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2003.05水牛アーカイブ『結婚式での舞踊』
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。




『水牛』 2003年5月号
結婚式での舞踊

                     

前回、前々回に述べたのは、宮廷儀礼ではないにしろ、試験という儀礼的なあり方の公演だった。今回はジャワのスラカルタ(通称ソロ)の結婚式で供される舞踊について述べよう。そこでは舞踊は結婚式という儀式に付随する娯楽、余興という面が強い。

ジャワでは結婚披露宴で舞踊がよく上演される。普通は新郎新婦の席へ向かうメイン通路で踊られるが、主催者によっては、メイン通路の真ん中に広く舞踊スペースを取ったり、ちょっとした舞台を設置したりすることもある。

上演されるのはだいたい食事が供されている間やお色直しの間であり、基本的に舞踊は客に対する余興だと言える。しかし中には踊り手が新郎新婦の入退場を先導し、その後続けて舞踊が上演されるといった具合に、舞踊を儀礼の部分に組み込むこともある。

舞踊の伴奏だが、一般の人ならカセットを使用することが多いだろう。ジャワの伝統的な結婚式では各シーンで音楽を使用し、しかもどの曲を使うのかも決まっている。音楽は舞踊伴奏のためだけでなく、式に不可欠なものである。しかしガムラン演奏には総勢20人前後が必要なため、依頼する方は経済的に大変であり、そのため結婚式用のカセットが多く市販されている。主催者が芸術に関心の高い富裕層や芸術関係者であればもちろん音楽は生演奏で、前述のような演出をしたり舞踊の新作を委嘱したりすることもある。

結婚式に注文される演目はさまざまであるが、一番多いのがガンビョンであり、次いで「カロンセ」など男女の恋愛を描いた舞踊や、恋に落ちた武将を描いたものも多い。また恋する武将に道化がからむもの(漫才のような感じである)も人気がある。

ガンビョンはかつては性的なニュアンスの強い舞踊で、多産を願うという意味で結婚式によくガンビョンの踊り手を呼んだものだという。現在ではそのような意味はほとんど意識されず、単に結婚式や各種儀礼につきものの舞踊だとされており、数人の女性によって華やかに踊られる。

恋愛する男女を描いた舞踊(ラブダンス)はソロでは「カロンセ」に始まるのだが、これは最初から結婚式用に作られた作品である。スハルト元大統領夫人(故人)が親族の結婚式用に舞踊家・マリディ氏に委嘱した作品で、その後マリディ氏は各地で踊って普及させた。結婚式での需要が多いため、その後芸大でも同種の舞踊が多く作られている。

では次に、私が出席したり実際に踊ったりした結婚式の例をいくつか挙げよう。私の周囲は芸術関係者が多かったのでユニークなプログラムに接することが多かったが、。


●1998年4月、F嬢の結婚式。

Fは芸大教官・P先生の姪であり、先生宅に下宿していた。結婚式は先生の自宅前で行われた。家の入り口の前に新郎新婦の席を作り、家の前の道の半分を上演スペースに、残りを客席にして、その道は式が終わるまで通行止めにする。このように自宅で結婚式を挙げることもソロではまだよく見られる。P先生夫婦はともに芸大教官で新郎新婦も芸大生だったが、周囲がみな踊る人ばかりのせいか、かえって友達によるソロ舞踊は全然なかった。演し物は先生の娘(中学生)とその同級生達によるジャイポンガン(西ジャワで生まれた新しい舞踊)、先生の息子(幼稚園)とその連れによる「ガンジュル・ガンジュレット」、さらにP先生の親戚の踊り手(中年男女)による漫才のようなもので、身内総出演である。このうち「ガンジュル・ガンジュレット」はP先生の若い頃の作品で、男性2人の異なったキャラクターによる軽妙な掛け合いを描いている。田舎の結婚式で喜ばれるものをということで作ったそうで、今までかなり踊ったという。

●2000年8月アノムスロト氏の娘の結婚式。

アノムスロト(以下アノムと略)はインドネシアを代表する有名なダラン(影絵遣い)の一人である。広大な自邸の、この日のために新築したプンドポで結婚式が行われた。新郎新婦はプンドポの奥に座り、舞踊はプンドポで上演された。そして客はプンドポの前に広がる芝生の庭に並べられた椅子に座った。つまりプンドポを額縁舞台のように使用したのである。また楽器はプンドポの左手にあるガムラン用舞台に、アノム所有のものが据えられている。アノムは芸大に新作のブドヨを委嘱した。その作品は邸宅の住所を取って「ブドヨ・ティマサン」と命名され、衣装も新調された。アノムの依頼は当初それ1曲だったのだが、リハーサルの折りに男性舞踊もできないかと芸大学長に言い出した。ブドヨは女性の群舞なので、男性の群舞もあると良いなあと思ったらしい。このリハーサルは結婚式の4日前だったので、急な話である。しかしたまたま芸大には去る卒業式(7月)のために作った作品があって、それを出すことに決まった。毎年の卒業式には必ず教官が作品を作ることになっているが、この年の作品はたまたま男性5人によるものだったのである。まだ卒業式から日も浅く、踊り手も演奏家も揃っていて何とか上演できるというのと、結婚式のために作ったわけではないが新作だったのも良かったらしい。

●2001年7月、Eの妹の結婚式。

Eは芸大の教官で、男性伝統舞踊とコンテンポラリ舞踊を教えている。ソロ郊外のウォノギリという田舎に住んでいる。ここでは仮設の会場で結婚式が行われたが、新郎新婦の席と客の間に低い台を敷いて舞台が設けられ、しかも舞台がよく見えるように客席は舞台から少し離れていた。演し物は最初が私で「メナッ・コンチャル」という男性舞踊、次にEの作品によく出演している芸大生4、5人によるコンテンポラリ舞踊、そしてEの友達でジャワ在住バリ人によるバリ舞踊「タルナ・ジャヤ」、最後にEの大学時代の友達による滑稽な舞踊劇、である。ソロの伝統舞踊を踊ったのは私だけだった。演し物が4つもあり、しかもこんな田舎の結婚式でコンテンポラリ舞踊までやるとは、Eの芸大教官の面目躍如たるものがあった。

●2002年8月、Wの結婚式。

Wは芸大の若き教官だが、芸術家の一族に生まれ、彼自身、舞踊も音楽もよくする。そのため彼は結婚式で使う曲も舞踊もすべて新曲でやることにした。曲は彼の親戚で芸大教官でもある人に委嘱し、舞踊は彼自身が振り付けた。5人の女性による新しいガンビョン、男女2組によるラブダンスの他、男女1組の神が新郎新婦を入場に導くような儀礼的な舞踊を作ったのである。結婚式はソロでも一番大きな会場で行われたが、メインの通路を高く、座った客の目線の高さまで上げ、客席のどこからも新郎新婦や舞踊が見えるようにした。ちょうど歌舞伎の花道のような感じである。