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Beaten Bark for Wayang Beber
8月6日から以下のプロジェクトのためにインドネシアに来ています。遅まきながら、プロジェクトの案内ブログ(日本語、私が作っています)ができましたのでお知らせします。

Beaten Bark for Wayang Beber

事業名: インドネシアの消滅の危機にあるBeaten Bark製の絵巻物ワヤン
      べベルの保全継承を、社会全体で具体的に促進していく日イ協働
      の支援・応援プロジェクト
      Preserve, invigorate and reinvent Beaten Bark Heritage in Indonesia:
      multinational collaboration project for Save Wayang Beber"
助 成: 2018年度アジア・文化創造協働助成プログラム
     (国際交流基金アジアセンター)

写真:インドネシア国立図書館(Perpustakaan Nasional Indonesia)に展示されたダルアン紙(ワヤン・べベルの制作に使われる)
ダルアン国立図書館にて

2018.08水牛「バブル時代と宗教」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年8月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「バブル時代と宗教」を寄稿しました。



バブル時代と宗教

オウム真理教の教祖以下の死刑が執行された。執行された人たちの若かりし頃の写真を見ると、バブル期に流行ったデザインのフレームの眼鏡をかけて笑っている。私も学生時代にあんな形の眼鏡をしていた。レンズが大きくて重かった。いつ頃だったか、私は学生時代の眼鏡のレンズを削って、その当時流行していた小さな楕円形のフレームに入れ直してもらった。その眼鏡のつるが昨年折れて、また新しいフレームに入れ直そうと思ったら、当世風のレンズはもう少し大きく横長になっていて、私のレンズは寸足らずになってしまっていた。そんなに時間が経過していたのに、オウムの人たちの時間はあの大きなレンズの時代で止まってしまっていたのだ。

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大学時代の友人Tは春休み中にある宗教団体に入信した。大坂城公園で友人同士集まってお花見をしたときにその話が出た。すでにTと会った数人がそれぞれ脱会するよう説得したらしいけれど、Tは洗脳されて態度がかたくなになっていると言って泣いた。折しも世はバブルのピークに差し掛かろうとしていた。公園ですれ違ったOLがワンレンの髪をソバージュにして、黄色いボディコンのワンピースを着て腰にチェーンベルトを巻いて闊歩していたことを思い出す。

それからしばらくして大学の食堂でTに会った。Tは久しぶりと言い、私に宗教の話をしてくる。ここで説得するより、ひとまずは彼女を受け止めようと黙って話を聞いていたら、Tは逆に「あなたは私を止めないの? みんな私を説得してきたわよ!」と切れてしまった。こんな時は、本当はどうしたらよかったのだろう…。私の反応は冷静すぎたのだろうか。彼女は止めてほしかったのか、認めてほしかったのか。あるいは説得されると思い身構えていたのに肩透かしを食らったので苛立ったのか。

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大学卒業後に就職した企業では勤務5年目の女性が受ける研修があった。私も受けてから辞めることになるのだが、この研修を受けた先輩から「なんだか洗脳されているように感じる」と聞いていた。今にして思えば、あればバブル期頃からはやり始めた自己啓発セミナーの一種だった。X JapanのToshiで話題になったような過激な手法ではないが、やる気を他者に操作されているような感覚があった。悪い意味での宗教に似ていた気がする。

私の肌感覚では、バブル時代は一種の宗教の時代だった。私がその当時の宗教に影響を受けなかったのは、私自身、葬式仏教で良しとする仏教徒であることに誇りを持っているからかもしれない。そう、根っからの土着派なのだ。ジャワのイスラムやカトリックでは死後1週間、40日、100日、1年、2年、1000日目に法要をするのだが、その先祖崇拝という点については分かるという感覚があるし、そういう私の仏教心はわりとジャワの人に理解してもらっている気がする。上に上げたような宗教では先祖崇拝にベクトルが向かわないようだ。私は特に先祖を敬っている自覚もないけれど、その点が落ち着かない。
2018.07水牛「ブドヨ・クタワン」
ずっとアップし忘れていました…

高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年7月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「ブドヨ・クタワン」を寄稿しました。


ブドヨ・クタワン

『ブドヨ・クタワン』はジャワのスラカルタ王家に伝わる舞踊で、王の即位式と毎年の即位記念日に上演されてきた。マタラムの王が王家を守護する南海の女神と結婚するという神話を描いているとされる。現当主パク・ブウォノXIII世は、今年の4月12日に14回目の即位記念日を迎えたのだが、舞踊だけで1時間半、入退場も含めると2時間近くかかるこの舞踊が、今年は15分、入退場を入れても約30分しか上演されなかった。私はジャワに住む知人からこのことを知らされ、新聞で確認してみた。『ブドヨ・クタワン』は3部構成なのだが、今回上演されたのは第3部のみ。XIII世の健康状態が思わしくないため短縮した、あくまでもそれは今年だけの措置であると王宮関係者がインタビューに応えている。しかし、昨年も15分しか上演されなかった、XIII世即位後にはイレギュラーなケースが続いていると報じた新聞もある。舞踊継承を担当してきたムルティア王女と王家の軋轢も報道されている。今年の踊り手の写真を見ると、アクセサリが王家所有のものではなく、一般的なデザインになっている。踊り手を王宮外(芸大や芸術高校)から集めたと報じたものもあり、通常の踊り手や衣装が使えない状況にあったことが分かる。私も通算5年の留学期間を通じて舞踊の練習に参加させてもらい、また様々な儀式を参与観察させてもらった王宮だけに、この状況は悲しい。
2018.06水牛「儀礼と見世物」
ずっとアップし忘れていました…

