2022年08月17日 (水)
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2022年8月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(3)マハーバーラタ」を寄稿しました。
「ジャワの物語(2)マハーバーラタ」
冨岡三智
前回取り上げたラーマーヤナ同様、マハーバーラタも古代インドの叙事詩である。4世紀頃に現在の形になったと考えられ、東南アジアに伝播した。内容は、王位継承に絡んで、コラワ一族の100人兄弟が従兄弟のパンダワ一族の5人兄弟を陥れようと姦計を繰り返してバラタユダ(大戦争)に至るが、この大戦争は神が定めたものでパンダワの勝利に終わる…そののち静かな時代が訪れるもののパンダワ5王子は世を儚み次々と昇天していく、というもの。
現在、ジャワのワヤン芸能(影絵や劇)の題材はマハーバーラタのエピソードが多いが、インドネシアのアイコンや東南アジア紐帯のアイコンとしてコラボレーションの題材となっているのはラーマーヤナが多い。その一方で、マハーバーラタは西洋や日本において何度も取り上げられてきたという印象がある。
私が思い出すのは、ピーター・ブルックによる『マハーバーラタ』(1985年アビニョン演劇祭初演、1988年銀座セゾン劇場)、②横浜ボートシアターによる日イネ合作『マハーバーラタ 耳の王子』(1996年、水牛2022年3月号のエッセイを参照)、③宮城聰によるSPACの『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』(2003年~、2012年ふじのくに⇄せかい演劇祭、2014年アビニョン演劇祭など)、④宮城聰による歌舞伎の『極付印度伝マハーバーラタ戦記』(2017年歌舞伎座)、⑤小池博史によるアジア6か国のコラボレーション『完全版マハーバーラタ』(2013~2020年10か国で上演、2021年東京)などだ。ただし実際に見たのは②のみである。
インドネシアのワヤンで描かれるマハーバーラタは叙事詩全体ではなく、その中の個別エピソードで、物語全体を知らなくても作品を楽しむことに差支えはない。というか、大戦争やパンダワ昇天といった重大なシーンはめったに描かれない。一方、①のブルック作品は全編舞台化を謳っていて、初演時の舞台は9時間、のちにそれを編集して映画にしている。⑤の小池作品もブルック以来の全編舞台化を謳っている。②と④はカルノを中心に組み立てているが、②はカルノにインドネシア独立戦争に参加した残留日本兵の葛藤と悲劇を重ねている。カルノはパンダワ側であるアルジュノと同母兄弟ながらコラワ側で養育され、後にアルジュノと一騎打ちすることになる点で、同族内の対立を象徴する人物だ。③は、コラワの姦計(さいころ賭博)によりパンダワが王国を失って流浪していた時に賢者が聞かせた恋愛物語「ナラ王の物語」を下敷きにしている。未見なので、マハーバーラタ全体のテーマや人間関係をどれほど反映しているのかは不明である。
マハーバーラタの方が登場人物が多くて話もややこしいのに、なぜブルックやら日本人やらはマハーバーラタの方を好んで取り上げるのだろう…と実は不思議に思っていた。もっとも、なぜラーマーヤナではなくマハーバーラタなのか?という問いはきわめてジャワ的だ。上の演劇作品を手掛けた人たちは、インドから伝わった2つの物語しか知らないわけではないのだから。
今年、NHKで放送している大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていて、ふとマハーバーラタは族滅の物語だとあらためて意識する。族滅という言い方が普遍的なものかどうかは知らないが、この大河ドラマを語るツイッターではこの語がよく使われている。大河ドラマの方では頼朝の死が7月初めに描かれた。頼朝が自身のきょうだいや他の源氏一党をつぶしていく様が今まで描かれ、今後は源氏の子孫、北条一族、それら縁続きの御家人同士の殺し合いが描かれていくはずだ。思えば、鎌倉時代の北条氏が主人公となる大河ドラマは1979年の『草燃える』以来で、戦国時代ものや幕末ものに比べてかなり人気がない。
マハーバーラタで敵味方になるコラワとパンダワは従兄弟同士で、争いになる発端には王位後継問題がある。ラーマーヤナの主人公のラーマの場合、継母がラーマを追放するとはいえラーマは異母兄弟の間で戦ってはいないし、むしろラーマに忠実な義弟のラクスマナは一緒に追放される。また、ラーマがランカー国の王・ラヴァナと戦うのは妻のシータ妃奪還のためで、ラーマ自身の王位継承のためでもないし、国同士の覇権争いでもない。
