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3/27 インドネシア語講座
次回は4月24日(日)14:30~ 五條 源兵衛にて

ビジネス実践インドネシア語講座

日時: 2016年3月27日(日)14:30~17:00
会場: レストラン 五條 源兵衛 

20160327インドネシア語講座_五條 源兵衛
今日の茶菓子: 筍、えんどう
掘りたての筍を焼いたもの。全員が揃うのを待って、焼き立てを出してくれました。自然の甘味がたっぷりあふれます。えんどうの茎も、えんどうのような味がしました…。

内容と教材記事の出典
①2016年3月9日、皆既日食はどの地域で起こる?
  インドネシアでは10州で4分9秒見られるというので話題になりました。
  Merdeka.com
②東北大震災の記念日のためにNHKはライブコンサートを中継する。
  jpopindonesia.com
③おしん
  インドネシアで再放送が決まりました。
  Indonesia-Wikipedia
④教育文化省は49人の日本語講師を派遣
  記事は3年前の第1期の時のもの、この3月に第5期研修がありました。
  私も関わっていたのでその話題を…
  Kabar 24.com
3/26 「虎舞を関西へ」
以下出席しました。

「虎舞を関西へ」始動フォーラム

日時: 2016年3月26日(土)14:00~17:00
場所: 大阪市立大学 高原記念館学友ホール
お話: 城山虎舞より4人
ナビゲーター: 橋本裕之(追手門学院大学)、中川真(大阪市立大学)
主催: 大阪市立大学都市研究プラザ

案内メールにある趣旨を以下に抜粋します。

岩手県大槌町の民俗芸能である虎舞チームが、3月26日(土)の午後に、大阪市大にやってきますので、ご案内します。
虎舞は東北の陸中沿岸で演じられる勇壮な芸能で、虎のパワーによって災難などを封じることを眼目としています。
2011年の大震災の後は、虎舞チームの皆さんがいち早く被災地や仮設住宅に赴き、被災者を励まし慰め、復興へ向かう人々の気持ちを束ねてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=Tr1VA2vDg2o
このたび、とりわけ活発に活動している大槌町のチーム(4名)を市大に招聘し、虎舞の演じ方や、震災復興とのかかわりなどの話を、DVDや実演を見たりしながら伺いながら、「震災の風化」に抗う方法を模索したいと考えています。
2/7 「ジャワの風」出演
以下の公演に助っ人出演しました。

「ジャワの風 大阪の燦」
ジャワの風

日時: 2016年2月7日(日)15:00 ~ 17:00
場所: 大阪市立大学  田中記念館ホール

プログラム
第1部: ジャワの古典曲、舞踊「ジュンクン・マルドゥヨ」
第2部: 釜ヶ崎オ!ペラより、組曲「宇宙ガムラン」
出 演: スニョト、ウィヤンタリ、釜ヶ崎芸術大学受講生ほか、マルガサリ

https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/event/2015/160207

20160207_ジャワの風_撮影Sunyata

水牛2016.3 天正壬午の乱とセノパティ
高橋悠治氏のサイト「水牛」の2016年3月号に「天正壬午の乱とセノパティ」を書きました。
『水牛』 http://www.suigyu.com/
 ↓
水牛のように 2016年3月号 をクリック
 ↓
天正壬午の乱とセノパティ」 をクリック 


天正壬午の乱とセノパティ

NHKの大河ドラマ『真田丸』は、天正10年(1582年)の武田家滅亡から始まり、その3か月後に起きた本能寺の変後の信濃の混乱(天正壬午の乱)に至ったところ)2月末時点で)。この年代に何かひっかかるものを感じていたら、これがジャワでセノパティがマタラム王国を建国した年の1つだとされていることに気づく。なお、建国の定義や依拠する資料などによって建国年代はまちまちだが、だいたい1570年代から1580年代の間とされている。

セノパティは中部ジャワのパジャンの支配下でマタラムの領主となり、後にパジャンの王に代わってジャワの王となる資格を得る。3代目の王、スルタン・アグンの時代(1613~1645)に最盛期を迎え、ほぼジャワ島全土を手中に収める。スルタン・アグンの時代はちょうど第2代・秀忠(在位1605~1623)、第3代・家光(1623~1651)の時代にだいたい重なっている。そして、家光が1636年に日光東照宮の大造替を手掛けて現在のように整備したように、スルタン・アグンも1643年頃にマタラム王家の廟を完成させた。ちょうど同じ頃、地方から出た領主が天下を統一して三代目にその地位を盤石なものとしたという点で、セノパティはジャワ版家康、と言えなくもない。

ただ、その後が違った。マタラムでは地方貴族の反乱、王位継承問題、オランダ東インド会社の介入などがあって、結局、1755年に王国は2つに分裂する。日本では元禄バブルも吉宗のデフレ政策の時代も終わって第9代・家重(在位1745~1760)の時代だ。この、マタラム王国のすったもんだの時期が意外に長いことに驚く。この後継者争いで暗躍するのがオランダ東インド会社で、設立されたのは1602年、セノパティが死んだ翌年であり、江戸幕府が始まる1年前である。スルタン・アグンはオランダが商館を開設したバタヴィアを2度にわたって攻撃したが、その後継者たちは諸問題が起きるとオランダに支援を要請し、そのたびに王国の特権を譲り渡すようなハメに陥った。マタラム王国は分裂してスラカルタ王侯領とジョグジャカルタ王侯領となり、それぞれオランダ植民地支配下、一定の自治を認められて存続するのだが、こんなマタラム王国の歴史は果たして大河ドラマになるだろうか…と妄想してみる。

セノパティからスルタン・アグンまでの三代記なら、栄光に向かうので見るのも楽しそうだ。とはいえ、セノパティは歴史資料として実在が確定できないようなので、話はほとんど創作になるだろう。マタラム王国の公式”史書”『ジャワ年代記』では、セノパティの部分は神話的な脚色に満ちている。星の啓示を見たとか、瞑想していたら海が沸騰して、そこに海底に住む女神(ラトゥ・キドゥル)が現れて王を海底の宮殿に誘い…と浦島太郎のような話が展開する。これらのエピソードを入れると講談にはなるかもしれないけれど、大河ドラマとしてはリアリティに欠けすぎる。

資料で存在が確認されるスルタン・アグンの王以降の時代だと、内紛がめじろ押しの時代なので『真田丸』に太刀打ちできそうな話ができるかもしれない。けれど、どこでドラマを終わらせたら良いのだろう。マタラムが劣勢になっていき、最後は、暗愚のパク・ブウォノII世(と私が言うのではない、歴史研究者が言っている)によってマタラム王国がオランダ東インド会社に引き渡されるところで終わるというのも、あまり共感を呼ばない気がする。ただ、それを、ジャワ王家を調略するオランダ東インド会社の視点から描くと面白いだろうなとは思うのだが、オランダを倒して独立したという建国物語を持つインドネシアではその視点も受け入れてもらえない気がする。『真田丸』のように、現在の国家の枠組み内ですったもんだがある分には問題ないが、オランダだの華人だのが出てくると厄介だ。また、”マタラムは2つに分裂しましたがそれぞれ存続しました”というのも波乱万丈の歴史ドラマの幕引きとしては物足りない。文化史ならその先の時代がメインになる…。というわけで、セノパティの業績が歴史的にもう少し解明されてドラマを作れたら、やはりそれが一番面白そうだ。