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公演 『幻視 in 堺 ―能舞台に舞うジャワの夢―』出演者紹介
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公演 『幻視 in 堺 ―能舞台に舞うジャワの夢―』
出演者紹介


出演者はインドネシアに留学/研修渡航してガムラン音楽に本格的に取り組む日本人と、インドネシアで活躍ののち現在は日本に住むインドネシア人です。中核となるのは2009年から10年間、岸城神社(岸和田市)で毎年『観月の夕べ』公演を行ってきたメンバーたち。皆様になじみのある名前も多いかと思います。岸城神社での公演は神社側の理由で2018年で終了しましたが、再び皆様の前で上演できることを楽しみに(コロナ禍の状況次第ではあるのですが…)現在、主にリモートで練習に励んでいます。

<ジャワ舞踊>
冨岡三智、岡戸香里、Anita Sary、Jeny Triani

前半のガンビョンは冨岡1人で踊りますが、後半のスリンピ・ロボンは上の4人で踊ります。スリンピはジャワのスラカルタ王家に伝わる舞踊で、Anita Sary、Jeny Trianiは来日以前はスラカルタ王家の舞踊団に所属し、踊っていた人達です。ちなみに、冨岡も留学していた5年間、スラカルタ王家舞踊団の定期練習に参加していました。岡戸香里は何度も『観月の夕べ』に出演しています。

<ガムラン演奏>
ダルマ・ブダヤ(山崎晃男、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、松竹夏鈴、小島冴月)、
ハナジョス(Rofit Ibrahim、佐々木宏実)、
岩本象一、西岡美緒、西田有里、Nanang Ananto Wicaksono
10/23(土)公演 幻視in堺 ― 能舞台に舞うジャワの夢 ―
告知が遅くなりました。以下の通り、10月にさかいにある能舞台で公演を行います。コロナ禍の状況によって、公演を延期、あるいは無観客上演する可能性がありますので、本ブログで最新情報をご確認ください。

※ 画像をクリックすると拡大されます。

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故クスモケソウォ氏パラマ・ダルマ勲章を受章
Bahasa Indonesia mengikuti bahasa Jepang.

故クスモケソウォ氏(Raden Tumunggungはスラカルタ宮廷から授与された称号)は、国の芸術に多大な貢献をした人物に贈られるパラマ・ダルマ文化勲章を授与され、2021年8月12日、大統領宮殿にて遺族が記念品を受け取った。氏はスラカルタ宮廷舞踊家であり、インドネシアで初めて開校した国立芸術高校(スラカルタ)の初めての舞踊教師で、現在の舞踊教育のカリキュラムを作った。そして、1961年に始まったプランバナン寺院での舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』の初代総合振付家として現在まで至る舞踊劇の表現手法を生み出した。氏は私の舞踊の師の舅に当たり、孫弟子として私も嬉しい…。

●受章者の名前が出ている記事

https://infopublik.id/kategori/nasional-politik-hukum/555340/presiden-menganugerahi-335-tokoh-tanda-kehormatan?show=

●大統領宮殿での授与式の様子(11:16~6番目として名前が呼ばれる)

LIVE: Upacara Penganugerahan Tanda Kehormatan Republik Indonesia, Istana Negara, 12 Agustus 2021  
 
https://www.youtube.com/watch?v=nj-Q3mUKV8A




Almarhum Raden Tumunggung Kusumokesowo dianugerahi Bintang Budaya Parama Dharma dan ahli waris (anak) menerima tanda kehormatan ini langsung dari presiden Jokowi di Istana Presiden pada tanggal12 Agustus 2021.Nama beliau dipanggil pertama sebagai penerima Bintang Budaya Parama Dharma.