「A国とB国の戦い」や「諸国統一」の物語よりも、マハーバーラタのように「A国内における身内間の権力闘争」の物語の方が個人のむき出しの欲望とその結果の悲劇を極限の状態を描けて、現代の演劇向きなのかもしれない。
「2022年8月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(3)マハーバーラタ」を寄稿しました。
「ジャワの物語(2)マハーバーラタ」
冨岡三智
前回取り上げたラーマーヤナ同様、マハーバーラタも古代インドの叙事詩である。4世紀頃に現在の形になったと考えられ、東南アジアに伝播した。内容は、王位継承に絡んで、コラワ一族の100人兄弟が従兄弟のパンダワ一族の5人兄弟を陥れようと姦計を繰り返してバラタユダ(大戦争)に至るが、この大戦争は神が定めたものでパンダワの勝利に終わる…そののち静かな時代が訪れるもののパンダワ5王子は世を儚み次々と昇天していく、というもの。
現在、ジャワのワヤン芸能(影絵や劇)の題材はマハーバーラタのエピソードが多いが、インドネシアのアイコンや東南アジア紐帯のアイコンとしてコラボレーションの題材となっているのはラーマーヤナが多い。その一方で、マハーバーラタは西洋や日本において何度も取り上げられてきたという印象がある。
私が思い出すのは、ピーター・ブルックによる『マハーバーラタ』(1985年アビニョン演劇祭初演、1988年銀座セゾン劇場)、②横浜ボートシアターによる日イネ合作『マハーバーラタ 耳の王子』(1996年、水牛2022年3月号のエッセイを参照)、③宮城聰によるSPACの『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』(2003年~、2012年ふじのくに⇄せかい演劇祭、2014年アビニョン演劇祭など)、④宮城聰による歌舞伎の『極付印度伝マハーバーラタ戦記』(2017年歌舞伎座)、⑤小池博史によるアジア6か国のコラボレーション『完全版マハーバーラタ』(2013~2020年10か国で上演、2021年東京)などだ。ただし実際に見たのは②のみである。
インドネシアのワヤンで描かれるマハーバーラタは叙事詩全体ではなく、その中の個別エピソードで、物語全体を知らなくても作品を楽しむことに差支えはない。というか、大戦争やパンダワ昇天といった重大なシーンはめったに描かれない。一方、①のブルック作品は全編舞台化を謳っていて、初演時の舞台は9時間、のちにそれを編集して映画にしている。⑤の小池作品もブルック以来の全編舞台化を謳っている。②と④はカルノを中心に組み立てているが、②はカルノにインドネシア独立戦争に参加した残留日本兵の葛藤と悲劇を重ねている。カルノはパンダワ側であるアルジュノと同母兄弟ながらコラワ側で養育され、後にアルジュノと一騎打ちすることになる点で、同族内の対立を象徴する人物だ。③は、コラワの姦計(さいころ賭博)によりパンダワが王国を失って流浪していた時に賢者が聞かせた恋愛物語「ナラ王の物語」を下敷きにしている。未見なので、マハーバーラタ全体のテーマや人間関係をどれほど反映しているのかは不明である。
マハーバーラタの方が登場人物が多くて話もややこしいのに、なぜブルックやら日本人やらはマハーバーラタの方を好んで取り上げるのだろう…と実は不思議に思っていた。もっとも、なぜラーマーヤナではなくマハーバーラタなのか?という問いはきわめてジャワ的だ。上の演劇作品を手掛けた人たちは、インドから伝わった2つの物語しか知らないわけではないのだから。
今年、NHKで放送している大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていて、ふとマハーバーラタは族滅の物語だとあらためて意識する。族滅という言い方が普遍的なものかどうかは知らないが、この大河ドラマを語るツイッターではこの語がよく使われている。大河ドラマの方では頼朝の死が7月初めに描かれた。頼朝が自身のきょうだいや他の源氏一党をつぶしていく様が今まで描かれ、今後は源氏の子孫、北条一族、それら縁続きの御家人同士の殺し合いが描かれていくはずだ。思えば、鎌倉時代の北条氏が主人公となる大河ドラマは1979年の『草燃える』以来で、戦国時代ものや幕末ものに比べてかなり人気がない。
マハーバーラタで敵味方になるコラワとパンダワは従兄弟同士で、争いになる発端には王位後継問題がある。ラーマーヤナの主人公のラーマの場合、継母がラーマを追放するとはいえラーマは異母兄弟の間で戦ってはいないし、むしろラーマに忠実な義弟のラクスマナは一緒に追放される。また、ラーマがランカー国の王・ラヴァナと戦うのは妻のシータ妃奪還のためで、ラーマ自身の王位継承のためでもないし、国同士の覇権争いでもない。
