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4/27(日)インドネシア語講座
第12回ビジネス実践インドネシア語講座

日 時:2014年4月27日(日)14:30~いつも大体17:00過ぎ
会 場:レストラン五條 源兵衛
     奈良県五條市新町通り
     JR五条駅から徒歩10分、駐車場有
参加費: 5000円(当日現金でお支払下さい)
     源兵衛特製の茶菓子付です。


昨年5月から始めたこの講座も1年になりました。月1回のペースで粛々と開催しています。いきなりインドネシアのニュース記事に挑みますが、初心者でも分かるように教材を作っています。初心者の方は、インドネシアのニュースにちょっと通じて、ちょっとわかる単語を増やしてみてください。学習歴の長い方は訳に挑んでみてください。教材と茶菓子を準備する都合上、事前にお申し込みください。(前日中まで) 希望者には事前にメールで教材を送らせていただきます。

NEW! 今月の教材は以下の通り。
(1) PEMILU 2014/2014年総選挙
(2) Joko Widodo (Jokowi)/ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)
(3) Keppres penggantian istilah China menjadi Tionghoa ditandatangani
   華人の呼称「チナ」から「ティオンホア」へ
(4) Taman Budaya Tionghoa/タマン・ミニの華人公園

※講座は、源兵衛の営業外時間を利用しています。昼食/夕食をご希望される方は直接源兵衛にご予約下さい。

※五條 源兵衛は重伝建「五條新町」地区にある地区250年の町家レストランで、五條地元で取れる食材を使った料理を提供されています。

源兵衛地図
映画「アクト・オブ・キリング」関係追加
映画「アクト・オブ・キリング」関係 4/3追加!

■「アクト・オブ・キリング」監督のインタビュ-
4/2 NHK World 放送(インドネシア語)。1週間視聴可
NHK WORLD > Halaman Bahasa Indonesia

■4/12公開 映画「アクト・オブ・キリング」公式サイト

■youtubeでも見られます。(字幕なし、インドネシア語)
Jagal-The Act of Killing (full movie)
「This video was posted with the full approval of the copyright holders of The Act of Killing.」とあり、著作権利者の許可を得ているとのこと。インドネシアでこの映像の視聴を推進する団体が、(1)youtube視聴、(2)自分たちのサイトからダウンロード視聴、(3)DVD+冊子を無料提供して上映会を開催してもらう(nobar=nonton bareng)という形でインドネシアの多くの人にこの事件と映画を知ってもらおうとしています。

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■山形国際ドキュメンタリー映画祭 インタビューより
『殺人という行為』ジョシュア・オッペンハイマー 監督インタビュー「暗い鏡に映し出されるもの」 
この映画、2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に「殺人という行為」というタイトルで上映されたようです。

■ドキュメンタリー雑誌『neoneo』の公式サイトより
【Report & Review】行為と演技、虐殺の〈アクト〉をめぐって――世紀の問題作『アクト・オブ・キリング』 text 植山英美・井上遊介 page.1 

Report & Review】行為と演技、虐殺の〈アクト〉をめぐって――世紀の問題作『アクト・オブ・キリング』 text 植山英美・井上遊介 page.2

Report & Review】行為と演技、虐殺の〈アクト〉をめぐって――世紀の問題作『アクト・オブ・キリング』 text 植山英美・井上遊介 page.3 【Review】 〈グロテスク〉から遠く離れて text 井上遊介

■Newsweek記事より
アカデミー賞で注目、虐殺の犯人が自演する衝撃作
Indonesia's Darkest Secret


NEW! Tertipu sang sutradara
Polemik The Act of Killing (2) 
Reporter:Faisal Assegaf/2012.9.3 Merdeka.Com
映画に出ているアンワルとアディが「監督に騙された気がする」と語っている内容。

■日本の学術書
インドネシアの9月30事件を扱った学術書 『9・30 世界を震撼させた日-インドネシア政変の真相と波紋』倉沢愛子(岩波書店)の書評/早瀬晋三
この書評によると、映画「アクト・オブ・キリング」の字幕監修をされたのがこの本の著者だそうです。

