2020年09月22日 (火)
音楽家・高橋悠治氏のサイト『水牛』に2002年11月からエッセイを寄稿し始めましたが、2020年9月号で190本に達しました。ほぼ18年の連載で、欠かさなければ215本に達していたはずですが、通信事情や身辺多忙のため送れなかった回も毎年1~2回は生じています。自分でも過去に何を書いたのか頭の中で整理しきれなくなり、テーマ別に目次を作ることにしました。複数のテーマにまたがる記事もありますが、1記事につき1テーマということで分類しています。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ舞踊の衣装、ジャワの伝統衣装、バティックについて書いた記事をまとめました。
●以下は 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2006年05月号 ジャワ舞踊の衣装
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2012年3月号:伝統ファッションの潮流
2012年11月号:バティックの呪力
2012年12月号:バティック着付のポイント
2014年11月号:ジャワ舞踊の衣装 ガンビョン
2017年10月号:ジャワ舞踊の衣装(1)下半身の衣装
➡ブログ内転載 記事は写真入りです。
2018年1月号:ジャワ舞踊の衣装(2)上半身の衣装
2018年2月号:ジャワ舞踊の衣装(3)頭部の装飾
➡ ブログ内転載 記事は写真入りです。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ舞踊の衣装、ジャワの伝統衣装、バティックについて書いた記事をまとめました。
●以下は 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2006年05月号 ジャワ舞踊の衣装
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2012年3月号:伝統ファッションの潮流
2012年11月号:バティックの呪力
2012年12月号:バティック着付のポイント
2014年11月号:ジャワ舞踊の衣装 ガンビョン
2017年10月号:ジャワ舞踊の衣装(1)下半身の衣装
➡ブログ内転載 記事は写真入りです。
2018年1月号:ジャワ舞踊の衣装(2)上半身の衣装
2018年2月号:ジャワ舞踊の衣装(3)頭部の装飾
➡ ブログ内転載 記事は写真入りです。
2020年09月20日 (日)
音楽家・高橋悠治氏のサイト『水牛』に2002年11月からエッセイを寄稿し始めましたが、2020年9月号で190本に達しました。ほぼ18年の連載で、欠かさなければ215本に達していたはずですが、通信事情や身辺多忙のため送れなかった回も毎年1~2回は生じています。自分でも過去に何を書いたのか頭の中で整理しきれなくなり、テーマ別に目次を作ることにしました。複数のテーマにまたがる記事もありますが、1記事につき1テーマということで分類しています。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ舞踊の振付や振付家について書いた記事をまとめました。
●以下の3本は本ブログの 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。なお★印のものだけ、水牛アーカイブに収録されています。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2005年02月号 振付家名のクレジット (1)
2005年03月号 振付家名のクレジット(2)
2005年04月号 振付家名のクレジット(3) ★
2005年05月号 振付家名のクレジット(4)振付、振付家の呼び方
(1)、(2)はスラカルタ宮廷舞踊家にしてインドネシア初の芸術コンセルバトり・スラカルタ校(現・国立芸術高校スラカルタ校)創設以来教諭となったクスモケソウォKRT Kusumokesowoを紹介。
(1)では宮廷においては振付家名は言及されず、すべて王の業績とされること、1954年に中国で初演されたクスモケソウォ作の"Retna Pamudya"について。
(2)ではクスモケソウォ作の"Manipuri"と、総合振付を務めた『ラーマーヤナ・バレエ』(1961年開始)について。どちらも共同制作の場合の名前のクレジットについて
(3)はクスモケソウォの次世代: ガリマンS.NgalimanとマリディS.Maridiの名にも言及しているが、メインは1970年代に中部ジャワ芸術発展プロジェクト+芸術アカデミースラカルタ校(現・国立芸大スラカルタ校)が掘り起こし・再振付したシリーズでクレジットされたPKJT/ASKIの呼称と、そのプロジェクトを指揮したフマルダニHumardaniについて。
