2022年06月02日 (木)
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2022年6月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(1)パンジ物語」を寄稿しました。
「ジャワの物語(1)パンジ物語」
冨岡三智
このエッセイを書き続けてほぼ20年、今まで物語に焦点を当てて紹介したことはなかったので、今回は物語に注目して紹介してみよう。
パンジ物語は13世紀頃にまで遡るジャワ発祥の英雄物語で、14〜15世紀のマジャパヒト王国時代に大流行し、17~18世紀頃には船乗りによってジャワからバリへ、さらに東南アジア各地に広まった。タイなどでは、王子はパンジではなくイナオInaoと呼ばれている。2017年にはインドネシア、カンボジア、マレーシア、オランダ、イギリスが協同申請し、パンジ物語はユネスコの世界無形文化遺産「世界の記録の一覧」に登録された。物語は東ジャワの宮廷が舞台で、パンジ王子が失踪した許嫁のチョンドロ・キロノ(別名スカルタジ)王女を探して放浪の旅に出、ついには王女と出会って結婚するという内容だが、様々な派生演目があるようである。この物語を題材にする芸能形態には、ワヤン・ベベル(絵巻を繰り延べながら語る芸能)、ワヤン・トペン(仮面舞踊劇)、ワヤン(=ワヤン・クリッ、影絵)などがある。
●
ワヤン・ベベルとワヤン・トペンはワヤン・クリッより以前からあったとされる。ワヤン・ベベルは、今では辺境の地であるジョグジャカルタ州ウォノサリ県と東ジャワ州パチタン県でしか伝承されていない。特定の家系のダラン(語り手)によって魔除け、病気平癒祈願などのためだけに上演され、演目はそれぞれ1種類しかない。娯楽用ではないので、上演時間も短い。絵はダルワンと呼ばれる樹皮紙(カジノキの樹皮を薄く叩きのばして作る)に描かれている。樹皮紙の研究をされている坂本勇先生に記録映像を見せていただいたことがある。
●
ワヤン・トペンはスラカルタでは見られないと言ってよい。パンジ物と言えば「クロノ・トペン」や「グヌンサリ」のように単独で舞う仮面舞踊だろう。クロノはスカルタジに横恋慕する異国の王で、男性荒型のキャラクターである。グヌンサリはスカルタジの兄弟で、男性優形のキャラクターだが、実はどんな場面で活躍する人物なんだか私もよく知らない。グヌンサリの場合、仮面なしで上演されることも多い。これらの単独舞踊は物語の特定の場面を描いているのではなく、恋に落ちた武将の様を描写しており、そのキャラクターを表現することが重要である。他に、芸大で作られた『トペン・スカルタジ』というパンジ王子とスカルタジ姫とクロノの3人が登場する演目があるが、これも劇というより三者三様のキャラクター表現を見る舞踊だと言える。
スラカルタで見られないと言ったが、一度だけマンクヌゴロ王家によるワヤン・トペンを中部ジャワ州立芸術センターで見たことがある。同王家には古い仮面のコレクションが多くあるのでワヤン・トペンを復興したという話だった。スラカルタよりはジョグジャカルタの方がワヤン・トペンが盛んなようである。2011年にクロンプロゴ県(パクアラム王家の領地だった地域)で見たことがあるし、最近のyoutube配信でジョグジャカルタ王家のワヤン・トペンも見た。他にもジョグジャカルタのワヤン・トペンの映像はyoutubeに上がっている。スラカルタとジョグジャカルタの間にあるクラテン県にもワヤン・トペンがあり、私は現地で2回見た。それについては先月号の「ジャワの仮面舞踊」で触れたので割愛。しかし、ワヤン・トペンという名で一番有名なのは、たぶん東ジャワ州マラン県のもののように思う。私は2001年に芸大で見た。「ワヤン・トペン・マラン」や「トペン・マラン」と地名をつけて呼ばれることが多く、youtubeでも多くの映像が上がっている。パンジ物語は東ジャワが舞台だから、中部ジャワより人気があるのかもしれない。
●
