2021年10月25日 (月)
2021.10.23 堺能楽会館での公演はお蔭様で無事終了しました。ご来場くださいました方々には厚く御礼申し上げます。公演写真は来月上旬公開の予定です。また、公演動画の有料配信も検討中です。編集に時間がかかりますが、詳細が決まりましたらお知らせします。
ジャワ舞踊の会・冨岡三智

公演プログラムを以下に掲載します。
1ページ目: クレジット(日本語)
2ページ目: 祝辞(インドネシア語原文、日本語訳)
3ページ目: クレジット(英語)
4ページ目: 解説
ジャワ舞踊&ガムラン音楽公演
幻視in堺 ―能舞台に舞うジャワの夢―
2021年10月23日(土)堺能楽会館
住所 大阪府堺市堺区大浜北町3丁4-7
公演 ①12:30~ ②16:00~ 料金 一般3000円、小中学生1000円
堺市文化芸術活動応援補助金対象事業(舞台芸術創造発信事業)
■ プログラム
・詩の朗誦
朗誦:ナナン・アナント・ウィチャクソノ
・楽曲 「ウィルジュン」
・舞踊 「ガンビョン」
振付・舞踊:冨岡三智
・間狂言
ローフィット・イブラヒム、ナナン・アナント・ウィチャクソノ
--------休憩------------------------------------------
・舞踊「スリンピ・ロボン」
舞踊:冨岡三智、岡戸香里、アニタ・サリ、ジェニー・トリアニ
■ 演出
冨岡三智
■ 舞踊
冨岡三智、岡戸香里、アニタ・サリ、ジェニー・トリアニ
■ 演奏
ハナジョス(ローフィット・イブラヒム、佐々木宏実)
ダルマ・ブダヤ(山崎晃男、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、松竹夏鈴、小島冴月)
岩本象一、西岡美緒、西田有里、ナナン・アナント・ウィチャクソノ
■ スタッフ
舞台監督:羽田美葉
音響・照明:NEXT(櫻井清隆、松尾謙、小松裕規)
映像記録:高山旭
写真記録:Hirokazu Tamura
ちらしデザイン:辻田國雄
クバヤ仕立:村岸紀子
受付:村岸紀子、藤村淳子
■ 特別協力
大澤徳平(堺能楽会館館主)
KP Sulistyo Tirtokusumo
■ 主催
ジャワ舞踊の会(冨岡三智) http://javanesedance.blog69.fc2.com/
インドネシア共和国教育文化省 元・芸術局長より 祝辞

