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2015年10月「ルトノ・パムディヨ」の動画
2年前に出演した公演の動画があることが判明したので、ここにアップします。

2015年10月10日(土) 大阪府箕面市グリーンホールにて、在日インドネシア留学生協会の主催によるインドネシア伝統芸術公演『ハヌマンの修業の旅』に出演した時のもので、動画の35分頃から48分頃まで、私が「ルトノ・パムディヨ」(ジャワ舞踊スラカルタ様式)を踊っています。ハノマン(白いサル)がインドネシア各地を旅していくという物語の中で、ジャワに来たシーンという設定です。



当該ブログ記事: 10/10 箕面にて踊る
カラフルな村、都市空間と絵
一昨日、インドネシアの村がテレビで取り上げられていたと聞いたので調べてみた。番組は関西テレビの「世界の村のどエライさん」で、2月5日取り上げられたのがカンポン・ペランギだった。Kampung Pelangi (私だったらカンプン・プランギと綴るが。「虹の村」の意味。)

そのサイト: https://www.ktv.jp/doerai/180205.html によれば、半年前までスラム街だった地域が、村の中学校長の発案でペインティングを始め、SNSであっという間に世界中から観光客になったとか。

このKampung Pelangiは、中部ジャワ州・スマラン市・南スマラン区ランドゥサリKelurahan Randusari, Kecamatan Semarang Selatan, Kota Semarang, Jawa Tengahにあり、2017年4月15日からペイントを始めたという(➡参考記事①②)。

実はインドネシアでカラフルな村というのはここだけではない。参考記事③は、インドネシアにあるインスタ映えするカラフルな村10選の記事だ。10選のうち、ここでは東ジャワ州マラン市ジョディパンKelurahan Jodipan, Kota Malang, Jawa Timurにあるカンプン・ワルナ・ワルニKampung Warna Warni(カラフルな村の意味)とジョグジャカルタ特別州にあるカリ・チョデKali Code(チョデ川の意味)地区を紹介。どちらも元は川沿いの貧困者居住地域である。カンプン・ワルナ・ワルニはKampung Wisata Jodipan(ジョディパン観光村)が正しいようで、2016年9月4日に――ということはカンプン・プランギ発足の半年前に――マラン市の都市開発・観光事業としてオープンした。

それらよりずっと先行するのがチョデ川地域である。この地域で2011年に行われたプロジェクトに私は参加しているのだが、この地域は川沿いの貧困な村だった地域に神父が80年代から入り、大学などと連携しながら人々の生活改善を主導してきた。住民たちが木と竹で作ってペインティングした家々は、1990-1992期のAga Khan建築賞を授賞している(➡④)。ただし、インスタ映えを狙っての都市づくりではなかったので、カンプン・プランギやカンプン・ワルナワルニほど派手ではない。ちなみに、カリチョデ地域での私の活動は2011年2月9日~3月4日までのブログ記事(分類:API Fellowship)を参照。

このカリ・チョデ地域があるジョグジャカルタだが、スハルト退陣前の暴動で荒れた時期(1998年~)に、橋げたや都市の壁に絵を描く運動が盛んになった。州政府(確か)がペンキを提供し、芸大大学生らが中心になって、ヘイト落書きなどの上から様々な絵を描いたのだ。ちなみに、このプロジェクトの様子のビデオ記録があり、私が字幕翻訳している(➡⑤)。このように、絵画による公共空間の美化の歴史はインドネシアのジョグジャカルタではすでに20年くらいあるのだが、そこではあくまでも住空間における絵画であったように思う。カンプン・プランギなどは、町全体に色を塗ることが主体のようだ。観光政策の意味合いが大きくなったのは最近かなあ…と感じている。

