2013年04月28日 (日)
4月27日 京都 都メッセで開催されているアートフェアに母と行く。
かつて私が働いていたK百貨店美術部の人(この人もいまは元K)、その取引業者さんらが多く出店。
かつて私が働いていたK百貨店美術部の人(この人もいまは元K)、その取引業者さんらが多く出店。
2013年04月28日 (日)
4月27日(土)18:00~
奈良市中部公民館にて
日本・インドネシア友好協会奈良の総会に出席
今までブランクがありましたが、再入会しました。
奈良市中部公民館にて
日本・インドネシア友好協会奈良の総会に出席
今までブランクがありましたが、再入会しました。
2013年04月21日 (日)
4月21日 毎日新聞奈良版で報道されました。

奈良県五條市にて5月より以下の講座を開講します!
ビジネス実践インドネシア語講座
In 五條 源兵衛
会場:
レストラン 五條 源兵衛 2階
奈良県五條市新町通り、駐車場あり
http://genbei.info/index.html
日時:
月2回予定、14:30-16:00※
五條 源兵衛さんの営業時間外を利用して開講しますが、受講者により、日時は後日決定しますので、まずはお問い合わせください。昼食や夕食時間帯に合わせての開講も考えられます(食事代は別途)
料金:1回5,000円(お茶付)

インドネシアは最近経済成長が著しいですね。私も初めてインドネシアに行ったのが平成元年。以後、長期滞在だけでも留学2回に、調査2回…。毎回来るたびに、違う国に来ているかのような錯覚がおこります。
インドネシアと日本でジャワ舞踊の公演や共同制作や交流事業をしてきて、また企業からインドネシアに赴任する方々の語学講師もしてきた私ですが、このたび、地元で上記のような講座を始めることになりました。今年はいつになく地元に目を向け(笑)、地元からインドネシアへの発信をしたいなと思います。インドネシアの人口は2.4億人、加えてマレー系民族を抱える国(マレーシア、ブルネイ、シンガポール)で通じます。すでに目の前にこれら地域出身の人がいる方々、これからアジアで何か事業(ビジネスでも文化事業でも)やれそうだと思っている方々、何か因縁や使命を感じる方々が対象です。
歴史と伝統の宝庫・奈良にある地域事業や文化を国際的に発信することに重点を置き、重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区「新町」にあるレストラン「五條 源兵衛」を舞台に、実践的な語学講座を開催します。五條 源兵衛は地元野菜のおいしいレストランで(とはいえ、開講予定時間は食事時間を外してますが)、自分たちの足元にある文化資源をしっかり踏まえて、発信・交流するにはふさわしい拠点です。奈良県南部内外からの参加を想定してますが、東京からも夜行バス1本で来れますよ!

奈良県五條市にて5月より以下の講座を開講します!
ビジネス実践インドネシア語講座
In 五條 源兵衛
会場:
レストラン 五條 源兵衛 2階
奈良県五條市新町通り、駐車場あり
http://genbei.info/index.html
日時:
月2回予定、14:30-16:00※
五條 源兵衛さんの営業時間外を利用して開講しますが、受講者により、日時は後日決定しますので、まずはお問い合わせください。昼食や夕食時間帯に合わせての開講も考えられます(食事代は別途)
料金:1回5,000円(お茶付)

インドネシアは最近経済成長が著しいですね。私も初めてインドネシアに行ったのが平成元年。以後、長期滞在だけでも留学2回に、調査2回…。毎回来るたびに、違う国に来ているかのような錯覚がおこります。
インドネシアと日本でジャワ舞踊の公演や共同制作や交流事業をしてきて、また企業からインドネシアに赴任する方々の語学講師もしてきた私ですが、このたび、地元で上記のような講座を始めることになりました。今年はいつになく地元に目を向け(笑)、地元からインドネシアへの発信をしたいなと思います。インドネシアの人口は2.4億人、加えてマレー系民族を抱える国(マレーシア、ブルネイ、シンガポール)で通じます。すでに目の前にこれら地域出身の人がいる方々、これからアジアで何か事業(ビジネスでも文化事業でも)やれそうだと思っている方々、何か因縁や使命を感じる方々が対象です。
歴史と伝統の宝庫・奈良にある地域事業や文化を国際的に発信することに重点を置き、重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区「新町」にあるレストラン「五條 源兵衛」を舞台に、実践的な語学講座を開催します。五條 源兵衛は地元野菜のおいしいレストランで(とはいえ、開講予定時間は食事時間を外してますが)、自分たちの足元にある文化資源をしっかり踏まえて、発信・交流するにはふさわしい拠点です。奈良県南部内外からの参加を想定してますが、東京からも夜行バス1本で来れますよ!