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2012年4月号:ジャワ舞踊家(ソロ様式)列伝(1)
2012年5月号:ジャワ舞踊家(ソロ様式)列伝(2)
2012年7月号:ジャワ舞踊家列伝(3)ルスマン
(1)は上の「振付家名の~(1)、(2)」でも取り上げたクスモケソウォと、同時代で対照的なウィグニョ・ハンブクソRM Wignyohambeksoについて。(2)は上の「振付家名の~(3)」でも言及したガリマンとマリディのそれぞれの作風について。一言でいえば禁欲的なガリマンとやけにドラマチックなマリディ。(3)で取り上げたルスマンRusmanはスリウェダリ・ワヤン・オラン劇場のスターにしてガトコチョを持ち役とし、スカルノ大統領のお気に入りでもあった。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ舞踊の振付や振付家について書いた記事をまとめました。
●以下の3本は本ブログの 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。なお★印のものだけ、水牛アーカイブに収録されています。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2005年02月号 振付家名のクレジット (1)
2005年03月号 振付家名のクレジット(2)
2005年04月号 振付家名のクレジット(3) ★
2005年05月号 振付家名のクレジット(4)振付、振付家の呼び方
(1)、(2)はスラカルタ宮廷舞踊家にしてインドネシア初の芸術コンセルバトり・スラカルタ校(現・国立芸術高校スラカルタ校)創設以来教諭となったクスモケソウォKRT Kusumokesowoを紹介。
(1)では宮廷においては振付家名は言及されず、すべて王の業績とされること、1954年に中国で初演されたクスモケソウォ作の"Retna Pamudya"について。
(2)ではクスモケソウォ作の"Manipuri"と、総合振付を務めた『ラーマーヤナ・バレエ』(1961年開始)について。どちらも共同制作の場合の名前のクレジットについて
(3)はクスモケソウォの次世代: ガリマンS.NgalimanとマリディS.Maridiの名にも言及しているが、メインは1970年代に中部ジャワ芸術発展プロジェクト+芸術アカデミースラカルタ校(現・国立芸大スラカルタ校)が掘り起こし・再振付したシリーズでクレジットされたPKJT/ASKIの呼称と、そのプロジェクトを指揮したフマルダニHumardaniについて。
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2012年4月号:ジャワ舞踊家(ソロ様式)列伝(1)
2012年5月号:ジャワ舞踊家(ソロ様式)列伝(2)
2012年7月号:ジャワ舞踊家列伝(3)ルスマン
(1)は上の「振付家名の~(1)、(2)」でも取り上げたクスモケソウォと、同時代で対照的なウィグニョ・ハンブクソRM Wignyohambeksoについて。(2)は上の「振付家名の~(3)」でも言及したガリマンとマリディのそれぞれの作風について。一言でいえば禁欲的なガリマンとやけにドラマチックなマリディ。(3)で取り上げたルスマンRusmanはスリウェダリ・ワヤン・オラン劇場のスターにしてガトコチョを持ち役とし、スカルノ大統領のお気に入りでもあった。
2020年09月18日 (金)
音楽家・高橋悠治氏のサイト『水牛』に2002年11月からエッセイを寄稿し始めましたが、2020年9月号で190本に達しました。ほぼ18年の連載で、欠かさなければ215本に達していたはずですが、通信事情や身辺多忙のため送れなかった回も毎年1~2回は生じています。自分でも過去に何を書いたのか頭の中で整理しきれなくなり、テーマ別に目次を作ることにしました。複数のテーマにまたがる記事もありますが、1記事につき1テーマということで分類しています。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ舞踊一般について書いた記事をまとめました。
●以下の2本は本ブログの 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2004年05月号 踊り手の人数
2006年08月号 踊りの謝礼 ~1
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2007年 8月号: 舞踊の小物について
2009年 2月号: インドネシアの芸大の入試事情
2009年 8月号: ジャワ舞踊の美・境地を表す語
2009年 9月号: ジャワ舞踊と動物
2009年11月号: ジャワ舞踊と語り
