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エッセイ ジャワの断食明けの風景
以下の記事、水牛9月号にと思って書いたのですが、書くだけ書いて送り忘れていました。というわけで、ここに掲載しておきます。

水牛 http://www.suigyu.com/



ジャワの断食明けの風景

今年のイスラムの断食明け大祭(8/19-20)は、インドネシア独立記念日(8/17)と日が近かったので、8月17~22日が連休だった。ちなみにイスラム暦は太陽暦より11日ほど短いので、断食明けの日は毎年違う。官公庁は23日(木)から再開したが、子供たちは26日(日)まで学校が休みだったので、連休後の週末に旅行に出かける家族も多かった。断食明けは、日本でいえばお正月とお盆が一緒になったようなもので、この時期は多くの人が故郷を目指し、そこで親族一同が集結する。今年この時期、私はインドネシアのソロにいて、また、亡き師匠(J女史)の一族の断食明けの集いにも参加したので、今月はその家族の断食明けの風景を描写してみたい。

留学中は一族の行事だし…と思って遠慮して、今まで断食明けの行事に師匠の家に顔を出したことはなかったのだが、師匠亡き後に疎遠になるのも残念な気がして、今年は顔を出させてもらうことにしたのだった。全員が集まったのは23日夜から26日夕方まで。後でも書くが、一族の中で結婚する人がいるので、それも一度に済ませてしまえるよう、こういう日程設定になったらしい。

上でJ女史の一族と書いたが、厳密に言えばJ女史の舅にあたる宮廷舞踊家K氏を祖とする子、孫、ひ孫…の一族である。J女史の夫がK氏の長男で、だからJ女史夫妻はずっとK氏と同居してこの家を相続した。この一族は今年で110名くらいになるらしいが、そのうちの約90名が、J女史の家のプンドポ(ジャワの伝統的なホール)に集結。ここはK氏が宮廷から賜った家で、今はJ女史の末娘が住んでいる。その同じ敷地内の隣に、K氏の末娘夫婦が住んでいる。この二家族が、受け入れ準備を全部する。この一族大集合の儀礼、想像した以上にフォーマルで、司会者もいて、会社の会議のように粛々と進行していく。

●8月23日

夜8時頃から開始。開祖(?)のK氏の存命の子供たちが正面に座り、家族ごとにどこに座るようにと指示がある。まずは、各家族の紹介、新入りメンバー(新婚さんや新しく生まれた子供)の顔見せ、亡くなった人の紹介、来年結婚する予定の人の報告など。続いて、経理担当者からの報告。この集結した家の管理は一族全員で出資して行うことになっているらしく、その維持管理費が一家族当たり年間××ルピア、支払は滞在中に○○氏へ、今年改修したのがどの箇所で、それぞれどの家族が担当したのか、などが報告される。その後にハラル・ビハラル。これはどこの家でも職場でも断食明けにやる行事で、全員で「モホン・マアフ・ラヒール・バティン(日頃の罪をお許し下さい)」と順々に挨拶し合う。

その後に、やっと晩御飯。ここまでで1時間くらいかかる。晩御飯はケータリングで、ビュッフェ形式。キーボードを弾く人が呼ばれていて、生BGMが始まる。

食事が一段落すると、お楽しみ時間。なんと福引がある!毎年やっているそうだが、各家族で景品を出し合い、どの人にも当たるようになっている。中身はタオル、服(Tシャツとかショートパンツとかの日常着)、ポーチなどが多かった。福引の準備と進行はは大学生の男の子ちの担当のようだ。景品はどれも新聞紙に包んであり、プンドポの床に積み上げてある(90人分だから、かなりな量)。番号が読み上げられたら、制限時間内に良さそうに見えるものを取るのだが、その場で開けて見せるので、大人も子供も大いに盛り上がる。

次にお年玉のコーナー。司会はまた大人に代わり、まずは小学校入学以前の子供、次に小中学生、その次に大学在学中までの子供たちが呼ばれ、ソファに座っている長老たち(第2世代を中心に第3世代の年長者)に挨拶して順次お年玉をもらう。ちらっと見ていたら、小学生くらいまでの子供だと1,000ルピアか2,000ルピア、大学生だと10,000ルピアくらいもらっていた。現在の貨幣価値では、ちょっとした揚げ菓子(ゴレンガン)1個が1,500ルピアといったところ。でもお年玉をくれる人が10人くらいいるので、子供たちにはちょっとした収入である。その後には、さきほどの長老たちの子世代から長老たちへのプレゼント。

この後はもう、生演奏で歌いまくり、踊りまくるコーナーである。私には知らない歌ばかりだったが、歌の掛け声に、しばしば「ジョコウィ!」が入る。ジョコウィはソロ市長で、現在
ジャカルタ市長選に立候補している。大人気で賢市長の誉れ高く、ジャカルタ市長に決まったらソロ市にとっては惜しいが、誇らしくもある、といったところ。この掛け声、選挙キャンペーンのパロディーか?このコーナーが終わったのが11時半くらい。ここで明日の段取りのアナウンスがあり、私も失礼する。