■スハルト時代の9月30日事件をめぐる雰囲気が分かるエピソード
ここ10年のインドネシアと日本(1)スハルト時代の終わり  冨岡三智
サイト水牛>バックナンバー>2006年2月

水牛~舞踊「グヌンサリ」
高橋悠治氏のサイト「水牛」2014年4月号に、以下の文章を寄稿しました。

サイト「水牛」(毎月1日更新)→「水牛のように」
2002年11月~ほぼ毎月寄稿しています。バックナンバーも読めます。


ジャワ舞踊作品のバージョン 3「グヌンサリ」

グヌンサリは「パンジ物語」に登場する王子の名前で、男性優形の舞踊である。前回紹介した「メナッ・コンチャル」と同じように、恋する男性の姿を描く、いわゆるガンドロンというジャンルの舞踊だ。グヌンサリという名前を聞くと、バリ島の有名なガムラン団体を想像する方もいるかもしれない。この物語はジャワ発祥だが、主要な舞台はジャワ島の東部とバリ寄りだし、東南アジア各地に広まった大人気ロマンで、タイでは「イナオ物語」の名で知られている。というわけで、当然バリでも知られた物語である。

この物語はジャワでは伝統的に仮面を使って上演される。ちなみに男性荒型の代表的な仮面舞踊「クロノ」も、「パンジ物語」に登場する王である。「グヌンサリ」も「クロノ」も、もともとはスラカルタ(通称ソロ市)とジョグジャジャカルタの2つの王都に挟まれたクラテン村(多くの宮廷音楽家を輩出している)で発祥した仮面舞踊劇ワヤン・トペンの登場人物の舞踊が独立したものだ。つまり民間起源の舞踊である。クラテン村の芸人たちは少人数で巡業し、やがて宮廷人たちの目に留まって宮廷でも踊るようになり、宮廷舞踊の影響を受けるようになった。だから、どちらの王都にもこの2種類の舞踊がある。ここではスラカルタ様式だけを取り上げるが、スラカルタ様式の舞踊「グヌンサリ」には2バージョンある。

ワヤン・トペンでは、グヌンサリ王子の役はグンディン形式の「ボンデット」で踊ると決まっている。いわば、彼のテーマ曲だ。PKJT版「グヌンサリ」が、この「ボンデット」で踊るバージョンである。PKJTというのは1970年代に行われていた中部ジャワ州芸術発展プロジェクトのことで、宮廷舞踊のスリンピやブドヨを含め、当時衰退の危機にあった伝統舞踊の多くがこのプロジェクトで復興、再振付された。そして、もう1つのバージョンが、ラドラン形式の新曲(確か、バンバン何とかという人の作曲)を使って、ガリマン氏が振付けたものである。

PKJT版(13分半)の「グヌンサリ」の音楽は、楽曲形式により3部(メロン、ミンガー、ケバル)から成る。メロン部は静かな音楽で、最初床に座って合掌(スンバハン)、次に立膝に座って合掌(スンバハン・ララス)し、立ち上がってララスを行うという宮廷舞踊の定型があって、優美な動きが続く。仮面は、立ち上がる前につける。宮廷舞踊では楽曲の1周期ごとの終わりに鳴る大ゴングの音に合わせて合掌するものだが、PKJT版ではスンバハン・ララスの合掌は第2クノン(2/4周期目)にくるので、音楽構造に敏感な踊り手には少し居心地が悪い。ただ、マタラマン(ジョグジャカルタ風)に演奏すると、第2クノンでスウアン(中ゴング)を鳴らすやり方があると聞いた。私の考えでは、宮廷男性舞踊はそもそもラドラン形式かクタワン・グンディン形式(両方ともグンディン形式の半分の長さ)の曲を想定して作られているので、グンディン形式では長すぎる、そのため曲の真ん中でスウアンを鳴らして区切りをつけるというやり方が考案されたのではないかと思う。(カセットではスウアンは使っていないように聞こえるが…。)