2010年 1月号: 酔っぱらいのトラ
2010年 2月号: なんば歩き
2013年 7月号: ジャワ舞踊とピストル
2013年 9月号: 振付と音楽
2013年12月号: ジャワ舞踊とクロスジェンダー
2015年 4月号: ジャワ舞踊を彩る花
2016年 8月号: ジャワの立ち居振る舞い
2016年10月号: 香りの話
2017年 5月号: 一列横隊、一列縦隊
2017年 6月号: 万歩計と歩き方
2017年 7月号: ジャワの女王・女武将
2018年11月号: 芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場
2018年12月号:芸大スラカルタ校のキャンパス(2)レッスンの空間
『水牛』寄稿記事の中でジャワ舞踊一般について書いた記事をまとめました。
●以下の2本は本ブログの 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2004年05月号 踊り手の人数
2006年08月号 踊りの謝礼 ~1
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2007年 8月号: 舞踊の小物について
2009年 2月号: インドネシアの芸大の入試事情
2009年 8月号: ジャワ舞踊の美・境地を表す語
2009年 9月号: ジャワ舞踊と動物
2009年11月号: ジャワ舞踊と語り
2010年 1月号: 酔っぱらいのトラ
2010年 2月号: なんば歩き
2013年 7月号: ジャワ舞踊とピストル
2013年 9月号: 振付と音楽
2013年12月号: ジャワ舞踊とクロスジェンダー
2015年 4月号: ジャワ舞踊を彩る花
2016年 8月号: ジャワの立ち居振る舞い
2016年10月号: 香りの話
2017年 5月号: 一列横隊、一列縦隊
2017年 6月号: 万歩計と歩き方
2017年 7月号: ジャワの女王・女武将
2018年11月号: 芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場
2018年12月号:芸大スラカルタ校のキャンパス(2)レッスンの空間
2020年09月13日 (日)
音楽家・高橋悠治氏のサイト『水牛』に2002年11月からエッセイを寄稿し始めましたが、2020年9月号で190本に達しました。ほぼ18年の連載で、欠かさなければ215本に達していたはずですが、通信事情や身辺多忙のため送れなかった回も毎年1~2回は生じています。自分でも過去に何を書いたのか頭の中で整理しきれなくなり、テーマ別に目次を作ることにしました。複数のテーマにまたがる記事もありますが、1記事につき1テーマということで分類しています。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ宮廷舞踊:スリンピ、ブドヨについて書いた記事をまとめました。
●以下はすべて 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
★印の記事は古いのですがアーカイブ収録されています。が、他の同年の未収録記事と一緒に、本ブログの 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にも入れてあります。 ➡2004年04月号 私のスリンピ・ブドヨ観
2004年04月号: 私のスリンピ・ブドヨ観 ★
2007年04月号: 11月のスリンピ公演〜公演の周辺
2007年05月号: 11月のスリンピ公演〜舞踊について
2009年12月号: 1960 年代のインドネシアを視た人
2012年02月号: 船上に揺れるスリンピ公演
2012年06月号: 1960年代のジャワ宮 廷舞踊の録音
2015年09月号: ソロのスリンピ、ジョグジャのスリンピ
● 2007年4月号、5月号は自分自身の企画によるスリンピ公演について。
● 2009年12月号のタイトルにある「1960年代のインドネシアを視た人」というのはベネディクト・アンダーソンのこと。実はこの人は1963年にスラカルタ宮廷に入り、『ブドヨ・クタワン』の調査をしている。この記事は、日本での講演会で氏にお目にかかった時にそのことについて質問したときの話。ちなみに、この時にアンダーソンと一緒に調査に入ったのがヌスジルワン・ティルトアミジョヨことバティック作家のイワン・ティルタ。二人の調査記録はコーネル大学発行の研究誌『Indonesia』Vol.3(1967年)に掲載されている。この記事の最後にリンクを挙げておく。
● 2012年2月号は、びーなすクルーズ号で私とインドネシア人舞踊家3人で公演したときの話。
