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3/11『幻視 in 堺』公演終了
公演『幻視 in 堺 ―南海からの贈り物―』(2023年3月11日、フェニーチェ堺・小ホール)はおかげさまを持ちまして無事終了いたしました。ご来場くださいました皆様を始め、ご声援・ご支援・御協力くださいました皆様に厚く御礼申し上げます。公演を振り返るようなエッセイなどもこれから書いていきますので、またお楽しみにお待ちください。

4/1公演写真を追加しました。

●集合写真
幻視in堺2023集合写真blog

●2曲目: ババル・ラヤル
blogババルラヤル

●3曲目前半: ガドゥン・ムラティ…祈りのパフォーマンス
blogガドゥンムラティ

●3曲目後半: ガドゥン・ムラティ…ワヤン
blogガドゥンムラティ_ワヤン

●「スリンピ・スカルセ」完全版
insta_blog_スリンピ

blogスリンピ

→フェイスブックのアルバムに上の写真も含め20数枚アップしています。
アルバム『2023.3.11 幻視 in 堺―南海からの贈り物―』 
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10227897579680411&type=3
📌3/11『幻視 in 堺』公演のお知らせ・チケット申込
※2022.12.12~2023.3.15 トップ画面に掲載していました。

チケット予約はこちらから↓  
https://forms.gle/bKWcVwVcwLcMRsZ5A

※以下、画像をクリックすると拡大します。

2023ちらし表

2023ちらし裏


昨年度に引き続き今年度も堺市文化芸術活動応援補助金対象事業に選ばれ、3月11日にフェニーチェ堺・小ホール(大阪府堺市)で公演『幻視 in 堺―南海からの贈り物―』を行うことになりました。前回の堺公演とほぼ同じメンバーで、今年は別の宮廷舞踊スリンピ(完全版)を上演いたします。

前回は能舞台での公演ということで、世俗世界(民間舞踊ガンビョン)と天上世界(宮廷舞踊スリンピ)を描き、堺の港に流れ着いたワヤン人形から抜け出した男が街をうろうろするシーンを間狂言として挟み、能の構成を意識しました(→ 昨年の公演映像)。

今回はジャワ宮廷(スラカルタ王家)儀礼をテーマに、実際に宮廷で撮影されたドキュメント映像をガムラン音楽と一緒にご覧いただきます。タイトルに南海とあるのは、南海に棲む女神ラトゥ・キドゥルがジャワ王家の守護神であり、代々のジャワ全土を統べる王と結婚するという伝説があるからです。

実は、2月5日には、スラカルタ王家の先代当主パクブウォノXII世の長女ラトゥ・アリッ王女と、今回映像を上映するウィラヌガラ氏が実際に南海の女神が住まうパランクスモ海岸に足を運び、女神に本公演の無事と成功を祈念してくださいました。 → 写真

さらに、前回の堺公演に引き続き、インドネシア教育文化省の元・芸術局長にして、若き日には元スラカルタ王家舞踊家であったスリスティヨ・ティルトクスモ氏からの祝辞を賜っています。→ 祝辞訳文・原文 氏は
"この公演で上演される舞踊や音楽は数百年の歴史を持つインドネシアの無形文化遺産であり、曲の長さや振付においても時代の変化にさらされず保存されてきたという点で特筆すべきものです。さらに、宮廷芸術がその発祥の地から遠く離れた場所において、日本人とインドネシア人の直接交流から始まった文化外交として上演されることは評価に値します。必ずや、相互の理解と尊敬の念を高めるのに役立つことでしょう。"
と、祝辞で書いてくださっており、公演の意義を高く評価してくださっています。


幻視 in 堺 ―南海からの贈り物 ―
日時: 2023年3月11日(土) 15:00開演

     14:30開場、17:00頃終演予定
場所: フェニーチェ堺・小ホール
演出: 冨岡三智
主催: ジャワ舞踊の会(冨岡三智)

堺市文化芸術活動応援補助金対象事業
後援:在大阪インドネシア共和国総領事館

●公演プログラム
第1幕:
音楽「夜霧の私」(山崎晃男作曲): 静かな音がジャワへといざなう…

音楽「ババル・ラヤル Babar Layar」: 青銅打楽器の音色が力強く響く宮廷儀礼の曲

→ 実はこの映像(2007年ジャワでの私の主催宮廷舞踊公演)の冒頭の曲。これは終わり間近の部分。ぜひ、冒頭の静かな部分(シーンとした夜のしじまを彷彿とさせる)からだんだん激しくなっていく過程を聞いてほしい曲。

音楽「Gadhung Melati」: 柔らかい音色の楽器と歌から成る霊力のある曲
南海の女神からもたらされたものとされ、複数の部分から成るこの曲を全部通して上演する際には供物が必要とされます。今回、供物(菓子、花、お香)を用意します。※ナナン氏による影絵のシーンもあり!

