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スリンピ「ラグドゥンプル」公演ビデオ
2002年に私の師匠や当時一緒にスリンピ練習に参加していたインドネシア国立芸大教員らとともに「スリンピ・ラグドゥンプル」完全版を上演したときのビデオをやっとyoutubeにアップしました。



https://www.youtube.com/watch?v=Kkx1LZ0c8Lw

"Srimpi Lagudhempel" versi utuh
「スリンピ・ラグドゥンプル」完全版

Waktu: Tgl.24 Januari 2002
2002年1月24日

Tempat: Sono Seni, Kemelayan, Surakarta, Indonesia
インドネシア、スラカルタ市、クムラヤン、ソノ・スニにて

Penari / 舞踊
Batak: Sri Sutjiati Djoko Soehardjo (nara sumber)
Gulu: Saryuni Padminingsih
Dada: Sri Setyoasih
Buncit: Michi Tomioka(冨岡三智)

pemusik / 演奏
Musik Pagyuban Sono Seni dari Kemelayan, Surakarta
    
Acara: "Gelar Tari - Empu Tari Surakarta dengan Mahasiswa Pascasarjana Program Penciptaan Seni Tari semester STSI Surakarta"
企画名:公演―芸大スラカルタ校大学院舞踊創作専攻1年前期学生と舞踊師匠が踊る

Panitia: STSI Surakarta, Pascasarjana Program Penciptaan Seni Tari

video: Michi Tomioka
7/11ジャワのオンライン上演された公演について
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オンライン(ライブ)上演 
日本時間2020年7月11日10:00~12:00過ぎ
1. Srimpi Tamenggita
2. Topeng Gunungsari (Bondhet)
3. Bromastra
Qs&A
制作: Dan's Danse Studio


Facebookで告知されていたこの公演を視聴。有料。個人情報が含まれているので、上のポスターの下半分はカットしている。
「スリンピ・タメンギト」は約35分の短縮版。

Q&Aコーナーでスリンピにおけるピストルの使用について質問があった。私は以前『水牛』にスリンピとピストルについてエッセイを2つ書いているのでそのリンクを再掲。また、私が修得したスリンピ10曲、ブドヨ2曲の完全版12曲を比較した論文もあるので、そのリンクも再掲(ダウンロードできます)。

・ 「ジャワ舞踊とピストル」、『水牛』2013年7月号
・ 「舞踊の小物について」、『水牛』2007年8月号
・ Michi Tomioka, "Women's Dances from the Javanese Court", International Journal of Intangible Heritage Vol.7

この公演は、ジャワの家の中で上演されるというので空間の大きさがちょうどよかった。踊り手に対し、空間が広すぎず狭すぎず、ジャワ舞踊を親密な空間で見ているような感があった。カメラは固定で、踊り手の映る。映像作品だと顔や手などのクローズアップが多くなりすぎるが、あれは舞踊映像としてはだめで、きちんと全身が映りながら、遠い感がなくて感心した。照明の色もとてもきれいだった。

残念だったのは、スリンピの冒頭に置かれるポチャパンpocapanがまちがっていたこと。あれはスレンドロ音階用のポチャパンでペロッグ音階用ではない。また、ポチャパンの中のコンドkandha部分については、合っているかどうか覚えていない。ポチャパンの抑揚が大きすぎて聞き取りにくかった。ああいう風にポチャパンの抑揚をつけるのはワヤンの時で、宮廷舞踊(クラトン・ソロ)の場合はもっと穏やかな言い方をする。なんで、あんな変な抑揚をつけたのだろう…。











2020.07水牛「インドネシアの公共料金支払いの思い出」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2020年7月」(水牛のように)コーナーに、
インドネシアの公共料金支払いの思い出」を寄稿しました。




インドネシアの公共料金支払いの思い出
冨岡三智

6/16の記事で、インドネシアのモスク評議会は、金曜集団礼拝の時間を携帯電話の番号が偶数か奇数かによって分けることを推奨したとあった。この偶数か奇数かでグループ分けするというのがいかにもインドネシアで、留学していた時の水道料金の支払いのことを思い出した。というわけで、今回は留学中の各種料金の支払いに関する思い出。

私がスラカルタ市(人口約50万人の都市)に留学/調査で住んだのは3回(①1996~1998年、②2000~2003年、③2006~2007年)。いずれも市役所の裏のカンプンバルという地域で、電気、水道、固定電話のある家を借りていた。実は、2019年に『水牛』で4回、当時住んでいた各家について書いている。私が住んでいた当時、この町の中心部でも固定電話のある貸家はあまりなかったし、井戸しかない貸家もあったので、割と贅沢したわけである。