● 2012年6月号はオランダのKITLVで聞いた、スラカルタ宮廷で1960年代に録音されたスリンピの録音。『ウェド・プラドンゴ』を執筆したワルソディニングラットが存命!で、宮廷音楽団長だった頃。たぶん録音されていた演奏中の声は彼のもの。
● 2015年9月号は京都に来日したジョグジャカルタ宮廷の公演の演奏に駆り出されたときの話。王女4人がロモサスの1957年作のスリンピ(改訂)を上演したので、それとスラカルタ宮廷のスリンピの違いについて考えたことを書いた。
~・~・~・~・~
Nusjirwan Tirtaamidjaja
A Beḍaja Ketawang Dance Performance at the Court of Surakarta (pp. 30-61)
https://www.jstor.org/stable/3350721
Benedict R. O'G. Anderson
Diachronic Field-Notes on the Coronation Anniversary at the Kraton Surakarta Held on December 18, 1963 (pp. 62-71)
https://www.jstor.org/stable/3350722
『水牛』寄稿記事の中でジャワ宮廷舞踊:スリンピ、ブドヨについて書いた記事をまとめました。
●以下はすべて 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
★印の記事は古いのですがアーカイブ収録されています。が、他の同年の未収録記事と一緒に、本ブログの 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にも入れてあります。 ➡2004年04月号 私のスリンピ・ブドヨ観
2004年04月号: 私のスリンピ・ブドヨ観 ★
2007年04月号: 11月のスリンピ公演〜公演の周辺
2007年05月号: 11月のスリンピ公演〜舞踊について
2009年12月号: 1960 年代のインドネシアを視た人
2012年02月号: 船上に揺れるスリンピ公演
2012年06月号: 1960年代のジャワ宮 廷舞踊の録音
2015年09月号: ソロのスリンピ、ジョグジャのスリンピ
● 2007年4月号、5月号は自分自身の企画によるスリンピ公演について。
● 2009年12月号のタイトルにある「1960年代のインドネシアを視た人」というのはベネディクト・アンダーソンのこと。実はこの人は1963年にスラカルタ宮廷に入り、『ブドヨ・クタワン』の調査をしている。この記事は、日本での講演会で氏にお目にかかった時にそのことについて質問したときの話。ちなみに、この時にアンダーソンと一緒に調査に入ったのがヌスジルワン・ティルトアミジョヨことバティック作家のイワン・ティルタ。二人の調査記録はコーネル大学発行の研究誌『Indonesia』Vol.3(1967年)に掲載されている。この記事の最後にリンクを挙げておく。
● 2012年2月号は、びーなすクルーズ号で私とインドネシア人舞踊家3人で公演したときの話。
● 2012年6月号はオランダのKITLVで聞いた、スラカルタ宮廷で1960年代に録音されたスリンピの録音。『ウェド・プラドンゴ』を執筆したワルソディニングラットが存命!で、宮廷音楽団長だった頃。たぶん録音されていた演奏中の声は彼のもの。
● 2015年9月号は京都に来日したジョグジャカルタ宮廷の公演の演奏に駆り出されたときの話。王女4人がロモサスの1957年作のスリンピ(改訂)を上演したので、それとスラカルタ宮廷のスリンピの違いについて考えたことを書いた。
~・~・~・~・~
Nusjirwan Tirtaamidjaja
A Beḍaja Ketawang Dance Performance at the Court of Surakarta (pp. 30-61)
https://www.jstor.org/stable/3350721
Benedict R. O'G. Anderson
Diachronic Field-Notes on the Coronation Anniversary at the Kraton Surakarta Held on December 18, 1963 (pp. 62-71)
https://www.jstor.org/stable/3350722
2020年09月06日 (日)
音楽家・高橋悠治氏のサイト『水牛』に2002年11月からエッセイを寄稿し始めましたが、2020年9月号で190本に達しました。ほぼ18年の連載で、欠かさなければ215本に達していたはずですが、通信事情や身辺多忙のため送れなかった回も毎年1~2回は生じています。自分でも過去に何を書いたのか頭の中で整理しきれなくなり、テーマ別に目次を作ることにしました。複数のテーマにまたがる記事もありますが、1記事につき1テーマということで分類しています。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ伝統舞踊の演目について書いた記事をまとめました。
