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6/27 打ち合わせ他
6/27
午前中は阿倍野ハルカス美術館で開催中の「没後70年 北野恒富展 なにわの美人図鑑」(産経新聞社など主催)を見る。
  https://www.youtube.com/watch?v=_nkeWDWZQD0

その後、心斎橋のKafe Bintang で昼食を取りながら、某さんと今後何かできそうなことをいろいろ打ち合わせ。
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再掲)2013.8水牛「代表的なインドネシア舞踊とは?」
以下のエッセイは高橋悠治氏のサイト「水牛」の2013年8月号に寄稿したもの( http://suigyu.com/suigyu_noyouni/2013/08/post-286.html )で、インドネシアはどのように自国の伝統文化を紹介しているのかを書いたものです。この前の記事( 7/29インドネシア伝統舞踊の会 公演告知 )に関連して、再掲しておきます。



代表的なインドネシア舞踊とは?

いま、NHKの「あまちゃん」では、全国47都道府県(でも実際には5,6都道府県)から集めた地元アイドルのグループがデビューできそうなところまできている。で、アイドルではないけれど、複数の地方代表を集めてパフォーマンスというのは、インドネシア文化の紹介ではよくあることだ。というわけで、今月は、インドネシア文化の地方代表について。

まずは基礎知識から。インドネシアは約300種族からなる多民族国家で、その中の最大多数派が40数%を占めるジャワ民族。けれど、「多様性の統一」を国是としているので、インドネシア文化の紹介では、必ず5、6種の代表的な民族の文化が紹介される。中でも、定番中の定番はジャワ文化(スラカルタ様式、ジョグジャカルタ様式)、スンダ=西ジャワ文化、バリ文化、次いで定番といえばミナンカバウ=西スマトラ文化に東ジャワ文化というところ。

これは、国立の芸術高校(旧コンセルバトリ)や芸術大学(旧アカデミー)の所在地にはっきり表れている。芸術高校の所在地(開校順)はスラカルタ、バンドン(スンダ)、デンパサール(バリ)、ジョグジャカルタ、スラバヤ(東ジャワ)、芸術大学の所在地はジョグジャカルタ、スラカルタ、パダンパンジャン(西スマトラ)、デンパサール、バンドンである。ちなみに、1976年に大学となったジャカルタ芸術大学は、ごく最近に国立大学に準じる扱いになったが、最近までインドネシア文化の代表ではなかったと言っていい。これらの定番地域は、単に地理的なブロックで選ばれた訳ではない。島は大きくても、カリマンタン(ボルネオ)島とスラウェシ(旧称セレベス)島には芸術高校や大学が1つもない。

芸術高校大学の所在 - コピー
↑ 画像をクリックすると拡大します。
画像作成:冨岡三智 無断複製厳禁


ジャワ島とバリ島がインドネシア(蘭印)の文化の代表だというのは、オランダ植民地時代から変わらない。1931年に開催されたパリ植民地博覧会ではバリ舞踊が初めて海外で上演されて、一躍有名になったけれど、実はこの時、ジャワ舞踊の上演案もあった。ジャワの窓口となったスラカルタ王家の王族の判断でそれは結局実現しなかったが...。スダルソノ(1998年、第9回福岡アジア文化賞を受賞した舞踊研究者)の著書にも『ジャワとバリDjawa dan Bali』というのがあって、インドネシア芸大の舞踊論講座の必読書だった。ジャワとバリにスマトラ島を加えた地域には、古代にヒンズー仏教が栄え、鉄道も通っているという共通点がある。1930年頃の映像で、客船や鉄道を使ってのバリ島、ジャワ島、スマトラ島の旅の記録を見たことがあるが、これらの3島は、西洋人にとって、アクセスしやすく、かつ古代アジアの文明へのロマンをかきたててくれる地域だ。植民地政庁の拠点や西洋人が観光にやってきた地域が、今度はインドネシア文化の代表地域になっていったと言える。

