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水牛2015.12「海から陸を見る」
高橋悠治氏のサイト「水牛」の2015年12月号に「海から陸を見る」を書きました。10/31~11/16まで乗船していたクルーズから見た陸と港の話です。
『水牛』 http://www.suigyu.com/
 ↓
「水牛のように」コーナーをクリック
or
記事リンク http://suigyu.com/suigyu_noyouni/2015/12/index.html#1197




海から陸を見る

10月末から東南アジア周遊クルーズの仕事で、2週間乗船していた。というわけで、今回は寄港地について書いてみる。

飛行機であっという間に上陸するのとは違って、水平線ばかりを眺めて何日も過ごした後に、やっと陸地が見えてくるという体験は感動的だ。そこに人が住んでいるという気配、揺れない地面があるということが何か安心感をもたらしてくれるのかも知れない。さらに、船の旅には意外に原始的、人間的な手法があるというのもほっとさせるのかも知れない。今回、船が着岸するところを初めて見たのだが、甲板の上からロープの先に重りを付けたものを砲丸投げのように何本も岸に飛ばし、岸にいる人がそれらを受け取って岸のフックみたいなところに引っ掛け、そして岸からロープを引っ張って船を寄せて横づけする。また、離岸するときは、小さな小船がロープで船を引っ張って岸から引き離す。車の縦列駐車みたいに船の操縦だけで離着岸できるものだと思っていたので、最初はなんと原始的な方法かと驚いたのだが、人の手で大きな船を動かしていることが目に見えるのがいい。船乗りが恰好よく見えるのも、むべなるかな。

●ホーチミン(サイゴン)
ホーチミンの港は海からサイゴン川を遡上したところにある。十分な水深と川幅があるので、外航船が直接入港できるらしい。河口から両岸にマングローブが延々茂っているが、そのうち建物が見えてくる。小さい窓があるだけの箱型コンクリートの建物で、まるで牢獄みたいだ…と思っていたのだが、その写真を見せた友人に、これはツバメの巣を採取する所だよと教えられた。団地のように川に面してずらっと並び、建設中のものもある。ツバメの巣長者も多いのかもしれない。そのツバメハウスがなくなる辺りから、水辺の生活民の家やら、町やらが見えてくる。さらに遡上すると川の水の色も濁ってきて、川底の砂をさらうボートが増え、両岸にクレーンや倉庫が立ち並んで臨海地域の様相になり、進行方向の先には建設済、建設中の高層ビルが林立するのが見える。夜にはこれらのビルの明かりがまばゆいまでにきらめき、川面に映りこむ。川の遡上のプロセスが経済発展のプロセスと重なって、今回の寄港地の中でこのホーチミンへのアクセスが一番印象深かった。

●シンガポール
着岸した所のビルも近代的で立派すぎて、入港したという感慨が他よりは薄かった。飛行機で到着するのと変わらない感じ。それはともかく、シンガポールはイギリスの植民地行政官だったラッフルズが建設した都市だが、ラッフルズはその前にジャワに赴任して『ジャワ誌』を著しているので、私にとってはジャワつながりの都市である。というのも、実は1811年~1816年までジャワは英領だったのだ。ボロブドゥール遺跡がラッフルズによって発見されたのもこの期間である。シンガポールでは国立博物館に行ったのだが、展示物にはジャワから伝わった美しいアクセサリがあって、やっぱりジャワは文化の中心だったんだなあと思ったり、またジャワから来たロンゲンと呼ばれる女性の踊り子の絵もあって、こんな所までロンゲンは巡業に来ていたのかと感心したりする。ちなみにロンゲンは女性が歌いながら男性を誘って踊るという舞踊で、ジャワ島の各地に見られる芸能だ。現在の中部ジャワのタユブやバニュマスのレンゲールなどのルーツで、ロンゲンに関する記述は『ジャワ誌』にも見られる。

●スマラン
スマランはジャワ島北海岸中部にあり、中部ジャワ州の州都である。タンジュン・ウマス(黄金岬の意)港は堂々としていて、大きな船舶が沖にいくつも停泊している。人口約152万人(2010年)と、ジャカルタ、スラバヤ、バンドン、メダンに次いで人口の多い大都市なのに、日本の旅行ガイドにはいまだにスマラン情報がない。ロンリー・プラネットという英語の旅行ガイドにはスマランの項目があるというのに。このクルーズではスマランからボロブドゥール遺跡へのツアーがオプションで用意されている。飛行機移動が前提の現在、ジョグジャカルタ空港がボロブドゥールへの玄関口になっているので、ジャワ島北海岸から直行するというのが意外で新鮮だ。新しい文化の窓口である海港から、伝統文化が醸成される内陸の地へと分け入っていきながら見て回るのも悪くない…と思ったが、スマランはほぼスルーだったようなので、ちょっともったいない。ここは15世紀には鄭和の大遠征が来た所であり、オランダ植民地時代はジャワから外への窓口で、ジャワ文化以外にオランダ風建築物やチャイナタウンや中華系寺院などがあり…と、それなりに歴史と見どころが隠された所なのだ。マレー系と西洋と華人の文化の混交という点ではシンガポールに似ているため、ちょっと分が悪いが、そこまで近代都市でなくて田舎くささが残るところが逆に魅力かなと思っている。

ところで、このスマラン、寄港前のガイダンスでは毎年5~10cm地盤沈下しているという。そのため、最近では船のタラップの長さが足りなくなり、岸壁に台を置いてタラップをそこまで下ろし、さらにその台から下に別の階段を足しているという状況だ。こんな情報は飛行機で着陸していたのでは耳に入ってこない。気になって調べてみたところ、スマラン以外にジャカルタも年に10cm、バンドンも6~7cm沈んでいるようだ。原因は工業用水のくみ上げらしい。インドネシア北海岸の工業化のペースがだんだん恐ろしくなってきた。

●マドゥーラ島
スマラン港からバリ島に向かう途中、マドゥーラ島を見ようとデッキに出る。別に風光明媚な島ではないので、乗客は誰もデッキに出てこないのだが、私はジャワ島とマドゥーラ島との距離に少し関心があったのだ。中部ジャワを中心に勢力を延ばしたマタラム王家はマドゥーラの王家と婚姻関係を重ねてきた歴史がある。ソロの宮廷(マタラム王国を継承)に伝わる舞踊曲の「スリンピ・ルディラマドゥ」は、マドゥーラから輿入れしてきた王妃を母に持つパク・ブウォノV世の作で、かつては「スリンピ・ルディラ・マドゥーラ(マドゥーラの血)」と呼ばれていたというくらいなのだ。それはさておき、船長アナウンスでは船とマドゥーラ島の距離は約50km。中国地方から四国を望むくらいの距離だろうか。マドゥーラ島は分厚いまな板を浮かべたような形状で起伏に乏しく、ジャワ島の沖にずっと見えている。バリ島のように中央に山がそびえているのが典型的な島のイメージだと思うのだが、そうではないのでジャワ島と陸続きになっているような感覚になり、攻めて行けそう…という気分になる。

●バリ、ベノワ港
3年前にも実はこのクルーズ船に乗って、ベノワで下船した。出島みたいになっていて、3年前にここへのアクセスも堪能したので、今回はわざわざデッキに出なかったのだが、着岸後に海面を見て、ゴミがそこここに浮いていることに幻滅する。海面の汚さでは今回一番だったのが残念。

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