2019年09月28日 (土)
ジャワ舞踊ではありませんが…以下に出演しました。十津川村武蔵の盆踊りは大学生時代にフィールドワーク実習で行って以来、節目節目に行っています。村の方々以外に村の盆踊りに数十年関わっている外部学生らも参加してほしいと要請があったとのことで出演しました。

スタンバイ前に親善大使の人たちと。
第27回地域伝統芸能全国大会
「地域伝統芸能による豊かなまちづくり大会なら・かしはら」
愛称: 日本の祭り in なら・かしはら 2019
日時: 2019年9月28日(土)
場所: ジェイテクトアリーナ奈良(サブ会場)
団体: 奈良県十津川村武蔵踊保存会
演目: 十津川の大踊・盆踊 として
お松くどき、おかげ節、
伊勢音頭(西川、小原、武蔵の十津川村3地区合同)
https://matsuri-narakashihara.jp/index.php
※ 上記の公式サイト>出演団体>奈良県内招聘団体に団体や演目の詳しい解説があります。

スタンバイ前に親善大使の人たちと。
第27回地域伝統芸能全国大会
「地域伝統芸能による豊かなまちづくり大会なら・かしはら」
愛称: 日本の祭り in なら・かしはら 2019
日時: 2019年9月28日(土)
場所: ジェイテクトアリーナ奈良(サブ会場)
団体: 奈良県十津川村武蔵踊保存会
演目: 十津川の大踊・盆踊 として
お松くどき、おかげ節、
伊勢音頭(西川、小原、武蔵の十津川村3地区合同)
https://matsuri-narakashihara.jp/index.php
※ 上記の公式サイト>出演団体>奈良県内招聘団体に団体や演目の詳しい解説があります。
2019年09月16日 (月)
時系列に沿っていませんが、インドネシアでの写真をアップします。
2019年09月15日 (日)
8月の1か月間、国際交流基金日本語パートナーズ派遣前インドネシア語研修に携わっていました。2015年8月(インドネシア4期)からずっと携わっています(ただし昨年8月(インドネシア10期)は別のプロジェクトのため不参加)。懇親会の時の伝統衣装姿で。