2013年04月20日 (土)
日時: 2013年3月15日(金)15:00-19:15
場所: 小金井市民交流センター
TALKING CAFE 2013 アート×学校
―2012年度小金井アートフル・アクション!の実践―
http://chateau2f.com/news/index.php?itemid=49
事業成果報告を聞きに行く。特にお目当てはセッション4の岩井さんで、彼もAPIフェロー。他に何人かAPIフェローが集まり、なんだか異様な壁を形成していたような…
session 3 [17:30-18:15] から参加
学校とアーティストのコラボレーション2 ―視点を見つけること
日下美和(小金井市本町小学校教諭)
×岩井優(アーティスト)×福住廉(美術評論家)
session 4 [18:30-19:15]
認め合い、学び会うために ―未来の移民たちとともに
岩井成昭(アーティスト)
3月16日(土)昼から黄金町エリアマネジメントセンター(横浜)へ。
目的はインドネシアから来たキュレーター、Antariksaに会うこと。
黄金町のセンターの人ともごあいさつし、彼と旧交を温め、なぜか自転車の部品を買うのについていき、横浜の美術館に行く。
http://www.koganecho.net/
夜はAPIフェローたち、Antariksa、黄金町~センターの人と横浜中華街で食事。実は、横浜&中華街に来るのは初めて。いや、昨年びいなす・クルーズ号で横浜港には来たけど、上陸はできなかったもので…
場所: 小金井市民交流センター
TALKING CAFE 2013 アート×学校
―2012年度小金井アートフル・アクション!の実践―
http://chateau2f.com/news/index.php?itemid=49
事業成果報告を聞きに行く。特にお目当てはセッション4の岩井さんで、彼もAPIフェロー。他に何人かAPIフェローが集まり、なんだか異様な壁を形成していたような…
session 3 [17:30-18:15] から参加
学校とアーティストのコラボレーション2 ―視点を見つけること
日下美和(小金井市本町小学校教諭)
×岩井優(アーティスト)×福住廉(美術評論家)
session 4 [18:30-19:15]
認め合い、学び会うために ―未来の移民たちとともに
岩井成昭(アーティスト)
3月16日(土)昼から黄金町エリアマネジメントセンター(横浜)へ。
目的はインドネシアから来たキュレーター、Antariksaに会うこと。
黄金町のセンターの人ともごあいさつし、彼と旧交を温め、なぜか自転車の部品を買うのについていき、横浜の美術館に行く。
http://www.koganecho.net/
夜はAPIフェローたち、Antariksa、黄金町~センターの人と横浜中華街で食事。実は、横浜&中華街に来るのは初めて。いや、昨年びいなす・クルーズ号で横浜港には来たけど、上陸はできなかったもので…
2013年04月15日 (月)
甲野善紀先生 大阪講習会
4月14日(日)17:00-20:00
豊中市北辰館千葉道場にて
主催:遊武会
http://homepage2.nifty.com/ubk/ubk9gyouji.htm
これで何度目かの参加。
今回は、友人で関心がある人がいたので、その人も誘って参加。
4月14日(日)17:00-20:00
豊中市北辰館千葉道場にて
主催:遊武会
http://homepage2.nifty.com/ubk/ubk9gyouji.htm
これで何度目かの参加。
今回は、友人で関心がある人がいたので、その人も誘って参加。
2013年04月13日 (土)
4月12日(金)2:30~6:00
IMM JAPAN創立20周年記念式典に出席
IMM JAPAN創立20周年記念式典に出席
2013年04月05日 (金)
第8回API 国内ワークショップ2013年3月2~3日
ハートンホテル京都にて
恒例の、API Fellowsの集まり。
ハートンホテル京都にて
恒例の、API Fellowsの集まり。
