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(評)リアウ現代舞踊見本市1(水牛2005.10)
2002年11月号から高橋悠治氏のサイト『水牛』にほぼ毎月寄稿してきて、すべてのバックナンバーは同サイトに保存されているのですが、その中から、インドネシアやアジアの舞踊公演に関して私が書いた評をこのブログに再掲していくことにしました。


『水牛』2005年10月号
プカンバルより~第4回コンテンポラリ舞踊見本市~ その1  冨岡三智

原文 http://www.suigyu.com/sgbn/sg0510.html#06


8月24日~26日に、インドネシアはスマトラ島にあるリアウ州・プカンバル市で行われた第4回コンテンポラリ舞踊見本市(Pasar Tari Kontemporer)が開催された。私も招待されて作品を上演してきたので、今月はこの見本市を紹介しよう。本当は先月号用にとこの原稿を書いていたのに、インターネット・カフェのコンピュータはなぜか原稿の入ったフロッピーを受け付けてくれず、挙句にはコンピュータの方が壊れてしまった。断じて私のせいじゃない!と思いつつ、送れなくて残念であった。

プカンバルというのはリアウ州の州都で、人口100万人くらいの石油商業都市であり、カルテックス石油の本社がある。地理的にはスマトラ島の中部東側にあって、シンガポールから近い。最近インドネシア政府はバンカ島に次いでリアウ州への経済投資を熱心に呼びかけているらしい。6車線のまっすぐに延びる幹線道路沿いに、市役所や銀行、州の各種機関、今回の会場なんかが並んでいる。

会場のBandar Seni Raja Ali Haji(アリハジ王芸術センター)は州立のタマン・ブダヤ(アート・センター)※とは別の組織で、州の芸術文化の中心になっているみたいだ。広大な敷地に、リアウ州の各カブパテン(県)の伝統的な家屋が再現されていたり、リアウ州芸術家会議の事務所やリアウ・ムラユ芸術アカデミーがあったり、ギャラリーや各種スタジオなどが点在していたりする。今回の見本市を主催するYayasan Laksmana(ラクスマナ財団)もここに拠点を構える。ただ劇場だけはまだ建設中(2006年完成予定)で、見本市は仮設の野外舞台で行われた。この劇場は、完成すると、ジャカルタ芸術劇場(GKJ)をしのぐインドネシア最大の劇場になるらしい。

(※インドネシアでは1980年代から1990年代にかけて全州にタマン・ブダヤが設置され、州の文化活動の中心となっている。)

この野外仮設舞台というのは舞踊にはあまりふさわしくなかった。人の背丈ほどの高さの舞台で、観客は数十メートル離れた所から見上げるように舞台を見るようにしている。2日前にここでロックコンサートがあったらしく、予算の都合でその設備をそのまま使ったらしい。客席からは舞台の奥行きが全然感じられず、床面も全く見えない。それだけでなく、本番直前になって舞台の両脇にスクリーンが現れた。主催者は動きの細部が見えるように設置したと説明していたけれど、そうであれば観客席と舞台を近づけるべきだ。舞踊というのは踊り手が観客の反応を受け、観客が踊り手の息遣いを直に感じ取るところに成立するもののはずなのに。ただでさえ舞台は遠く、これでは野外でテレビを見ているようなものだ。と言ってみても、このスクリーンはスポンサーのTELKOMSELが提供していたから、主催者は嫌でも断れなかったに違いない。

出演者は全部で18組である。地元のプカンバルからも3組出るのは、この地域の現代舞踊のレベル向上のためだということだ。残りの15組のうち外人はシンガポールから2組、日本から私の合計3組。ただ外人と言ってもシンガポールの2組はどちらもマレー系、私もインドネシア語を話すから、共通語はインドネシア語(マレー語)である。なんだかマレー系民族の祭典に見えないこともない。私は一応外人であるものの、STSI(インドネシア国立芸術大学)ソロ校で合計5年間学んでいてジャワ宮廷舞踊をベースにしているから、気分的にはソロ出身である。だから私の関心や不安は、自分の舞踊がジャワのコンテキストを離れたところでどのように評価されるのか、という点にあった。この点については後で触れる。そして国内組の出演者の内訳は、同じスマトラ島内ではアチェ、メダン、パダンパンジャン(2組)から計4組、カリマンタン島(ボルネオ島)から1組、ジャワ島はジャカルタ、ソロ(2組、2組ともSTSIソロ校の卒業生)、ジョグジャカルタ、スラバヤ、マランの6組、バリ島から1組、となっている。

