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2004.09水牛アーカイブ「独立記念日と芸術あれこれ」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。

※ 8月号には寄稿していません。

なお、以下の「●紅白はちまき」の項目で挙げた舞踊「プジュアンPejuang」ですが、作者ガリマン氏をしのぶ舞踊公演(2007年1月26日、インドネシア国立芸術高校スラカルタ校)で上演された時の映像がyoutubeにあります。
➡ https://youtu.be/2ENMIg633Xk




『水牛』2004年9月号
独立記念日と芸術あれこれ


この7月、8月もインドネシアのソロ(スラカルタ)とジャカルタに行ってきた。8月になるとインドネシアは17日の独立記念日に向けて多くのイベントが各町内、地域、国レベルで催される。芸能好きにとっては楽しい時期だ。でも日本人の私は、独立という語の裏にある連帯感を本当には共有できていない気がして、いつもこのお祭り騒ぎに落ちつかなさを感じている。とは言いつつ、独立記念日が廻ってくると思い出すことをいくつか挙げてみよう。

 ●アメリカとインドネシア

1996年7月にアメリカのガムラングループ「サン・オブ・ライオン」がインドネシア芸大ソロ校で公演した。若い人も中にはいたが、かなり年配の人が多かった。それは、アメリカでは日本よりもずっと早くからガムラン音楽が民族音楽として教えられてきた歴史を物語っていた。そのわりに演奏はあまり上手くなかった気もするが、感心したのは彼らがインドネシア人に受けるツボを心得ていたことだ。公演の前半でオリジナル曲を演奏したあと、休憩をはさんで後半ではコラボレーションをするので視聴者にも参加してほしいと彼らは呼びかけた。曲のバルンガン(骨格旋律)はある程度彼らがすでに用意し、芸大側からメロディーパートの演奏者を出すというやり方で、休憩時間に簡単に曲の進行を打ち合わせてぶっつけで演奏するのである。そして曲のテーマは「独立」だった。アメリカの独立記念日は7月4日で、ちょうど時期的にもふさわしい。演奏に参加しなかった人々も高らかに謳いあげられる独立のテーマに大いに盛り上がった。

アメリカ人やインドネシア人にとって「独立」とは絶対的に善であり、かつ互いに共有し合えることのできるテーマなのだ。表現されたものがそのテーマに合っていたのかどうか私は覚えていないが、芸術的にあまり成功してなくてもこの場合はきっと大して重要ではなかっただろう。重要なのは「観客参加型パフォーマンスが成功した」ということだろうだから。

テーマ選択の成功はもちろんだが、もともとインドネシア人(少なくともジャワ人)観客はパフォーマンスに対して大いに乗り、盛り上がってくれるという性質がある。演者からの刺激にとても敏感に反応する。これはコラボレーションするにはとてもよい資質だと思うのだが、悪く言えば付和雷同的で乗せられ易いということでもある。1998年の暴動やその後の各種デモなどを見ていると、そういうところが裏目に出ているのではないかと思えてしまう。

 ●紅白はちまき

現在ではたぶんほとんど上演されないだろうと思われるものに「プジュアン」という舞踊作品がある。これはジャワ舞踊の大家・ガリマン氏が1964年に作ったものである。インドネシア国旗のように紅白に染め分けたはちまきを頭に締め、弓矢を持って戦争するという内容で、プジュアンとは闘士という意味である。1960~70年代頃にどんな舞踊作品が踊られていたかについてインタビューすると、男性だとこの作品を踊ったと言う人が多い。それも独立記念関係のイベントでよくリクエストがあったという。

この作品が最初誰の注文で作られたのか、また振付がどうだったのかまだ調べていないので確かなことは言えないが、共産主義の風潮の影響を受けていたのだろうか、などと想像していた。1950年代後半から60年代にかけてはインドネシア各地で闘争や農作業、漁労、バティック、機織りなどの労働を描いた、共産的なニュアンスを感じさせる舞踊が多く作られたと言われているからである。

とはいえ、当時の振付家や踊り手にとってこの舞踊は政治思想の反映である、とは私は考えていない。作品の注文主の意向はともかく、振付家にとっては政治思想の説明よりも、テーマをいかに舞踊表現に昇華するかということの方が重大関心事のはずだからである。70年代始めに少年だったある踊り手は、プジュアンはとにかく格好よくて好きな作品だったと言う。彼も紅白のはちまきについては「インドネシア独立」のメッセージを感じているが、それ以上のものではないと考えているようだ。

今年の夏の独立記念日の前後はジャカルタで迎えた。プラザ・スナヤンではインドネシアの各地方舞踊の上演が行われていたが、やはり紅白の色を衣装の一部に使うグループも無くはなかった。民族衣装に似合わぬ紅白のねじりはちまきを頭にしているグループもあったし、赤いサテン生地の上着を着ているグループもあった。たぶん紅白の色は「独立を祝っていますよ」という気分の表明や観客へのアピールに過ぎず、当人達にとっては作品の本質に影響しないのだろう。 

●舞踊「ハンドコ・ブギス」

これはジャワ人のハンドコとブギス=マカッサル人の戦いを描いた舞踊で、古くからある宮廷舞踊の演目である。結果は当然ジャワ人の勝ちで、ブギス人は負けて死ぬ。ジャワ文化のコンテキストにおいてはブギス人は常に粗野な民族とされ、そのためにジャワ舞踊の中に「ブギス人の型」というものがある。しかし、ジャワ舞踊の大家・マリディ氏があるときブン・カルノ(スカルノ大統領)の御前でハンドコ・ブギスを上演したところ、見終わったあとブン・カルノからこう言われたという。「最後はブギスを殺さず、円満な終わり方にしなさい。彼らも同じインドネシア民族なのだから。」このエピソードには多くの民族をまとめて独立を果たしたスカルノの高揚した気分がうかがえる。とは言え、私が今までに見たハンドコ・ブギスは最後にブギスが負けて終わりであった。ジャワで上演している限りそれで良いのだろうし、たぶんこれからもそうだろう。