fc2ブログ
 
11/3 京都で踊ります
下記の通り、京都で開催される国際交流イベントにて、ジャワ舞踊を踊ることになりました。
岡戸香里さんと1曲ずつ踊ります。
私は「ルトノ・パムディヨRetno Pamudyo」を踊ります。スリカンディが弓で敵を倒すお話です。

ご関心のある方のご来場をお待ちしております。

日時:2012年11月3日(土祝)13:10~13:40
会場:京都国際交流会館

イベント名:「オープンデイ」の「グローバルステージ」にて
※11:00~16:00まで、さまざまな民族音楽や舞踊の上演があります。
入場:無料

◆イベント・プログラム
→ http://www.kcif.or.jp/HP/jigyo/tabunka/jp/openday/2012/globalstage.html

◆会場アクセス:
京都市左京区粟田口鳥居町2-1
tel 075-752-3010 (代表)
地下鉄東西線・蹴上駅より徒歩6分

◆注意
宝ヶ池にある京都国際会館とお間違えのないように!私たちが踊るのは 蹴上にある国際交流会館です!
大槻堂 道成寺他見る
以下の公演を見に行ってきました。

行ってから気づきましたが、ぶっ通しで7時間の公演でした。のべ100人以上の出演です。どれも緊張感のある曲ばかりだったので、どっと疲れましたが、だいたい左右のお客さんを見ていると、自分の謡などの先生の出番を中心に、その前後を見るという感じでした。そうでないと気力が持たないですね…。

ちなみに以下に名前を挙げたのは、私が企画した2007年のインドネシアでの能の公演に行ってくださった方々。つまり能のシテはみんなそうでした。8人の能楽師さんのうち、6人が出演されていて、しかも、道成寺のシテの齊藤さんは、この曲の披きでした。この曲は能楽師さんにとっては卒業論文のような曲、一通りの修行を終えて、能楽師として新たなスタートを切るという意味があるのだそうです。清水さんは、インドネシアでの能のワークショップで「道成寺」の小鼓を披露してくださったのですが、いきなりそのことが脳裏によみがえってきました。

大槻秀夫氏23回忌追善別会
日時: 2012年10月13日(土)12:00~19:00
場所: 大槻能楽堂
主催: 大槻同門会


番組
・連吟(2曲)
・能「清経」
 シテ:武富康之

・仕舞(4曲)
---休憩 15分---

・仕舞(5曲)
・能「求塚」
 シテ:赤松禎英 太鼓:守屋由訓

・狂言「魚説経」
・独吟
・仕舞
---休憩 15分---

・能「道成寺」
 シテ:齊藤信輔 小鼓:清水皓祐 

「求塚」と「道成寺」の地謡:山本博通 

高橋悠治氏公演のお知らせ
いつも寄稿させていただいているサイト「水牛」の主よりのお知らせです。

高橋悠治50人のためのコンサート4
藤井貞和の短歌による新作『雪降りて/悲しみに』
如月小春によるポータブルシアター『トロイメライ』


10月13日(土) 午後2時開演 15分前開場
       午後6時開演 15分前開場
10月14日(日) 午後2時開演 15分前開場

場所:スタジオイワト
千代田区西神田3-8-5 ビル西神田1F 
JR水道橋/地下鉄神保町/九段下より徒歩7分
地図 http://www.studio-iwato.com/studio/map/index.html

出演 高橋悠治 楫屋一之 足立昌弥  辻田暁
撮影 植松眞人
制作 八巻美恵 平野公子
デザイン 平野甲賀

入場料3500円 学生3000円
予約先 haru@jazz.email.ne.jp 電話080 5452 3165

公演のお知らせweb
http://www.studio-iwato.com/studio/program/index.html#toTopspace

高橋悠治氏のサイト「水牛」
http://www.suigyu.com/
出演者写真
2012年9月29日 第4回観月の夕べ(岸和田、岸城神社)

公演後、出演者および阪井宮司とともに
写真提供:Ananto Wicaksono(向かって左端)

292757_4337571490054_1372073562_n.jpg

水牛「庭火祭 こぼれ書き」
今月も音楽家・高橋悠治氏のサイト「水牛」に下記の文を寄稿しています。他にもおもしろい文章がいろいろ読めますので、ぜひサイトで直接お読みください。なお、バックナンバーのコーナーで過去の記事(私の記事は2002年11月~)も全部読めます。

http://www.suigyu.com/ →「水牛のように」をクリック



庭火祭 こぼれ書き  冨岡三智

9月8日に、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校(以下、芸大と略)の一行とともに、島根県松江市は熊野大社の境内で開催された「庭火祭」 で公演を行うことができた。というわけで、今回はこの公演についてあれこれ書いてみたい。