2013年04月05日 (金)
サイト「水牛」http://www.suigyu.com/ →「水牛のように」コーナーに、今月は次の文章を寄稿しました。
ジャワの二方位、四方位(2)
ソロの四方位に見る南海
先月、ジャワの二方位、四方位について書いたけれど、ジョグジャ(=ジョグジャカルタ)市では、北のムラピ山はごく近くに眺めることができ、 その火山灰の被害にも遭うくらい近い。また南の海まで市の中心部から15kmくらいしかなく、ムラピ山噴火で噴出した岩が、川を流れて南海 岸まで到達するというから、ジョグジャカルタの南北二方位観は生活の中で実感される。けれど、ソロ市(=スラカルタ)では、西のムラピ山も線 路(東西に走っている)沿から、はるか遠くに望める程度だし、東のラウ山も見えない(と思う)し、南の海に行くには60km離れたジョグジャ の町にまず入らないといけない。北のクレンドワホノの森もスマラン市(ジャワ島北海岸沿いの都市)の手前の方にあるらしいのだが、ワヤン影絵 劇に出てくるけど実在しない森だという説明を聞いたことがあるくらいだから、ソロの人々にとって身近な存在ではない。つまり、ソロの四方位観 というのはかなり観念的だ。その証拠に、私はソロの王宮以外の人々が四方位観について語るのを聞いたことがないし、観光パンフレットのような ものにも載っていない。
この四方位観について知ったときに私が感じたのが、なんだか閉塞的な世界観だなあということ。南にインド洋が開けていると言う人がいるかもし れないが、ジャワ島の南海岸沿いは波が高く、大きな貿易港(ジャカルタ、スマラン、スラバヤ)はすべてジャワ島北海岸にある。道路が発達して いるのも、北海岸側なのだ。南海岸沿いには漁港もあるけれど、悪く言えば北海岸に比べ不毛な土地だと言える。そして、クレンドワホノの森が四 方位の北に置かれているということは、その向こうに広がる北海岸には王国の手が届いていないことになる。つまり、オランダ植民地政策によって 王家が港市貿易の富から遠ざけられ、内陸部に封じ込まれたという世界観が、この四方位観から読み取れてしまう。
ジャワ島の南海にはジャワの王家(の祖のマタラム王家)を守護する女神ラトゥ・キドゥルが棲んでいるとされるが、彼女の伝説は、ジョグジャの 南にあるパラントゥリティス海岸だけにとどまらない。ソロ王家のハディウィジョヨが著した『ブドヨ・クタワン』には、ジャワ島南海岸各地の女 神伝説を紹介して、これらはすべてラトゥ・キドゥルのことだと言っているし、それだけでなく、彼女は淡水にも出没する。ソロ郊外にあるタワン マングという滝ではラトゥ・キドゥルが水浴びしたとされるし、ウォノギリ県にあるカヤンガン(巨石が川岸にごろごろしている所)でも、瞑想し ていたジャワ王家の始祖セノパティとラトゥ・キドゥルがで出会ったという伝説がある。これらの地域に共通するのは険しい岩場であること。こう いう場所では、おそらく多くの人が水難事故に遭い、水の女神に引き寄せられたという言説が生まれたに違いない。
ラトゥ・キドゥルという女神像は、ジャワ各地に見られるそういう水の女神像をいろいろと取り込んで、マタラム王家によって造形されたのだろう と、私は思っている。そう思うのは、彼女が古代のジャワ・ヒンズーに由来する女神ではなく、マタラム王国が興った16世紀以降になって初めて 登場するからなのだ。当時の東南アジアは港市国家による交易の時代で、マタラム王国も最盛期には北海岸沿いの港市を勢力下において、内陸部の 肥沃な農業地帯の生産物を輸出していた。このような時代、内陸平野と北海岸をつなぐ水運は非常に重要だったはずだから、各地の水神信仰を王国 の支配下に組み入れ、王国の祭神にしようとしたとしても不思議ではない。とはいえ、もしマタラム王国が北海岸沿いを手中にし続けていたら、マ タラムの守護神は北海岸に棲むことになっていただろうという気がする(ラトゥ・キドゥルは南の神という意味なので、女神の名前も変わっていた だろう)。女神が南海に棲むという設定になったのは、オランダが文句を言わない海はそこしかなかったから、ではないだろうか…。