インドネシア代表の舞踊は、ジャワ=宮廷舞踊、スンダ=仮面舞踊、バリ=ヒンドゥー舞踊、スマトラ島=社交(男女で踊る)舞踊、東ジャワ=民衆舞踊という地域の特徴というか役割もそれぞれ強調され、それらはお互い被らないようになっている。国是の「多様性の統一」を強くアピールできるよう、地域差に加えて宗教や舞踊ジャンルの多様性も強調される。だから、定番以外の曲だと、政治な要因で新たにクローズアップされたり、されなくなったりする舞踊がある。

たとえば、1960年代前半にインドネシア政府が広めたスマトラ舞踊「スランパン・ドゥアブラス」。1961年にインドネシア芸術使節団が初来日したとき(水牛2011年12月号を参照)にも上演された。これは、スカルノ大統領が、ロックなど不健全なアメリカ文化の流入を食い止めるべく「ナショナル・ダンス」として広めようとした舞踊で、いまでもスマトラでは伝統舞踊として踊られているけれど、スハルト大統領時代になって下火になった舞踊である。1970年、つまりスハルトが政権を取って早々にインドネシア情報省が発行した『インドネシア・ハンドブック』では、この曲は忘れられたと書かれている(笑)。スハルトにとっては、忘れてしまいたい舞踊だったのだろう。

2011年、アチェのサマン舞踊がユネスコの無形文化遺産緊急保護リストに登録された。アチェは北スマトラの都市で、イスラムが強い地域であり、アチェ=イスラム舞踊という性格が強調される。インドネシア政府の芸術使節団で1960年代から海外に派遣されていた舞踊家レトノ・マルティ女史が言うには、アチェの舞踊は大阪万博(1970年)の頃はまだインドネシア使節団のレパートリーには入っていなかったらしい。しかし、1982年に発行された『インドネシア舞踊Indonesia Menari』にはアチェ舞踊の写真が出ている。この本の著者は芸術使節団の団長をよく務めたプリジョノで、掲載写真はそれまでに芸術使節団のプロモーション写真に使われたものが多い。ということは、1982年より前に(たぶん1970年代に)、アチェ舞踊の重要性が増してきたのだろう。アチェは1976年に独立を宣言して以降、スハルト大統領に弾圧され続けた地域だから、インドネシア政府は、アチェはインドネシアの一部であるということを内外にアピールしたかったのではないか、と推測している。(まだ他の裏付資料がないけど...)

首都ジャカルタの先住民ブタウィの舞踊については、上述の『インドネシア舞踊』の本でも全然言及がないどころか、1996年にハラパン・キタ財団(スハルト大統領夫人が代表理事)が出版した事典『⑦インドネシアの伝統舞踊』にも言及がない。スハルト政権が倒れ、2000年以降は華人文化の復権が認められてきてから、ブタウィ舞踊がフィーチャーされるようになった気がする。つまり、華人文化とマレー民族の文化との融合、華人文化も多様性の1つということを強調する必要が出てきて、ブタウィ文化はインドネシア文化に昇格したように思うのだ。
6/23 遠方(インドネシア)より朋来る
ジャカルタより友人一家が来日、6/23 奈良で会う。彼女は私が2014年に「アジアの人形芸能:ポテヒ(布袋戯)日本公演 ―台湾とインドネシアから―」プロジェクトを手掛けた時に、お世話になった団体の人でお子さん2人との旅。東大寺、氷室神社、興福寺を廻り、鹿と戯れ、三条通りで昼食をとった後は大安寺へ。氷室神社に立ち寄ったのは、仏教の寺だけでなく神社も見てもらいたかったこともあるが、実はこの神社で昔(インドネシア留学前)舞楽を習っていたから。昼食後に向かった大安寺では、この日はちょうど竹供養(癌封じ)が催されていて、儀礼のあるお寺を見てもらいたかったのと、実は秋にここで踊るので、その下見もかねて…。
6/18 ルマ・ドリアンでインドネシア・セミナー
以下の講演を聞きに行ってきました。