2019年09月04日 (水)
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
「2019年9月」(水牛のように)コーナーに、
「ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~」を寄稿しました。
ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~
実は、『水牛のように』2006年3月号~5月号に「ここ10年のインドネシアと日本」と題して、スハルト時代の役所の習慣やら、電話やインターネットの事情やらについて書いた(バックナンバーには未収録)。ところが、それから10年あまりが過ぎて、もはや2006年に書いたことすら古くなってしまった。いつか、この駄文が風俗資料になるかもしれないと思いつつ、ここに30年間の変化を書き留めておこう。
1996年3月にインドネシアに留学するに当たり、私は初めてハンディカムのビデオカメラを記録用に買った。確か当時は20万円近くしたが、留学だからと奮発した。それはHi8という8ミリの上位機種で、アナログ式。SPモードで120分のテープに録画する。現在のデジタル画像に慣れた目で見ると、画質の差はいかんともしがたい。が、問題は記録があるかないかなのだ。70年代と80年代の調査記録を基に書かれた海外の舞踊研究書の序文に、80年代半ばに一般用8ミリビデオが発売されて研究が大いに進展したと書いてあったことが強く記憶に残っている。それまで舞踊研究に使われてきた資料といえば、伴奏音楽の録音、舞台写真、舞踊譜(動きを専門用語で書き留めたもの)、フォーメーション図(移動方向や向きを図で表したもの)しかなかった。これらの方法を併用しても動きを言葉で説明するには限界があり、しかも、その記録を基に動きを想像し再現することができるのはその舞踊の経験者だけだ。未経験者には無理なのである。しかし、映像なら未経験者でもどんな動きの舞踊かを知ることができる。そんなわけで、80年代の一般用ビデオの発売は舞踊研究において画期的な出来事だったと思う。
2000年2月、私は古いHi8カメラを携えてインドネシアに再留学した。が、4月以降に新しく留学してきた人たちが持ってきたのはデジタルのビデオカメラ。ちなみに、その人たちは写真カメラもデジタルだった。2000年頃を境に世はアナログからデジタルに移行しようとしていた。アナログ・データをダビングするには元データと同じだけ時間がかかるが、デジタルならすぐに複製でき、編集もできてしまう。画質以上に、この複製編集の手軽さこそがデジタル化の本質だ。
youtubeの設立は2005年らしい。私の周囲では2007~08年前後からyoutubeやfacebookなどに映像をまめにアップする人たちが増えたように感じる。たぶん、編集用コンピュータの容量増加やスマホの登場(2007年)も影響しているだろう。一方、Hi8時代―つまり1980~90年代―の記録は、デジタル変換されなければ存在しないも同然になってしまう。再生機もすでに製造中止になっているのだから。私は2005年頃に自分が記録したHi8映像の多くをDVD化したが、まだの分も少なくない。私より少し古い世代の人たちの記録なら世代ごと忘れられてしまう可能性もあるように感じる。デジタル時代の人たちがHi8時代の人たちより活躍しているというわけではないのだ。デジタル格差とは、インターネット等の技術を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差のことを言うが、このように世代による記録情報の残り方の格差は含まないのだろうか。
「2019年9月」(水牛のように)コーナーに、
「ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~」を寄稿しました。
ここ30年のインドネシアと日本 ~映像記録メディア~
実は、『水牛のように』2006年3月号~5月号に「ここ10年のインドネシアと日本」と題して、スハルト時代の役所の習慣やら、電話やインターネットの事情やらについて書いた(バックナンバーには未収録)。ところが、それから10年あまりが過ぎて、もはや2006年に書いたことすら古くなってしまった。いつか、この駄文が風俗資料になるかもしれないと思いつつ、ここに30年間の変化を書き留めておこう。
1996年3月にインドネシアに留学するに当たり、私は初めてハンディカムのビデオカメラを記録用に買った。確か当時は20万円近くしたが、留学だからと奮発した。それはHi8という8ミリの上位機種で、アナログ式。SPモードで120分のテープに録画する。現在のデジタル画像に慣れた目で見ると、画質の差はいかんともしがたい。が、問題は記録があるかないかなのだ。70年代と80年代の調査記録を基に書かれた海外の舞踊研究書の序文に、80年代半ばに一般用8ミリビデオが発売されて研究が大いに進展したと書いてあったことが強く記憶に残っている。それまで舞踊研究に使われてきた資料といえば、伴奏音楽の録音、舞台写真、舞踊譜(動きを専門用語で書き留めたもの)、フォーメーション図(移動方向や向きを図で表したもの)しかなかった。これらの方法を併用しても動きを言葉で説明するには限界があり、しかも、その記録を基に動きを想像し再現することができるのはその舞踊の経験者だけだ。未経験者には無理なのである。しかし、映像なら未経験者でもどんな動きの舞踊かを知ることができる。そんなわけで、80年代の一般用ビデオの発売は舞踊研究において画期的な出来事だったと思う。
2000年2月、私は古いHi8カメラを携えてインドネシアに再留学した。が、4月以降に新しく留学してきた人たちが持ってきたのはデジタルのビデオカメラ。ちなみに、その人たちは写真カメラもデジタルだった。2000年頃を境に世はアナログからデジタルに移行しようとしていた。アナログ・データをダビングするには元データと同じだけ時間がかかるが、デジタルならすぐに複製でき、編集もできてしまう。画質以上に、この複製編集の手軽さこそがデジタル化の本質だ。
youtubeの設立は2005年らしい。私の周囲では2007~08年前後からyoutubeやfacebookなどに映像をまめにアップする人たちが増えたように感じる。たぶん、編集用コンピュータの容量増加やスマホの登場(2007年)も影響しているだろう。一方、Hi8時代―つまり1980~90年代―の記録は、デジタル変換されなければ存在しないも同然になってしまう。再生機もすでに製造中止になっているのだから。私は2005年頃に自分が記録したHi8映像の多くをDVD化したが、まだの分も少なくない。私より少し古い世代の人たちの記録なら世代ごと忘れられてしまう可能性もあるように感じる。デジタル時代の人たちがHi8時代の人たちより活躍しているというわけではないのだ。デジタル格差とは、インターネット等の技術を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差のことを言うが、このように世代による記録情報の残り方の格差は含まないのだろうか。
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