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6月、IJIHに論文掲載
ジャワ宮廷女性舞踊の継承に関する私の論文がオンライン雑誌に掲載されました。

題 名:"Women's Dances from the Javanese Court"
雑誌名: International Journal of Intangible Heritage, vol.7, 2012, pp.77-97


以下のリンクからファイル (IJIH_Vol.7-5.pdf)をダウンロードしてください。

http://www.ijih.org/volumeMgr.ijih?cmd=volumeView&volNo=7&lang=ENG&manuType=02
6.16 日本演劇学会で土方巽の'70万博映像いただく
日本演劇学会大会2012年度大会
2012年6月16-17日
近畿大学

ただし、17日には夕方から友達の結婚式があり、連日の体調不良もあって17日は大会に出席せず。
それはともかくとして、大会で慶大の先生に以下のDVD付本をいただく。

『幻の万博映画「誕生」―アストロラマで踊る土方巽へ』
慶應義塾大学アート・センター Project Rebirth
2012年2月29日発行

1970年の大阪万博・みどり館で上演された、土方巽が踊る映像「誕生」の再生プロジェクトの記録。冒頭の北海道の硫黄山ではいずりまわる土方から、最後にボッシュの絵やイスラムのアラベスク模様に溶け込んでいく土方まで、アングラと未来志向が入り混じった妙な感じに圧倒される。実は動く土方を見るのは初めて。

ガスを噴き出す地獄の岩から生まれてくるようなイメージで始まるのに、最後には赤色が基調になって、炎、ビザンチンのステンドグラス、モスクのアラベスク模様、ボッシュの奇妙な楽園の絵などがどんどんオーバーラップして土方がその中に溶け込んでいくような感じで終わる。土俗の極地のような動きをしている割に、最後が西洋的な天上界のイメージにつながっていくのが不思議だ。

アストロラマというのは全周360°のドーム+天井に映像をつなげて映写する装置のようで、5台のカメラで撮影したものをスクリーンに投影する、というわけで、炎をバックに踊る土方が5体出てくるところは圧巻。まるで棟方志功の「釈迦10大弟子像」(人数は違うけど)に囲まれているように見える。これ、当時会場で見ていたら、かなり怖いかもしれない。
6/2-3 東南アジア学会大会
東南アジア学会第87回研究大会に出席
2012年6月2日(土)~3日(日)
京都文教大学(宇治)にて

プログラム内容
http://www.jsseas.org/conference/index.html

今回はパネル発表で『「お茶する」人々の文化誌』というのがあり、休憩時間には大学生と地元の宇治茶業界とのタイアップで水だし緑茶の試飲あり、発表者が提供するタイだかベトナムだかの「食用茶」の試食ありと、楽しい内容。ただし某教授は「宇治茶もいいけど、伏見が近いんだから、伏見の利き酒をやった方が学会員の集まりは絶対いいのに…」とぼやいてたけど。
6月の水牛
今月の高橋悠治氏のサイト「水牛」には、以下の記事を書いています。

http://www.suigyu.com/
→「水牛のように」コーナーへ
※2002年11月以降のバックナンバーも読めます。



1960年代のジャワ宮廷舞踊の録音

今月は「ジャワ舞踊家列伝」をお休みして、先月オランダで聞いた、ジャワ宮廷音楽の録音について書きとめておきたい。

オランダに行ったのは、ヘルシンキ演劇アカデミーTheatre Academy Helisinkiで開催された、アジアのアートとパフォーマンスについてのシンポジウムで発表したあとのついでである。欧州に行ったのは初めてなので、ここまで来たからにはオランダにも数日足をのばしてみようと思ったのだった。一番の目当てはライデン大学横にあるKITLV(王立オランダ東南アジア・カリビアン研究所)。