Beliau adalah guru tari Keraton Surakarta Hadiningrat, guru tari yg pertama di Konservatori Karawitan Indonesia (SMKN8 Surakarta, sekolah seni yg pertama di Indonesia) sekaligus koreografer utama Sendratari Ramayana yang pertama. Beliau adalah ayah angkat guru tari saya...
9/5 ガムラン演奏で出演
ガムラン演奏者としてマルガサリの公演に出演します。

マルガサリ定期公演『花のみち vol.1』
2021年9月5日15:00~(開演14:30、17:00終了予定)
ロームシアター京都 ノースホール
チケット 2000円(当日券2500円)

プログラム ★=私の出演曲
・古典音楽 Sulur Kangkung ★
・現代曲: 松永通温 『Waves』 (1981) ★
・三輪眞弘: 愛の賛歌―ガムランアンサンブルのための(2007)
・マルガサリによる新作パフォーマンス(2021)

実は、留学前に松永通温 『Waves』 (1981)を何度か演奏した経験があるのです。というわけで、四半世紀ぶりくらいにこの曲に挑みます。

ロームシアター
画像をクリックすると拡大します。
2021.08水牛「すれ合う伝統」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2021年8月」(水牛のように)コーナーに、
すれ合う伝統」を寄稿しました。



すれ合う伝統
冨岡三智


先月末、タイトル名の曲に振り付けたデュエット作品を13年ぶりに再演したのだが、その初演時にも私はその上演のいきさつを『水牛』に書いていなかった。というわけで、今回は13年前と今年の両方の公演について書き残しておきたい。

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舞踊:冨岡三智、藤原理恵子
音楽:七ツ矢博資『すれ合う伝統 ~インドネシアにて思う~』(1999)

●初演
日時: 2008年8月7日
場所: Anjung Seni Idrus Tintin-Bandar Seni Raja Ali Haji(インドネシア・リアウ州プカンバル市)
演奏: 録音(2005年)
作品タイトル:「Water Stone」
公演名:第6回リアウ現代舞踊見本市(Pasar Tari Kontemporer VI / 6th Riau Contemporary Dance Mart)
主催: ラクスマナ財団(Yayasan Laksmana)、リアウ州文化芸術観光局

●再演
日時: 2021年7月31日
場所: 大阪市立大学・田中記念館ホール
演奏: 西村彰洋(ピアノ)、中川真(ガムラン)
公演名:『ピアノでできること/できないこと』
主催: 文科省科学研究費基盤B「アジアにおける社会包摂型アーツマネジメントモデル形成と応用」チーム


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(1) 制作のきっかけ

2008年にこの作品を作ったのは、インドネシアのスマトラ島で開催された第6回リアウ現代舞踊見本市に招待されたことがきっかけである。私はこの見本市に2005年の第4回にも招待され、単独作品(本来はデュエット作品)を上演していたのだが、今度は単独でないものを作りたいと思ったのだった。音楽については、インドネシアで上演するのだから、日本人の作品を使いたい。私がインドネシア留学するまで所属していた大阪のガムラン音楽団体(ダルマブダヤ、当時の代表は中川真)では、現代音楽家に委嘱した作品を積極的に演奏していた。そのレパートリーの1つであった七ツ矢博資氏の作品を使いたいと思って先生に連絡を取ったところ、意図していた作品には録音状態の良いものが
ないという。その代わりにと逆に提案されたのが、この『すれ合う伝統 ~インドネシアにて思う~』だった。インドネシアを意識した曲というのも提案理由だったのではないかと思う。

パートナーとなる藤原理恵子さんとは、2003年にダンス・ボックスの公演で知り合った。各ダンサーがそれぞれ自作を発表する場である。その時から気になっていたダンサーで、その後も彼女のワークショップに参加するなどして緩やかにつながりがあり、一度作品制作を一緒にやってみたいと思って声をかけたのが始まりだ。

ただ、リアウで上演した後この作品は再演しておらず、藤原さんとの共同制作もこの時だけだった。2020年1月、古い記録を整理していた時に、このリアウでのビデオが見つかった。それで久々に連絡を取って、まだ予定はないけれど再演してみたいと持ち掛けたのだった。そう言っている間にコロナで緊急事態宣言になって練習場所がなくなったり、私も五十肩になったりして中断もあったけれど、タイミングを見て練習を重ねている間に、生演奏で上演での上演という企画がもたらされたのだった。

(2) 初演版

2008年の上演では七ツ矢氏の曲の前後に虫の声の録音をつなげ、タイトルも”Water Stone”と変えている。別の音を足したのは、見本市の規定の上演時間がやや長めで、七ツ矢氏の曲(約15分)だけでは短いと感じたため。また、だだっ広い会場の中で七ツ矢氏の曲の雰囲気に入っていくための部分が欲しいと感じたのもある。一方、2021年は西村さんがピアノ・リサイタルの中で七ツ矢氏の作品を演奏するのが主目的なので、虫の声はカットした。