実は、芸大を日本に招聘してスリンピ公演をし、自分も一緒に踊るというのは、芸大に初めて留学した時からの私の悲願であった。当時、そんな大 言壮語はできなかったが、やっと実現したので、ここに書く。でも、大望(大妄?)を抱いてから実現まで、16年もかかってしまった…。私の役 どころは主催者と芸大との間のコーディネート、兼・舞踊家、兼・添乗員といったところ。15人の団体を海外から招聘するには予算は多少厳し かったが、芸大の学長スラメット・スパルノ氏は最初からこの神社での奉納公演という趣旨と文化的背景に共感して、出演を快諾し、自分も行くと 言ってくれた。この学長の積極的な姿勢がなかったら、今回の公演は成功しなかったと思う。

スリンピを生演奏で完全な形で上演するというのは、私が最初から考えていたことだ。ジャワのスラカルタ宮廷では、王国の四方には国の安寧を加 護してくれる神々がそれぞれに坐すと考えられている。これをキブラッ・パパッとかパジュパッと呼び、瞑想のときにはこれら四方の神々に対して 祈る。宮廷舞踊スリンピは、4人の女性の踊り手が四方に対して同じ動きを繰り返し、神社でいう四方舞のコンセプトを体現している。それを日本 の人に、とりわけ、この熊野大社に集まる人々に知ってもらいたい。そのためには、現在は通例化してしまっているような短縮版ではなく、振付を 完全な形で上演したい、と私は思っていた。中でもこの「アングリル・ムンドゥン」を選んだのは、そのキブラッ・パパッが振付の中でもっともう まく表現されていて、クマナという宮廷舞踊特有の楽器を使っているから。クマナは一部の古い曲にしか使われず、みだりに演奏してはならないと スラカルタ宮廷では言われていたもの。この曲は現存のスリンピの中で最も古く、1790年に作られた曲で、雨を呼ぶと言われている。人智を超 えた不可視の存在への畏怖の念が最も伝わってくる曲で、熊野大社にはぜひともこれを完全版(約1時間)で奉納したかった。このスリンピ、雨を 呼ぶとされるのだが、前夜の雷雨にも関わらず当日は好天に恵まれた。熊野大社がある所は八雲町というくらいで、雲が多い、つまり雨が多いとこ ろらしく、毎年のように多少の雨には見舞われるらしいのだが…。日本に火をもたらしたという熊野大社に坐します神様は、ジャワの舞踊曲の霊力 に対抗して、その威力を示したのだろうか…。

それはともかく、ジャワ、特にスラカルタでは、本来の宮廷舞踊は長くて退屈だから、短縮上演するものだという意識が濃厚だ。それは1970年 代というモダニゼーションが発展した時代になって、はじめて宮廷舞踊が解禁されたという経緯によるものだ。その先鋒となったのが、宮廷舞踊の 解禁を要請したPKJTという国家プロジェクトであり、その路線を継承した芸大である。けれど、第一世代の人たちは、短縮化するために当然宮 廷舞踊を長い形で習ったわけで、今回日本に行った教員たちは、学生時代にそれを経験した世代である。

学長のスラメッ・スパルノ氏(専門は歌とルバーブ)によると、大学の卒業試験で当たったのが奇しくもこの「アングリル・ムンドゥン」で、1時 間くらいかかる完全版の歌詞を全部暗記させられたのだという。それくらい、当時は厳しい教育だったらしい。またこの公演に選ばれた学生による と、今でも芸大では音楽科の卒業試験の必須科目の1つにブダヤン(宮廷舞踊スリンピやブドヨの歌)があるとのこと。もちろんいまでは卒業試験 では短くしか上演しないが、そういうわけで今回の公演に参加できたことは非常に勉強になったと言ってくれた。