Saya menyambut gembira sekaligus bahagia atas diselenggarakannya pentas seni tari klasik Kraton Surakarta Hadiningrat yang sudah sangat jarang ditampilkan.
Pergelaran ini terasa menjadi istimewa karena 2 (dua) hal, yaitu pertama adalah penarinya dan yang kedua adalah tempatya.
Kolaborasi antara 2 penari Jepang dan 2 penari asal Indonesia yang berbeda latar belakang budayanya menumbuhkan saling pengertian bahwa berbekal penguasaan tari secara benar bisa menepis perbedaan - perbedaan yang mungkin timbul dalam menjalani prosesnya. Dengan demikian dapat tercapai menyatunya rasa yang menjadi spirit dari tari Serimpi yang juga menuntut persamaan tafsir wiraga, serta wirama dari 4 penarinya.
Selanjutnya dengan menari di suatu tempat yang mengharuskan para penari mengenakan kaus kaki, merupakan tantangan tersendiri bagi penari untuk menyesuaikan dan menyiasatinya.
Lepas dari kesulitan dan hambatan dalam proses latihannya, saya percaya bahwa pergelaran Tari Serimpi Lobong ini akan sukses dan diapresiasi dengan baik oleh penonton.
Semoga kegiatan ini akan bisa menjadi motivasi bagi para generasi muda kedua bangsa untuk senantiasa meningkatkan hubungan antar negara melalui jalur pelestarian seni budaya.
Akhir kata saya mengucapkan selamat kepada Michi Tomioka San dan seluruh penari, pemusik dan semua pihak yang terlibat dalam acara ini dan semoga sukses selalu.
Terimakasih...
R a h a y u
Jakarta, 28 September 2021
ttd
Kanjeng Pangeran Sulistyo Tirtokusumo
mantan Direktur Kesenian (2009-2013)
Kementerian Pendidikan dan Kebudayaan RI
----------------------------------------
いまや上演されることことが極めて少なくなったスラカルタ・ハディニングラット王家の古典舞踊芸術の公演開催に当たり、嬉しく光栄なこととお慶び申し上げます。
この公演は次の2点、すなわち第一に踊り手、第二に場の理由から特別なものであると感じます。
文化背景の異なる2人の日本人の踊り手と2人のインドネシア出身の踊り手が共演することで、舞踊を正しく修得すれば、その過程で生じる違いも埋めることができるのだという理解が相互に育まれることになります。これにより、スリンピの精神であるロソ(※舞踊の持つ味わい)の融合が達成されます。このことはまた、ウィロゴ(※舞踊の動き)の解釈が同一であり、ウィロモ(※音楽や振付のテンポ)が揃っていなければならないということでもあります。
さらに、足袋を履かねばならない場所で踊ることは、それに慣れて行うというだけでも踊り手にとって大変なことでしょう。
練習過程における困難や障害を乗り越え、この『スリンピ・ロボン』の公演が成功し観客に喜んでいただけることを私は確信しております。
この活動が両国の若い世代のモチベーションとなり、文化芸術の保護という道を通じて国同士の関係を絶えず深めていくことを願っています。
最後に、冨岡三智さんとすべての踊り手および演奏者の皆さま、そしてこの催しに関わる全ての方々にお祝いを申し上げ、ご成功を祈念します。
ジャカルタにて、2021年9月28日
署名
Kanjeng Pangeran スリスティヨ・ティルトクスモ
元・芸術局長 (2009-2013年)
インドネシア共和国教育文化省
※1 ロソ=ウィロソ、ウィロゴ、ウィロモはジャワ宮廷舞踊で重視される3要素
※2 Kanjeng Pangeranはスラカルタ王家から授与される称号
Javanese Dance & Gamelan Music Concert
Illusion in Sakai ― Dance of Nymphs on Noh Stage ―
Saturday, 23 October 2021 at Sakainohgakukaikan
Address: 3-4-7 Ohama Kitamachi, Sakai-ku, Sakai, Osaka, JAPAN
Subsidized by Sakai City Arts and Culture Promotion Program
■ Program
・Chant:
Nanang Ananto Wicaksono
・Music “Wilejung”
・Dance “Gambyong”:
Michi Tomioka (Choreography & Dance)
・Ai-kyogen:
Rofit Ibrahim, Nanang Ananto Wicaksono
-----break-----
・Dance “Srimpi Lobong”(long version):
Michi Tomioka, Kaori Okado, Anita Sary, Jeny Triani
■ Art Director
TOMIOKA Michi
