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3/31こんにゃく作り
DSCF9210こんやく

DSCF9209こんにゃく

よく手作りのこんにゃくを手土産に持ってきてくれるSおじさんが、本日はコンニャク芋1個とこんにゃくの作り方を書いたメモを持って訪問。メモだけでは分からないところもあるので、暇そうなのを幸いに、こんにゃく作りを横で指南してもらうことに。

この人の里ではどこも家でこんにゃくを手作りするものらしく、失敗するほうが難しいらしいのだが、やっぱり、作るのを全然見たことがない人には難しい気もする。普通の手作りこんにゃくはボール状にまとめるけど、家に卵豆腐や真薯(しんじょ)を作るのに使う型があるので、それに流しこんで四角いこんにゃくを作る。ちょっと水が多かったせいもあるけど、柔らか目。もっともこの人の作るこんにゃくはいつも柔らか目なので、そういうレシピかも。薄く切って刺身こんにゃくにし、わさびじょうゆや酢味噌で食べる。

S氏の話では、いろんな人に教えても、面倒くさいとギブアップする人もいるらしいが、たぶんパン作りより簡単だ。それに粘土をこねているみたいで、無心になれるのも良し。「癒しのこんにゃく作りワークショップ」とかやるのも良いかも。
インドネシアの黒魔術についての記事
昨年12月と今年3月に、なぜかインドネシアの黒魔術についての記事が新聞に出ている。昨今のインドネシア進出ブームが背景にあるのだろう。

2012年12月10日、日経ビジネス:記者の眼
北爪匡「ジャカルタの黒魔術師 あえて異文化を受け入れてみよう」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121206/240637/?rt=nocnt

2013年3月14日、朝日新聞
郷富佐子「黒魔術 今も 呪い?体内から釘や貼り8本 インドネシア」 
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201303130809.html

この2つの記事を読んで少し違和感がある…。黒魔術という語を使っているけれど、記者が取材した相手たちは、この語(あるいは英語のblack magic)を自ら使用したのだろうか?この記事からは、

1.  被取材者が、初めから「これはblack magicだ」と記者に説明した(自分の理解する概念は完全にblack magicだと思っている)のか

2.  被取材者は別の単語で説明したが、同時に、外人の記者に分かりやすいように「これは英語で言えばblack magicのようなもの」と説明した(多少はblack magicと違う可能性もある)のか、

あるいは
3.  被取材者が別の単語で説明したが、記者が「これは黒魔術だ」と合点したのか、

が、不明なのだ。紙面のスペースの関係で語を黒魔術で統一しても良いけれど、1~3のどういう状況で語られた内容だったのか、2と3の場合なら、インドネシアで語ではどう言うのかは最初に言及してほしい。でないと、これらの記事が、なんだか胡散臭く感じられてしまう。

ついでに、私が呪術師に対する呼び方について書いたエッセイがあるので、そのリンクも挙げておく。私自身はジャワ人がblack magicという語を使って説明するのを聞いたことがない。(もっともインドネシア語で話をするからかもしれないけど)

サイト「水牛」2011年10月号バックナンバー
「ジャワの宗教、信仰、呪術」冨岡三智
http://www.suigyu.com/sg1110.html#11
水牛2013年3月号
高橋悠治氏のサイト「水牛」に今月は「ジャワの二方位、四方位」を寄稿しています。同じジャワの王宮でも、ジョグジャでは南北軸が、ソロでは東西南北の世界観が重視されているというお話。

http://www.suigyu.com/
  ↓
「水牛のように」コーナーをクリック
※「水牛」には2002年11月からほぼ毎月寄稿しています。バックナンバーもすべてサイトで公開されています。


ジャワの二方位、四方位

ジャワには、南北軸二方位の世界観と、東西南北の四方位を重視する世界観の2つがあって、二方位のほうはジョグジャカルタ(ジョグジャ)で、四方位のほうはスラカルタ(通称ソロ)で重視されている。どちらも新マタラム王国が分裂(1755年)してできた王都なのに、違う方位観を持っているのは、それぞれの都市の地理的要因に影響されているからだろう。もっとも、古マタラム王国は今のジョグジャの地域で興ったから、後でも述べるように、そちらの方位観の方が基本だろうと思う。ちなみに、ソロは新マタラム王国の最後の、ということはつまり、ジョグジャとソロに分裂する直前の王都である。(マタラム王国では内乱が続発したので、何度も遷都している。)

