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3/3 ジャワ舞踊と和籟弦打と美の宴@都城
早春を舞う ジャワ舞踊と和籟弦打と美の宴
ジャワ舞踊、笛、太鼓、アートによるライブパフォーマンス


日時: 2019年3月3日(日)13:00~14:20 (開場:12:30)
会場: レインボーハウス 
     宮崎県都城市夏尾町6223

13:00~13:15 ジャワ宮廷舞踊 "Srimpi Anglirmendhung"前半
13:15~13:40 休憩・歓談
13:40~14:20 ライブパフォーマンス

■コラボレーション:
冨岡三智: ジャワ舞踊
井上大輔: 笛(能管、長菅尺八、篠笛)、桶太鼓、薩摩琵琶
        音楽家、劇壇井上天幕主宰
        https://gekidaninouetento.wixsite.com/inouetentozero
水口麿紀: アート
        アート工房ミルトス主宰
        http://mirutos.info/

■主催: レインボープロジェクト

20190303都城

昨年同様、今年も別府にインドネシア語研修の仕事で来ていますが、その別府から足を延ばして宮崎に初上陸、ジャワ舞踊を舞ってきました。土曜午前中の仕事を終えて12:30 職場発―別府駅―【バス・パシフィックライナー号】―宮崎駅―【JR日豊本線】―西都城駅―【迎えの車】―ミルトス工房着20:20頃と、約8時間の旅!九州は広い…。この日も翌日も雨。

このプロジェクトを企画してくれた水口さんとは、実は1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに知り合っています。被災した水口さんが私の地元に疎開して来られ、何度かアトリエにお邪魔しました。当時、鉄や木などを使ったオブジェを製作されていた水口さんは2000年(私は留学中)に高千穂へ転居。その後も年賀状でやり取りはありましたが、九州に行かれた水口さんは明るい光に満ち溢れた絵画作品を描くようになり、その変化に私は目を見張り、何があったのだろう…とずっと気になっていました。九州に行く機会も全然なかったところ、思いがけず別府での仕事が入ったので連絡を取ると、このようなライブを企画してくれました。相変わらずパワフルで軽やかな生き方にエネルギーをいただいて戻ってきました。また、今回水口さんが共演にと紹介してくれたのが井上大輔さん。繊細な声や物腰なのに、出てきた音は背骨にびくっとくる。ぶっつけで相手の出方を見ながらのライブは、とても刺激的でした。

●"Srimpi Anglirmendhung"前半
●都城IMG_4440 - blog

●都城IMG_4445 - blog


●ライブパフォーマンス
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●スタッフや参加者の方と
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手前右から: 水口磨紀、私、井上大輔
2019.03水牛「インドネシアで住んだ家(2)王宮の東側の地域」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2019年3月」(水牛のように)コーナーに、
インドネシアで住んだ家(2)王宮の東側の地域」を寄稿しました。

実はタイトル詐欺の文章で(笑)、下見だけして住まなかった家の持ち主にまつわる思い出。


インドネシアで住んだ家(2)王宮の東側の地域

前回はインドネシアに最初に留学した時に住んだ家のことについて書いたが、その時に下見したものの結局入居しなかった家(の持ち主)の思い出について今回は書いてみよう。

住む家の契約を終え、引っ越し目前という時になって、宿の従業員が新たな情報を聞き込んできた。宿の斜め向かいの家で借り手を探しているというのだ。実は、そこに家があることを私は全然知らなかった。表通りから一本入った宿の辺りの家々には高い塀が巡らされていて、塀の奥にどんな建物が立っているのか全然見えなかったのだ。今さら仕切り直しをする気はなかったが、後学のために家だけ見ておきたいという気になり、物件を見せてもらった。持ち主はアラブ系の顔だちと服装をしていた。塀の中には広い庭があり、一人で住むには手入れが大変そうだった。私が礼を言って断ると、持ち主は「お構いなく、すべてはアラーの思し召しのままに…」という意味の言葉を返した。まだイスラムのこともほとんど知らなかったこの頃、イスラムの人はそういう風に発想するのか…と新鮮に感じたことを覚えている。

この持ち主自身はパサール・クリウォン地区に住んでいるとのことだった。実は、その地区には織物を商うアラブ系インドネシア人が歴史的に多く住んでいる。伝統文化のセンターである王宮の塀のすぐ外側(東側)の所だが、金曜礼拝の前後にこの辺りを通りかかると、全身を黒づくめの衣装で覆った女性が集まってくることに驚く。ゆるやかなイスラム教徒が多いジャワ人芸術家たちとだけ付き合っていると、こういうイスラム世界は見えてこない。ちなみに、2016年にジャカルタのスターバックス前でテロを起こした首謀者もこの地区の出身だ。この後私が住むカンプンバル地区(王宮の北側)の目と鼻の先である。実は、そのテロ事件が起こる前は、wikipediaのパサール・クリウォンの項目にはアラブ系の人がそこに集住した経緯が詳しく書かれていた。テロ関係のことを調べている友人にもそのことを教えてあげたのだが、事件後数日で記事のほとんどが削除されてしまった。何かまずいことでも書かれていたのかもしれない。というわけで、王宮の東側というとこの家の持ち主のことが思い出される。