ところで、ガムラン楽器は拝殿前に壇を組んで置いたのだが、大ゴングが大しめ縄の真下にくるように設置したのは主催者のこだわり。また、踊り 手は神楽の舞殿でしばらく瞑想し、天女のごとく石畳(舞のスペース)の方に降りていってほしいという依頼も主催者からある。踊り手としてもこ の舞殿に上がることができたのは感激だった。当日は庭火祭の神事として、宮司の祝詞と舞殿での4人の少女による神楽と笛があって、そのあとス リンピが始まった。打ち合わせでは、神楽のあと舞殿の下にスタンバイということだったが、先頭の踊り手の人が舞殿まで上がってしまった。けれ ど、結果として私たち踊り手は舞殿の中で笛の音を聞くことになり、気持ちを統一することができた。プンドポもそうなのだが、こういう舞の空間 は音で満たされてこそ、より空間として生きる、という気がする。

公演の前半がスリンピで、後半はタユバン、つまり前半で供物(サジェン)としての舞いを見せ、後半で神人交歓の踊りをする、というのが本公演 の流れ。タユバンは踊り手が歌いながら観客を誘って踊るという、庶民のお祭りの踊りである。この流れは、宮廷が公演したのでは不可能で、芸大 だからこそできることである。タユバンでは、一番に学長に踊ってもらう、というのが私のリクエスト。学長はなかなかのタユバンの踊り手だとい う情報を得ていたから、ここはぜひとも踊ってもらわねばと思った次第。道中で聞いたのだが、学長は若いときは歌いながら踊るタイプの踊り手 だったそうで、芸大に入ってから音楽を専門にするようになったらしい。その理由は、演奏家のほうが年取ってもできるから…だそうだ。確かに。 本当はタユバンでは女性の踊り手が男性を誘うのだが、ここでは逆に男性が女性の踊り手を誘うという形にした。スリンピの踊り手たちには着替え る時間がいるので、時間をつないでもらう意図もある。