①1996~1998年(5月初めまで)

この時、大家さんはすでにスマトラ島に引っ越しており、私は請求書(名義は大家さん)が家に届いたら自分で支払いに行くように言われていた。水道代は毎月7~20日の間にパサール・ルギ(ルギ市場)近くにある水道局に支払いに行った。ただし、いま水道局は移転して、別の機関がこの建物に入っている。水道局の受付時間は月~木曜日が8:00~13:00、金曜日は8:00~11:00。しかし、15日以降は7:30から開くというメモがある。これは、20日近くになると支払いが混むためである。ちなみに、金曜の昼にはイスラムの集団礼拝があるので、役所や学校は11時で終わる。段取りだが、家に届いた請求書を受付で渡すと番号札をくれるので、あとは番号が呼ばれるのを待つ。会計窓口は2つあり、奇数と偶数に分かれている。各窓口が交互に10~20人ずつ位一度に番号を呼ぶので、呼ばれた方の窓口に行くが、そこから先は早い者勝ちになり、窓口を奇数と偶数に分ける意味があるようにも思えない。日本のように、受け付け順に「〇番さん、x番窓口へ~」と呼ぶ方が公平な気がするのだが…。ここでの支払いはだいたい1時間以上かかり、いつも非効率なやり方だと思っていたものだ。

余談だが、この水道局の前には当時、牛の駅?駐留場?があった。荷物やレンガなどを運ぶのに、当時はまだ牛車も使われていて、ここに待機していたのである。今から思うと、ルギ市場に仕入れに来る人が利用していたのかもしれない。

次に、電気代の支払いは指定銀行に毎月10~20日の間に行く。受付は月~金曜の8:30~13:00。指定銀行の1つが舞踊の師匠の家から比較的近いので、いつもレッスンの前か後に行ったが、ほとんど待ったことがない。

電話代は、我が家から徒歩圏内にある中央電話局に支払いに行く。毎月1~20日の支払いで、月~木曜日は8:00~13:30、金曜日は11:30までだがお祈りで一時中断したのち13:30まで受付。やはり待ち時間は長く、1時間くらいかかったように思う。ここでは受付番号ではなく人名(請求書にある大家さんの名前)で呼ばれたと記憶している。

②2000~2003年

この時は同じ町内に大家さんが住んでいて事務所もあるので、その事務所に支払いに行っていた。大家さんは電気、水道、電話代すべてを口座引き落としにしていたので、全部の引き落としが済んでから合計金額を事務所に支払いに来てくれという話だった。というわけで、この間はどういう状況だったのか分からない。

③2006~2007年

再び、公共料金の支払いを自分ですることになる。①の留学を終えて帰国直後、スハルト大統領は退陣し、インドネシアは民主化された。その後、状況はいつの間にか変わっていた。水道料金は徒歩圏内にある中央郵便局で支払うことができるようになっていたのである。郵便物を出すカウンターの数が減って、代わりに公共料金の支払いカウンターができていた。また、支払いとは関係ないが、局内の壁に有料広告を出せるようになっていたのも大きな変化だ。1996年に日本からダルマブダヤ(関西のガムラン音楽団体、私も所属していた)が公演に来た時、私はポスターを掲示させてもらったのだが、実はその時は無料だったのである。内心、有料でないことに驚いたくらいだ。民主化により、サービスを高め、稼げる体質目指して方向転換したのだろう。②の時期にはすでにそうなっていたのだろうか…。

電気料金は電力公社で支払うようになっていた。ここも徒歩圏内にあるが、①の時期にはまだその場所で支払いはできなかったはずである。建物が新しくなり、中に入ると受付番号の自動発行機が据えられ、日本並みに便利になったなあと感じたものだ。

電話料金の支払いについては、どういうわけか記憶がない。ただ、この1年間で各種支払いに自分で行ったのは最初の1月だけだった。2019年7月号にも書いたけれど、隣に住む元・ベチャ(人力車)引きのおじいさんから申し出られたこともあり、代行を頼むことにしたのである。以前のように延々待つことはないだろうけれど、やはり毎月支払いに回るのはめんどくさいと思ってお願いした。

あれから10年以上経ったけれど、この間に公共料金支払いはさらに便利になったのだろうか?建物や職員の働きぶりは変わっただろうか。ちょっと気になっている。