■ Dancers
TOMIOKA Michi, OKADO Kaori, Anita Sary, Jeny Triani
■ Musicians
Hanajoss (Rofit Ibrahim, SASAKI Hiromi), Dharma Budaya (YAMASAKI Teruo, MATSUDA Hitomi, KONDO Chako, ASUKA Itsuko, MATSUTAKE Karin, KOJIMA Satsuki), IWAMOTO Shoichi, NISHIOKA Mio, NISHIDA Yuri, Nanang Ananto Wicaksono
■ Staffs
Stage Director: HANEDA Miha
Sound&Ligting: NEXT (SAKURAI Kiyotaka, MATSUO Ken, KOMATSU Yuki)
Video:TAKAYAMA Akira
Photo:TAMURA Hirokazu
Flyer Design:TSUJITA Kunio
Kebaya (Dance Costume): MURAGISHI Noriko
Reception: MURAGISHI Noriko, FUJIMURA Junko
■ Special Thanks
OSAWA Tokuhei(the owner of SAKAInohgakukaikan)
KP Sulistyo Tirtokusumo
■ Producer
Japan Association of Javanese Dance (TOMIOKA Michi)
http://javanesedance.blog69.fc2.com/
解 説
本公演ではインドネシアのジャワ島中部にある王宮都市:スラカルタの様式の伝統舞踊とガムラン音楽の公演をお届けします。古都スラカルタとその隣りの州にある古都ジョグジャカルタには今なおマタラム王国(16~18c)の流れを汲む王宮があり、それぞれ独自の様式を伝えています。ガムランは青銅製の打楽器を中心としたアンサンブルのことで、ジャワ島やバリ島で発展しました。ジャワのガムランは優雅で、柔らかい音色とゆったりとしたテンポが特徴であり、ジャワ舞踊は水が流れるように舞うのが理想とされています。
■ 詩の朗誦
上演するのはパンクル形式の詩で「災厄よ、去れ」という内容。スラカルタ宮廷詩人ロンゴストラスノ作。『Serat Kidungan Ranggasutrasna』(1929)所収。ジャワでは現在でも詩を朗誦する伝統が息づいており、詩に霊的な力があると考えられている。コロナ禍が早く収束するようにとの祈りを込めて朗誦する。
■ 楽曲「ウィルジュン」
曲名はジャワ語で「つつがなく」という意味で、儀式やコンサートの最初に決まって演奏される。
■ 民間舞踊「ガンビョン」(曲:ガンビルサウィッ)
ガンビョンはスラカルタを代表する民間由来の女性舞踊。昔は白拍子のような踊り子が一人で踊るもので、ガンビョンは昔の有名な踊り子の名前だと言われている。振付は生まれてから死ぬまでの女性の一生を描いているとされ、今回は伝統的な型を踏まえながらその意味を重視した振付で上演。
■ 間狂言(あいきょうげん)
ジャワのワヤン(影絵)人形から抜け出したキャラクターが港町・堺をうろうろし、白拍子の舞や天女の舞を目撃することになる…。能における間狂言の役割を担うシーン。堺能楽会館の館主:大澤徳平氏の家(堺で江戸時代から続く商家)にはかつてワヤンのような人形があったが空襲で焼けてしまった…という話に想を得て構成。狂言の中で出てくる南蛮屏風は大澤氏の所蔵。
■ スラカルタ宮廷舞踊「スリンピ・ロボン」
スリンピはジャワ王宮で発展した4人の女性による舞踊で、息の長い節回しの女性の合唱が特徴である。舞踊の前に入る男性の声はこれから上演する舞踊名を暗示する。スリンピの振付は抽象的で、2度の戦い(内面の葛藤)を経て調和に至る過程が描かれている。宮廷舞踊は上演に1時間前後かかるため、近年は短縮して上演するのが常だが、今回は完全な長さで上演する。『スリンピ・ロボン』はスラカルタの王:パク・ブウォノVIII世により、その即位(1845年)前に創られた作品で、踊り手は手に弓を持って戦う。
■ 出演者
アニタ・サリとジェニー・トリアニは元・スラカルタ王家の踊り手。冨岡三智、岡戸香里、松田仁美はインドネシア国立芸術大学スラカルタ校に学ぶ。ローフィット・イブラヒム、ナナン・アナント・ウィチャクソノ、佐々木宏実、岩本象一、西岡美緒、西田有里はインドネシア国立芸術大学ジョグジャカルタ校に学ぶ。ダルマ・ブダヤは関西で最も古いジャワ・ガムラン団体で、1979年に結成され、大阪大学に拠点を置く。
ジャワ舞踊の会・冨岡三智

公演プログラムを以下に掲載します。
1ページ目: クレジット(日本語)
2ページ目: 祝辞(インドネシア語原文、日本語訳)
3ページ目: クレジット(英語)
4ページ目: 解説
ジャワ舞踊&ガムラン音楽公演
幻視in堺 ―能舞台に舞うジャワの夢―
2021年10月23日(土)堺能楽会館
住所 大阪府堺市堺区大浜北町3丁4-7
公演 ①12:30~ ②16:00~ 料金 一般3000円、小中学生1000円
堺市文化芸術活動応援補助金対象事業(舞台芸術創造発信事業)
■ プログラム
・詩の朗誦
朗誦:ナナン・アナント・ウィチャクソノ
・楽曲 「ウィルジュン」
・舞踊 「ガンビョン」
振付・舞踊:冨岡三智
・間狂言
ローフィット・イブラヒム、ナナン・アナント・ウィチャクソノ
--------休憩------------------------------------------
・舞踊「スリンピ・ロボン」
舞踊:冨岡三智、岡戸香里、アニタ・サリ、ジェニー・トリアニ
■ 演出
冨岡三智
■ 舞踊
冨岡三智、岡戸香里、アニタ・サリ、ジェニー・トリアニ
■ 演奏
ハナジョス(ローフィット・イブラヒム、佐々木宏実)
ダルマ・ブダヤ(山崎晃男、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、松竹夏鈴、小島冴月)
岩本象一、西岡美緒、西田有里、ナナン・アナント・ウィチャクソノ
■ スタッフ
舞台監督:羽田美葉
音響・照明:NEXT(櫻井清隆、松尾謙、小松裕規)
映像記録:高山旭
写真記録:Hirokazu Tamura
ちらしデザイン:辻田國雄
クバヤ仕立:村岸紀子
受付:村岸紀子、藤村淳子
■ 特別協力
大澤徳平(堺能楽会館館主)
KP Sulistyo Tirtokusumo
■ 主催
ジャワ舞踊の会(冨岡三智) http://javanesedance.blog69.fc2.com/
インドネシア共和国教育文化省 元・芸術局長より 祝辞