スリンピとタユバンの間に、グンディン・ボナン(器楽曲)と神楽歌とクマナおよびジャワの歌のコラボレーション。グンディン・ボナンも本当は 儀礼の開始の前に(前夜に)演奏するものだが、ここはスリンピを優先。また神楽歌というのは、熊野大社の鎮火祭で国造が舞うという百番の舞で 使われる音楽で、現在の琴の原型となった琴板という楽器を打ち鳴らしながら歌うもの。琴板というのは初めて見た。演奏は熊野大社の伶人の 方々。神楽歌の「アアアア、ウンウン」という発声を聞いていると、クマナの音同様、単調なだけにかえってその音自体の威力を感じる。

~~~

庭火祭は単なる公演イベントではない。出演団体には市内2か所の小学校で鑑賞会をすることが条件である。出演者は市内の農業研修者が宿泊する 施設に泊まり込み(4人1部屋)、ボランティアの人たちも一緒に泊まり込んで作ってくれた食事を食べる。だから、教育的な使命感があって、コ ミュニティとして関われる団体というのが条件なのだ。芸大に公演を依頼したのは、スリンピ完全版にタユバンも上演できて、さらに、こういう条 件に適っていたからでもある。

公演の翌日は、実行委員会の人たちの案内で出雲大社など松江市内を観光。熊野大社のあたりからだと車で1時間あまりかかり、意外に遠いと実 感。出雲大社は現在60年に一度の遷宮工事の真っ最中だったが、ちょうど結婚式を終えて記念撮影しているカップルがいたり、ご祈祷をしている 人があってその様子が見れたりと、生きている神社の姿が見れて良かったかなと思う。

帰りは夜中にバスで出て車中泊というスケジュールで、出雲から帰ったあと、旅館の休憩室のようなところで休憩させてもらう。ボランティアの人 たちがここにも最後に挨拶に顔を出してくれて、大感激。島根ではガムラン楽器の所有者である瀬古先生から一行に、琴のお土産がある。さっそ く、1人の先生が琴をシトゥルのようにして縦に置いて弾きはじめ、皆が歌を入れたりして、なんだか宴会みたいになる。日本の楽器とは思えない ジャワっぽい音色が出る。この先生は昔アメリカに留学したときに、授業で琴を習ったことがあるらしいが、それ以来全然やっていないので、すっ かり忘れたとかいいながら、さすがに器用に弾きこなす。夜中の11時にここを出発。こんな夜中にスタッフの方々に見送られて出発できるなん て、なんてありがたい。今回は結局他の場所での公演がなかったこともあり、一行は庭火祭のためだけに来日したのだが、ゆっくり松江の人々と交 流でき、町を見れたことは何よりの財産になったなあと思う。
観月の夕べ 公演写真
2012年9月29日 岸城神社(岸和田市)での公演の写真
~瞑想の旋律・流水の舞~


前半の楽しげな演奏。衣装もカラフルです。
P1050025 - コピー

後半が瞑想の舞踊(演奏者の衣装が落ち着いた色合いのものに替わっている点に注目!)
背後の階段にかけてある布は、私が着用しているものと同サイズのものです…
P1050035.jpg

背後の太鼓はだんじり用の太鼓です
P1050047.jpg

裾に巻き込んだバラの花が風圧で飛んでいます。
P1050032 - コピー
9/25 Essay on the Niwabisai performance
庭火祭(松江市熊野大社)でのスリンピ公演について書いた私の記事「Temu Konteks Sakral yang Sama di Luar Negeri (海外公演で同じ儀礼コンテキストに出会う」が、2012年9月25日、インドネシア、ジャカルタの日刊紙・千島日報(Qian Dao Ri Bao) J-2版に掲載されました。

new!
その元原稿をここにアップしておきます。
Tulisan bawah ini adalah naskah saya tentang pentas Niwabisai, yang terkirim ke koran harian Qian Dao Ri Bao tertgl.25 September 2012.
The following is my original essay on the Niwabisai performance sent to the daily Qian Dao Ri Bao newspaper dated 25 September 2012.



Temu Konteks Sakral yang Sama di Luar Negeri

Penulis: Michi Tomioka
peneliti Osaka City University, Urban Research Plaza


Institut Seni Indonesia (ISI) Surakarta sukses mengelarkan tari upacara yang berjudul Srimpi Anglirmendhung secara utuh (1jam) pada tgl.8 September di halaman Kumanotaisha, sebuah pura agama shinto di kota Matsue, Shimane, Jepang.

Lebih dari 1000 orang penonton yang duduk di tikar tipis atas kerikil di halaman pura tidak mau meninggalkan tempat di tengah pentas, namun tari upacara ini cukup panjang dan monoton, apalagi situs ini tidak tertutup dan bebas keluar masuk. Hal ini lain dengan pentas Niwabisai sebelumnya, kata beberapa staf panitia.

Setiap tahun sejak 1992, kelompok musik & tari etno diundang dari luar negeri untuk mempersembahkan pentas tunggal kepada dewa api yang menduduki kediaman Kumanotaisha. Panitia didukung oleh banyak pihak di setempat seperti ikatan anggota paroki (parishioner) Kumanotaisha, pemerintah daerah, asosiasi tourism, dsb.

Namum acara baru, Niwabisai tetap diawali upacara shinto, yaitu doa pendeta dan tari kagurai sakral oleh 4 penari gadis. Habis tari kagura, 4 penari srimipi yang muncul di panggung guna tari kagura, bermeditasi, dan turun ke halaman persis depan gedung utama, seolah-olah bidadari turun dari langit.

Ada kesamaan antara kedua tarian sakral: tari kagura dan tari srimpi, yaitu konsep ”kiblat papat (empat kiblat)”. Sebelum mulai pentas, saya: Michi Tomioka mengumumkan hal itu kepada para penonton, atas permintaan panitia. Menurut panitia, penonton senior di tempat tidak puas dengan sekedar tontonan, sebaliknya ingin dapat pengetahuan baru juga. Penjelasan setiap nama dewa/dewi yang menduduki 4 kiblat, konsep kosmos di Jawa ternyata menyenangkan hati penonton, kata panitia.