●以下は 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2002年11月号 ラントヨ
2002年12月号 ジャワ・スラカルタの伝統舞踊(1)宮廷舞踊
2003年01月号 ジャワ・スラカルタの伝統舞踊(2)民間舞踊
2003年02月号 ジャワ・スラカルタの伝統舞踊(3)新しい舞踊
2004年06月号 バンバンガン・チャキル
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2013年11月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(1)ガン ビョン・パレアノム
2014年02月号 ジャワ舞踊作品のバージョン (2) メナッ・コンチャル
2014年04月号 ジャワ舞踊作品のバージョン (3) グヌンサリ
2015年03月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(4)アダニンガル・ケラスウォロ
2015年08月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(5)クロノ
2015年10月号 「パンジ・トゥンガル」
2018年05月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(6)スコルノ
2020年03月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(7)ガンビョン
2020年08月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(8)クスモ・アジ
※ (6)と(8)については、いろんなバージョンがあるわけではないので、タイトル詐欺になってしまいました(笑)。
『水牛』寄稿記事の中でジャワ伝統舞踊の演目について書いた記事をまとめました。
●以下は 水牛アーカイブ未収録記事一覧 にあります。
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-entry-848.html
2002年11月号 ラントヨ
2002年12月号 ジャワ・スラカルタの伝統舞踊(1)宮廷舞踊
2003年01月号 ジャワ・スラカルタの伝統舞踊(2)民間舞踊
2003年02月号 ジャワ・スラカルタの伝統舞踊(3)新しい舞踊
2004年06月号 バンバンガン・チャキル
●以下は 『水牛』冨岡三智アーカイブ にあります。
http://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka
2013年11月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(1)ガン ビョン・パレアノム
2014年02月号 ジャワ舞踊作品のバージョン (2) メナッ・コンチャル
2014年04月号 ジャワ舞踊作品のバージョン (3) グヌンサリ
2015年03月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(4)アダニンガル・ケラスウォロ
2015年08月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(5)クロノ
2015年10月号 「パンジ・トゥンガル」
2018年05月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(6)スコルノ
2020年03月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(7)ガンビョン
2020年08月号 ジャワ舞踊作品のバージョン(8)クスモ・アジ
※ (6)と(8)については、いろんなバージョンがあるわけではないので、タイトル詐欺になってしまいました(笑)。
2020年09月05日 (土)
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
「2020年9月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワ暦大晦日の宝物巡回」を寄稿しました。
ジャワ暦大晦日の宝物巡回
冨岡三智