Saya menyambut gembira sekaligus bahagia atas diselenggarakannya pentas seni tari klasik Kraton Surakarta Hadiningrat yang sudah sangat jarang ditampilkan.
Pergelaran ini terasa menjadi istimewa karena 2 (dua) hal, yaitu pertama adalah penarinya dan yang kedua adalah tempatya.
Kolaborasi antara 2 penari Jepang dan 2 penari asal Indonesia yang berbeda latar belakang budayanya menumbuhkan saling pengertian bahwa berbekal penguasaan tari secara benar bisa menepis perbedaan - perbedaan yang mungkin timbul dalam menjalani prosesnya. Dengan demikian dapat tercapai menyatunya rasa yang menjadi spirit dari tari Serimpi yang juga menuntut persamaan tafsir wiraga, serta wirama dari 4 penarinya.
Selanjutnya dengan menari di suatu tempat yang mengharuskan para penari mengenakan kaus kaki, merupakan tantangan tersendiri bagi penari untuk menyesuaikan dan menyiasatinya.
Lepas dari kesulitan dan hambatan dalam proses latihannya, saya percaya bahwa pergelaran Tari Serimpi Lobong ini akan sukses dan diapresiasi dengan baik oleh penonton.
Semoga kegiatan ini akan bisa menjadi motivasi bagi para generasi muda kedua bangsa untuk senantiasa meningkatkan hubungan antar negara melalui jalur pelestarian seni budaya.
Akhir kata saya mengucapkan selamat kepada Michi Tomioka San dan seluruh penari, pemusik dan semua pihak yang terlibat dalam acara ini dan semoga sukses selalu.
Terimakasih...
R a h a y u
Jakarta, 28 September 2021
ttd
Kanjeng Pangeran Sulistyo Tirtokusumo
mantan Direktur Kesenian (2009-2013)
Kementerian Pendidikan dan Kebudayaan RI
----------------------------------------
いまや上演されることことが極めて少なくなったスラカルタ・ハディニングラット王家の古典舞踊芸術の公演開催に当たり、嬉しく光栄なこととお慶び申し上げます。
この公演は次の2点、すなわち第一に踊り手、第二に場の理由から特別なものであると感じます。
文化背景の異なる2人の日本人の踊り手と2人のインドネシア出身の踊り手が共演することで、舞踊を正しく修得すれば、その過程で生じる違いも埋めることができるのだという理解が相互に育まれることになります。これにより、スリンピの精神であるロソ(※舞踊の持つ味わい)の融合が達成されます。このことはまた、ウィロゴ(※舞踊の動き)の解釈が同一であり、ウィロモ(※音楽や振付のテンポ)が揃っていなければならないということでもあります。
さらに、足袋を履かねばならない場所で踊ることは、それに慣れて行うというだけでも踊り手にとって大変なことでしょう。
練習過程における困難や障害を乗り越え、この『スリンピ・ロボン』の公演が成功し観客に喜んでいただけることを私は確信しております。
この活動が両国の若い世代のモチベーションとなり、文化芸術の保護という道を通じて国同士の関係を絶えず深めていくことを願っています。
最後に、冨岡三智さんとすべての踊り手および演奏者の皆さま、そしてこの催しに関わる全ての方々にお祝いを申し上げ、ご成功を祈念します。
ジャカルタにて、2021年9月28日
署名
Kanjeng Pangeran スリスティヨ・ティルトクスモ
元・芸術局長 (2009-2013年)
インドネシア共和国教育文化省
※1 ロソ=ウィロソ、ウィロゴ、ウィロモはジャワ宮廷舞踊で重視される3要素
※2 Kanjeng Pangeranはスラカルタ王家から授与される称号
Javanese Dance & Gamelan Music Concert
Illusion in Sakai ― Dance of Nymphs on Noh Stage ―
Saturday, 23 October 2021 at Sakainohgakukaikan
Address: 3-4-7 Ohama Kitamachi, Sakai-ku, Sakai, Osaka, JAPAN
Subsidized by Sakai City Arts and Culture Promotion Program
■ Program
・Chant:
Nanang Ananto Wicaksono
・Music “Wilejung”
・Dance “Gambyong”:
Michi Tomioka (Choreography & Dance)
・Ai-kyogen:
Rofit Ibrahim, Nanang Ananto Wicaksono
-----break-----
・Dance “Srimpi Lobong”(long version):
Michi Tomioka, Kaori Okado, Anita Sary, Jeny Triani
■ Art Director
TOMIOKA Michi
■ Dancers
TOMIOKA Michi, OKADO Kaori, Anita Sary, Jeny Triani
■ Musicians
Hanajoss (Rofit Ibrahim, SASAKI Hiromi), Dharma Budaya (YAMASAKI Teruo, MATSUDA Hitomi, KONDO Chako, ASUKA Itsuko, MATSUTAKE Karin, KOJIMA Satsuki), IWAMOTO Shoichi, NISHIOKA Mio, NISHIDA Yuri, Nanang Ananto Wicaksono
■ Staffs
Stage Director: HANEDA Miha
Sound&Ligting: NEXT (SAKURAI Kiyotaka, MATSUO Ken, KOMATSU Yuki)
Video:TAKAYAMA Akira
Photo:TAMURA Hirokazu
Flyer Design:TSUJITA Kunio
Kebaya (Dance Costume): MURAGISHI Noriko
Reception: MURAGISHI Noriko, FUJIMURA Junko
■ Special Thanks
OSAWA Tokuhei(the owner of SAKAInohgakukaikan)
KP Sulistyo Tirtokusumo
■ Producer
Japan Association of Javanese Dance (TOMIOKA Michi)
http://javanesedance.blog69.fc2.com/
解 説
本公演ではインドネシアのジャワ島中部にある王宮都市:スラカルタの様式の伝統舞踊とガムラン音楽の公演をお届けします。古都スラカルタとその隣りの州にある古都ジョグジャカルタには今なおマタラム王国(16~18c)の流れを汲む王宮があり、それぞれ独自の様式を伝えています。ガムランは青銅製の打楽器を中心としたアンサンブルのことで、ジャワ島やバリ島で発展しました。ジャワのガムランは優雅で、柔らかい音色とゆったりとしたテンポが特徴であり、ジャワ舞踊は水が流れるように舞うのが理想とされています。
■ 詩の朗誦
上演するのはパンクル形式の詩で「災厄よ、去れ」という内容。スラカルタ宮廷詩人ロンゴストラスノ作。『Serat Kidungan Ranggasutrasna』(1929)所収。ジャワでは現在でも詩を朗誦する伝統が息づいており、詩に霊的な力があると考えられている。コロナ禍が早く収束するようにとの祈りを込めて朗誦する。
■ 楽曲「ウィルジュン」
曲名はジャワ語で「つつがなく」という意味で、儀式やコンサートの最初に決まって演奏される。
■ 民間舞踊「ガンビョン」(曲:ガンビルサウィッ)
ガンビョンはスラカルタを代表する民間由来の女性舞踊。昔は白拍子のような踊り子が一人で踊るもので、ガンビョンは昔の有名な踊り子の名前だと言われている。振付は生まれてから死ぬまでの女性の一生を描いているとされ、今回は伝統的な型を踏まえながらその意味を重視した振付で上演。
■ 間狂言(あいきょうげん)
ジャワのワヤン(影絵)人形から抜け出したキャラクターが港町・堺をうろうろし、白拍子の舞や天女の舞を目撃することになる…。能における間狂言の役割を担うシーン。堺能楽会館の館主:大澤徳平氏の家(堺で江戸時代から続く商家)にはかつてワヤンのような人形があったが空襲で焼けてしまった…という話に想を得て構成。狂言の中で出てくる南蛮屏風は大澤氏の所蔵。
■ スラカルタ宮廷舞踊「スリンピ・ロボン」
スリンピはジャワ王宮で発展した4人の女性による舞踊で、息の長い節回しの女性の合唱が特徴である。舞踊の前に入る男性の声はこれから上演する舞踊名を暗示する。スリンピの振付は抽象的で、2度の戦い(内面の葛藤)を経て調和に至る過程が描かれている。宮廷舞踊は上演に1時間前後かかるため、近年は短縮して上演するのが常だが、今回は完全な長さで上演する。『スリンピ・ロボン』はスラカルタの王:パク・ブウォノVIII世により、その即位(1845年)前に創られた作品で、踊り手は手に弓を持って戦う。
■ 出演者
アニタ・サリとジェニー・トリアニは元・スラカルタ王家の踊り手。冨岡三智、岡戸香里、松田仁美はインドネシア国立芸術大学スラカルタ校に学ぶ。ローフィット・イブラヒム、ナナン・アナント・ウィチャクソノ、佐々木宏実、岩本象一、西岡美緒、西田有里はインドネシア国立芸術大学ジョグジャカルタ校に学ぶ。ダルマ・ブダヤは関西で最も古いジャワ・ガムラン団体で、1979年に結成され、大阪大学に拠点を置く。
2021年10月17日 (日)
以下の公演もいよいよ今週末に迫りました。能舞台の上で繰り広げられる夢のような舞台を見に、どうぞ堺までお越しください。
お申し込みはこちら
『幻視 in 堺 ~能舞台に舞うジャワの夢~』
2021年10月23日(土)
①開場12:00、開演12:30~14:00
②会場15:30、開演16:00~17:30
堺能楽会館(大阪府堺市)
各公演 一般\3,000、小中学生 \1,000(全席自由)
堺市文化芸術活動応援補助金対象事業
(舞台芸術創造発信事業)
1. 舞踊 『ガンビョン』
白拍子ガンビョンが舞う女の一生
…振付・舞踊: 冨岡三智