Kalau dipentaskan dalam versi pemadatan, konsep kiblat papat tidak akan ditangkap secara sempurna. Konsep tari sakral tidak begitu diberi perhatian dalam sejarah perkembangan tari di Indonesia, dimana keaneka-ragaman perbendaharaan diorientasikan, seperti seni pertunjukan Barat. Sedangkan, unsur simetri dan monoton yang terulang berkali-kali tidak bisa lupas dari suasana magis. Penonton di Shimane tidak mau meninggalkan tempat, karena mereka menemukan nilai yang sama dalam tari srimpi dengan kesenian sakral yang mereka miliki. Hal ini disampaikan kepada Michi oleh tidak sedikit orang anggota panitia sekaligus para penyaji sendiri juga, waktu penutupan acara malam ini.

Shimane, yang terletak di pinggir tanah Jepang, telah menjadi daerah yang pradaban paling maju sampai kurang lebih abad ke-7. Meskipun kerajaan Kaesar menguasai politik duniawi di tanah air jepang, daerah Shimane tetap menguasai kekuatan magis sampai sekarang.

Pura Kumanotaisha terletak di desa Yakumo, yang berarti banyak awan (mendung). Nama daerah ini sudah ditemukan dalam koleksi puisi atau koleksi mitos yang disusun pada abad ke-7. Sedangkan, Srimpi Anglir Mendung yang diciptakan pada tahun 1790 dipercaya mendatangkan awan di Keraton Surakarta. Situs pentas bersejarah ini tidak sama sekali kalah dengan tari Jawa yang magis.

Sudah diketahui dari yang tersebut di atas, penonton di Shimane pada khususnya, atau orang Jepang pada umumnya, cenderung menghargai kesenian sungguh sakral dan bersejarah. Kesakralan tari Srimpi Anglirmendhung diungkapkan mellalui koreografi utuh oleh para penyaji yang mewariskan kesenian tersebut. 9 dosen dari 13 anggota rombongan ISI Surakarta telah terlibat di proyek negara: PKJT (Pusat Kesenian Jawa Tengah ), dimana tari srimpi, tarian pusaka Keraton Surakarta diizinkan masyarakat Indonesia untuk belajar. Michi Tomioka, yang ikut menari srimpi sekaligus berperan sebagai koordinator, telah belajar di dalam maupun luar Keraton Surakarta selama 5 tahun, kemudian mengadakan proyek penggalian tari srimpi dan bedhaya kerjasama dengan ISI Surakarata (tahun 2006-2007).

Program malam ini terdiri dari 2 bagian besar. Setelah tari srimpi sebagai sajian kepada dewa, ada tari pergaulan antara dewa dan manusia (tari tayub), dan kedua bagian disambung dengan musik instrumen gamelan dan musik kolaborasi dengan pemusik abdi dalem Kumanotaisha.

Dalam upacara Shinto, kesenian merupakan sebuah sesaji sekaligus media komunikasi antara dewa-dewi dan manusia.Tayuban yang dibuka oleh tarian Bapak Slamet Suparno, Rektor ISI Surakarta dan Bapak Salim, dilanjutkan oleh Bapak Bambang Soegianto, Konsul dari KJRI Osaka, kemudian ketua panitia, 3 orang penari srimpi..., akhirnya penonton juga diajak. Michi yang memberi narasi supaya mengenalkan para tokoh-tokoh yang ikut menari tayuban. Menurut panitia, penduduk di daerah ini sangat konservatif, maka sulit diajak bergaul. Namun demikian, mereka kelihatannya cukup berani menari bersama, dari pengamatan Michi.

Meskipun kepercayaan orang Jawa terhadap Srimpi Anglirmendhung, tidak hujan sama sekali pada hari pentas. Dalam sejarah Niwabisai selama 20 tahun, hal ini sangat luar biasa. Sebagai terlihat dari nama daerah, Yakumo terkenal dengan banyak hujan. Ternyata rombongan dari Indonesia sukses menyenangkan hati dewa api di tanah Yakumo, sekaligus hati masyarakat di sekitarnya. Melalui pengalaman pentas ini, kedua pihak: tuang rumah di Shimane sekaligus tamu dari Indonesia berhasil menemukan konteks upacara sakral yang sama yang diwariskan di negara masing-masing. Pertukaran budaya semacam ini diharapkan sebagai tahap yang berikut dari tahap sekedar tontonan.

庭火祭について~Meniek寄稿文
今回の庭火祭ツアー(ISI Surakarta)にはインドネシアからフィルムプロドゥーサーでクルタガマ芸術文化財団のムニッさんも同行しました。彼女の庭火祭公演のレポートが届きましたので、公開します。インドネシア語です。

Ini merupakan sebuah esay oleh mbak Menik, salah satu pengurus Yayasan Kertagama sekaligus produser film, yang ikut tour kami untuk menyaksikan pentas Niwabisai di Shimane, Jepang. Terima kasih kontribusinya, mbak!