「A国とB国の戦い」や「諸国統一」の物語よりも、マハーバーラタのように「A国内における身内間の権力闘争」の物語の方が個人のむき出しの欲望とその結果の悲劇を極限の状態を描けて、現代の演劇向きなのかもしれない。
2022年08月17日 (水)
先月、こちらに転載し忘れていました。
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2022年7月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」を寄稿しました。
「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」
冨岡三智
ラーマーヤナは言うまでもなくインド起原の叙事詩で、4世紀頃までにヴァールミーキによりまとめられた。しかし、その冒頭の、主人公のラーマ王子がヒンドゥーの神ヴィシュヌの転生として誕生する場面と、最後にヴィシュヌ神に戻って昇天する場面は後世に別の作者によって付加されている。物語の主な内容は、森に追放されたラーマ王子が、魔王ラウォノにさらわれた妃シンタを取り戻すため、猿の援軍を得て魔王の国に乗り込み、魔王らと戦って王妃を奪還して国に戻るという話である。
ラーマーヤナは東南アジアに9世紀頃に広まった。ジャワ島中部にあるヒンドゥー寺院プランバナンの回廊にはラーマーヤナの物語のレリーフがある。が、ジャワはその後イスラム化するので、ラーマーヤナを題材とする舞踊作品が多く作られ始めるのは1961年にプランバナン寺院で観光舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』が始まって以来だと思われる。『ラーマーヤナ・バレエ』については今までも何度も書いているので今回は省略して、今回はコンテンポラリ舞踊作品に描かれたラーマーヤナを紹介したい。
●サルドノ・クスモ『サムギタ』(1969)
振付家のサルドノは『ラーマーヤナ・バレエ』で初代のハヌマン(白猿)を務めたが、元々は宮廷舞踊家クスモケソウォ(『ラーマーヤナ・バレエ』の総合振付家でもある)の弟子である。『サムギタ』はインドネシアのコンテンポラリ舞踊の嚆矢とされる作品で、ラーマーヤナの中にあるスグリウォとスバリという2匹の猿が戦うエピソードをテーマとしている。1969年のジャカルタ初演時は伝統と現代の融合したものとして好評だったが、1970年にスラカルタで再演された時には舞台に腐った卵が投げ込まれ野次が飛ぶというセンセーショナルな反応で、一躍伝説的な舞台となった。舞台背景を女性が開脚した形にして、その股間部から踊り手が入退場するようにしたという点は、スラカルタの観客には抵抗が大きかったようである。修士論文調査をしていた時に当時の関係者にいろいろと話を聞いたのだが、ともかく師匠のクスモケソウォには全く受け入れられず、他の弟子たちも師の怒りを恐れて舞台に参加できなくなったり、見に行けなくなったりしたという。卵を投げた陣営の人も私の留学先の芸大教員の中にいたのだが、その話によると、やはりブーイングをしたのはサルドノらと競い合っていた芸術団体の人たちだとのこと。熱い時代だったのだな…と思うのだが、ここは何といってもサルドノの勝ちである。新しいものを目指した舞台が首都で好評だったというだけでは伝説的な舞台にはならなかっただろう。偉大な宮廷舞踊家の師匠と対立し、破廉恥な舞台装置に怒った保守的な都市スラカルタの観客に腐った卵を投げつけられる…というストーリーが成立したからこそ、サルドノはカリスマ的存在になった気がする。
●サルドノ・クスモ『キスクンド・コンド』(1989)
これもやはりサルドノのコンテンポラリ作品で、これもまたスグリウォとスバリのエピソードがテーマである。もしかしたら、サムギタとテーマは通底するのかも…と今になって気づいたが、まだ確認できていない。この作品は『<東西の地平>音楽祭III ガムランの宇宙』(1989年、東京)で上演され、私も見に行った。プログラムによれば、物語の内容は、母の所有するアスタギナという聖なる箱を取り合う男2人と女1人の武将階級のきょうだいが、その欲望ゆえに堕落するというもの。この2人の兄弟がスグリウォとスバリで、彼らはサルに変わってしまう。これはジャワの影絵で語られるバージョンである。この作品を演じたのはスラカルタの芸大教員の故スナルノ氏とパマルディ氏、そしてスラカルタ王家のムルティア王女の3人だった。男性2人は人間からサルへと変わっていく様子を動きで表現する。後に私は留学してパマルディ氏に男性優形舞踊を師事することになり、スラカルタ王家の定期練習に参加することになるのも不思議な縁だ。