高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年6月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「儀礼と見世物」を寄稿しました。


儀礼と見世物

少し前の出来事だが、大相撲巡業中に土俵上で倒れた市長の救命処置をした女性に対し、行司が土俵を降りるようにアナウンスするという事件があり、大相撲の女人禁制は伝統か? 神事か? と取り沙汰された。この時にツィッタ―で知ったのが2008年の論文「相撲における『女人禁制』の伝統について」(吉崎祥司、稲野一彦)で、女人禁制は相撲界の地位向上のため明治以降に虚構されたと結論づけている。その論文によれば、日本書紀に最古の女相撲の記録があり、室町時代の勧進相撲には女人も参加しており、江戸時代には女相撲の興行があったが、文明開化後も存続するため、相撲は単なる見世物興行ではなく、武士道であり朝廷の相撲節の故実を伝えるものであるという理由付けが必要となったというのだ。

見世物ではないと主張するために儀礼性が強調されるようになったという経緯には私も納得するのだが、逆に、見世物だからこそ相撲協会は儀礼性や伝統を強調したがるのではないだろうか。なぜなら、単に相撲はレスリングの一種だと紹介するより、古代からの伝統や女人禁制の神事だと紹介する方が人々の関心を惹き、集客がアップするだろうからである。

そう私が思うのは、私自身がインドネシアでスラカルタ宮廷様式のスリンピとブドヨの自主公演をそれぞれ実施した経験による。スリンピもブドヨもジャワ宮廷女性舞踊の演目で、私はどちらもほとんど上演されない元の長いバージョンで上演した。スリンピ公演をしたのは2006年11月で、スラカルタの国立芸術高校の定期ヌムリクラン公演(毎月26日に行う公演という意味)に組み入れてもらった。(詳しくは水牛2007年4月号水牛20017年5月号の記事を参照)。一方、ブドヨ公演をしたのは2007年6月で、これはスラカルタにある州立芸術センターでの単独公演として行った(ただし芸術センターと共催)。ブドヨ公演にはチラシやポスターをデザイナーに作ってもらって印刷したが、スリンピ公演の時は自分でパソコンで作ってコピーしたちらしのみ。しかし、この3年あまり続く定期公演では普段はちらしさえ作っていない。それでも伝統舞踊が見られる場として定着し、観客もついている。私はどちらのケースでも事前にスラカルタのマスコミにプレスリリースをしてPRに努めた。世間の反応は同じようなものだろうと思っていた。

その結果だが、ブドヨ公演の時はプレスリリースを見た芸術制作団体が記者会見の場を設けてくれた。コンパス紙は公演練習の取材に来てくれたし、地元のFMにラジオ出演もした。最終的に計19回、新聞や全国誌に公演情報から公演評まで掲載され、公演後に全国放送のテレビ番組にも呼ばれた。ところが、その半年前のスリンピ公演の時には、メディアには全く取り上げてもらえなかった。同じようにプレスリリースしたのに…。しかし、ブドヨ公演の後で知り合った記者たちがブドヨは儀礼舞踊だから…と言うのを聞いて、私も悟ったのだ。

ブドヨとスリンピは並べて言及されることが多く、振付もあまり違わない。ブドヨがスリンピに、スリンピがブドヨに改訂されることも少なからずある。スリンピであれブドヨであれ、私にとっては現在ほとんど上演されない長いバージョンを復興することに意義があるのだが、記者たちにとっては違った。ブドヨは報道すべき価値のある儀礼舞踊だが、スリンピはそうではなかったのである。確かに、歴史的にはブドヨの方が古く、スリンピの方がより新しい形式である。特に、スラカルタ王家には即位記念日にのみ上演されるブドヨの演目があって、ジャワの王家の祖が南海の海で女神とあって結婚し、王権を得たという神話を描いている(ただし同じブドヨでも他の作品にはそのような意味ははない)。だから、ブドヨ=儀礼という観念はジャワ人には――特に文化記者たちには――馴染みのあるものなのだ。スリンピも宮廷儀礼として説明されることが多いはずだが、ブドヨの方がより定着していたということだろう。このスリンピとブドヨの公演のメディア掲載数の差は、「儀礼」という語が持つ集客力を表しているように見える。

こんな経験をしているので、儀礼というレッテルは、人々の見たいという欲望をかきたて、見世物としての価値を高めるものだと思わずにいられない。それは相撲協会だけでなく、他の伝統儀礼にも多かれ少なかれ言えることでもある。


参考映像 
スリンピ公演 https://www.youtube.com/watch?v=5OTPv6ZwzVE&feature=youtu.be
ブドヨ公演 https://vimeo.com/41615605