ここで、1963-64年に録音されたジャワのスラカルタ宮廷舞踊の録音を見つけ、コピー不可というので、2日間必死で全部聞く。スリンピ(4人で舞う女性宮廷舞踊)では「ラグドゥンプル」、「サンゴパティ」、「ガンビルサウィット」、「アングリル・ムンドゥン」、ブドヨと(9人で舞う女性宮廷舞踊)では「ドロダセ」がある。

このときの録音プロデューサーの1人がティルトアミジョヨとなっている。バティック芸術家の故イワン・ティルタのことだ。ティルトアミジョヨはコーネル大学に留学し、そこからインドネシアへと向かって、1963年にブドヨ・クタワンの調査をし、その報告を1967年にコーネル大学発行の雑誌『インドネシア vol.3』に書いている。ちなみに、このイワン・ティルタにくっついて入ったのがベネディクト・アンダーソンで、『想像の共同体』におけるジャワの権力観の考察で、ブドヨが取り上げられているのはそういうわけなのだ。以前、来日したアンダーソンにこの調査の経緯を聞いたら、「ブドヨ・クタワン」という舞踊があるという情報はイワン・ティルタが聞きつけてきたとかで、彼がスラカルタ宮廷でいろんな許可を取りつけてくれたので、自分は何も分からないままに彼にくっついた入っただけだと、話していた。

生前のイワン・ティルタからは、「ブドヨ・クタワン」以外に、「アングリル・ムンドゥン」の録音もしたという話を、私は聞いていた。事実、雑誌『インドネシア vol.3』に「アングリル・ムンドゥン」についてのレポートも掲載されている。(ちなみにその執筆者が、この録音のプロデューサーの1人。)しかし、その他にも録音したという話は聞いていなかったので、これは嬉しいサプライズである。もっとも、彼らが調査に入ったときの「ブドヨ・クタワン」の演奏がなかったのは残念だが…。

一部のCD盤には、宮廷での日曜の定期練習の時に録音したものだとメモ書きされているが、実はこの情報は図書館の目録には書かれていない。録音には音楽や歌などを指示する声も入り、リラックスした雰囲気が伝わってくるから、どの録音も練習のときに行われたと思う。当時の宮廷音楽リーダーはワルソディニングラットと目録にある。あのガムラン音楽伝書『ウェド・プラドンゴ』を書いた人である。

さて、その録音についてだが、わざわざオランダに来て、録音を聞いた甲斐あって、テンポが遅いことを発見!たとえば、「ドロダセ」の前半、グンディン・クマナ編成で演奏されるペロッグ音階の部分だが、現在の宮廷の録音CD(キング・レコード、KICC 5193)では1ゴンガン(大ゴングの音で区切られる1周期)の速さがだいたい22~23秒なのに対し、この1963年の録音では30秒なのだ。

この結果に私は半分は驚いたけれど、半分は予想通りだった。というのも、私は、宮廷舞踊の振付を本当に踊り込むには現行の宮廷のテンポでも速いと思っていたからなのだ。だから、私は2006年に「スリンピ・ゴンドクスモ」の完全版をスラカルタで上演したときに、敢えて、私が振付にふさわしいと思えるスピードで上演して(この公演については、水牛2007年4月号、5月号を参照。特にテンポについては、5月号に書いています。)、演奏者側からも、他の舞踊家からも、そして観客として来ていた音楽家や舞踊家たちからも一様にテンポが遅いと批判された。けれど、この時の「ゴンドクスモ」の録画をいま見直して、「ドロダセ」同様にグンディン・クマナ編成で上演される部分の速度を計ってみたら、1ゴンガン27~28秒だった。なんのことはない、1963年の演奏より、まだちょっと速いではないか!もっとも、この時、太鼓奏者(私の太鼓の先生でもある)は私の好みのテンポよりもちょっぴり速めに叩いたので、上演後に「ごめんね」と言ってくれた…。というわけで、この6年前の公演での私の解釈は間違っていなかったことになる。