(過去の公演より)
2. 間狂言(あいきょうげん)
ジャワの影絵から抜け出した風変わりな二人の男
…ローフィット・イブラヒム&ナナン・アナント・ウィチャクソノ

(練習風景より)
3. 宮廷舞踊 『スリンピ・ロボン』(完全版)
松原に天女の舞うスリンピ
舞踊…冨岡三智、岡戸香里、Anita Sary、Jeny Triani

(練習風景より)
<出演>ガムラン演奏
ダルマ・ブダヤ(山崎晃男、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、松竹夏鈴、小島冴月)、
ハナジョス(Rofit Ibrahim、佐々木宏実)、
岩本象一、西岡美緒、西田有里、Nanang Ananto Wicaksono

(練習風景より)
<出演>舞踊
冨岡三智、岡戸香里、Anita Sary、Jeny Triani

(それぞれ、過去の公演より)
お申し込みはこちら
『幻視 in 堺 ~能舞台に舞うジャワの夢~』
2021年10月23日(土)
①開場12:00、開演12:30~14:00
②会場15:30、開演16:00~17:30
堺能楽会館(大阪府堺市)
各公演 一般\3,000、小中学生 \1,000(全席自由)
堺市文化芸術活動応援補助金対象事業
(舞台芸術創造発信事業)
1. 舞踊 『ガンビョン』
白拍子ガンビョンが舞う女の一生
…振付・舞踊: 冨岡三智

(過去の公演より)
2. 間狂言(あいきょうげん)
ジャワの影絵から抜け出した風変わりな二人の男
…ローフィット・イブラヒム&ナナン・アナント・ウィチャクソノ

(練習風景より)
3. 宮廷舞踊 『スリンピ・ロボン』(完全版)
松原に天女の舞うスリンピ
舞踊…冨岡三智、岡戸香里、Anita Sary、Jeny Triani

(練習風景より)
<出演>ガムラン演奏
ダルマ・ブダヤ(山崎晃男、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、松竹夏鈴、小島冴月)、
ハナジョス(Rofit Ibrahim、佐々木宏実)、
岩本象一、西岡美緒、西田有里、Nanang Ananto Wicaksono