18組のうち、I Nyoman Sura(バリ)、Sianne(スラバヤ)、私の3人がソロ(単独)で踊った。I Nyomanは先月号、先々月号で書いたIPAM(インドネシア舞台芸術見本市)に出演していて、なんとなく私と関心のあり方や趣味が似ているなあと思っていたら、今回の公演ではお互いのテーマはほぼ同じだった。簡単に言えば、人が生まれてから死ぬまでのプロセスをテーマにしている。でも彼と私とでは表現の仕方は大きく違う。私が初日、彼が2日目の公演で、初日の私の上演が終わったときに彼から「テーマが同じなんで違う日で良かった。けれど同じ日に公演しても、お互いに表現が違うから面白かったかも知れない」と言われた。彼の舞踊にはバリ舞踊の、あの骨や筋肉の緊張感、時間の緩急が感じられる。どちらも私にはないものだ。

Sianneは中国系で、バレエの他(スラバヤではバレエのグループはたくさんあるらしい)、中国とインドネシアの伝統舞踊もベースにしている。彼女は尺八の曲を使って上演した。彼女の舞踊は、ジャワ舞踊ほど大地にひっついていなくて、でもロマンチックバレエよりも低い所を滑らかに浮遊していくような感じだ。赤い扇子を使っていたけれど、単に中国風に見えなかったところがいい。どうも彼女は赤い色が好きらしく、毎日赤いTシャツを着ていた。ちなみに彼女は最終日のSukarji SrimanI(ジャカルタ)の作品にも出演している。 NyomanもSianneも、静かでとても強い存在感を持っている。私自身は、舞踊には何よりも個人の存在感を重視する性質なので、やっぱりこの2人に魅かれた。

この2人は2日目の公演だったのだが、惜しかったのは2日目に大雨になったこと。観客が皆屋根のあるところに避難したから、観客席はさらに遠くなり、激しい雨音に観客の集中力は遮られがちになった。それでも2人の上演には魅きつけられるものがあった。また舞台の後ろは幕がなくて(開始前の話では黒幕があるということだったが)、背後に大きな木が見えている。Sianneの時には木にライトが当てられ、その向こうに何度も稲光が光るのが見えたのが、私には思いがけず効果があったように思う。神秘的な映像を見ている気がした。

カリマンタンのHariyansaの作品の中に、彼が単独で伝統的な男性シャーマンの舞踊をベースにした旋回舞踊を踊るシーンがある。そのシーンでの彼はとても存在感があった。本来は強いアルコールを飲み、半トランスになって病気治癒のために踊るというこの舞踊には、森の精が踊っているような雰囲気が感じられた。けれど作品全体の出来はいま一つだった。彼以外の4人の群舞の踊り手は高校生から大学1年生とまだ若くてあまり表現力がなく、カリマンタンの森林が伐られてゆく悲しみを描いているという群舞の振付も説明的だったからだ。彼はこの群舞のシーンでコンテンポラリらしさを出そうとしたに違いない。けれど、従来の伝統のコンテキストを超えた舞踊になっているという意味で、旋回舞踊のシーンの方がコンテンポラリになっている気がする。

シンガポールの2団体はマレー系の舞踊なので、シラット(伝統武術)をベースにした動きにしても衣装にしても、スマトラ島の舞踊と印象が似ている。しかし動きや構成はより凝っており、テンポも速くて洒落ている。ただ今回出演した団体に限らないのだが、シンガポールの舞踊というのは総じて、どうも伝統の型を見事にアレンジするだけにとどまっているような気がしてならない。だから見終わった途端に印象が薄れてしまうし、1人1人のダンサーの個性も見えてこない。

Fitri Setyaningsih(ソロ)とBesar Widodo(ジョグジャカルタ)はあの大仮設舞台を使用しなかった。前者はコンクリートの上にネオン・サインのような明かりを置いての、後者は木の植え込みのある所でロウソクの明かりを置いての上演だった。全員が同じ舞台を使用するものだと思っていたから、正直なところ、そんなの有り?という気がする。両者ともあの仮設舞台で上演していたら効果は半減しただろうから。

これらの公演はすべて夜に実施され、25日と26日の午前中はセミナー、午後からはワークショップという予定が組まれた。ギャラリーといってもドームのような空間で、入口を入るとその中央にある池が目に入る。池には水草が茂り、魚が泳いでいる。池の真ん中に浮島みたいなスペースがあって、橋がかかっている。島の背後は黒い幕で閉じられ、三方に開けている。私達が島でワークショップをしているのを、展覧会を見に来た小学生や中学生の団体が橋の向こうから遠巻きに眺めている。この半ば孤立し半ばオープンな空間は私には面白く、また居心地が良かった。ここでソロとかデュエットの小品を踊れたら良いなと思う。

さて、自分の舞踊については……来月に書くことにしよう。



追伸
I Nyoman Suraは2013年8月9日に37歳で亡くなりました。