以前放映されたNHKスペシャル「アジア古都物語―ジョグジャカルタ―」でも二方位観が取り上げられていたが、北のムラピ山という活火山と南のインド洋を結ぶ中軸の中心に王宮があるというのが、ジョグジャの方位観で、ムラピ山に棲む荒ぶる男神と南海に棲む女神ラトゥ・キドゥルがマタラム王国を守護していると信じられている。だからこそ、近年起こったジャワ島中部地震やムラピ山噴火によって都市ジョグジャが被害をこうむると、ジョグジャの王があまりに開発を優先しすぎたからだとか、急激なイスラム化を南海の女王が不快に思っているからだとかいう噂が流れることになる。

この北に山、南に海というのは、わりとポピュラーな方位観ではないだろうか。バリ島ではどこにいても島の中心のグヌン山が北になるとよく言われるのに、バリ島の方位観の説明で使われる地図は必ずバリ島南部のもので、北にグヌン山、南に海が描かれている。それは、北から南に土地が開ける方が自然だという感覚がどこかしらあるからだと思う。

それに対してソロでは、北のクレンドワホノの森、南のインド洋、東のラウ山、西のムラピ山が、中心にある王宮を取り囲み、それぞれの地にはカンジェン・ラトゥ・バタリ女神(北)、ラトゥ・キドゥル(南海の女王の意味)ことカンジェン・ラトゥ・アユ・クンチョノ・サリ女神(南)、マタラム王朝の祖先神=男神(東)、カンジェン・ラトゥ・スカル・クダトン=男神(王宮の神の意味、西)が棲んでいて、王国を守護しているとされる。

このうち、ムラピ山とインド洋はどちらの世界観にも共通するから、どちらもマタラム王国には重要なアイテムのはずだ。南海については、マタラムの代々の王はインド洋に棲む女王と結婚して王権の正統性を得たとされるのだが、実はソロは内陸部にあるので、南が海というのはちょっと無理がある。それに、ムラピ山についてはソロでは西の山になっている――ソロはジョグジャの東側にあるから当然な――のだが、北山・南海という世界観に比べて、南の海と西の山に護られた王国というのも変だ。最初にジョグジャの方位観の方が基本だろうと言ったのは、そういうわけなのだ。

ところで、ソロの四方位で東のラウ山にマタラムの祖先神が棲んでいるとされるのは、ラウ山麓に有名なチャンディ・スクーやチャンディ・チェトといったマジャパヒト王国末期のヒンドゥー遺跡があるからだろう。マタラム王国はマジャパヒト王国の後継者ということになっている。ちなみに、ラウ山も昔は活火山だったらしい。実は、南海岸やソロの王宮では緑の服を着てはいけないと言われるが、ソロの王族で90歳を過ぎて着付の大御所である人によれば、本当に緑の服を着てはいけないのは、ラウ山だという。緑はラトゥ・キドゥルと関係があるのではなくて、霊的な場所で着てはいけないのだという。20世紀初めにオランダ人が書いた文章にも、ラウ山で緑の服を着てはいけないことが書かれている。

もう1つ、クレンドワホノの森に棲んでいるバタリは、ヒンドゥー教の戦いの女神ドゥルガのことである。マタラム王国では南海の女神のラトゥ・キドゥルがフィーチャーされる一方、バタリのことはほとんど言及されないが、ソロの王宮にはバタリに供物を備えるマエソ・ラウンという儀礼がある。ワヤンで、森を通る見目麗しい武将(アルジュノなど)が森の羅刹(チャキル)に邪魔され戦いになるというシーンがあるが、その森こそがクレンドワホノで、チャキルは実はバタリの手下なのだ。ヒンドゥー時代のジャワにはドゥルガの石像も造られて信仰の対象となっていたのに、なぜ、彼女は羅刹の親玉ごときに矮小化されてしまったのだろうか。それについて、私は次のように考えている。ソロの王パク・ブウォノVI世は、ジョグジャの王子ディポネゴロが起こしたジャワ戦争(反オランダ戦争)に加担し、アンボン島に流刑されたが、VI世はこのクレンドワホノの森で霊的な修行をしながら、ディポネゴロと連絡を取り合っていたという。そのため、ソロ王家は、宗主国オランダに反逆者であるVI世のことを思い出させないよう、バタリの霊力を貶めるように位置づけたのではなかろうか…。このクレンドワホノの森の霊力は強くて、強い霊力が宿った楽器を調律するには、この森に持ってくるのだと聞いた。この森に一晩だか放置しておくと、楽器は勝手に調律されているのだそうだ。

ということで、ジャワの二方位であれ、四方位であれ、そこには古代からヒンドゥー時代に培われた荒ぶる霊的な自然への畏怖心が込められている。そして、王はこのような自然を総べる存在であり、だからこそ、ソロの王はパク・ブウォノ(世界の釘の意味)を、ジョグジャ王はハメンク・ブウォノ(世界を総べるの意味)を、称号としている。