“Water Stone”のシノプシスやコンセプトについては、当時、現地の新聞に掲載されたので(私が見本市に出したシノプシスとインタビューが元になっている)、それを引用しよう。

● 2008年8月8日リアウ・ポス紙記事より
 …桜の国・日本から来た舞踊家・振付家の冨岡三智が「ウォーター・ストーン」という題で上演した。
 三智は単独での上演ではなく、もう一人の人と一緒に上演した。「風が吹き、石が呼吸し、水が流れる、太古の昔から」とある。
 三智が呈示した動きはゆっくりとしているが、内に秘めた強さがある。白い布を身体から垂らし、ピストルを手にしている。三智の動きともう一人の動きが入れ替わる。その女性が倒れこんだとき、もう一人が激しくすばやく動いたからだ。三智の作品は2人が入れ替わり、もう一人が白い布を巻いて、ピストルを手にしたところで終わる。


● 2008年8月9日コンパス紙全国版記事より

 冨岡と藤原は観客の想像力をさらって、2つの自我の強さを意識させた。それは混乱と調和であり、つのエネルギーが相補って人生を調和させる。調和は仏像の瞑想の舞いを通じて、一方混乱は激しいコンテンポラリ舞踊を通じて象徴される。
 ある時は、一人の踊り手がまるで彫像のように静かに、ゆっくりと移動する一方で、もう一人はあちこちに激しくのた打ち回って自爆する。しかし、ある時点で2人の踊り手は白い布を巻きつけて一体化する。剛柔は対立し得るものだが、しかし1つにもなり得る。それが人生なのだと冨岡は言う。


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2008年の上演だと、虫の声が響くなか舞台中央には私が野ざらしの仏像のごとく座っており、遠景を浴衣を着た藤原さんが横切り消えていく…という情景から始まり、その後七ツ矢氏の音楽が流れ、仏像が揺れ始める。私は1人で踊り始め、バーンという打撃音のところでピストルを撃って倒れ、それと入れ替わるように、強い音と共に藤原さんが客席から舞台に登場しその場を支配する。その後音楽が切り替わると、私は再びよみがえり、私の着ていた布にお互いが巻き付いて結合双生児(シャム双生児)のように一体化したかと思うと互いが入れ替わる。再び虫の声が響くなか、その布を巻き付けた藤原さんが仏像のごとくに舞台に残り、抜け殻になった私が舞台の端に消えていく。曲から静と動、仏陀とピストル、流水と石のような対立矛盾しながらそれらが入れ替わるような禅的なイメージが浮かび、それを2人で形にしていった。

今、これを書きながら気づいたのだが、この時は曲のタイトルの『すれ合う伝統』と向き合うことを私自身が避けていたような気がする。藤原さんに共同制作を持ちかけた時点で、曲名でなく”Water Stone”の構想しか伝えていなかったらしいのだ。曲から受けるイメージを元にして作品作りをしたけれど、曲のテーマを舞踊の形に置き換えようとは思っていなかった。

(3) 2021年版

●今回プログラムノートより

2人のダンサーが創り出す関係性の変化を表現しようと考えた。同じ空間に置かれた無関係な2人は、音楽に突き動かされ、空間の中で拡張収縮していくうちに互いに反応し始める。同調・反発・同化しようとする。ジャワ伝統舞踊がベースの冨岡と現代舞踊がベースの藤原は、それぞれ己の中にあるものに従って動きを生み出す。その己の中にあるものがおそらくは伝統なのであり、互いの反応の中に伝統のすれ合いが生成されるのだろう。

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今回も前の振付のイメージをたたき台にしているのは事実だが、シノプシスをそのままなぞってはいないので、できた作品は別ものと言える。前回は1人の中にあった相反する二面性が入れ替わるというのが(私の)基本イメージで、布にお互い巻き付いていく後半のシーン以外は舞台で絡まないのだが、今回は最初から2人がアイデンティティのあるものとして別個に存在していく形になった。そして、制作過程において『すれ合う伝統』の意味と格闘したのが今回だったと言える。音楽に振り付ける前の段階で、ガムランの音に合わせてジャワ舞踊の歩き方をやってみたり、また藤原さんがよくやっているように山や川など自然の中で2人で動いてみたりして、互いの身体が持っている伝統に近づこうとしたのだった。