ジャワの二方位、四方位(2)
ソロの四方位に見る南海
先月、ジャワの二方位、四方位について書いたけれど、ジョグジャ(=ジョグジャカルタ)市では、北のムラピ山はごく近くに眺めることができ、 その火山灰の被害にも遭うくらい近い。また南の海まで市の中心部から15kmくらいしかなく、ムラピ山噴火で噴出した岩が、川を流れて南海 岸まで到達するというから、ジョグジャカルタの南北二方位観は生活の中で実感される。けれど、ソロ市(=スラカルタ)では、西のムラピ山も線 路(東西に走っている)沿から、はるか遠くに望める程度だし、東のラウ山も見えない(と思う)し、南の海に行くには60km離れたジョグジャ の町にまず入らないといけない。北のクレンドワホノの森もスマラン市(ジャワ島北海岸沿いの都市)の手前の方にあるらしいのだが、ワヤン影絵 劇に出てくるけど実在しない森だという説明を聞いたことがあるくらいだから、ソロの人々にとって身近な存在ではない。つまり、ソロの四方位観 というのはかなり観念的だ。その証拠に、私はソロの王宮以外の人々が四方位観について語るのを聞いたことがないし、観光パンフレットのような ものにも載っていない。
この四方位観について知ったときに私が感じたのが、なんだか閉塞的な世界観だなあということ。南にインド洋が開けていると言う人がいるかもし れないが、ジャワ島の南海岸沿いは波が高く、大きな貿易港(ジャカルタ、スマラン、スラバヤ)はすべてジャワ島北海岸にある。道路が発達して いるのも、北海岸側なのだ。南海岸沿いには漁港もあるけれど、悪く言えば北海岸に比べ不毛な土地だと言える。そして、クレンドワホノの森が四 方位の北に置かれているということは、その向こうに広がる北海岸には王国の手が届いていないことになる。つまり、オランダ植民地政策によって 王家が港市貿易の富から遠ざけられ、内陸部に封じ込まれたという世界観が、この四方位観から読み取れてしまう。
ジャワ島の南海にはジャワの王家(の祖のマタラム王家)を守護する女神ラトゥ・キドゥルが棲んでいるとされるが、彼女の伝説は、ジョグジャの 南にあるパラントゥリティス海岸だけにとどまらない。ソロ王家のハディウィジョヨが著した『ブドヨ・クタワン』には、ジャワ島南海岸各地の女 神伝説を紹介して、これらはすべてラトゥ・キドゥルのことだと言っているし、それだけでなく、彼女は淡水にも出没する。ソロ郊外にあるタワン マングという滝ではラトゥ・キドゥルが水浴びしたとされるし、ウォノギリ県にあるカヤンガン(巨石が川岸にごろごろしている所)でも、瞑想し ていたジャワ王家の始祖セノパティとラトゥ・キドゥルがで出会ったという伝説がある。これらの地域に共通するのは険しい岩場であること。こう いう場所では、おそらく多くの人が水難事故に遭い、水の女神に引き寄せられたという言説が生まれたに違いない。
ラトゥ・キドゥルという女神像は、ジャワ各地に見られるそういう水の女神像をいろいろと取り込んで、マタラム王家によって造形されたのだろう と、私は思っている。そう思うのは、彼女が古代のジャワ・ヒンズーに由来する女神ではなく、マタラム王国が興った16世紀以降になって初めて 登場するからなのだ。当時の東南アジアは港市国家による交易の時代で、マタラム王国も最盛期には北海岸沿いの港市を勢力下において、内陸部の 肥沃な農業地帯の生産物を輸出していた。このような時代、内陸平野と北海岸をつなぐ水運は非常に重要だったはずだから、各地の水神信仰を王国 の支配下に組み入れ、王国の祭神にしようとしたとしても不思議ではない。とはいえ、もしマタラム王国が北海岸沿いを手中にし続けていたら、マ タラムの守護神は北海岸に棲むことになっていただろうという気がする(ラトゥ・キドゥルは南の神という意味なので、女神の名前も変わっていた だろう)。女神が南海に棲むという設定になったのは、オランダが文句を言わない海はそこしかなかったから、ではないだろうか…。
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