ワヤン・クリッといえば、現在のジャワではほとんどがマハーバーラタを題材としている。ワヤンはマハーバーラタやラーマーヤナなどインド伝来の物語を題材にした演目群(ワヤン・プルウォ)と、パンジ物語などをジャワ発祥の物語を題材にした演目群(ワヤン・グドッグ)に大別されるのだが、ワヤン・グドッグを上演できるのは現在ではバンバン・スワルノ氏のみらしい。私は2000年10月28日、マンクヌゴロ王家で、氏による『Jaka Bluwo』という演目を見たことがある。通常のワヤン・プルウォのように一晩ではなく、4時間余りの上演だったが(予定は2時間…)、ちょうど見つけたこの演目についての論文によると、これはバンバン氏が短縮上演用に作った演目らしい。この論文によると、ワヤン・グドッグの影絵はパク・ブウォノX世の時代(1893-1939)が最盛期だったが、上演はほぼ宮廷内に限られ、学ぶにも許可がいるといったことが衰退の原因のようだ。
ワヤンはラジオ(インドネシア国営放送)でも放送されてきたので、1980年代前半(私が初めて留学したのが1996年だったので、その一昔前)頃だと状況はどうだったのだろう…とふと思って、事情を知る人に聞いてみた。すると、当時のラジオ局の放送担当者にも確認を取ってくれて、次のような回答が届いた。ワヤン・プルウォの方は毎月、観客を入れて朝まで放送、ダランは毎回変わる。一方、ワヤン・グドッグの方は2か月に1度、ラジオ・トニル(生放送だが観客なし)で、夜9時のニュースの後(9時半頃)から24時まで放送(たまに一晩の放送)、ダランはスラカルタ王家のワヤン・グドッグの師匠であるMadyopradonggo氏が1人で担当(たまにもう1人の人も上演)していたとのこと。その師匠が亡くなった後はこの定期放送もなくなったとのことで、ワヤン・グドッグの伝統を絶やさないために続けていたようだ。
●
というわけで、パンジ物語の演目はワヤン・ベベルにしろワヤン・トペンにしろ、どうも田舎の方に残っていたものの、都の真ん中(スラカルタ王家)に残ったワヤン・クリッ(グドッグ)では逆に廃れていったという感じのようだ。ジョグジャカルタ王家の場合はよくわからないけれど。
「2022年6月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(1)パンジ物語」を寄稿しました。
「ジャワの物語(1)パンジ物語」
冨岡三智
このエッセイを書き続けてほぼ20年、今まで物語に焦点を当てて紹介したことはなかったので、今回は物語に注目して紹介してみよう。
パンジ物語は13世紀頃にまで遡るジャワ発祥の英雄物語で、14〜15世紀のマジャパヒト王国時代に大流行し、17~18世紀頃には船乗りによってジャワからバリへ、さらに東南アジア各地に広まった。タイなどでは、王子はパンジではなくイナオInaoと呼ばれている。2017年にはインドネシア、カンボジア、マレーシア、オランダ、イギリスが協同申請し、パンジ物語はユネスコの世界無形文化遺産「世界の記録の一覧」に登録された。物語は東ジャワの宮廷が舞台で、パンジ王子が失踪した許嫁のチョンドロ・キロノ(別名スカルタジ)王女を探して放浪の旅に出、ついには王女と出会って結婚するという内容だが、様々な派生演目があるようである。この物語を題材にする芸能形態には、ワヤン・ベベル(絵巻を繰り延べながら語る芸能)、ワヤン・トペン(仮面舞踊劇)、ワヤン(=ワヤン・クリッ、影絵)などがある。
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ワヤン・ベベルとワヤン・トペンはワヤン・クリッより以前からあったとされる。ワヤン・ベベルは、今では辺境の地であるジョグジャカルタ州ウォノサリ県と東ジャワ州パチタン県でしか伝承されていない。特定の家系のダラン(語り手)によって魔除け、病気平癒祈願などのためだけに上演され、演目はそれぞれ1種類しかない。娯楽用ではないので、上演時間も短い。絵はダルワンと呼ばれる樹皮紙(カジノキの樹皮を薄く叩きのばして作る)に描かれている。樹皮紙の研究をされている坂本勇先生に記録映像を見せていただいたことがある。