今年のジャワ・イスラム暦正月は8月20日だった。インドネシアでは西暦、ジャワ・イスラム暦(ヒジュラ暦)、サカ暦(バリ・ヒンドゥー暦)、中華暦正月の4正月が祝日になっており、西暦以外の正月は毎年日が変わる。ジャワでは王宮の伝統行事や冠婚葬祭の日取りなどはジャワ暦で行われるので、西暦正月よりもジャワ暦正月の方が文化的には重要である。ジャワ暦正月については、2003年6月号の『水牛』に寄稿した「スラカルタの年中行事」で触れたことがある。ちなみに2003年は3月4日がジャワ暦正月だった。ジャワ・イスラム暦の1年の長さは西暦より約11日短いので、毎年どんどん早くなるのである。今回は大晦日の夜に行われるジャワ王家の宝物巡回=キラブ・プソコについて。もっとも、ジャワでもこのコロナ禍ゆえ、今年の宝物巡回は行われない。
●
スラカルタ王家では、ジャワ暦で正月になる深夜0時から宝物の市内巡回を行う。これは古い時代から続いてきた伝統儀礼のように見えるが、実はスハルト大統領がパク・ブウォノXII世に民族の安寧と統一のためにティラカタンを行うよう依頼したことから始まった。それは1971年あるいは1973年のことで、つまりは「創られた伝統」である。
ジャワ語のティラカタンとは、正月などの大きな儀礼の前夜に人々が集まって寝ずに夜を過ごすことを言う。日本でもかつて大晦日には寝ずに歳神様の来訪を待ったが、それと似ている。そして、寝ずに過ごすために宝物巡回を行うというアイデアが出て始まった行事なのだ。とはいえ、両者は本来別ものである。ジャワ王家の宝物巡回は、そもそも疫病や飢饉が流行した非常時にしか行われなかった(それも非常に稀だったという研究がある)。宝物の霊力によって町を清めるために行われたが、スロ月と関係もなければ、定期的な行事でもなかった。しかし、国の安寧を祈るというのはかつてのジャワの王にとっては政治行為そのものであるため、祝賀行事としての王の即位記念儀礼よりも重要な儀礼だと私に語る王族もいた。
大晦日の夜、スラカルタ王宮の塀の中では巡回に参加する人々が伝統衣装で参集する。夜中の0時に普段は閉じられている王宮正面の門が開けられ、キヤイ・スラメット(白い水牛の名、これも宝物)を先頭に、槍などの宝物を担いだ王族たち、宮廷家臣団、依願して巡回に加わる一般団体(農村から出てきた人たち)の長い長い行列が出ていく。
行列は王宮の正門からまずは北へ向かう。王宮北広場を経て、グラダッグ(中央郵便局のある所)から東へ、電話局を通りパサール・クリウォンの交差点から南下し、ガディンからフェテラン通りを西に進んだ後北上して、スラマット・リヤディ通りに出(確かパサール・ポンに出る)、そこから東へ進み、再びグラダッグから王宮北広場を通って王宮に戻る。行列が王宮に戻ってくるのは朝4時か5時頃だが、それは先頭を歩く水牛のスピード次第だ。王族や高官は履物を履いて良いが、一般の人々は素足で歩く。私も一度、2001年頃に王宮の踊り子たちと一緒に参加したことがある。おそらく踊り子だから許されたのだろうが、私たちは裸足ではなくサンダルを履いた。それでも歩き通すのは大変だった。
この宝物巡回の間、王は王宮内で国の安寧を祈って瞑想する。一方、宝物に従って歩く人々にとってもそれは瞑想の実践であり、私語は許されない。その行列を見るために沿道にはびっしりと人々が集まっている。観光客も多い。これらの人々も夜通し起きてティラカタンをし、キャイ・スラメットに餌を差し出してご利益を得るのだ。

宝物巡回の前、王宮内にて、踊り子たちと(筆者中央、懇色の上着)
●
スラカルタ王家の巡回に先立ち、夜8時頃から分家のマンクヌガラン王家でも宝物巡回がある。こちらでは宝物は同王家の外壁を1周だけ巡るので、ゆっくり歩いても1時間くらいで済んだような気がする。宮廷家臣らは引き続き外壁を7周する。
実はスハルトはジャワ王家だけでなくジャカルタのタマン・ミニ(文化テーマパーク)でも同時に宝物巡回(を模したパレード)を始め、現在まで続いている。コロナ禍の今年はタマン・ミニからオンライン中継されたので見てみた。各宗教の指導者による祈りと舞踊と宝物(を模した物)の巡回が1時間くらいにまとめられている。規模は縮小されているが、内容的には例年通りだという。例年は室内で祈りをしたあと建物の外に出てパレードをするようだが、今年はすべて室内で撮影されている。
2020年 タマンミニでのジャワ・イスラム暦大晦日の祈り、宝物巡回の様子
TMII Official > Trailer - Umbul Donga Nuswantoro (2020)
https://www.youtube.com/watch?v=lxbl1bCoqGA
参考文献
Setiadi, Bram, and Qomarul Hadi, D.S.Trihandayani. 2000. Raja di Alam Republik, Keraton Surakarta dan Paku Buwono XII. Jakarta: Bina Rena Pariwara.
Pemberton, John. 1994. On the Subject of “Java”. Cornell University Press.
