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2020.06水牛「コロナ蟄居」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2020年6月」(水牛のように)コーナーに、
コロナ蟄居」を寄稿しました。

すっかりアップロードを失念しており、いま7月分の原稿を書いているところです。気疲れが抜けないと言う意味では、このエッセイを書いた1か月前とあまり変わらない状況。




コロナ蟄居
冨岡三智

5/25の全都道府県の緊急事態宣言の解除を受けて、また状況が変わる。先月号で「4/30時点では4校中3校が前期はすべてオンライン授業と決まった」と書いたけれど、残りの1校が6月1日から対面授業に決まった。この大学は医大で必修科目が多いため、オンライン授業も当面(最短で5月末まで)という予定だったのだ。さて、来月はどんな状況になっているだろう…。

閑話休題。

この緊急事態宣言下での家籠り生活が長くなってきた頃、昔の武士にとって蟄居閉門が刑罰になるという意味が分かったという内容のツイートを見かけて、なるほどと思う。家にこもるのがわりと好きで落ち着いていると先月書いたけれど、少し気疲れがたまってきて、最近それがあまり抜けなくなってきた。人に自由に会ったり話しかけたりできないのも拘束感を覚えるものなのだ。これが蟄居生活というものか…。6月からは週に1コマだけだが通勤が発生する。もう1セメスターの半分は過ぎたから、今さらの通勤に少しめんどくささも感じているけれど、気分が晴れるかもしれない。
2020.05水牛「コロナ アモックにならないように」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2020年5月」(水牛のように)コーナーに、
コロナ アモックにならないように」を寄稿しました。

すっかりアップロードを失念しており、いま7月分の原稿を書いているところ。2か月前の状況が遠い過去に見えます。




コロナ アモックにならないように…
冨岡三智

先月、非常勤講師先の大学の3/31時点での状況を書いたけれど、4/7緊急事態宣言が発令されることになったので、4/3頃にすでに状況は一変した。4月2週目から対面授業を開講するとしていた大学も急遽オンライン授業に変更し、けっきょく本日4/30時点では4校中3校が前期はすべてオンライン授業と決まった。仕事上の課題はあるにしても、実はわりと落ち着いている。家にこもるのが好きで仕事も一応あるからだが、物理的危害が加えられそうな不安はまだない…という理由が大きい。

最初のインドネシア留学時に、通貨危機(1997年)をきっかけにルピアが下落し、逆に物価が高騰して生活物資が不足し、暴動からスハルト大統領退陣(1998年5月)に至る直前までの状況を経験したから、あの当時の状況よりはマシである。研究者の調査報告を読んでいると、当時の買い溜めパニックは相対的に富裕層の高級スーパーにおける買い溜めが引き金となって伝統市場などに波及していったようだ。当時、特に不足が叫ばれていた代表格が食用油と砂糖だった。これは揚げ物が多い食事にたっぷり砂糖を入れたお茶を飲む南国ならではの状況だったろう。教会やモスク、王宮などが油や砂糖を買い付けて配給していたことを覚えている。

当時私がよく買い物していたマタハリ・デパートでは値札が頻繁に差し替えられ、そのうち値上がりに追いつかなくなって手書きになり、私が帰国する直前(5月上旬)に値札が一斉に棚から消えた。つまり時価になったのだ。そして、売り場の棚の所々にバーコードリーダーが置かれ、自分で値段を読み取るようになっていた。(余談だが、当時のマタハリには最新の富士通のPOSレジが導入され、バーコードリーダーで値札を読み取るようになっていた。)この、値札が消えた時の衝撃が忘れられない。同日午後に友人がマタハリに行った時には、すでに閉まっていたらしい。そして、私の帰国後にマタハリは放火されてしまった。

現在の日本でもマスクなどの高額販売や転売が問題になっているが、貧富の差が激しかったインドネシアでは物価上昇を狙って売り惜しみをしていると思われる店や、政府と癒着する富裕層への怨嗟が増していった。マタハリの実情は知らないが、大手のショッピングセンターや日本車などのショールームなどがそのために焼き討ちの対象になり、富裕層と目される華人に矛先が向かった。私たち日本人留学生の顔も、インドネシア人から見れば華人と区別がつき難いから狙われるかもしれない…という恐怖を、あの頃は本当に感じていた。自分の借りている家に「ここは日本人の家です」とペンキで書いた方がいいかもしれないと、留学生同士でしたくらいだ。今、自粛しない店への嫌がらせが一部で起きている。インドネシアには圧倒的な貧富の差と30年に渡るスハルト強権政治に対する反動があり、現在の日本ではあそこまでアモックにはなるまいと信じている。アモックamokはインドネシア語(マレー語)から英語に取り入れられた単語の1つだ。理性を失って荒れ狂った様を言う。1998年の暴動~政変の間によく使われた。最近、ふと当時のことを思い出す…。