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2004.06水牛アーカイブ「バンバンガン・チャキル」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。



『水牛』2004年6月号
バンバンガン・チャキル


今回はジャワ舞踊の戦いの演目を紹介しよう。バンバンガン・チャキルは見目麗しい武将(バンバンガン)とチャキル(森に住む鬼)の戦いを描いたもので、どんなストーリーのワヤン(影絵芝居)にも挿入されるシーンである。ワヤンに準じているワヤンオラン(舞踊劇)の中で上演される他、独立した舞踊作品として上演されることも多い。武将が森にやってきて瞑想しているところにチャキルが登場し、武将の邪魔をしようとする。そのうち戦いになり、チャキルが負けるという筋である。チャキル以外にもさらに3体の大きな怪物が現れて武将との戦いになるというのが完全な演出で、その場合はプラン・クンバン(花の戦い)と呼ばれて区別される。

バンバンガンチャキル
故パク・ブウォノXII世のスドソ・ウィンドゥ(ジャワ暦80歳)のお祝いの席で、バンバンガン・チャキルを上演するXII世の孫たち(冨岡三智撮影、転載禁止)

バンバンガンはある1人の人物名ではなく、人物設定には多少の幅がある。とはいえ、ほとんどはアルジュノかその息子のアビマニュである。踊り手としてはその人物のキャラクターを表現することが重要である。たとえばアルジュノはハルス(優美)の理想とされるので、その動きは基本的に相手の攻撃をかわしたり、サンプール(舞踊に使う布)を手にして払うだけである。間違っても相手を蹴飛ばしたり、殴り飛ばしたりはしない。そのシャクティゆえに、相手の体に触れずしてダメージを与えることができるというのがアルジュノのキャラクターである。これがアビマニュになるとややカッサール(荒い性格)になり、チャキルを足で蹴ったりする表現も可能になる。だが最近はそこまで知って厳密にキャラクター表現をする踊り手も少なく、またその表現力を楽しむ観客も少なくなってきたようだ。

余談だが、バンバンガンは優形のキャラクターであるので、商業舞踊劇の世界ではしばしば女性によって演じられる。しかしこれは宮廷舞踊の美意識からすると有り得ないことだった。宮廷では男性は男性舞踊だけ、女性は女性舞踊だけを踊る。スリウェダリ公園にあるワヤン・オラン劇場の舞踊指導を頼まれた宮廷舞踊家が、女性がバンバンガンを演じているのを見てひどく立腹し、二度とスリウェダリに足を向けなかったという逸話が伝えられている。1950年代頃の話である。女性が男性舞踊を踊るということには、単にハルスの理想が女性的な表現形態をとるからというだけでなく、興行上の理由(女性が主役となることで観客を魅了する)も考えなければならないだろう。

さて、この演目では音楽の流れや話の筋は大体決まっているが、振付はかなり踊り手に任されている。私が留学していた芸大でもバンバンガン・チャキルには決まった振付がなかった。4年後期の授業で履修するのだが、曲を与えられて自分で振り付け、それが試験される。その理由を尋ねたところ、昔から踊り手が自分で振り付けるのが伝統であるからということだった。

ここでは一般的、古典的な曲の進行に沿って舞踊の見どころを説明しよう。まずはスボカストウォというゆったりした曲にのってバンバンガンが1人登場する。顔見世程度に踊ったあと、舞台中央で客席を向いてタンジャッの姿勢(舞踊の基本的な立ち姿勢)になる。瞑想に入ったということである。曲がアヤッアヤッアン・アラスアラサン(アラスアラサンは森の意)、そしてスレペッグに変わり、バンバンガンの背後からチャキルが登場する。最初は舞台後方で踊っているが、やがてバンバンガンの存在に気づき、舞台中央にやってきて、後ろからのぞきこんでみたりしてちょっかいを出し始める。バンバンガンの踊り手の立場からすると、ここは結構つまらないシーンである。中腰でじっと立ち続けているので足がだるくなるわ、背後でのチャキルの踊りは全然見えないわ、ちょっかいを出されても真面目な顔をしてないといけないわで、ひたすら忍耐である。

チャキルの邪魔に瞑想から覚めたバンバンガンが動き始め、戦いのシーンになる。バンバンガンの踊り手としては、チャキルの攻撃から素早く身をかわしても、すぐにまた優美な動きに戻るという緩急が見せどころである。反対にチャキルはすばしこく動きまわる。だがチャキルの踊り方は昔と今ではずいぶん変わったようだ。かつてはチャキルの動きはワヤン人形の動きを模していたため腕を回す動きが中心で単純だった。人形のように、セレー(曲の節目)では腕がまっすぐに伸びていなければならなかったという。また飛んだり跳ねたりする動きもなく、バンバンガンとの空間配置もワヤンのように平面的で横並びだった。しかしシラット(武術)の動きを取り入れたり、1970年代頃からは様々な動きが考え出されると同時に空間を立体的に使うようになり、今ではアクロバティックな要素が強くなっている。

その後チャキルは自らのクリス(剣)を抜く。実はチャキルは剣を2本持っている。1本はラドランと呼ばれる一般的な形のクリスで、腰に通常とは上下逆に差す。このように剣を差すのはチャキルだけである。それから膝の前にナイフのような形の剣をもう1本差している。この2本の剣を抜いてお手玉のように操るという芸当を見せることもある。ともあれチャキルはバンバンガンを倒そうと剣を抜いて立ち向かい、しかし誤って自らを刺す。ここで曲はサンパッとなる。ここではチャキルは決してバンバンガンの剣に倒されるのではない。バンバンガンが剣を手に取ることはない。チャキル=悪は、バンバンガン=善に負かされるのではなく、自らの行為によって自滅するのである。それがジャワの哲学なのだという。だが最近はそのことを知る人も少なくなり、バンバンガンがチャキルの剣を奪い取って刺すという振付にする若い人もいる、と年長者は渋い顔である。

実は、以上のような流れはプティラン(舞踊劇中の1幕が独立したもの)としての演出である。これとは別に、宮廷舞踊ウィレンの形式に則った演出もある。その場合は、他のウィレン同様にスレペッグの曲で入場する。そしてブクサン(舞踊の主要部)が始まり、ラドラン形式の曲を使って2人がシンメトリーなフォーメーション、振付で踊る。それから曲はアヤッアヤッアン、スレパガンに進んで戦いのシーンとなり、さらにパラランという歌の形式に進むこともある。最後はサンパッの曲で退場する。このように曲の進行を聞いているが、私はまだこのウィレン形式での上演を見たことがない。宮廷でも、である。たぶんこれは大衆向けプティランの演出の方が断然面白いからだろうなと推測している。優美でおっとりした動きの武将とすばしこい動きのチャキルがそれぞれに踊るからこそ面白いのであって、この両者がまじめに向き合ってシンメトリーに踊っても面白いかなあ? と私は疑問である。