「2020年9月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワ暦大晦日の宝物巡回」を寄稿しました。
ジャワ暦大晦日の宝物巡回
冨岡三智
今年のジャワ・イスラム暦正月は8月20日だった。インドネシアでは西暦、ジャワ・イスラム暦(ヒジュラ暦)、サカ暦(バリ・ヒンドゥー暦)、中華暦正月の4正月が祝日になっており、西暦以外の正月は毎年日が変わる。ジャワでは王宮の伝統行事や冠婚葬祭の日取りなどはジャワ暦で行われるので、西暦正月よりもジャワ暦正月の方が文化的には重要である。ジャワ暦正月については、2003年6月号の『水牛』に寄稿した「スラカルタの年中行事」で触れたことがある。ちなみに2003年は3月4日がジャワ暦正月だった。ジャワ・イスラム暦の1年の長さは西暦より約11日短いので、毎年どんどん早くなるのである。今回は大晦日の夜に行われるジャワ王家の宝物巡回=キラブ・プソコについて。もっとも、ジャワでもこのコロナ禍ゆえ、今年の宝物巡回は行われない。
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スラカルタ王家では、ジャワ暦で正月になる深夜0時から宝物の市内巡回を行う。これは古い時代から続いてきた伝統儀礼のように見えるが、実はスハルト大統領がパク・ブウォノXII世に民族の安寧と統一のためにティラカタンを行うよう依頼したことから始まった。それは1971年あるいは1973年のことで、つまりは「創られた伝統」である。
ジャワ語のティラカタンとは、正月などの大きな儀礼の前夜に人々が集まって寝ずに夜を過ごすことを言う。日本でもかつて大晦日には寝ずに歳神様の来訪を待ったが、それと似ている。そして、寝ずに過ごすために宝物巡回を行うというアイデアが出て始まった行事なのだ。とはいえ、両者は本来別ものである。ジャワ王家の宝物巡回は、そもそも疫病や飢饉が流行した非常時にしか行われなかった(それも非常に稀だったという研究がある)。宝物の霊力によって町を清めるために行われたが、スロ月と関係もなければ、定期的な行事でもなかった。しかし、国の安寧を祈るというのはかつてのジャワの王にとっては政治行為そのものであるため、祝賀行事としての王の即位記念儀礼よりも重要な儀礼だと私に語る王族もいた。
大晦日の夜、スラカルタ王宮の塀の中では巡回に参加する人々が伝統衣装で参集する。夜中の0時に普段は閉じられている王宮正面の門が開けられ、キヤイ・スラメット(白い水牛の名、これも宝物)を先頭に、槍などの宝物を担いだ王族たち、宮廷家臣団、依願して巡回に加わる一般団体(農村から出てきた人たち)の長い長い行列が出ていく。
行列は王宮の正門からまずは北へ向かう。王宮北広場を経て、グラダッグ(中央郵便局のある所)から東へ、電話局を通りパサール・クリウォンの交差点から南下し、ガディンからフェテラン通りを西に進んだ後北上して、スラマット・リヤディ通りに出(確かパサール・ポンに出る)、そこから東へ進み、再びグラダッグから王宮北広場を通って王宮に戻る。行列が王宮に戻ってくるのは朝4時か5時頃だが、それは先頭を歩く水牛のスピード次第だ。王族や高官は履物を履いて良いが、一般の人々は素足で歩く。私も一度、2001年頃に王宮の踊り子たちと一緒に参加したことがある。おそらく踊り子だから許されたのだろうが、私たちは裸足ではなくサンダルを履いた。それでも歩き通すのは大変だった。
この宝物巡回の間、王は王宮内で国の安寧を祈って瞑想する。一方、宝物に従って歩く人々にとってもそれは瞑想の実践であり、私語は許されない。その行列を見るために沿道にはびっしりと人々が集まっている。観光客も多い。これらの人々も夜通し起きてティラカタンをし、キャイ・スラメットに餌を差し出してご利益を得るのだ。

宝物巡回の前、王宮内にて、踊り子たちと(筆者中央、懇色の上着)
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スラカルタ王家の巡回に先立ち、夜8時頃から分家のマンクヌガラン王家でも宝物巡回がある。こちらでは宝物は同王家の外壁を1周だけ巡るので、ゆっくり歩いても1時間くらいで済んだような気がする。宮廷家臣らは引き続き外壁を7周する。
実はスハルトはジャワ王家だけでなくジャカルタのタマン・ミニ(文化テーマパーク)でも同時に宝物巡回(を模したパレード)を始め、現在まで続いている。コロナ禍の今年はタマン・ミニからオンライン中継されたので見てみた。各宗教の指導者による祈りと舞踊と宝物(を模した物)の巡回が1時間くらいにまとめられている。規模は縮小されているが、内容的には例年通りだという。例年は室内で祈りをしたあと建物の外に出てパレードをするようだが、今年はすべて室内で撮影されている。
2020年 タマンミニでのジャワ・イスラム暦大晦日の祈り、宝物巡回の様子
TMII Official > Trailer - Umbul Donga Nuswantoro (2020)
https://www.youtube.com/watch?v=lxbl1bCoqGA
参考文献
Setiadi, Bram, and Qomarul Hadi, D.S.Trihandayani. 2000. Raja di Alam Republik, Keraton Surakarta dan Paku Buwono XII. Jakarta: Bina Rena Pariwara.
Pemberton, John. 1994. On the Subject of “Java”. Cornell University Press.
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