(練習風景より)
<出演>舞踊
冨岡三智、岡戸香里、Anita Sary、Jeny Triani

(それぞれ、過去の公演より)
2021年10月01日 (金)
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2021年10月」(水牛のように)コーナーに、
「『幻視 in 堺~能舞台に舞うジャワの夢~』公演のお知らせ 」を寄稿しました。
http://suigyu.com/2021/10#post-7764
『幻視 in 堺~能舞台に舞うジャワの夢~』公演のお知らせ
冨岡三智
もう10月…というわけで、今回は今月23日に迫った主催公演の宣伝である。秋以降にはコロナもだいぶ収束しているのではないか…という期待を持って進めた企画で、練習場所を分散したりオンラインを組み合わせたりして練習を乗り越えてきた。なんとか無事に実施できたらなあと思っている。
公演: 幻視in堺 ― 能舞台に舞うジャワの夢 ―
ジャワ舞踊&ガムラン音楽公演
日時: 2021年10月23日 (土) ①12:30~ ②16:00~
場所: 堺能楽会館・能舞台
プログラム
前半: 舞踊『ガンビョン』(オリジナル振付)
間狂言(あいきょうげん)
後半: スラカルタ宮廷舞踊『スリンピ・ロボン』(完全版)
※ 堺市文化芸術活動応援補助金対象事業(舞台芸術創造発信事業)
● 幻視 in ~ シリーズ
タイトルに『幻視 in ~』とあるが、実はこれをタイトルにした公演は今回で3回目である。1回目は1998年10月、最初の留学から帰国した年に国営飛鳥歴史公園の野外で実施した『幻視in飛鳥~万葉人の見たジャワの夢~』で、スラカルタ宮廷舞踊『スリンピ・アングリルムンドゥン』を単独で上演した(録音使用)。ちなみにスリンピは4人の女性で踊る舞踊。日没時間を調べて、曲の第1部の終わりで日没となり、第2部で篝火を焚くという風に構成した。ただ、台風がきて1週間延期した上に開演前にまごまごしていたら、開始時点ですでに暗くなってしまったが…。古代から異国文化が入ってきた飛鳥の地でふと目にしたかもしれないような舞踊の幻影…というイメージを創り出してみたかった。
2回目は2005年11月に橋本市教育文化会館大ホールで行った公演『幻視in紀の国~南海に響くジャワの音~』。今回の公演にも出演するダルマブダヤの演奏で、自分で振り付けた『陰陽 ON-YO』と男性優形の舞踊『スリ・パモソ(人の歩む道、の意)』を上演した。『ON-YO』は宮廷舞踊のような感じで作ってもらった曲で、私はドドッという宮廷特有の衣装を着て踊った。この時は橋本市で狂言を習っている姉妹が扮する太郎冠者と次郎冠者が、ジャワ王家を守護するという南海の女王の宮殿に迷い込み、女王の私に出会う…という物語構成にした。南紀からジャワの南海が地下水路でつながっていくようなイメージを出してみた。
そして3回目が今回。今回は能舞台でジャワ舞踊を上演する。前半では現世の女性が登場し、その一生を舞踊で語る。それを聞いていたのは、南蛮船の荷にあったジャワの影絵(ワヤン)から抜け出てきた二人の男。彼の地の言葉やらいろんな言葉を駆使して堺の町をさまよっている間に、松原の向こうに天女が降り立つ姿を垣間見て心を奪われる…。この人の男の場面は機能的にはまさしく間狂言(二場物の能で前ジテの退場後,後ジテの登場までのあいだをつなぐ役)なのだが、『幻視 in 紀の国』の公演の時の太郎冠者、次郎冠者のシーンも私は間狂言とプログラムに書いていたことを最近発見した。間狂言を挟んで異次元にいく構成が私は好きらしい…とあらためて気づく。前回は間狂言をはさんで女性から男性へと変わり、今回は現実の女性から天女へと変わる。
● 間狂言とワヤン
今回の間狂言ではジャワ人のローフィーとナナンがワヤン人形から抜け出したキャラクターになって港町・堺をうろうろする。実はこのシーンは2人に任せているので(全体の構想はあるが)、どうなるか私も予想がつかない。声が低くて老成した雰囲気のあるローフィーと、声が高くて年齢以上に若く見えるナナンがコンビで動いたらきっと面白いに違いないと思っている。2人をワヤン人形から抜け出したキャラクターにしたのは、実は会場の堺能楽会館・館主の大澤徳平氏との話から思いついた。この能楽会館は、大澤氏の母が私財を投じて創設した個人所有の能舞台である。大澤家は堺で江戸時代から続く商家で、自宅は空襲で焼けてしまったが、ワヤンのような人形があったのだと言う。最初の打ち合わせで大澤氏と会った時に、共演者たちの舞台写真を色々見せていたところ、ワヤン上演の写真に目を留めて、こんな影絵人形がうちにもあったよ…という話になったのだった。どういういきさつでその人形が大澤家に来たのか今となっては分からないが、なんだか堺を感じさせる話だなあと思っている。
● ガンビョンとスリンピ
ジャワの芸能は大きく宮廷起源のものと民間起源のものに分かれる。女性舞踊であれば、宮廷舞踊はスリンピとブドヨ、民間舞踊であればレデッ、タレデッ、ロンゲンなどと呼ばれる女芸人の舞踊(スラカルタの場合はガンビョン)しかない。1817年に書かれたラッフルズの『ジャワ誌』に掲載されている女性舞踊の種類もスリンピ、ブドヨ、ロンゲンの3つしかない。現在は舞踊の種類も増えているが、それらはスリンピ+ブドヨ極とロンゲン極の間に存在し、両極の性質が混じっている(他の外来要素が混じっていることもある)と言える。だからこの公演ではこの2極を見てもらう形になる。
この2極の特徴を対比してみると、
宮廷舞踊(スリンピ+ブドヨ):ブダヤン斉唱が作るメロディーにのって踊る、歌い手と踊り手が分離、大太鼓を使う、集団で決まった振付を踊る
民間舞踊(ガンビョン):太鼓が作るリズムにのって踊る、歌いながら踊る、チブロン太鼓を使う、1人で半ば即興的に踊る
となる。
留学していた時、私はスラカルタ宮廷のスリンピとブドヨの元々の長いバージョンを全曲修得するという目標を立てたが、同時にガンビョンを自由に踊れるようになりたいという目標も立てた。ガンビョンには、太鼓の展開パターンや規則に従いつつも半ば即興的に踊る余地がある。女性が歌いながら踊るという煽情的な踊りがガンビョンの元になっているため、実はガンビョンが一般子女が踊ることのできる健全な舞踊になったのは1960年代以降である。その健全化の過程の中で、ガンビョンは宮廷舞踊のように集団女性が決まった振付を踊る舞踊へと変化していった(これには市販カセットの普及という要素も大きい)。しかし、太鼓との駆け引きの中で自分の個性で踊るのがガンビョンの醍醐味だと私は思っている。
ガンビョンはチブロン太鼓の奏法と共に発展し、実はどんな曲でも踊ることができる。大別すればラドラン形式の曲で踊るか、グンディン形式という規模の大きい曲で踊るかの2種類しかない。それで、既存の曲(カセット化されている曲)を全部習ったあと、太鼓の先生にいろんな太鼓のリズムを叩いてもらって録音し、それを舞踊の師匠の所に持って行って練習した。師匠のジョコ女史はまだパターン化する前のガンビョンを知っている世代なのだった。というわけで、今回もそうだが、私が生演奏でガンビョンを踊る時は全体の演出と太鼓の手組を自分で考える。カセットと同じこと、そして過去の公演と全く同じことは二度としない。これは太鼓奏者と演奏者の1人がジャワ人で、私の意を汲みとって形にしてくれるからこそできるというのもある。伝統曲で新しいことをするのは意外にむずかしい。外国人ガムラン奏者だと、どうしても正しいか正しくないか(カセット録音されたものと同じかどうか)という点が達成度を測る目安になってしまいがちな気がする。
逆に、スリンピやブドヨは古い長い振付(40分~1時間)で踊るというのが私の信条である。ジャワでも王宮であれ芸術大学等であれ、短縮したバージョン(15~30分)を踊るのが普通になっていて、たぶん短縮しないバージョンを公演した経験では私は多い方に属するかもしれない。宮廷舞踊は曲の展開と振付が対応している。短縮版ではこの対応関係がずれてしまっている場合もあり、不満を感じることも多い。宮廷舞踊はその長い振付構成でなければ場面展開の構成のうまさや動きの妙は伝わりにくい。
思えば、日本で4人揃ったスリンピをした公演するのは今度が初めてである。2012年の島根公演では4人揃っていたが、あの時はインドネシア国立芸術大学スラカルタ校の一行を招聘し、私以外の3人の踊り手も芸大の先生たちだった。しかし、今回の上演では踊り手4人とも日本在住者である。うち2人は元々スラカルタ王家の踊り子で、結婚して日本に在住している。今回の出演者は、岸城神社(岸和田市)で2009年から10年間、毎年『観月の夕べ』公演を一緒にやってきたメンバーが中心だが、もう1人の踊り手の岡戸さんは私と留学先の大学も大学院(大阪)も同じで、何度かこの『観月の夕べ』公演に出演している。
今回上演する『スリンピ・ロボン』では、踊り手は弓を手に優雅に戦う。後にパク・ブウォノVIII世となるスラカルタの王により1845年に創られた。同じくVIII世が即位前に作った作品としては、他に『スリンピ・ガンビルサウィット』(1843)、『スリンピ・ラグドゥンプル』(1845)があり、動きの語彙や展開に共通性が見られる。
というわけで公演PRに終始した今回の記事だが、私のジャワ舞踊観も少し知ってもらえると嬉しい。

