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2015.8水牛_ジャワ舞踊クロノ
高橋悠治氏のサイト「水牛」の2015年8月号に「ジャワ舞踊作品のバージョン(5)クロノ」を書きました。
『水牛』 http://www.suigyu.com/
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※2002年11月号からほぼ毎月寄稿しています。バックナンバーも「水牛のように」コーナーにあります。(バックナンバーのコーナーは現在修正中で、まだ一部しかアップされていません。)

クロノ
クロノの写真:1997年スラカルタ王家日本公演プログラム『青銅の馨・花の響』p.26(部分)



ジャワ舞踊作品のバージョン(5)クロノ

「クロノ」は仮面を被って踊る男性荒型の舞踊名で、2014年4月号で紹介した「グヌンサリ」同様、パンジ物語に題材を取っている。クロノはパンジ物語に登場する異国の王の名前で、物語の主人公であるパンジ王子の許嫁のスカルタジ姫に横恋慕している。クロノの仮面は天狗のように真っ赤な顔、突き出た鼻、ぎょろっとした目をしていて、荒々しい気性を表わしている。クロノはジャワで美徳とされるアルス(優美)さからは程遠い、煩悩まみれのキャラクターだが、それゆえに庶民に愛されてきたキャラクターだ。

さて、「ジャワ舞踊作品のバージョン」と銘打った一連のエッセイでは、同じ舞踊名で振付の違うものを取り上げたけれど、ここでは踊り手による表現の違いを取り上げてみたい。というのも、クロノのような舞踊では、踊り手の個性が振付以上に重要だからだ。パンジ物語に題材を取った仮面舞踊はスラカルタ(通称ソロ)とジョグジャカルタの間にあるクラテン村で発展したので、当然ジョグジャカルタにもクロノ作品はあるわけだが、ここでは割愛。

スラカルタでクロノの名手といえば、スラカルタ宮廷舞踊家の故マリディ氏だろう。マリディ氏はドラマチックな表現の名手だ。しかも私が目にしたときはもう60代だったので、年老いた男性が恋への執着心を捨てきれない様が表現されていた。クロノには、舞踊の途中でガンビョンガンという演出がある。性的な暗喩に満ちた女性舞踊ガンビョンのような振付になっている部分で、恋心がその部分で表現されているのだが、その場面で思わず胸がしめつけられそうになるくらいだ。今思えば、マリディ氏の円熟した表現の頂点を見ることができたのは幸運だったなと思う。

マリディ氏の弟子たちの中でも、次の世代の雄といえば故ナルノ氏だろう。ナルノ氏はPKJT(1970年代に実施された中部ジャワ州芸術発展プロジェクト)やスラカルタの芸大で活躍した。PKJTや芸大では、伝統舞踊の装飾的な要素を削ぎ落として身体表現を重視したので、ナルノ氏もクロノの伝統的な被り物を被らず、髪を振り乱して踊った。PKJTのクロノのカセットには、そんなナルノ氏の写真が使われている。ナルノ氏はジャワ人にしてはかなりの大柄で、彼が踊っている様は鬼みたいに見える。ナルノ氏の少し下の世代の芸大教員に言わせると、若かりし頃のナルノ氏の人気は絶大で、ナルノ氏のクロノに憧れて芸大に入学した男子も少なくなかったらしい。男が憧れる男だったのだろう。

私が芸大に留学していた頃は、そのナルノ氏の弟のジェンドロ氏がスラカルタ宮廷で踊っていた。ナルノ一家の例に漏れずかなりの大柄で、ナルノ氏とは違う野性味があるが、ガンビョンガンの部分ではどこか足腰に女性的(オカマ的)なニュアンスがあって、そこに味があった。けれど、子供が彼を見たら、きっとなまはげを見たときのように大泣きするだろうな・・・と思わせる舞踊だった。

ナルノ氏の少し下の世代で、マンクヌガラン家でクロノをよく踊っているのはダルヨノ氏だ。彼は芸大教員で、芸大でもクロノを踊ることもあるが、細身でアルス(優形)の名手である。ダルヨノ氏のクロノには猛々しさはなく、宮廷舞踊家らしい抑えた表現で、コンプレックスを抱えたクロノの屈折した心理が表現されている。アルスの舞踊でも非常に細かいところまで神経が行き届いた踊り方をするので、彼のクロノはとても神経質な感じがする。

私が留学していた頃から現在まで、芸大でクロノをよく踊っているのは、ダルヨノ氏よりも若いサムスリ氏である。サムスリ氏の兄弟も皆大柄な人ばかりだ。彼のクロノだが、荒型らしい雄々しさはあるのだが、猛々しい感じではない。人柄の良さがそのまま舞踊にもにじみ出ていて、クロノがものすごくお人よしに見える。スカルタジ姫が性悪だったら、クロノの方がもて遊ばれて捨てられそうだ。ダルヨノ氏とは対照的だが、こちらも愛すべきキャラだなあと思えてくる。

スラカルタから1970年代にジャカルタに出て、それ以降ジャカルタでスラカルタ舞踊を継承している人たちにとって、クロノと言えばセントット氏(レトノ・マルティ女史の夫)である。私も一度見たことがあって、マリディ氏やナルノ氏の系統のクロノとは全然雰囲気が違うことに驚いた。セントット氏はスリ・ウェダリ劇場の支配人、トヒラン氏の息子なので、スラカルタの芸術高校、芸術大学、PKJTなどとは系譜が異なる。マリディ氏やナルノ氏の表現は、セントット氏に比べてどこかドラマチックだ。そして、猛々しい男性の心の片隅にあるロマンチックな心情が表れている。だから、観客はどうしてもクロノに同情してしまうし、彼の人間的な弱さに共感する。それに比べてセントット氏のクロノはもっと非情だった。王としての孤独や強さが猛々しさ以上に勝っていたのかも知れないし、女々しさが少なかったのかも知れない。こういう解釈もあるのだ、と発見したことが一番の収穫だった。

最後に、2000年頃にクラテン村で見た伝統的なワヤン・トペン(仮面舞踊劇)の中のクロノについて。スラカルタで宮廷舞踊の影響を受けて洗練される以前のクロノの姿について。クロノを踊ったのは、クロノが十八番だったおじいさんの一族の人で、芸大のダラン(影絵人形遣い)科の教員。名前は失念した…。ここだけ振付の話になって恐縮だが、クロノにあるキプラハン(速いテンポでいろんな手振りを見せるシーン)には、スラカルタのクロノの一般的な振りにはない動きがいくつかあった。たとえば、凧揚げの振りやカードをきる(カード賭博をやっている)振りなど。ここで、クロノが煩悩の多いキャラクターであることを表現しているらしい。ちなみに、凧揚げは乾季の子供の遊びだが、大人もやるんだろうか…?クラテン村では、クロノはより人間臭くて素朴な人柄であるようだ。スラカルタみたいに、心理的な複雑さがあまり感じられない。そこが都会と田舎の違いかも知れない。