The following essay was written by Ms Meniek, who was one of the management board of the arts and culture "Kertagama" Foundation, and followed our tour from Indonesia to observe the Niwabisai Concert held in Shimane, Japan. Thank you for your contribution, Meniek!



Tari Srimpi Anglir Mendhung
20th Niwabisai Festival 2012
Matsue, Shimane, Jepang

Meniek Soerjosoetanto


Perpaduan yang sangat unik Tari srimpi dengan latar belakang sebuah Kuil tradisional Jepang, Kumanotaisha.

Tari dari kata bahasa Jawa ”beksa”, “ambeg” dan “esa”, artinya orang yang akan menari haruslah benar-benar menuju satu tujuan, yaitu menyatu jiwanya dengan pengungkapan luluhnya wujud gerakan-gerakannya. Seni tari adalah ungkapan yang diekspresikan melalui gerak-gerak organ tubuh yang ritmis, indah mengandung kesusilaan dan selaras dengan gending sebagai iringannya.

Seni tari merupakan bagian budaya bangsa sudah ada sejak jaman primitif, Hindu, Islam, sampai sekarang. Bahkan tari tidak dapat dilepaskan dengan kepentingan upacara adat sebagai sarana persembahan.

Atas undangan dari Panitia “The 20th Niwabisai 2012 Festival, bertempat di Kumanotaisha (The Grand Shrine of Kumano), Yakumo-Cho, Matsue, Shimane, Jepang. Grup penari dan pengrawit dari ISI Surakarta, dengan koordinator sekaligus penari Ibu Michi Tomioka, telah berpentas, mengadakan workshop, serta berkolaborasi dengan grup kesenian sakral dari Kumanotaisha.

Kumanotaisha festival disebut 'Niwabisai' berlangsung setahun sekali pada hari Sabtu di bulan September. Tahun ini festival berlangsung pada hari Sabtu tanggal 8 September 2012 telah menampilkan Tari srimpi dari Indonesia. Panitia mengundang grup seni dari luar negeri setiap tahun dengan jumlah penonton lebih dari 1,500 orang.

Sedangkan workshop sesi pertama diadakan di SD Yakumo dengan jumlah peserta dari kelas 1 sampai kelas 6, sebanyak 350 anak. Workshop sesi kedua diadakan di SD Tamayu dari kelas 1 sampai kesas 6 dengan jumlah peserta 200 anak.

Adalah sebuah kebanggaan bagi Indonesia karena panitia menyetujui pentas secara utuh tanpa diperpendek, tari serimpi Anglir Mendung yang bersejarah. Tari Serimpi dianggap sebagai tarian yang sakral akan berpentas di sebuah Kuil yang sangat kaya dengan tradisi Jepang kuno dan suci. Pemilihan ini berdasarkan kriteria bahwa mereka hanya mempersembahkan kesenian yang bermutu sangat tinggi dan dianggap sebagai sebuah seni klasik yang tidak komersial.

Tampilnya grup tari srimpi dari ISI Solo adalah jasa baik dan usaha yang tak kenal lelah yang telah dilakukan oleh Michi Tomioka.

Michi Tomioka adalah salah satu peneliti tari dan penari dari Jepang yang sudah lama mempelajari seni tari di lndonesia khususnya tari srimpi dan bedhaya gaya Surakarta. Sebagai seseorang dari Indonesia saya sangat bangga dan berterima kasih atas dedikasi ibu Michi terhadap warisan seni budaya Indonesia yang adiluhung ini.
Michi Tomioka juga memberi presentasi dan chairman dalam “Tourism in Asia” di 22nd Conference of IAHA (International Association of Historians of Asia di Surakarta, pada awal Juli yang lalu. Hal ini menujukkan bahwa seni tari khususnya Srimpi Anglir Mendhung dan gamelan telah menarik minat kaum intelektual di Jepang untuk mengenal dan mempelajarinya secara serius.

Peserta seniman adalah Michi Tomioka dari Jepang bersama grup ISI Surakarta yang diketuai oleh Rektor Prof.Dr. Slamet Suparno.

Tari srimpi adalah salah satu jenis tari klasik dari kerajaan Mataram yang selalu dibawakan oleh 4 penari, karena kata srimpi adalah sinonim bilangan 4. Keempat penari puteri srimpi ini melambangkan empat mata angin, empat unsur dari dunia yaitu Grama (api), Angin (udara), Toya (air) dan Bumi (tanah), serta melambangkan terjadinya manusia, sedangkan komposisi segi empat melambangkan tiang Pendopo.