現在の芸大スラカルタ校においては、宮廷音楽の演奏に関しては、マルトパングラウィットの教えが指針となっている。たぶん、スラカルタ宮廷でもそうだろうと思う。彼は、1969/70年から始まるスラカルタ宮廷舞踊の解禁――PKJT(中部ジャワ芸術発展プロジェクト)という国のプロジェクトの中で解禁された――の頃には宮廷音楽家のリーダーになっていて、重要な役割を果たした人で、ワルソディニングラットよりも若い世代である。

今回のオランダ滞在で、かつてマルトパングラウィットに音楽を習ったことがあるという人にも会って話を聞いたのだが、マルトパングラウィットは、スリンピやブドヨは戦いの舞踊なのだから、テンポは本来速くなければならぬという解釈の持ち主だったらしい。彼は、戦いの切迫感や臨場感を音楽で表現したかったのだろうが、舞踊の振付から見ると、そこまで戦いらしさを表現する必要もなかろうと、私は思う。

スリンピやブドヨには、戦いのシーンがある。ほぼ全部の作品にピストランというピストルで撃ち合うシーンがあり、また、パナハンという弓で射合うシーンがあるものもある。とはいえ、それらは、振付上の、取り合えずの枠組みに過ぎない、と私は思っている。一定の時間の流れの中で、踊り手の身体が何かを表現するには、ストーリーというか、何らかの展開の枠組み(起承転結とか序破急とか)が必要だ。それが、「ラーマーヤナ」などといった既存のストーリーに大きく乗っかれば舞踊劇となるけれど、その枠組みがより昇華・抽象化されると、「戦い=2つの異なるものの葛藤・対立、再統合・融合」だとか、「人が生まれてから死ぬまで」とか、「人はどこから来てどこへ行くのか」に収れんされていくのだろう。今挙げたような抽象的なテーマは、ジャワ芸術特有の哲学であるかのようによく言われるけれど、実は、意外に他の地域の舞踊や芸術でも言われていることで、つまり、舞踊という芸術が表現しやすいテーマの普遍的・根源的枠組みなんだと、私は思っている。

要は、スリンピやブドヨは、これは戦いですよということを説明的に描写するものではなくて、戦いというメタファを借りて、「何か見るに値するもの」を表現する舞踊だと思うのだ。その何かとは、ジャワ舞踊の場合、敵と向き合ったときの緊張感というよりも、自己に向き合っているときの、静止した時間(それほどにゆっくりと流れる時間)の中にある緊張感ではないかなと、振付を見る限り、思う。遅いテンポだから緊張感に欠けると、マルトパングラウィットは思ったかもしれないが、そうとは限らない。能など、おそろしくテンポが遅いが、誰も、緊張感に欠ける芸術だとは思わないだろう。ゆったりしたテンポは、ある瞬間をクローズアップするような効果を生み出すこともあり、またこの世と違う次元の時の流れを作り出すという働きもある。スリンピやブドヨでは、魚のように身体がうねるような動きが多い。そんな動きを十分に発揮させるためには、それなりにゆったりとした音楽のテンポを生み出すことが必要だ。でないと、舞踊が、追い立てられて行う体操のようなものになってしまう。

マルトパングラウィットが生きていたら、そんなことを訴えたかったなあと思う。

私が2006年の公演をした時に、「この公演のイラマ(※テンポのこと)は多数派とは言いがたいけれど、こういう可能性もあって良いと思った。自分たちは、マルトパングラウィットの教えを指針にしているけれど、そこに(従来になかった)彼独自の解釈が入っていなかったと断言することはできないのだから。」と言ってくれた人がいて嬉しく思ったと、水牛(2007年5月)にも書いた。でもこういうことを言ってくれる人は例外的である。あのとき、公演の場に居合わせたすべての人に、この録音を聞かせたいなあ、と思う。こういう風にテンポを解釈することも有りなんだよ(というか、実際にしていたんだよ)と、録音を聞けば信じてもらえるだろうから…。