●8月24日

朝8時から墓参り。残念だが、私は参加できなかった。9月にインドネシアの芸大を日本に招聘する予定があって、その練習がこの日の朝にあったのだ。でも墓参りには何度も来ているので、 様子は見なくても分かる。

車に分乗した一行は、まずパサール・クンバン(花市場)に寄って、お墓に撒くバラの花を買う。ちなみに、断食明けには交通料金が一気に倍に跳ね上がるが、この花の値段も倍くらいに上がる。この一族の墓は、パク・ブウォノX世の王子の1人の墓を中心に開かれたもので、この墓地開発(?)を委託されたのがJ女史の夫、というわけで、一族の墓はみなここにある。

お墓には、家の井戸で汲んだ聖水を持参する。ジャワでは、お墓参りの花は立てるのではなくて、花びらをほぐして、それを皆が少しずつ墓石の上に撒いていくのだが、その時に家から持ってきた聖水も皆で少しずつ撒く。J女史の一族は皆律義で、墓に着いたら女性陣はまずはバラの花芯を取ってきれいにほぐすが、私が知っている範囲では、意外にそうする人は少ない。もっともお墓に撒く花は、少し日が経って、崩れかけた花を使うから(この品種は傷みやすいのだが、香りが良い)、芯を取らなくてもほぐれ易い。

お祈りをしたら、帰りには精進落としという感じで、どこかのレストランで食事をし、バティック店を見に行ったりしたことだろう。あるいは自宅でケータリングの昼ご飯だったかもしれない。

●8月25日

一族の結婚式で、みな一斉に出かけてしまう。

●8月26日

この日の昼ご飯から参加。昼からお土産を買いに出かける人あり、プンドポでゴロゴロ寝る人あり、また、若い人同士、年寄り同士でおしゃべりする人あり、と、適当に過ごしている。セレモニーの部は23日の夜と24日の朝の墓参りで終わりなので、あとは皆それぞれのんびりするだけだ。私はパソコンを持って行って、昨年の調査で見つけた1950年代初めの新聞や雑誌に掲載されたK氏やその長男(J女史の夫)の写真(データとしてパソコンに取り込んである)なんかを年長者たちに見せる。この古い写真、とても感激してもらえた。というのも、ソロでは1966年に大洪水があって、それ以前のドキュメントが残っていないのだ。この家も私の背丈ほどの所まで水につかり、家の権利書を持ち出すので精一杯だったという。この日の夕方にスラバヤ組、ボヨラリ組、スマラン組など車で帰る家族が出発し、夜9時頃に夜行列車で帰るジャカルタ組が出発した。飛行機のバリ組(若夫婦)はいつ帰るのか聞きそびれたが、確かもうちょっとソロにいると言っていた気がする。



J女史の家は特に古風なのかもしれないけれど、一族の結束がジャワではまだまだ固いなあという気がする。全体に、インドネシアでは子供に対する躾は甘いという気がする(甘やかしすぎと思うこともある)が、それでもジャワ式サラーム(相手の手を取って手の甲に頬ずりする)という挨拶を年長者にすることは、まだ赤ちゃんの内から躾けられる。両親への服従、母親に対する尊敬の念はまだまだ強く、また親戚の年長者のために、孫くらい年の離れた若者が世話を焼いている光景も健在だ。ここには、NHKの大河ドラマ「平家物語」の人間関係が根強く残っている。あのドラマを見ていると、私はそこにジャワがある、と強く思ってしまう。このドラマの不評の原因の1つに、人間関係の把握に苦労するというのがあるみたいだが、たぶん日本人の核家族化が進行して、あの大家族みなが結束して動くという状況が理解しにくくなったというのもあるんじゃなかろうか。こういう大家族のことをインドネシアではクルアルガ・ブサール(文字通り大家族の意)と呼ぶ。クルアルガ・ブサールは職場などにも適応される概念だが、戦後の日本はこういう関係を断ち切ろうとしてきたのだ。それにしても、普段より交通費が倍に上がるのに、それだけの出費があっても、家族皆で帰省して一族の結束を固めたいと思えるのはなぜだろう。やはり親族が一番頼りになるということだろうか。



最後に予告です。
公演名: 第20回庭火祭 国際民俗音楽祭 in 八雲 熊野大社かがり火コンサート「かがり火とスリンピの夕べ」
日時: 9月8日(土)19:00~19:00
場所: 熊野大社(島根県松江市)境内
インドネシア国立芸術大学スラカルタ(ソロ)校の一行14名が来日し、私も一緒に踊ります。