※ 第1幕ではガムラン音楽を演奏しつつ、背景にウィラネガラ氏によるジャワのスラカルタ宮廷儀礼の映像を投影します。氏はスラカルタ王家の儀礼を多く取材しています。→ ウィラネガラ氏の映像作品

第2幕:
宮廷舞踊「スリンピ・スカルセ」完全版
実は、2011年に私はジャカルタの芸術プロダクションGELARが製作した「スリンピ・スカルセ」映像記録(インドネシア教育文化省助成)の監修・出演をしています。残念なことに、この時の映像には編集間違いがちょこちょこあり、そこは修正されずに公開されてしまっています。今度の公演では、この映像のような普通の伝統衣装ではなく、儀礼的な舞踊衣装で踊ります。→ 2011年映像  

●出演:  → 出演者写真、プロフィール
・スラカルタ王家の儀礼映像(第1部): Dr. IGP Wiranegara, M. Sn (ブディ・ルフール大学教員)
・ガムラン音楽: ダルマ・ブダヤ(山崎晃男、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、松竹夏鈴、濱川普紀、Rizki Muhammad Said)、ハナジョス(Rofit Ibrahim、佐々木宏実)、岩本象一、西岡美緒、西田有里、Nanang Ananto Wicaksono、岸美咲
・ジャワ宮廷舞踊: 冨岡三智、岡戸香里、Anita Sary※、Jeny Triani※ 
  (※元スラカルタ王家舞踊家)

●舞台スタッフ
舞台監督: 美葉
音響: NEXT(櫻井清隆、松尾謙)
照明:
公演映像記録: 桜井誠文堂  
写真: 

●協力
・練習: 東山真奈美 
・クバヤ仕立て: 村岸紀子
・供物: バリバリインドネシア

●料金: 一般3000円、小学生~高校生1000円、小学生以下無料 (全席自由)
     
●アクセス:
フェニーチェ堺
堺市堺区翁橋町2-1-1 
南海高野線・堺東駅・西口より徒歩8分
南海本線・堺駅より南海バス12分、一条通バス停下車、徒歩すぐ
駐車場あり(有料)

チケット予約はこちらから↓
https://forms.gle/bKWcVwVcwLcMRsZ5A

・主催、問い合わせ: ジャワ舞踊の会
  srimpijavanesedance★gmail.com
  ★はアットマークに変更してください。
感想


















公演関連情報)ウィラネガラ氏の講演
私どもの3/11公演のため来日されるIGP ウィラヌガラ(Wiranegara)(ブディ・ルフール大学講師)氏の講演会が下記の通り3/13にあります。ご関心のある方、ご出席ください!

●桃山インドネシア研究会 2022年度第3回研究会
【タイトル】 
 「インドネシアにおけるドキュメンタリー映像制作」
 (報告はインドネシア語で、通訳あり)
【報告者】 
 IGP ウィラヌガラ(Wiranegara)
 (ブディ・ルフール大学講師)
【通訳】  
 冨岡三智(ジャワ舞踊の会)
【日時】  
 3月13日(月) 16:00~18:00
【会場】  
 桃山学院大学 図書館ホール(聖アンデレ館 3階)
 大阪府和泉市まなび野1-1、
【概要】
 2023年3月11日にフェニーチェ堺・小ホール(大阪府堺市)で開催される『幻視 in 堺―南海からの贈り物―』において上映されるドキュメント映像(王家の儀礼をテーマにスラカルタ宮廷で撮影)の制作者であるウィラネガラ氏を招いて、インドネシアにおけるドキュメンタリー制作の状況について報告していただきます。