第6回インドネシア・セミナー
インドネシアの経済発展 国内の消費や投資を生む力


講師: 水野広佑(京都大学東南アジア研究所教授)
日時: 6月11日(日)12:00~昼食(インドネシア料理)
             13:00頃~講演
会場: ルマ・ドリアン(天理市)
      ↑
     facebookにページあり
6/11 公演練習
6/11 昼から7/29の公演(インドネシア総領事館と奈良の日イネ友好協会が共催)のための練習で大阪へ。ちらしはまだできていない。公演概要がやっと固まり、演者の方にも知らされる。私は市販カセット化されていない舞踊を上演する予定で、太鼓の人と太鼓の手組を決め、時間内に合わせるようにして手合わせ。
6/4 更紗展@京文博を見る
「インドネシアの布 OHARUコレクション 更紗徒然草」展
2017年6月4日
京都文化博物館別館ホール


6/2~4だけの展覧会だと聞いて、慌てて駆け付ける。OHARUとは、このコレクションを収集された天野春代氏(兵庫県高砂市)のこと。関西のガムラン系、インドネシア系の多くの友達と出会う。撮影自由だったので、以下に写真掲載。

●IMG_0675 - コピー

●IMG_0688 - コピー

昼食は展覧会で出会った知人たちとベトナム料理店:コムゴン京都
その後、知人に連れられ、いろんなコーヒーを飲み比べられるイベント「Enjoy Coffee Time in 元・立誠小学校」へ。(京都市中京区)
その後、また京都文化博物館に戻り、「いつだって猫展」を見る。

6/3 関西バリ舞踊祭@岸城神社
毎年、バリ舞踊祭で秋のジャワ舞踊公演のちらしを配布するので、いつも私が当日持ち込みしている。宮司や秋にお世話になる蛸地蔵商店街手作り市の皆さん、ラヂオきしわだのスタッフの方、総領事夫妻、大使館からのスタッフの方々…などに挨拶し、敵情視察。ただまあ、バリ舞踊を取り巻く人口やイベントの動員規模などは、全然太刀打ちできないけど…。
2017.06水牛「万歩計と歩き方」

高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2017年6月」(水牛のように)コーナーに
今月は「万歩計と歩き方」を寄稿しました。



万歩計と歩き方

先月、携帯電話をやっとスマホに替え、使ってみたかった万歩計をインストールする。先月は奈良から岡山まで電車を6回乗り継いで仕事に行く機会がちょくちょくあっていたので、カウントをのぞくのを楽しみにしていた。その何日目かの仕事日、自宅を出て最寄り駅から電車に乗ったところで、ふと自宅から駅まで(徒歩2分)の距離ではどれくらいの歩数だったのか知りたくなって万歩計をのぞくと、カウントが続いていたので仰天する。どうやら電車の振動でカウントされているらしい。その後乗り換えるたびに他の路線でもチェックしたのだが、他ではカウントしない。

調べてみると、万歩計は足が着地した時の衝撃加速によって歩数を計測するらしく、歩く時に上下や横の揺れが大きい人は実際よりも多くカウントされるようだ。それにしても、じっと電車に乗っているだけで歩行状態だとは、最寄駅からの数駅間はかなり電車の振動が激しいのか…とあらためて思う。

衝撃加速で歩数を測るということは、衝撃が少なければカウントされないということでもある。ジャワ舞踊の歩き方なら感知されないかもしれないと思い、自宅で試してみる。ジャワ舞踊では腰を落として歩き、頭が上下する、つまり体が上下する歩き方はダメである。果たして、何十歩歩いてもカウントは進まなかった。平面だけでなく階段の昇り降りも何度も試してみたが、こちらもカウントしない。ちなみにケンセルという、歩くのではなく床を横滑りするような動きもやってみたが、これも歩数はカウントしない。電車に乗っていてもカウントされるのに、自分で移動していてもカウントされないのは、なんだか不思議である。ジャワ舞踊の静かな動きが数値化された…と言いたいところだが、爪先立ちして小走りするスリシックという動きでは、さすがにカウントされた。しかし、上手の踊り手は本当に空を滑るようにスリシックする。もしかしたら、歩数カウントされないような奥義があるかもしれない、と思えてきた。
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