Nama srimpi dikaitkan ke akar kata “impi” atau mimpi. Menyaksikan tarian lemah gemulai sepanjang 3/4 hingga 1 jam itu sepertinya orang dibawa ke alam lain, yaitu alam mimpi.
Tari Srimpi Anglir Mendhung adalah tari srimpi yang paling sakral ciptaan Mangkunegara I pada tahun 1790 sebagai tari bedhaya dan dipersembahkan ke Keraton Surakarta. Menurut mitos tari srimpi tersebut bisa mendatangkan hujan.

Jaman kuno, niwabisai atau upacara api unggun dilakukan pada malam hari untuk persembahan seni tari kepada para dewa.Festival Niwabisai merupakan upaya untuk menghidupkan kembali semangat tradisi kuno. Festival Niwabi-sai pertama kali diadakan pada tahun 1993 dengan menampilkan Indian Music dari India.

Sebagai orang Indonesia saya sangat bahagia dan bangga karena salah satu anggota panitia ada yang mempunyai gamelan Jawa, disana ada kegiatan latihan gamelan.

Ini menujukkan bahwa perhatian masyarakat Jepang terhadap kesenian Indonesia khususnya kesenian Jawa itu sangat tinggi.

Sehingga panitia memberi kesempatan kepada Indonesia untuk tampil ketiga kalinya pada ulang tahun festival Nawabi-sai yang ke-20, ulang tahun ke-10 di tahun 2002 dan tahun 1994 dengan menampilkan musik Gamelan Jawa.

Perayaan ini sangat bagus untuk mewarisi dan mewariskan tari tradisionai sebagai “Art Heritage, hal ini sesuai dengan semangat pecinta seni Indonesia untuk ”Mengangkat nilai adiluhung filosofi seni tari srimpi sebagai warisan budaya unggulan dalam membangun kejayaan dan kemakmuran Indonesia.”

Saya sangat terkesan dengan adanya pertukaran seni dan kolaborasi antara Jawa khususnya Solo dan Shimane, dimana keduanya merupakan kota kuno yang masih mempertahankan seni, budaya dan tradisi yang masih dianggap sakral oleh masyarakatnya.

Saya sangat senang karena orang Jepang sangat mengapresiasi seni Indonesia, hal ini terlihat pada saat pentas dan workshop di SD, anak-anak, guru-guru terlihat sangat bersemangat dan gembira menari bersama dan mencoba gamelan.

Pada umumnya masyarakat Jepang sangat senang dan menghargai dengan seni budaya tradisional, klasik, dan bermutu tinggi.

Saya sangat memuji hasil kerja keras panitia yang telah bekerja sebagai relawan secara gotong royong dalam menyelenggarakan acara ini, tentu tidaklah sia-sia, karena pentas ini telah berhasil dilaksanakan dengan sukses.

Saya sangat berterima kasih atas sambutan yang luar biasa, makanan yang sangat enak, keramah tamahan dalam menjamu kami, dimana masyarakat disini masih menjujung tinggi tradisi.

Diundangnya Indonesia dengan menampilkan tari Srimpi Anglir Mendhung pada The 20th Nawabi-sai Festival 2012, di Jepang ini adalah even yang penting dan merupakan kebanggan bagi Indonesia.

Penampilan Indonesia untuk ketiga kalinya menunjukkan bahwa gamelan dan tari srimpi sangat dihormati di Jepang serta sangat layak untuk tampil di pentas dunia.

Tidak hanya sebagai seni pertunjukan namun sebagai media dialog interaktif, dengan adanya workshop di sekolah membuat seni tari khas Indonesia semakin diminati di Jepang.

Bagi seniman Indonesia, festival ini telah memberikan kontribusi yang cukup signifikan bagi perkembangan seni tari dan gamelan, sehingga kegiatan ini terus ditunggu oleh para seniman Indonesia yang ingin terus berkembang dan maju di tingkat dunia.

Festival ini juga sangat berguna untuk meningkatkan apresiasi masyarakat Indonesia-Jepang terhadap seni budaya Jepang yang klasik dan bermutu tinggi dan tari srimpi dari Indonesia.

Akhir kata, saya berharap di masa yang akan datang agar lebih ditingkatkan pertemuan para intelektual seni dari kalangan perguruan tinggi Indonesia dan Jepang, sebagai sarana dialog, kolaborasi, bertukar wawasan, sarana pendorong aktivitas seniman gamelan dan tari Indonesia – Jepang agar terpacu bekerja sama lintas budaya.