●氏のプロフィール
ドキュメンタリー映像作家。バリ島生まれ。ジャカルタ芸術大学、インドネシアTVアカデミー、ブディ・ルフール大学などにおいて映像制作、ドキュメンタリー映像について教鞭をとるほか、全国的なドキュメンタリー映像のコンクールで審査員を務める。
2005年、スラカルタ王家先代当主パク・ブウォノXII世についてのドキュメンタリー作品 < https://youtu.be/Do0JBcKv8pk > の監督・映像でインドネシア・フィルム・フェスティバル最優秀映像賞受賞。

幻視 in ~というタイトル
この3月の公演、さらに一昨年の公演には『幻視 in ~』というタイトルをつけているのだけれど、実はこういう命名をしたのは、国営飛鳥歴史公園で上演した『幻視in飛鳥~万葉人の見たジャワの夢~』(1998年10月)が最初です。これは歴史公園が公募するイベントに採用されて行ったのですが、最初の留学から帰国した年で、まだ4人のスリンピを生演奏で上演するなどとは想像もできず、1人で録音を使って「スリンピ・アングリルムンドゥン」を舞ったのでした。

その次は和歌山県橋本市で実施した『幻視 in 紀の国~南海に響くジャワの音~』(2005年11月)。橋本市の狂言教室で学んでいる姉妹に間狂言を考えてもらい、私が宮廷舞踊風にとジャワの音楽家に委嘱した曲「ON-YO」と復曲された師匠の師匠の曲「スリパモソ」を舞った。

それから16年後に『幻視 in 堺―能舞台に舞うジャワの夢―』(2021年10月)、次いで『幻視 in 堺―南海からの贈り物―』(2023年3月)。随分と間が空いてしまったけれど、この間に本当の能舞台で舞うという夢と、スリンピを関西の友人たちと上演するという夢が実現した。
【寄稿・前編】ジャワ舞踊──創作/現代舞踊における即興
いんぷろ前半

フリー・インプロヴィゼーションを中心にさまざまな即興を扱う『インプロ・りぶる』<https://free-impro.jp/>のサイトに、拙文「ジャワ舞踊―創作/現代舞踊における即興」(前編)を寄稿しました。この後に後編も書く予定なのでお楽しみに。

インドネシア国立芸術大学スラカルタ校教員で、私が男性優形舞踊および振付を師事したS. Pamardi氏の手法について、私自身が学生として体験した芸大の一晩のワークショップや、日本でワークショップの補助・通訳をつとめることで目の当たりにしたことを通して書いています。

【寄稿・前編】ジャワ舞踊──創作/現代舞踊における即興
https://free-impro.jp/javanese-dance1/

私がパマルディ氏のワークショップをレポートにしたものがありますので、以下に挙げておきます。(この寄稿文にもリンクが張られていて、そのレポートが読めます。)

(PDF) 報告書 冨岡三智「ジャワ舞踊における伝統と現代―レクチャー&ワークショップ」、『アート・リサーチ』Vol.2、pp.15-19. 2002年(in Japanese) | Michi Tomioka – Academia.edu
2023.03水牛「スリンピの動きと時間」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2023年03月」(水牛のように)コーナーに、
スリンピの動きと時間」を寄稿しました。

本記事 https://suigyu.com/2023/03#post-8846
冨岡三智バックナンバー https://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka


スリンピの動きと時間
冨岡三智



2004年4月号『水牛』、「私のスリンピ・ブドヨ観」より

スリンピでは基本的に、4人の踊り手が正方形、あるいはひし形を描くように位置する。最初と最後は4人全員が前を向いて合掌する。曲が始まって最初のうちは4人が同じ方向を向いているが、次第に曲が展開していくにつれて、踊り手のポジションが入れ替わり、さまざまな図形を描くようになる。4人1列になったり2人ずつ組になったりすることもあるが、4人が内側に向き合ったり、背中合わせになったり、右肩あるいは左肩をあわせて風車の羽のように位置したりすることが多い。こういうパターンを繰り返し描いて舞っているうちに、空間の真ん中にブラックホールのような磁場があるように感じられてくる。踊り手はそこを焦点として引き合ったり離れたり回ったりしながら4人でバランスをとって存在していて――それはまるで何かの分子のように――、衝突したり磁場から振り切れて飛んでいってしまうことはない。4人が一体として回転しながら安定している。それも踊り手は大地にしっかり足を着地させているのでなく、中空を滑るように廻っている。そんな風に、スリンピは回る舞踊だと私は思っている。