私と藤原さんが1枚の布を巻き付けて結合双生児のようになる動きは前回も今回もある。しかし、前回はその布を私が体にサリーのように巻き付けていたが、今回は着用せずに舞台に川の字になるように細長くたたんで置いておくようにした。互いの間にある細胞膜のようなイメージである。横長の額縁舞台だとこんな風に空間を横切る線を置くのは難しいが、会場となったホールの舞台がちょうど客席に半六角形にせり出す形になっていたのは都合がよかった。私としては細胞の中にいるような感覚が保てた空間だった。

音楽はピアノとガムラン楽器(ボナンという旋律を引く打楽器、銅鑼、太鼓)を使い、ピアノは西村彰洋さんが、ガムラン楽器は中川真氏が演奏した。中川氏によれば、七ツ矢氏のこの曲は今までに5回演奏され、中川氏は全回ガムラン演奏に関わっていると言う。生演奏で踊るのは録音で踊るのとは全く違う体験で、楽器や演奏者によってここまで違うものなのかと改めて思い知る。録音ではピアノの音がもっと強くて衝動が溢れていたように私は感じたが、西村さんのピアノはそんなにガツンとこない。彼は、それよりも響きを大切にしているとのことだった。だから、録音を聞いて作っていたイメージが結構変化した。たとえば、ピアノの音の衝動に突き動かされていた箇所は、静かに抑圧されるイメージへ。引きの強い音に聞こえていた所は、星屑のようにキラキラと音が輝いているイメージへ…。リハーサルの時に話し合っていたら、私と藤原さん、西村さんと中川氏と、音に対して抱いているイメージは四者四様で、意外と違うものだと感じた。

まだアンケートを読んでいないので、どういう風に観客の目に映っていたのかは分からない。が、13年ぶりに旧作に向き合い藤原さんと共同制作したことで、様々なことを自分なりに振り返ることができた。そして現代的な作品を生演奏で踊れた経験は貴重だったと思っている。コロナ禍の状況下、上演できたことも幸せなことだった。



初演時の映像、写真、当時の記事については以下リンクを参照
記事分類 ジャワ舞踊出演 > '08リアウ現代舞踊見本市VI
http://javanesedance.blog69.fc2.com/blog-category-17.html
2021.07水牛「録音裏話」
遅まきながら…先月号をアップしました。

高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2021年7月」(水牛のように)コーナーに、
録音裏話」を寄稿しました。



録音裏話
冨岡三智


前回、ジャワでの伝統「舞踊作品の撮影」について書いたので、今回は私自身が出資してジャワで行った録音の経験について書いてみたい。

私が録音したのは計6回で、うち3回が宮廷舞踊曲であるスリンピやブドヨの録音、2回が自分の舞踊作品のために委嘱した曲の録音、1回が他の人が主催した公演で復曲された曲や創作された曲の録音である。いずれも留学先の芸術大学の録音スタッフに手掛けてもらった。

●雨除け

録音場所は芸大のスタジオで4回、音楽科の教室が1回だが、芸大元学長のスパンガ氏の自宅にあるプンドポで録音したことも1回ある。プンドポとはジャワの伝統的な儀礼用空間で、王宮や貴族の邸宅には必ず設けられている。壁がなく柱で支えられたホールのような空間で、儀礼につきものであるガムラン楽器はこういう場所に置かれている。

スパンガ氏宅での録音については、実は2017年8月号の水牛寄稿記事「ジャワの雨除け、雨乞い」で書いたことがある。この録音は私の宮廷舞踊『スリンピ・ゴンドクスモ』の公演プロジェクトの一環だった。この演奏にはスパンガ氏宅で行われているガムラン練習に参加しているメンバーも多く参加していたからここでの録音となったのだが、それだけでなくプンドポの音響効果が素晴らしいからでもある。スパンガ氏宅は郊外の閑静な住宅地にあり、周囲は水田に囲まれている。とはいえプンドポには壁がないから、夜間に帰宅する車やバイクが家の前の道を通ると、その音が録音に入って困る…というのでその対策で警備係をつけ、家の前を通る道を封鎖して迂回してもらうようにした。実はそれ以上に懸念したのは雨(録音は本格的な雨季に入った11月)で、その対策で霊力のある人に来てもらって雨除けをした…というので、前述のエッセイを書いた次第。インドネシアでは大きな行事の前にこういう霊的な雨除け対策をするというのはわりとよくあることだと思うが、私が録音のために雨除けをしたのはこれ1回だけである。
 
