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2/24大垣 IAMASで踊る
情報科学芸術大学院大学(IAMAS)第18期生修了研究発表会・プロジェクト研究発表会(2/21-24)のうち、「タイムベースドメディア・ガムランコンサート」において、ジャワ舞踊ガンビョン・パンクル(Sl.M)を踊りました。(1曲目演奏にも入りました。)

日時: 2月24日(月・休)12:30-13:30
場所: 岐阜県大垣市 ソフトピアジャパンセンタービル
     1F エントランスホール(信長像のある所)
演奏: マルガサリ
入場無料
演目: 
1) Gd. Turulare kt.2 kr. mg. 4 (soran) pl.
2) Ldr. Semar Mantu
3) IAMAS 校歌
4) Uler Kambang
5) 舞踊 Gambyong Pangkur sl. M

https://www.iamas.ac.jp/exhibit20/

●20200224_6759blog

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信長像と
2003年公演「ダルマニンシウィ」練習映像
== Indonesian follows Japanese. English follows Indonesian. ===

2003年に私も参加した公演「ダルマニンシウィ」のドレスリハーサル前の練習映像です。主催により許可が出ましたので、ここに公開します。スラカルタ宮廷舞踊家のクスモケソウォが振り付けた2作品をその直弟子が踊り、クスモケソウォの孫が3作目を振り付けています。最後に出演関係者でクスモケソウォの墓参をしています。

Latihan Dharmaning Siwi di Sono Seni (Retna Pamudya, Sri Pamoso, Dharmaning Siwi, dan jiarah)


この公演の詳細については以下のエッセイで書いていますが、このエッセイはサイト『水牛』のアーカイブには未収録で、本ブログに掲載しています。

『水牛』 2003年3月号 「ジャワでの舞踊公演(1)公演の背景」 
『水牛』 2003年4月号 「ジャワでの舞踊公演(2)」




Gladi kotor untuk Pagelaran Tari "Dharmaning Siwi" (Darma Bakti Seorang Anak kepada Leluhurnya)
Ujian Penciptaan Tari Pascasarjana ISI Surakarta
oleh Djoko Tutuko

* Rekaman gambar oleh Michi Tomioka ini terbuka untuk umum atas izin dari Djoko Tutuko.

30 Januari 2003 latihan di tempat pentas (pendopo Sono Seni), Surakarta
31 Januari 2003 jiarah ke makam RT Koesoemokesowo (1909-1972)

1. "Rentna Pamudya" (versi asli)
pencipta tari: RT Koesoemokesowo
penari: Retna Maruti (murid RT Koesoemokesowo)

2. "Sri Pamoso" (penggalian)
pencipta tari: RT Koesoemokesowo
penari: Sulistyo Tirtokusumo (murid RT Koesoemokesowo)

3. "Dharmaning Siwi"
pencipta tari: Djoko Tutuko
pencipta musik: Suwito
penari: Michi Tomioka, Saryuni Padminingsih, Hadawiyah Endah Utami, Sri Styoasih, Susiwi Hadinoto, Aru Jybtarti, Ali Marsudi, Hartanto



Rehearsal of "Dharmaning Siwi" (Dedication from the grandson to his grandfather/ Surakarta Court dancer:RT Koesoemokesowo and his mother/dance master: Sri Sutjiati Djoko Soehardjo),
the graduation performance of the Graduated school of Indonesian Institute of the Arts Surakarta
presented by Djoko Tutuko

* This image recording by Michi Tomioka was open to the public with the permission of Djoko Tutuko.

30 January 2003 stage rehersal(pendopo Sono Seni), Surakarta, Indonesia
31 January 2003 visiting the grave of RT Koesoemokesowo (1909-1972)

1. "Rentna Pamudya" (the original version)
Choreography: RT Koesoemokesowo
Dancer: Retna Maruti (pupil of RT Koesoemokesowo)

2. "Sri Pamoso" (reconstruction)
Choreography: RT Koesoemokesowo
Dancer: Sulistyo Tirtokusumo (pupil of RT Koesoemokesowo)

3. "Dharmaning Siwi"
Choreography: Djoko Tutuko
Music Composer: Suwito
Dancers: Michi Tomioka, Saryuni Padminingsih, Hadawiyah Endah Utami, Sri Styoasih, Susiwi Hadinoto, Aru Jybtarti, Ali Marsudi, Hartant (pupils of Sri Sutjiati Djoko Soehardjo)

ジャカルタでのスリンピ公演映像
2007年にジャカルタ公演した時の映像です。公演後にすぐビデオでいただいたものの、windowsではずっと再生できず、最近やっと見ることができました。