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ワヤン・トペンはスラカルタでは見られないと言ってよい。パンジ物と言えば「クロノ・トペン」や「グヌンサリ」のように単独で舞う仮面舞踊だろう。クロノはスカルタジに横恋慕する異国の王で、男性荒型のキャラクターである。グヌンサリはスカルタジの兄弟で、男性優形のキャラクターだが、実はどんな場面で活躍する人物なんだか私もよく知らない。グヌンサリの場合、仮面なしで上演されることも多い。これらの単独舞踊は物語の特定の場面を描いているのではなく、恋に落ちた武将の様を描写しており、そのキャラクターを表現することが重要である。他に、芸大で作られた『トペン・スカルタジ』というパンジ王子とスカルタジ姫とクロノの3人が登場する演目があるが、これも劇というより三者三様のキャラクター表現を見る舞踊だと言える。
スラカルタで見られないと言ったが、一度だけマンクヌゴロ王家によるワヤン・トペンを中部ジャワ州立芸術センターで見たことがある。同王家には古い仮面のコレクションが多くあるのでワヤン・トペンを復興したという話だった。スラカルタよりはジョグジャカルタの方がワヤン・トペンが盛んなようである。2011年にクロンプロゴ県(パクアラム王家の領地だった地域)で見たことがあるし、最近のyoutube配信でジョグジャカルタ王家のワヤン・トペンも見た。他にもジョグジャカルタのワヤン・トペンの映像はyoutubeに上がっている。スラカルタとジョグジャカルタの間にあるクラテン県にもワヤン・トペンがあり、私は現地で2回見た。それについては先月号の「ジャワの仮面舞踊」で触れたので割愛。しかし、ワヤン・トペンという名で一番有名なのは、たぶん東ジャワ州マラン県のもののように思う。私は2001年に芸大で見た。「ワヤン・トペン・マラン」や「トペン・マラン」と地名をつけて呼ばれることが多く、youtubeでも多くの映像が上がっている。パンジ物語は東ジャワが舞台だから、中部ジャワより人気があるのかもしれない。
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ワヤン・クリッといえば、現在のジャワではほとんどがマハーバーラタを題材としている。ワヤンはマハーバーラタやラーマーヤナなどインド伝来の物語を題材にした演目群(ワヤン・プルウォ)と、パンジ物語などをジャワ発祥の物語を題材にした演目群(ワヤン・グドッグ)に大別されるのだが、ワヤン・グドッグを上演できるのは現在ではバンバン・スワルノ氏のみらしい。私は2000年10月28日、マンクヌゴロ王家で、氏による『Jaka Bluwo』という演目を見たことがある。通常のワヤン・プルウォのように一晩ではなく、4時間余りの上演だったが(予定は2時間…)、ちょうど見つけたこの演目についての論文によると、これはバンバン氏が短縮上演用に作った演目らしい。この論文によると、ワヤン・グドッグの影絵はパク・ブウォノX世の時代(1893-1939)が最盛期だったが、上演はほぼ宮廷内に限られ、学ぶにも許可がいるといったことが衰退の原因のようだ。
ワヤンはラジオ(インドネシア国営放送)でも放送されてきたので、1980年代前半(私が初めて留学したのが1996年だったので、その一昔前)頃だと状況はどうだったのだろう…とふと思って、事情を知る人に聞いてみた。すると、当時のラジオ局の放送担当者にも確認を取ってくれて、次のような回答が届いた。ワヤン・プルウォの方は毎月、観客を入れて朝まで放送、ダランは毎回変わる。一方、ワヤン・グドッグの方は2か月に1度、ラジオ・トニル(生放送だが観客なし)で、夜9時のニュースの後(9時半頃)から24時まで放送(たまに一晩の放送)、ダランはスラカルタ王家のワヤン・グドッグの師匠であるMadyopradonggo氏が1人で担当(たまにもう1人の人も上演)していたとのこと。その師匠が亡くなった後はこの定期放送もなくなったとのことで、ワヤン・グドッグの伝統を絶やさないために続けていたようだ。
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というわけで、パンジ物語の演目はワヤン・ベベルにしろワヤン・トペンにしろ、どうも田舎の方に残っていたものの、都の真ん中(スラカルタ王家)に残ったワヤン・クリッ(グドッグ)では逆に廃れていったという感じのようだ。ジョグジャカルタ王家の場合はよくわからないけれど。
2022年06月02日 (木)
先月(5月)号の『水牛』記事、紹介するのを忘れていたのに今気づきました!