「2021年10月」(水牛のように)コーナーに、
「『幻視 in 堺~能舞台に舞うジャワの夢~』公演のお知らせ 」を寄稿しました。
http://suigyu.com/2021/10#post-7764
『幻視 in 堺~能舞台に舞うジャワの夢~』公演のお知らせ
冨岡三智
もう10月…というわけで、今回は今月23日に迫った主催公演の宣伝である。秋以降にはコロナもだいぶ収束しているのではないか…という期待を持って進めた企画で、練習場所を分散したりオンラインを組み合わせたりして練習を乗り越えてきた。なんとか無事に実施できたらなあと思っている。
公演: 幻視in堺 ― 能舞台に舞うジャワの夢 ―
ジャワ舞踊&ガムラン音楽公演
日時: 2021年10月23日 (土) ①12:30~ ②16:00~
場所: 堺能楽会館・能舞台
プログラム
前半: 舞踊『ガンビョン』(オリジナル振付)
間狂言(あいきょうげん)
後半: スラカルタ宮廷舞踊『スリンピ・ロボン』(完全版)
※ 堺市文化芸術活動応援補助金対象事業(舞台芸術創造発信事業)
● 幻視 in ~ シリーズ
タイトルに『幻視 in ~』とあるが、実はこれをタイトルにした公演は今回で3回目である。1回目は1998年10月、最初の留学から帰国した年に国営飛鳥歴史公園の野外で実施した『幻視in飛鳥~万葉人の見たジャワの夢~』で、スラカルタ宮廷舞踊『スリンピ・アングリルムンドゥン』を単独で上演した(録音使用)。ちなみにスリンピは4人の女性で踊る舞踊。日没時間を調べて、曲の第1部の終わりで日没となり、第2部で篝火を焚くという風に構成した。ただ、台風がきて1週間延期した上に開演前にまごまごしていたら、開始時点ですでに暗くなってしまったが…。古代から異国文化が入ってきた飛鳥の地でふと目にしたかもしれないような舞踊の幻影…というイメージを創り出してみたかった。
2回目は2005年11月に橋本市教育文化会館大ホールで行った公演『幻視in紀の国~南海に響くジャワの音~』。今回の公演にも出演するダルマブダヤの演奏で、自分で振り付けた『陰陽 ON-YO』と男性優形の舞踊『スリ・パモソ(人の歩む道、の意)』を上演した。『ON-YO』は宮廷舞踊のような感じで作ってもらった曲で、私はドドッという宮廷特有の衣装を着て踊った。この時は橋本市で狂言を習っている姉妹が扮する太郎冠者と次郎冠者が、ジャワ王家を守護するという南海の女王の宮殿に迷い込み、女王の私に出会う…という物語構成にした。南紀からジャワの南海が地下水路でつながっていくようなイメージを出してみた。
そして3回目が今回。今回は能舞台でジャワ舞踊を上演する。前半では現世の女性が登場し、その一生を舞踊で語る。それを聞いていたのは、南蛮船の荷にあったジャワの影絵(ワヤン)から抜け出てきた二人の男。彼の地の言葉やらいろんな言葉を駆使して堺の町をさまよっている間に、松原の向こうに天女が降り立つ姿を垣間見て心を奪われる…。この人の男の場面は機能的にはまさしく間狂言(二場物の能で前ジテの退場後,後ジテの登場までのあいだをつなぐ役)なのだが、『幻視 in 紀の国』の公演の時の太郎冠者、次郎冠者のシーンも私は間狂言とプログラムに書いていたことを最近発見した。間狂言を挟んで異次元にいく構成が私は好きらしい…とあらためて気づく。前回は間狂言をはさんで女性から男性へと変わり、今回は現実の女性から天女へと変わる。
● 間狂言とワヤン
今回の間狂言ではジャワ人のローフィーとナナンがワヤン人形から抜け出したキャラクターになって港町・堺をうろうろする。実はこのシーンは2人に任せているので(全体の構想はあるが)、どうなるか私も予想がつかない。声が低くて老成した雰囲気のあるローフィーと、声が高くて年齢以上に若く見えるナナンがコンビで動いたらきっと面白いに違いないと思っている。2人をワヤン人形から抜け出したキャラクターにしたのは、実は会場の堺能楽会館・館主の大澤徳平氏との話から思いついた。この能楽会館は、大澤氏の母が私財を投じて創設した個人所有の能舞台である。大澤家は堺で江戸時代から続く商家で、自宅は空襲で焼けてしまったが、ワヤンのような人形があったのだと言う。最初の打ち合わせで大澤氏と会った時に、共演者たちの舞台写真を色々見せていたところ、ワヤン上演の写真に目を留めて、こんな影絵人形がうちにもあったよ…という話になったのだった。どういういきさつでその人形が大澤家に来たのか今となっては分からないが、なんだか堺を感じさせる話だなあと思っている。
● ガンビョンとスリンピ
ジャワの芸能は大きく宮廷起源のものと民間起源のものに分かれる。女性舞踊であれば、宮廷舞踊はスリンピとブドヨ、民間舞踊であればレデッ、タレデッ、ロンゲンなどと呼ばれる女芸人の舞踊(スラカルタの場合はガンビョン)しかない。1817年に書かれたラッフルズの『ジャワ誌』に掲載されている女性舞踊の種類もスリンピ、ブドヨ、ロンゲンの3つしかない。現在は舞踊の種類も増えているが、それらはスリンピ+ブドヨ極とロンゲン極の間に存在し、両極の性質が混じっている(他の外来要素が混じっていることもある)と言える。だからこの公演ではこの2極を見てもらう形になる。
この2極の特徴を対比してみると、
宮廷舞踊(スリンピ+ブドヨ):ブダヤン斉唱が作るメロディーにのって踊る、歌い手と踊り手が分離、大太鼓を使う、集団で決まった振付を踊る
民間舞踊(ガンビョン):太鼓が作るリズムにのって踊る、歌いながら踊る、チブロン太鼓を使う、1人で半ば即興的に踊る
となる。
留学していた時、私はスラカルタ宮廷のスリンピとブドヨの元々の長いバージョンを全曲修得するという目標を立てたが、同時にガンビョンを自由に踊れるようになりたいという目標も立てた。ガンビョンには、太鼓の展開パターンや規則に従いつつも半ば即興的に踊る余地がある。女性が歌いながら踊るという煽情的な踊りがガンビョンの元になっているため、実はガンビョンが一般子女が踊ることのできる健全な舞踊になったのは1960年代以降である。その健全化の過程の中で、ガンビョンは宮廷舞踊のように集団女性が決まった振付を踊る舞踊へと変化していった(これには市販カセットの普及という要素も大きい)。しかし、太鼓との駆け引きの中で自分の個性で踊るのがガンビョンの醍醐味だと私は思っている。
ガンビョンはチブロン太鼓の奏法と共に発展し、実はどんな曲でも踊ることができる。大別すればラドラン形式の曲で踊るか、グンディン形式という規模の大きい曲で踊るかの2種類しかない。それで、既存の曲(カセット化されている曲)を全部習ったあと、太鼓の先生にいろんな太鼓のリズムを叩いてもらって録音し、それを舞踊の師匠の所に持って行って練習した。師匠のジョコ女史はまだパターン化する前のガンビョンを知っている世代なのだった。というわけで、今回もそうだが、私が生演奏でガンビョンを踊る時は全体の演出と太鼓の手組を自分で考える。カセットと同じこと、そして過去の公演と全く同じことは二度としない。これは太鼓奏者と演奏者の1人がジャワ人で、私の意を汲みとって形にしてくれるからこそできるというのもある。伝統曲で新しいことをするのは意外にむずかしい。外国人ガムラン奏者だと、どうしても正しいか正しくないか(カセット録音されたものと同じかどうか)という点が達成度を測る目安になってしまいがちな気がする。
逆に、スリンピやブドヨは古い長い振付(40分~1時間)で踊るというのが私の信条である。ジャワでも王宮であれ芸術大学等であれ、短縮したバージョン(15~30分)を踊るのが普通になっていて、たぶん短縮しないバージョンを公演した経験では私は多い方に属するかもしれない。宮廷舞踊は曲の展開と振付が対応している。短縮版ではこの対応関係がずれてしまっている場合もあり、不満を感じることも多い。宮廷舞踊はその長い振付構成でなければ場面展開の構成のうまさや動きの妙は伝わりにくい。
思えば、日本で4人揃ったスリンピをした公演するのは今度が初めてである。2012年の島根公演では4人揃っていたが、あの時はインドネシア国立芸術大学スラカルタ校の一行を招聘し、私以外の3人の踊り手も芸大の先生たちだった。しかし、今回の上演では踊り手4人とも日本在住者である。うち2人は元々スラカルタ王家の踊り子で、結婚して日本に在住している。今回の出演者は、岸城神社(岸和田市)で2009年から10年間、毎年『観月の夕べ』公演を一緒にやってきたメンバーが中心だが、もう1人の踊り手の岡戸さんは私と留学先の大学も大学院(大阪)も同じで、何度かこの『観月の夕べ』公演に出演している。
今回上演する『スリンピ・ロボン』では、踊り手は弓を手に優雅に戦う。後にパク・ブウォノVIII世となるスラカルタの王により1845年に創られた。同じくVIII世が即位前に作った作品としては、他に『スリンピ・ガンビルサウィット』(1843)、『スリンピ・ラグドゥンプル』(1845)があり、動きの語彙や展開に共通性が見られる。
というわけで公演PRに終始した今回の記事だが、私のジャワ舞踊観も少し知ってもらえると嬉しい。


