新たにする。
2011年07月06日 (水)
2011年7月2日(公演期間は7/1-2)
Gedung Kesenian Jakartaにて
"Gandrung Eng Tay"
---Jakarta Anniversary Festibal IX-2011(6/3-7/1)---
デディ・ルタンDedy Lutanはジャカルタ芸大IKJでも教えている。私は彼と彼の奥さんのエリ・ルタンElly Lutanに2003年から師事していて、ジャカルタに行けば必ずスタジオに行く。
今回は、東ジャワの舞踊、ガンドゥルン・バニュワンギ(ガンビョン、タユッブ、レデッ、レンゲールなどと同様、女性が男性を誘って踊る舞踊)をベースに、インドネシアでも芸術愛好家にはよく知られた中国本土の恋物語「Sampek Eng Tay」を織り交ぜた作品、とあるのだが、リーフレットのどこを見ても「Sampek Eng Tay」がどんな物語なのか、書いてない!ガンドゥルンという舞踊の性質と、作品の雰囲気から、踊り子がはかない悲恋に悲しむ物語であることくらいは分かるが、「よく知られた物語」だけでは分からない観客もいるのだ!
実は私は彼の作品でバニュワンギに取材したものを1998年に見ていて、まだDedy本人を知る以前だったが、とても感動したことを覚えている。流しの踊り手のつらい人生がにじみ出てくるような舞台で、私がソロの舞踊ガンビョンを使ってこういう風に構成してみたいと思ったような作品テーマと構成内容になっていたので、ちょっと悔しく思ったりもしたのだった。その作品をさらに発展させるのだと言っていたので、今回も期待していたのだが、1998年の作品の方が良かったなあ、というのが正直な感想。
彼はインドネシアの各地方の伝統舞踊に取材して作品作りをする。今回も彼の舞踊団の人たちは東ジャワのガンドゥルンの名手に6か月習ったらしい。もちろんその東ジャワの名手の人たちも作品に出ている。ただ、今回は中国の話を織り込んでいるので、中国風の舞台美術(提灯がたくさん天井から吊ってある)に衣装があり、衣装や照明の多彩にあふれすぎる色彩、コンテンポラリ舞踊などさまざまな舞踊のシーンに加えて踊り手の人数の多さ…。なんだかいろんな要素が過剰にあふれていて、それぞれのシーンは美しかったり見事な舞踊だったりするのだが、作品冒頭に持ってきた一番肝心のガンドゥルンの伝統舞踊のシーンが、なぜか一番印象が薄かった。正直なところ、コンテンポラリ的な動きをしている他のシーンの方が印象が強かったのだ。
ガンドゥルンの踊り手がかなりの名手だということが分かったのは、作品の上演が終了し、カーテンコールや、フェスティバルのトリとして劇場支配人の挨拶など一通りのことが終わった後で観客を誘って余興的にガンドゥルンのシーンが展開したときだった。作品の中に組み込まれたガンドゥルン舞踊シーンと違って、本当に即興でやっているので、ものすごく生き生きとダイナミックに動く。作品中では、「もしかして床がすべるのが怖くてあまり動けないのではないか?」と私が思ったくらい、動きがセーブされていた。東ジャワの舞踊では白い靴下を履くので、素足で踊るのが前提になっているインドネシアの劇場舞台では下手すると滑ってしまうのだ。このカーテンコール以後のシーンがなかったら、私はこのバニュワンギの人が大した踊り手じゃないと思ったままだったろう…
Gedung Kesenian Jakartaにて
"Gandrung Eng Tay"
---Jakarta Anniversary Festibal IX-2011(6/3-7/1)---
デディ・ルタンDedy Lutanはジャカルタ芸大IKJでも教えている。私は彼と彼の奥さんのエリ・ルタンElly Lutanに2003年から師事していて、ジャカルタに行けば必ずスタジオに行く。
今回は、東ジャワの舞踊、ガンドゥルン・バニュワンギ(ガンビョン、タユッブ、レデッ、レンゲールなどと同様、女性が男性を誘って踊る舞踊)をベースに、インドネシアでも芸術愛好家にはよく知られた中国本土の恋物語「Sampek Eng Tay」を織り交ぜた作品、とあるのだが、リーフレットのどこを見ても「Sampek Eng Tay」がどんな物語なのか、書いてない!ガンドゥルンという舞踊の性質と、作品の雰囲気から、踊り子がはかない悲恋に悲しむ物語であることくらいは分かるが、「よく知られた物語」だけでは分からない観客もいるのだ!
実は私は彼の作品でバニュワンギに取材したものを1998年に見ていて、まだDedy本人を知る以前だったが、とても感動したことを覚えている。流しの踊り手のつらい人生がにじみ出てくるような舞台で、私がソロの舞踊ガンビョンを使ってこういう風に構成してみたいと思ったような作品テーマと構成内容になっていたので、ちょっと悔しく思ったりもしたのだった。その作品をさらに発展させるのだと言っていたので、今回も期待していたのだが、1998年の作品の方が良かったなあ、というのが正直な感想。
彼はインドネシアの各地方の伝統舞踊に取材して作品作りをする。今回も彼の舞踊団の人たちは東ジャワのガンドゥルンの名手に6か月習ったらしい。もちろんその東ジャワの名手の人たちも作品に出ている。ただ、今回は中国の話を織り込んでいるので、中国風の舞台美術(提灯がたくさん天井から吊ってある)に衣装があり、衣装や照明の多彩にあふれすぎる色彩、コンテンポラリ舞踊などさまざまな舞踊のシーンに加えて踊り手の人数の多さ…。なんだかいろんな要素が過剰にあふれていて、それぞれのシーンは美しかったり見事な舞踊だったりするのだが、作品冒頭に持ってきた一番肝心のガンドゥルンの伝統舞踊のシーンが、なぜか一番印象が薄かった。正直なところ、コンテンポラリ的な動きをしている他のシーンの方が印象が強かったのだ。
ガンドゥルンの踊り手がかなりの名手だということが分かったのは、作品の上演が終了し、カーテンコールや、フェスティバルのトリとして劇場支配人の挨拶など一通りのことが終わった後で観客を誘って余興的にガンドゥルンのシーンが展開したときだった。作品の中に組み込まれたガンドゥルン舞踊シーンと違って、本当に即興でやっているので、ものすごく生き生きとダイナミックに動く。作品中では、「もしかして床がすべるのが怖くてあまり動けないのではないか?」と私が思ったくらい、動きがセーブされていた。東ジャワの舞踊では白い靴下を履くので、素足で踊るのが前提になっているインドネシアの劇場舞台では下手すると滑ってしまうのだ。このカーテンコール以後のシーンがなかったら、私はこのバニュワンギの人が大した踊り手じゃないと思ったままだったろう…
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