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2022年5月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの仮面舞踊」を寄稿しました。
「ジャワの仮面舞踊」
冨岡三智
5月7日に仮面舞踊を久々に踊る(10年以上ぶりのような気がする)…というわけで、今回はジャワの仮面舞踊の話。インドネシア語では仮面のことをトペンという。仮面舞踊やワヤン・トペン(仮面舞踊劇)はジャワやバリの各地にある。西ジャワのチレボンだと、ワヤン・トペンもあるけれど、1人の演者が5種類のキャラクターを演じ分けるトペン・ババカンが有名だ。東ジャワなら、マランの『パンジ物語』を題材にしたワヤン・トペンや、『マハバラタ』や『ラマヤナ』を題材にしたマドゥーラのワヤン・トペンが有名である。トペン・マランについては留学中の2001年7月16日にスラカルタの芸大で、トペン・マドゥーラは1991年に国際交流基金アセアン文化センターが招聘した日本公演を見たことを思い出す。トペンの演目は普通は『パンジ物語』なので、それ以外の演目があるというのが新鮮だった。
中部ジャワであれば、スラカルタの王家にもジョグジャカルタの王家にも仮面舞踊がある。仮面舞踊は民間派生のものなので、宮廷儀礼用ではなく貴族層たちの楽しみとして発展した。その両王家のある2都市の間にあって、どちらの宮廷にも多くの芸術家を輩出してきたクラテン村にはワヤン・トペンがある。そして、ダラン(影絵の人形遣いや語りをする人)たちが上演するものは、特にダラン・トペンとも呼ばれている(他の地方でも同様)。ダランたちは昼はワヤン・トペンに出演し、夜はワヤンをしたものだという。
クラテン村のワヤン・トペンは、2001年8月には村の広場に設置されたステージで、2002年8月にはダランの家で見た。ダランの家の正面は少し高くなっていて、約1間半×4間幅くらいの深い庇があり、そこをステージにしている。昔は上演できる場所が限られていたから、いつでも上演できるように家の作りをそうしているという話だった。庇の奥にある3枚の戸口は全部外して、奥の部屋を楽屋にしていた。観客はその家の外側から見るのだが、舞台が進行している奥で楽屋が丸見えなのが可笑しかった。舞台の雰囲気は岩見神楽が上演される神楽殿のような感じだった。(もっとも、岩見神楽では大きくて立派な幕を楽屋と舞台の間に張る…。)
クラテンのトペンで興味深かったのが、足を上げないことだった。現在、芸大や王家などで見られる仮面舞踊では、男性の登場人物たちは仮面をつけていないときと同様に動く。仮面をつけると視野が限られるから、片足を少し上げたり、戦いの場面で素早く場所移動したりするにはバランスを取る技量が必要だ。しかし、クラテンでは、2人戦う場面では肩を組んで互いに前に足を出し合うような振付で、昔の仮面舞踊の素朴さを実感する。歌舞伎の様式的な殺陣という感じだ。
また、台詞を話す際に、仮面を手に持って観客から顔を隠しながら話すというのも面白い。能だと面をかけたまま声を出すが、ジャワでは仮面の裏に取り付けた革をくわえて面を着けるので(つまり紐を使わない)、仮面をつけたまま声を出すことができない。どうやって台詞を話すのかずっと疑問に思っていたので、こうするとまるで仮面が話しているように見えるのか…と納得したことを思い出す。
昨年、このクラテン村のワヤン・トペンのグループの公演を20年ぶりくらいにyoutubeで見た。その中心の人がアカウントを作って発信を始めたことを知ったからなのだが、変わらず素朴な雰囲気があって懐かしい気分に浸り、facebookでもその人に連絡を取ってみた。私が見たときは芸大の協力も入っていたが、廃れつつある芸能で上演費用も大変だったようだ。私も寄付に応じたのだが、変わらず公演が続いているようで嬉しい。