2021年10月01日 (金)
先月アップするのを忘れていました!
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2021年9月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワ王家の世代交代」を寄稿しました。
http://suigyu.com/2021/09#post-7719
ジャワ王家の世代交代
冨岡三智
この8月13日にジャワ4王家の1つ、マンクヌゴロ家の当主であるマンクヌゴロ9世が69歳で亡くなった。そのお葬式から埋葬の模様はZOOMおよびyoutubeでも配信され、私も途中からしばらく見ていた。9世は当初スカルノ大統領の娘スクマワティと結婚し息子がいるが後に離婚、現王妃との間にも王子がいる。実は、留学中に私はこの王子のテダ・シテン(大地に足を付ける儀式、生後約8か月で行う)の儀礼に出席させてもらっているから、この王子はまだ20代半ばくらいのはずだ。この2人のどちらかが後を継いで10世となるだろうと思われる。9世の埋葬後、この2人は墓の前で一緒に9世の写真を掲げて撮影に応じていた。今までのジャワ王家の例を見ていると、新当主即位までだいたい半年くらいはかかりそうだが、円満に代替わりしてほしいと感じる。
というわけで、今回はジャワ4王家の世代交代について感じたことについて書いてみる。
●ジャワの4王家
ジャワの4王家は、16世紀後半にジャワ島中部に興ったマタラム王国の末裔のことである。マタラム王国が1755年に対等に分裂して生まれたのがスラカルタ王国/王家とジョグジャカルタ王国/王家で、これらの2王国はオランダ植民地支配の下でも自治領を維持した。1757年にスラカルタ王家からマンクヌゴロ家が分立、1813年にジョグジャカルタ王家からパク・アラム家が分立した。ちなみに、パク・アラム家の分立はイギリスのジャワ占領期(1811~1816年)のことである。
1942~1945年、日本軍がインドネシアを占領。1945年8月17日にインドネシアが独立宣言し、約5年間の独立戦争を経てインドネシア共和国が発足した。ここで、スラカルタ王国とジョグジャカルタ王国の命運が分かれる。ジョグジャカルタ王国は共和国への貢献が認められて特別州とされ、ジョグジャカルタの王は世襲の州知事、パクアラム家当主も世襲の副知事として認められ、それは現在まで継続している。一方、スラカルタ王国は特別州として認められず、その所領(スラカルタ市とその周囲の6県)は王宮の敷地を除いてすべて中部ジャワ州に編入され、スラカルタ王家とマンクヌゴロ家はその政治的・経済的特権を失った。
スラカルタ王家当主
- パク・ブウォノ12世(1925生、1945~2004)
- パク・ブウォノ13世(1948生、2004~)
マンクヌゴロ家当主
- マンクヌゴロ8世(1925生、1944~1987)
- マンクヌゴロ9世(1951生、1987~2021)
ジョグジャカルタ王家当主
- ハメンク・ブウォノ 9世(1912生、1940~1988)
- ハメンク・ブウォノ10世(1946生、1989~)
パクアラム家当主
- パク・アラム 8世(1910生、1937~1998)
- パク・アラム 9世(1938生、1999~2015)
- パク・アラム10世(1962生、2016~)
スラカルタのパク・ブウォノ12世は日本軍占領時代末期の1945年6月に弱冠20歳で即位し、マンクヌゴロ8世もその前年に19歳で即位している。それに対してジョグジャカルタでは、ハメンク・ブウォノ9世は28歳で即位してインドネシア独立宣言時には33歳、パク・アラム8世は27歳で即位して独立宣言時には35歳だった。この独立宣言時点でジョグジャカルタの当主たちの方がスラカルタの当主たちよりも一回り以上年齢が上で、5年以上在位して宮廷内での地位も固まっていたであろうことが、政治的に立ち回る上で有利に働いたように感じる。その意味ではスラカルタ王国には運がなかった。
●スラカルタ王家のお家騒動
スラカルタの本家の方では、パク・ブウォノ12世が2004年に逝去したのち、現・13世とテジョウラン王子による後継者争いが起きた。12世には皇后がなく、6人の妻との間に35名の王子、王女をもうけたが、生前に後継者を指名していなかった。現・13世の名はハンガベイといい、これは王の最初の王子に付けられる名である。皇后がいない以上、ハンガベイ王子が後継するのが妥当だが、諸理由からそれに反対する声も12世在世中からあった。ハンガベイ王子を押す同母きょうだいと、テジョウラン王子を押す他のきょうだいたちが対立していたが、2012年に和解が成立した。とはいえ、その後も別の内紛が続いている。
私は1996年以来2007年までの間で通算6年余り、留学や調査でスラカルタに滞在し、スラカルタ王家の宮廷舞踊練習や様々な伝統儀礼への参与観察の機会を与えてもらった。そのうち5年余りはパク・ブウォノ12世の在世中である。逝去された時点では大学院進学のため日本に帰国していたが、100日目の供養には出席することができた。だから、内紛続きのニュースを聞くたびに、胸がつぶれる思いがする。
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2021年9月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワ王家の世代交代」を寄稿しました。
http://suigyu.com/2021/09#post-7719
ジャワ王家の世代交代
冨岡三智
この8月13日にジャワ4王家の1つ、マンクヌゴロ家の当主であるマンクヌゴロ9世が69歳で亡くなった。そのお葬式から埋葬の模様はZOOMおよびyoutubeでも配信され、私も途中からしばらく見ていた。9世は当初スカルノ大統領の娘スクマワティと結婚し息子がいるが後に離婚、現王妃との間にも王子がいる。実は、留学中に私はこの王子のテダ・シテン(大地に足を付ける儀式、生後約8か月で行う)の儀礼に出席させてもらっているから、この王子はまだ20代半ばくらいのはずだ。この2人のどちらかが後を継いで10世となるだろうと思われる。9世の埋葬後、この2人は墓の前で一緒に9世の写真を掲げて撮影に応じていた。今までのジャワ王家の例を見ていると、新当主即位までだいたい半年くらいはかかりそうだが、円満に代替わりしてほしいと感じる。
というわけで、今回はジャワ4王家の世代交代について感じたことについて書いてみる。
●ジャワの4王家
ジャワの4王家は、16世紀後半にジャワ島中部に興ったマタラム王国の末裔のことである。マタラム王国が1755年に対等に分裂して生まれたのがスラカルタ王国/王家とジョグジャカルタ王国/王家で、これらの2王国はオランダ植民地支配の下でも自治領を維持した。1757年にスラカルタ王家からマンクヌゴロ家が分立、1813年にジョグジャカルタ王家からパク・アラム家が分立した。ちなみに、パク・アラム家の分立はイギリスのジャワ占領期(1811~1816年)のことである。
1942~1945年、日本軍がインドネシアを占領。1945年8月17日にインドネシアが独立宣言し、約5年間の独立戦争を経てインドネシア共和国が発足した。ここで、スラカルタ王国とジョグジャカルタ王国の命運が分かれる。ジョグジャカルタ王国は共和国への貢献が認められて特別州とされ、ジョグジャカルタの王は世襲の州知事、パクアラム家当主も世襲の副知事として認められ、それは現在まで継続している。一方、スラカルタ王国は特別州として認められず、その所領(スラカルタ市とその周囲の6県)は王宮の敷地を除いてすべて中部ジャワ州に編入され、スラカルタ王家とマンクヌゴロ家はその政治的・経済的特権を失った。
スラカルタ王家当主
- パク・ブウォノ12世(1925生、1945~2004)
- パク・ブウォノ13世(1948生、2004~)
マンクヌゴロ家当主
- マンクヌゴロ8世(1925生、1944~1987)
- マンクヌゴロ9世(1951生、1987~2021)
ジョグジャカルタ王家当主
- ハメンク・ブウォノ 9世(1912生、1940~1988)
- ハメンク・ブウォノ10世(1946生、1989~)
パクアラム家当主
- パク・アラム 8世(1910生、1937~1998)
- パク・アラム 9世(1938生、1999~2015)
- パク・アラム10世(1962生、2016~)
スラカルタのパク・ブウォノ12世は日本軍占領時代末期の1945年6月に弱冠20歳で即位し、マンクヌゴロ8世もその前年に19歳で即位している。それに対してジョグジャカルタでは、ハメンク・ブウォノ9世は28歳で即位してインドネシア独立宣言時には33歳、パク・アラム8世は27歳で即位して独立宣言時には35歳だった。この独立宣言時点でジョグジャカルタの当主たちの方がスラカルタの当主たちよりも一回り以上年齢が上で、5年以上在位して宮廷内での地位も固まっていたであろうことが、政治的に立ち回る上で有利に働いたように感じる。その意味ではスラカルタ王国には運がなかった。
●スラカルタ王家のお家騒動
スラカルタの本家の方では、パク・ブウォノ12世が2004年に逝去したのち、現・13世とテジョウラン王子による後継者争いが起きた。12世には皇后がなく、6人の妻との間に35名の王子、王女をもうけたが、生前に後継者を指名していなかった。現・13世の名はハンガベイといい、これは王の最初の王子に付けられる名である。皇后がいない以上、ハンガベイ王子が後継するのが妥当だが、諸理由からそれに反対する声も12世在世中からあった。ハンガベイ王子を押す同母きょうだいと、テジョウラン王子を押す他のきょうだいたちが対立していたが、2012年に和解が成立した。とはいえ、その後も別の内紛が続いている。
私は1996年以来2007年までの間で通算6年余り、留学や調査でスラカルタに滞在し、スラカルタ王家の宮廷舞踊練習や様々な伝統儀礼への参与観察の機会を与えてもらった。そのうち5年余りはパク・ブウォノ12世の在世中である。逝去された時点では大学院進学のため日本に帰国していたが、100日目の供養には出席することができた。だから、内紛続きのニュースを聞くたびに、胸がつぶれる思いがする。
| ホーム |