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
「2022年7月」(水牛のように)コーナーに、
「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」を寄稿しました。
「ジャワの物語(2)ラーマーヤナ」
冨岡三智
ラーマーヤナは言うまでもなくインド起原の叙事詩で、4世紀頃までにヴァールミーキによりまとめられた。しかし、その冒頭の、主人公のラーマ王子がヒンドゥーの神ヴィシュヌの転生として誕生する場面と、最後にヴィシュヌ神に戻って昇天する場面は後世に別の作者によって付加されている。物語の主な内容は、森に追放されたラーマ王子が、魔王ラウォノにさらわれた妃シンタを取り戻すため、猿の援軍を得て魔王の国に乗り込み、魔王らと戦って王妃を奪還して国に戻るという話である。
ラーマーヤナは東南アジアに9世紀頃に広まった。ジャワ島中部にあるヒンドゥー寺院プランバナンの回廊にはラーマーヤナの物語のレリーフがある。が、ジャワはその後イスラム化するので、ラーマーヤナを題材とする舞踊作品が多く作られ始めるのは1961年にプランバナン寺院で観光舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』が始まって以来だと思われる。『ラーマーヤナ・バレエ』については今までも何度も書いているので今回は省略して、今回はコンテンポラリ舞踊作品に描かれたラーマーヤナを紹介したい。
●サルドノ・クスモ『サムギタ』(1969)
振付家のサルドノは『ラーマーヤナ・バレエ』で初代のハヌマン(白猿)を務めたが、元々は宮廷舞踊家クスモケソウォ(『ラーマーヤナ・バレエ』の総合振付家でもある)の弟子である。『サムギタ』はインドネシアのコンテンポラリ舞踊の嚆矢とされる作品で、ラーマーヤナの中にあるスグリウォとスバリという2匹の猿が戦うエピソードをテーマとしている。1969年のジャカルタ初演時は伝統と現代の融合したものとして好評だったが、1970年にスラカルタで再演された時には舞台に腐った卵が投げ込まれ野次が飛ぶというセンセーショナルな反応で、一躍伝説的な舞台となった。舞台背景を女性が開脚した形にして、その股間部から踊り手が入退場するようにしたという点は、スラカルタの観客には抵抗が大きかったようである。修士論文調査をしていた時に当時の関係者にいろいろと話を聞いたのだが、ともかく師匠のクスモケソウォには全く受け入れられず、他の弟子たちも師の怒りを恐れて舞台に参加できなくなったり、見に行けなくなったりしたという。卵を投げた陣営の人も私の留学先の芸大教員の中にいたのだが、その話によると、やはりブーイングをしたのはサルドノらと競い合っていた芸術団体の人たちだとのこと。熱い時代だったのだな…と思うのだが、ここは何といってもサルドノの勝ちである。新しいものを目指した舞台が首都で好評だったというだけでは伝説的な舞台にはならなかっただろう。偉大な宮廷舞踊家の師匠と対立し、破廉恥な舞台装置に怒った保守的な都市スラカルタの観客に腐った卵を投げつけられる…というストーリーが成立したからこそ、サルドノはカリスマ的存在になった気がする。
●サルドノ・クスモ『キスクンド・コンド』(1989)
これもやはりサルドノのコンテンポラリ作品で、これもまたスグリウォとスバリのエピソードがテーマである。もしかしたら、サムギタとテーマは通底するのかも…と今になって気づいたが、まだ確認できていない。この作品は『<東西の地平>音楽祭III ガムランの宇宙』(1989年、東京)で上演され、私も見に行った。プログラムによれば、物語の内容は、母の所有するアスタギナという聖なる箱を取り合う男2人と女1人の武将階級のきょうだいが、その欲望ゆえに堕落するというもの。この2人の兄弟がスグリウォとスバリで、彼らはサルに変わってしまう。これはジャワの影絵で語られるバージョンである。この作品を演じたのはスラカルタの芸大教員の故スナルノ氏とパマルディ氏、そしてスラカルタ王家のムルティア王女の3人だった。男性2人は人間からサルへと変わっていく様子を動きで表現する。後に私は留学してパマルディ氏に男性優形舞踊を師事することになり、スラカルタ王家の定期練習に参加することになるのも不思議な縁だ。
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