そしてまたスリンピは曼荼羅だとも思っている。…(中略)…曼荼羅は東洋の宗教で使われるだけでなく、ユングの心理学でも自己の内界や世界観を表すものとして重要な意味を持っているようである。曼荼羅のことを全く知らなくても、心理治療の転回点となる時期に、方形や円形が組み合わされた図形や画面が4分割された図形を描く人が多いのだという。スリンピが曼荼羅ではないかと思い至った時に河合隼雄の「無意識の構造」を読み、その感を強くしたことだった。さらに別の本(「魂にメスはいらない」)で曼荼羅の中心が中空であるということも言っていて私は嬉しくなった。スリンピという舞踊は今風に言えば、1幅の曼荼羅を動画として描くという行為ではないだろうか。ブラックホールを原点として世界は4つの象限に区分され、その象限を象徴する踊り手がいる。そんなイメージを私は持っている。

2010年7月号『水牛』、「クロスオーバーラップ」より

他のジャンルの人には、ジャワ舞踊は楽曲構成に当てはめて作られている、という風に思われているようです。ガムラン音楽はさまざまな節目楽器が音楽の周期を刻む楽器なので、そう思われがちなのですが、私に言わせると、ジャワ舞踊のうち宮廷舞踊の系統は、歌が作りだすメロディー、それはひいては歌い手や踊り手の身体の内側から生まれてくるメロディーにのって踊るものです。クタワン形式などのガムラン曲も、朗誦される詩の韻律が元になって歌の旋律が作られています。その証拠に、私の宮廷舞踊の老師匠は、しばしば歌いながら踊っていました。停電でカセットが途切れても、かまわず歌いながら踊ってしまうのです。つまり、流れるメロディー先にありきであって、その後で、それに合わせて棚枠の楽曲構成が作られた感じがします。だから枠の組み立ては少しゆるゆるとしていて、時間を少し前後にひしゃげることができます。

論文:冨岡三智 2010「伝統批判による伝統の成立―ジャワ舞踊スラカルタ様式の場合―」『都市文化研究』vol.12,pp.50-64 より

ジャワの音楽や舞踊において重視される概念にウィレタンwiletanがある。基本となる旋律や振付は決まっているが, それをどのように解釈し細部に装飾を加えてゆくかは演者個人に任されている。個人ごとに微妙に異なる差異,個人様式とでも呼ぶべきものをウィレタンという。

 ジャワのガムラン音楽のメインとなる, ゆったりしたテンポで演奏される部分では,楽曲の節目を示すゴング類はイン・テンポではなく,やや遅らせ気味に叩く。舞踊でサンプールを払うのは決まって曲の節目だが,これもゴング類と同様にやや遅らせ気味に払う。つまり,音楽の節目というのはデジタルで点状のものではなく,わずかに時間的な広がりを持っている。その時間的な広がりの中でいつサンプールを払うのかというタイミングは,本来は複数の踊り手同士の間で微妙に異なるものであり,そこに踊り手のウィレタンが反映される。このようなコンセプトは,1つ,また1つと散る花に例えて「クンバン・ティボ kembang tiba(花が地に落ちる)」と呼ばれることもある。全員が一糸乱れずに揃ってサンプールを払うのは,1本の樹木に咲く花が一時にドサッと落ちるようなものであり,かえって不自然なのである。



私はジャワ宮廷舞踊で過剰にタイミングを揃えることに反対なのだが、それは時間の広がりがないからなのだ。皆で1つの場を作り上げているとはいえ、4人はそれぞれに存在していて、それぞれの内なるメロディに従って舞っている。状態音楽を奏でる人もそれぞれの内なるメロディを奏でている。それぞれのメロディが糸のようにより合されて1本の太い音楽の糸になり、その糸が曼荼羅を織り上げてゆく…。一昨年の「スリンピ・ロボン」の映像を見ていても、私たち4人の踊り手はどんぴしゃりで揃ってはいない。けれど、各自の少しずつのタイミングがさざ波のように揺れながら、ある時には誰かの引く力に引き寄せられるように、ある時は誰かから伝わってきた気に押されるように動きが流れていく。そうすると、時間にふくらみがあるように見える。払った布が滞空する時間も長くなっている気がする。