●スリンピ、ブドヨの録音

スリンピやブドヨの曲は宮廷舞踊曲だから、その権威を示すように多くの人手を必要とする(それだけパートが多い)。私が録音したときの記録を見ると、楽器奏者が約18人、女性の歌い手と男性の歌い手がそれぞれ約4人、クプラ(舞踊家に合図を出す楽器)奏者が1人、計約27人となっている。もっとも、私が芸大のグループと一緒に日本でスリンピ公演した時は楽器奏者と歌い手を合わせて10人。予算の限度があればこんなものである。

この30人近くの人数で40分~1時間近くかかる曲を一発録りをしたのだが、この話をジャカルタの人にしたところ、人件費がものすごくかかると驚かれてしまった。インドネシアでは人件費の地方格差が大きい。2021年の最低賃金で比較してみても、私が留学していたスラカルタ市で月給2,013,810ルピア、一方ジャカルタでは4,276,349ルピアと倍の開きがある。つまり、同じ予算ならジャカルタでは13人くらいしか雇えないことになり、交通費がかかることも考えるとその人数はもっと減る。そのジャカルタの人も宮廷舞踊曲の録音経験があるが、演奏者を5人程度雇い、録音したものに未演奏パートをかぶせて演奏…を何度か繰り返してフル編成に仕立てたという。その人は半分の短縮バージョンで録音しているから、1曲の録音に要するスタジオ経費は私と似たようなものだろう。そのやり方なら人件費は抑えられるうえに、うまくいかなかったパートの録り直しも楽で、演奏技術的にはより間違いの少ない録音ができるのかもしれない。だが、全員で演奏するからこそ生じる音楽の勢いや、息が合った時の醍醐味は薄れるのではないかなあ…という気がしている。宮廷舞踊曲の録音では私もスタジオで踊っているので、特にそう感じるのだ。

私の初めての録音では、実はスリンピ完全版3曲を一気に録音した。今ならこんな鬼のようなリクエストはしない(笑)。これら3曲はスリンピの中でも短くて1曲40分弱だが、音楽はメドレーのように全部つながっている。さらに入退場用の曲がそれぞれ4~5分ずつある。この録音時、3曲目の終わりでこちらの指示以上にテンポが上がってしまった。スリンピでは開始時のテンポ(少し早め)に戻って終わるというのが普通のこととはいえ、いつもより速い。たぶん皆、これで最後、あと少しで終わる!というハイな気分で一致して疾走してしまったのだろう。音楽の勢いみたいなものを強く感じた瞬間だった。と同時に、終盤でテンポが速くなるのは、演出というより演奏者の自然の摂理なのかも…と感じたことだった。

●委嘱作品の録音

上の宮廷舞踊作品とは違って、自分の舞踊作品のために委嘱した2つの楽曲についてはどちらも一発録りではなく、部分的に録音してつなげている。どちらもいくつかの曲から構成された20分余りの作品だ。作曲者も演奏に参加し、演出しながら録音していくというのも伝統曲とは違うところである。

デデッ・ワハユディ氏に委嘱したガムラン曲『陰陽ON-YO』(2002)は、複数の伝統曲と伝統的な手法でデデッ氏が新たに作曲した曲をつないで23分の曲になっている。曲の大部分は5~6人の小編成で演奏するようになっているのだが、最後の6分半は宮廷舞踊曲の演出でフル編成の演奏に斉唱をつけているため、ここは上のジャカルタ方式で録音して、大勢でやっているように見せている。歌も同じ人たちが何度か繰り返し歌って録音したものを重ねている。この方式で良かったと思うのはコロトミー楽器(曲の節目にだけ鳴らすドラなどの楽器)の音入れだ。たまにしか鳴らないが、曲の雰囲気を作るにはそのタイミングだとか音色だとか音量だとかが決定的に重要で、何度か録り直しがあったように記憶している。