曲がミンガー部分に移行すると、太鼓がチブロンと呼ばれる華やかなリズムパターンを奏でるものに変わり、踊り手も生き生きとした動きを繰り広げる。その中に、前にさっと進んで止まり、片腕を肩の高さに上げてオケをする(胸を左右に揺らせる)動きがあるのだが(スカランIIIの後)、それはワヤン・トペンに特有の動きだと聞いた。それ以外の動きも、頭を振る動き(タタパン)などもアクセントがはっきりしていて、仮面舞踊に似つかわしい。というのも、仮面をつけたときは少し動きをカサール(粗野)にした方が仮面が生きているかのように見えるからである。そしてこの種の太鼓の演奏法(ガンビョンガン)の終わり方の定石通りに動きを組み立てているので、ミンガーで静かに曲が終わるのかと思いきや、テンポが上がってケバル(速い動きの場面)に続く。このケバルはマタラマンのやり方でソロには本来なかったらしいから、当時は新鮮な表現だったのかもしれない。それでもケバルの最後でテンポが落ち、踊り手は床にひざまずき、仮面を外して舞踊は終わる。合掌に始まり合掌に終わる宮廷舞踊の枠組みは保持され、グンディンという大曲の形式から得られる満足感も残る。

一方、ガリマン版の「グヌンサリ」(8分半)は、踊り手は立ったまま出てきて合掌しないのが特徴だ。観客に背を向けて仮面をつけたのち正面を向いて踊り始める。PKJT版で述べたような合掌~ララスの部分は省略されているものの、ウィレンと呼ばれる抽象的な宮廷男性舞踊に出てくるような動きの型、フォーメーションが展開する。私はガリマン版の音楽も動きもそれぞれに好きだが、実は振付(音楽と動きの構成)はあまり好きではない。というのも、曲全体の雰囲気と比べて曲の前半(PKJT版で言えばメロン部に当たるような部分)での動きの格調が高すぎる気がするのだ。音楽は洒脱だ(チブロン太鼓に入ったところで女性歌手がルジャ・ルジャアンを歌う演出になっていて素敵だ)が重厚さはない。短い音楽なので入退場で合掌せず、しかも後で述べるように音楽の最後は尻切れトンボのように終わるという演出も軽い。それなのに、古典舞踊を極めた人しか習わないような難曲に出てくる動きやフォーメーションのコンセプトで曲の前半は進行していく。私は芸大留学中に、男性優形舞踊は第1セメスターから第8セメスターまで履修したが、第8セメスターまで至って、第1セメスターで習ったガリマン版「グヌンサリ」に出てきた振りに再会し(それまでの授業では全然出てこなかった)、驚いたものだ。ガリマン氏は、お稽古でちょっと舞踊を習って終わりというような初心の人たちにも古典の味わいを伝えたくて「グヌンサリ」を振付けたのかもしれない。が、アルス(洗練)の極みの難曲が大好きな私には、「構えていたら肩透かしをくらう」ような感覚がある。

ガリマン版のチブロン部分に関しては仮面舞踊にふさわしいアクセントのある動きが選ばれているし、最後はケバル演出になって終わる点でPKJT版とも似ている。が、最後、踊り手が舞台袖に移動し、音楽がフェードアウトしておしまいという点がPKJT版と違う。ガムラン音楽できちんと曲を終わろうとすると、終わる前の周期からきちんと合図を出して手順を踏まないといけないのだが、ガリマン版ではそういう合図が略されている。立って入退場、しかもこういう終わり方は結婚式やイベントで上演するときには具合がいい。カセット伴奏で踊る場合、踊り手が退場しかけたら、ブツッと音源が切られることはありがちだから(良くないけど)、初めからそういう音楽にしておいた、という感じなのだ。

というわけで、「グヌンサリ」の2バージョンの特徴をまとめると次のようになるだろうか。PKJT版は、民間起源の仮面舞踊たる野性味を残し、そういう舞踊が宮廷に取り入れられて形式を整えたという点が見えるような振付が施され、さらに目新しさも導入している。その点に、復興した宮廷伝統舞踊を舞台芸術としても通じる作品にしようとする意志が感じられる。それに対して、ガリマン版ではいかにも宮廷舞踊らしい構造を外し、初心者やイベント用舞踊として敷居が低い感じを出しているが、実は宮廷舞踊の奥義に通じたガリマンの知識が詰めこまれている。