Srimpi Gondokusumo (long version) in Jakarta



ジャワ、スラカルタ宮廷舞踊 (完全版)
日程: 2007年8月26日
会場: タマン・イスマイル・マルズキ
    ~ジャカルタ芸術大学構内 
    Teater Luwes劇場
舞踊: Michi Tomioka,
    Sri Setyoasih,
    Saryuni Padminingsih,
    Hadawiyah Endah Utami
主催: Michi Tomioka
2020.02水牛「訃報続き」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2020年2月」(水牛のように)コーナーに、
訃報続き」を寄稿しました。

※ ちなみに私の過去記事は以下から読めます。
『水牛』冨岡三智アーカイブ 
『水牛』冨岡三智アーカイブ 未収録記事一覧 



訃報続き

ここのところ、お世話になった方々が連続して亡くなった。追悼の意を込めて少し思い出について書いてみる。

昨年末の12月29日にはスプラプト・スルヨダルモ氏(74歳)が亡くなった。在野で国内外の舞踊家に大きな影響を与えた舞踊家で、私も尊敬する舞踊家の口からプラプト氏のことについて聞く機会が何度もあり、氏の影響力をつくづく感じたものだ。氏は聖なる場や自然と一体化し、内的なものから生まれる動きに従って踊る人だった。実はサルドノ・クスモ氏と同年(1945年)、同地域(スラカルタ市クムラヤン地域、宮廷芸術家が多く住んだ地域)の生まれである。この2人がジャワの現代舞踊の2大潮流をつくり出したと言って良い。氏は海外で指導することも多く、1986年にスラカルタに開いたスタジオ「ルマ・プティ」では国内外から学びに来る舞踊家を受け入れ、舞踊イベントなども開いていた。私も何度かそこでのイベントに参加したこともある。それ以外に、毎年大晦日から新年にかけてはヒンズー教のスクー遺跡でスラウン・スニ・チャンディ」(遺跡での芸術の集い、の意)というイベントを開催されていた。私も2011年大晦日に声をかけていただき出演したが、観光文化省の信仰局長やスラカルタ王家のムルティア王女を来賓に迎えるほどの規模の大きなイベントだった。

今年に入り、1月18日には留学していたインドネシア国立芸術大学スラカルタ校教員のサルユニ・パドミニンセ女史(61歳)が亡くなった。私が芸大に留学した時に1年生の基礎の授業を受け持っていたのがサルユニ女史だった。私にとっては芸大授業で初めて習った女性の先生である。2度目に留学した2000年、ちょうど芸大に開設された大学院に入学したサルユニ女史は、私がジョコ・スハルジョ女史から受けていた宮廷舞踊のレッスンに、もう1人の教員と一緒に参加してくれた。そして2000~2003年の3年間はずっと一緒にジョコ女史の元で宮廷舞踊を練習し、2002年にはジョコ女史も入れて4人で芸大大学院の催しで『スリンピ・ラグドゥンプル」完全版を踊った。その翌年にはジョコ女史の息子が振り付けた公演でも一緒に踊り、2006年と2007年に私がスリンピとブドヨのプロジェクトをして3公演を制作した時にもすべて出演してもらった。芸大の授業では先生は見本を見せてくれるとは言え、最初から最後までついて踊ることはしない。しかし、長い宮廷舞踊をずっと一緒に踊る時間を共にできたことは、今から思えば非常に贅沢な時間で、言葉にならない影響をいろいろ受けたように思う。

1月22日にはバンバン・スルヨノ氏(芸名:バンバン・ブスール氏、60歳)が、翌1月23日には岩見神楽岡崎社中の元代表の三賀森康男氏が亡くなった。2人は、私は友人たちが2008年に企画したジャワ舞踊と岩見神楽の共同制作に参加して島根で『オロチ・ナーガ』を一緒に作り上げてくださった方々である。バンバン氏はマンクヌガラン王家の舞踊家として活躍するだけでなく、2000年に大学院が開設されて以降はサルドノ氏の助手として指導にあたり、呼吸や声についての独自のメソッドを持っていた。島根で公演した時には舞踊のワークショップもしてもらったのだが、バンバン氏の呼吸法や声にものすごく私の身体が感化されて、あくびが止まらなかったことを覚えている。三賀森氏は社中の中で最も年長ながら、最も柔軟な姿勢で受け入れてくれた。伝統を極めた人はこんなにも自在なのだと感じた。お互いに長い歴史を持つ岩見神楽とジャワ舞踊の間をつなぐすという経験をして、私は、遠く離れた場所でそれぞれ井戸を深く深く掘り下げていけば、いつかは同じ地下水脈に行き当たるのだな…と感じたことだった。