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2022年5月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの仮面舞踊」を寄稿しました。
「ジャワの仮面舞踊」
冨岡三智
5月7日に仮面舞踊を久々に踊る(10年以上ぶりのような気がする)…というわけで、今回はジャワの仮面舞踊の話。インドネシア語では仮面のことをトペンという。仮面舞踊やワヤン・トペン(仮面舞踊劇)はジャワやバリの各地にある。西ジャワのチレボンだと、ワヤン・トペンもあるけれど、1人の演者が5種類のキャラクターを演じ分けるトペン・ババカンが有名だ。東ジャワなら、マランの『パンジ物語』を題材にしたワヤン・トペンや、『マハバラタ』や『ラマヤナ』を題材にしたマドゥーラのワヤン・トペンが有名である。トペン・マランについては留学中の2001年7月16日にスラカルタの芸大で、トペン・マドゥーラは1991年に国際交流基金アセアン文化センターが招聘した日本公演を見たことを思い出す。トペンの演目は普通は『パンジ物語』なので、それ以外の演目があるというのが新鮮だった。
中部ジャワであれば、スラカルタの王家にもジョグジャカルタの王家にも仮面舞踊がある。仮面舞踊は民間派生のものなので、宮廷儀礼用ではなく貴族層たちの楽しみとして発展した。その両王家のある2都市の間にあって、どちらの宮廷にも多くの芸術家を輩出してきたクラテン村にはワヤン・トペンがある。そして、ダラン(影絵の人形遣いや語りをする人)たちが上演するものは、特にダラン・トペンとも呼ばれている(他の地方でも同様)。ダランたちは昼はワヤン・トペンに出演し、夜はワヤンをしたものだという。
クラテン村のワヤン・トペンは、2001年8月には村の広場に設置されたステージで、2002年8月にはダランの家で見た。ダランの家の正面は少し高くなっていて、約1間半×4間幅くらいの深い庇があり、そこをステージにしている。昔は上演できる場所が限られていたから、いつでも上演できるように家の作りをそうしているという話だった。庇の奥にある3枚の戸口は全部外して、奥の部屋を楽屋にしていた。観客はその家の外側から見るのだが、舞台が進行している奥で楽屋が丸見えなのが可笑しかった。舞台の雰囲気は岩見神楽が上演される神楽殿のような感じだった。(もっとも、岩見神楽では大きくて立派な幕を楽屋と舞台の間に張る…。)
クラテンのトペンで興味深かったのが、足を上げないことだった。現在、芸大や王家などで見られる仮面舞踊では、男性の登場人物たちは仮面をつけていないときと同様に動く。仮面をつけると視野が限られるから、片足を少し上げたり、戦いの場面で素早く場所移動したりするにはバランスを取る技量が必要だ。しかし、クラテンでは、2人戦う場面では肩を組んで互いに前に足を出し合うような振付で、昔の仮面舞踊の素朴さを実感する。歌舞伎の様式的な殺陣という感じだ。
また、台詞を話す際に、仮面を手に持って観客から顔を隠しながら話すというのも面白い。能だと面をかけたまま声を出すが、ジャワでは仮面の裏に取り付けた革をくわえて面を着けるので(つまり紐を使わない)、仮面をつけたまま声を出すことができない。どうやって台詞を話すのかずっと疑問に思っていたので、こうするとまるで仮面が話しているように見えるのか…と納得したことを思い出す。
昨年、このクラテン村のワヤン・トペンのグループの公演を20年ぶりくらいにyoutubeで見た。その中心の人がアカウントを作って発信を始めたことを知ったからなのだが、変わらず素朴な雰囲気があって懐かしい気分に浸り、facebookでもその人に連絡を取ってみた。私が見たときは芸大の協力も入っていたが、廃れつつある芸能で上演費用も大変だったようだ。私も寄付に応じたのだが、変わらず公演が続いているようで嬉しい。
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