参考記事
① 2017.5.12 https://travel.detik.com/domestic-destination/d-3495045/yang-baru-dan-unik-di-semarang-kampung-pelangi
② 2018.1.12 http://voinews.id/japanese/index.php/component/k2/item/137-kampung-pelangi
③  https://phinemo.com/kampung-warna-warni/
④ http://www.akdn.org/architecture/project/kampung-kali-cho-de
⑤  UCRCエスノグラフィック映像コレクション>インドネシア国立芸術大学ジョクジャカルタ校 記録メディア学部>2005年公開>ジョグジャカルタの壁画制作 http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/movie/isi/2005.html
2/3-4ガムラン実験公演
2月4日午後、一般公開ではなく実験用の演奏だったため予告しなかったが、大阪市立大学で団体・マルガサリの演奏があり、私も助っ人として(ゴング奏者)演奏に参加。Ldr. Pangkur Sl.manyura、Gd. Kinanti Jurdemung S;.manyuraの2曲を演奏。2月3日にリハ。リハ終了後、1駅隣りのあびこ観音へ皆と行く。市大の大学院に行っていながら今まで知らなかったのだが、あびこ観音は日本最古の観世音菩薩の寺院とされ、厄除の寺として特に節分の護摩祈祷は知られているそうな。
2018.02水牛「ジャワ舞踊の衣装(3)頭部の装飾」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年2月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「ジャワ舞踊の衣装(3)頭部の装飾」を寄稿しました。



ジャワ舞踊の衣装(3)頭部の装飾

前回まで上半身と下半身の衣装を説明してきたので、今回は頭部の装飾について。ジャワ舞踊では頭部の装飾には①イライラハン(髪型と冠が一体化した被り物)を被る、②鉢巻状のものや冠を頭に着ける、③結髪だけ、の3種類がある。

①イライラハンを被るのは物語のキャラクター設定がある場合、つまりはマハーバーラタなどの物語を演じるワヤン(影絵人形芝居)の人形の意匠を模倣した格好をする場合である。たとえば、女性だとスリカンディ、男性だとアルジュノなどのキャラクターの被り物を想像してほしい。それらは固い張り子で成形され、黒いビロードの布が貼られている。これは髪の毛を表しており、後頭部や頭頂部に向かってクルンと丸くなっているのは、髪をまとめ上げていることを示している。そして、頭部をぐるりと巻いている金色(またはカラフルな色)の部分がジャマン(冠)というわけである。ジャマンの部分はワヤン人形同様、水牛の皮から作られている。イライラハンはキャラクタに―よって、髪型の部分の形もジャマンの形も決まっていて、アルス(優形)であればジャマンの先は丸くなっており、ガガー(荒型)であればジャマンの先はとがっている。

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↑左:正面から見たスリカンディのイライラハン
 右:サイドから見たスリカンディのイライラハン


②は宮廷舞踊で使われる。槍や剣の鍛錬をする兵士を描いた男性舞踊(ウィレン)や女性舞踊のスリンピでは、踊り手自身の髪の毛をまとめ、布から作られた鉢巻状の物(兵士用)や王女用の冠を頭に着ける。①と違って、頭頂部は全部覆われずに空いている。このような舞踊は物語を下敷きにしていない。民間舞踊でも、ゴレッはスリンピのスタイルを模倣しているので、スリンピと似た冠を被る。なお、スリンピやゴレッの冠だが、王宮では金属製のものが使われるが、民間(芸大なども)では水牛の革製で、つまりは①のジャマンと同じである。

jamang-golek.jpg
↑ゴレッの冠(化粧がものすごく薄い…)

③結髪のみというのは女性舞踊にしかないが、それは男性は正装では必ず頭巾を被るからだろう。宮廷女性舞踊のブドヨではグルン・グデ(大きな髷という意味)という髪型に結う。これは宮廷女性の正式の髪型である。ただし、『ブドヨ・クタワン』だけは花嫁の髪型に結う。また、スリンピ用にはカダル・メネッという結い方をする。余談だが、これは逆立ちトカゲという意味である。ポニーテールにした毛束の先を持ち上げて顔の周りに沿わせ、櫛で留める形状がそのように見えるらしい…。実は、スリンピの衣装は2種類あり、②冠を被っても③結髪をしてもどちらでもよい。しかし、冠を被る場合は上半身はコタン(肩を覆う上着)、結髪ならコタンかムカッ(肩を露出するコルセットのような上着)と決まっている。ちなみに、民間女性舞踊ガンビョンの髪型はブドヨと同じである。これは、かつて宮廷人の集まる場に呼ばれたガンビョンの踊り子が、その髪型をするように指示されたためだと私は聞いている。

カンティル
↑グルン・グデの結髪(実は本文では言及していないが、白いジャスミンの花で飾ると、同じ髪型だがバングン・トゥラッという名前に変わる…)

wayang pejabat
↑右の女性の髪形がカダル・メネッ。この写真はジャワで見た舞台公演のプログラム。