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2004 .10水牛アーカイブ「お彼岸雑感」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。




『水牛』2004年10月号
お彼岸雑感


お彼岸におっさん(「お」にアクセントがある、お坊さん)がお参りに来てくれる。お彼岸にもお参りに来てもらうようになったのは最近のことだ。今年もお盆は日本にいなかったから、神妙におっさんの後ろで手を合わせる。このおっさんに交代してからどのくらいになるだろう。私が小学校の頃はまだ先代の―今のおっさんのお父さんが来ていた。

この先代は本当におっさんらしいおっさんで、読経の声も良く(今のおっさんも声は似ている)、自然とおっさんの後ろでちんまり座るようになったものだ。さらにご存知だろうか、袂が汗で腕にまとわりつかないように衣の下に籠筒状のものを腕にはめているのを。着物を着ている人であれをはめているのはおっさんしかいなかった。あれが珍しくてよく触らせてもらったものだ。さらに紫の袂にはもう1つ魅力があった。このおっさんはいつもお盆に我が家に来ると、私と妹を呼んで袂からお土産を出してくれるのである。年により飴だったりチョコレートだったりいろいろだったが、なぜかきまってペコちゃんのお菓子だった。子供心にも、檀家で毎年不二家のお菓子を寄進する人がいるのかしらん、とあやしく思っていたものだ。ところが母は全然このことに気づいていなかったということが、このお彼岸に初めて判明した。そういえば、おっさんは母のいる前でお菓子をくれることはなかったような気がする。ペコちゃんのお菓子をもらっていたのは私達姉妹だけだったのか、あるいは子供のいる檀家にはいつもそうしていたのか知らないが、もしかしたらあれはおっさんの長期的な布教戦略だったのかもしれない。牛にひかれて・・・ではないけれど、ペコちゃんに魅かれて私はお経を読むのが好きになった。だから特に何をするわけでもないけれど、「私は仏教徒です」と言うにやぶさかでない。

インドネシアに留学してイミグレーションや警察や学校で手続きをすると、必ず宗教を聞かれる。インドネシア人だと政府の認める5大宗教(イスラム教、カトリック、プロテスタント、仏教、ヒンズー教)のどれかを信仰しなければならず、身分証にも記載される。で、そういうときに(もちろんクリスチャンでない人で)仏教徒だと答えることに抵抗を感じる日本人もいるみたいだ。宗教の話をするのは面倒なのか、「日本人は無宗教だ」と言ってしまう人もいる。もちろん本当に無宗教である人も存在するだろうけれど、そんなに簡単に、日本人をひっくるめて無宗教だと言ってほしくないなと思ってしまう。私には日本人の皆が皆、無宗教で生きているとは思えないのだ。死者を弔うこと――お葬式や年忌を出したり参列したり、毎年盆のお祭りをしたりすること――は、宗教行為ではないのだろうか。毎日仏前に花を供えたりご飯を供えたりする行為と、バリのヒンズー教徒が毎日あちこちの祠にお供えをあげるのと、一体どこが違うのだろう?

閑話休題。

20061111makam 021ブログ用
(私の舞踊の師のお墓、亡くなって埋葬された日に…)

お彼岸にはお墓参りをする。というので、ここではジャワのお墓参りの仕方を紹介しよう。と言っても私の舞踊の先生(イスラム)の家の事例しか知らないので、同じジャワでも地域、宗教、各家庭によって違ったやり方があるかも知れない。

お墓参りの機会は、まずは法事のときである。夜、だいたい8時頃から法事をし、翌朝墓参りするというのがパターンである。法事をしてイスラム導師に来てもらうのはお葬式、7日忌、40日忌、100日忌、1年忌、2年忌、そして1000日忌で、このときに墓石を建てて一応区切りとなり、その後の法事は遺族の自由である。この段取りはカトリックでも同じだと聞いたのだが、カトリック式の法事に出たことはないので未確認である。またジャワの仏教やヒンズー教がどうするのかも私は知らない。

それから毎年の断食明けにも墓参りする。これは一族揃うからだろう。昔はこの時に結婚相手探しが行われたという話も聞いたことがある。私の先生が言うには、ジャワではイスラムの断食月の間、そうでなくても土曜日には墓参りをしないものらしい。行っても魂は墓にいないらしい。どこに行っているのだろう? あるとき先生の家で40日目の法要が断食月の終わり頃にあたったことがあった。このときは墓参りをしたが、花は撒かなかった。魂がいないので別に花を撒かなくてもいいらしい。そういうもんだろうか? その後断食月が明けて、あらためて花を持ってお参りしていた。

日本だとお墓に花を立てるが、ジャワでは花を撒く。お墓に行く前にいつもパサール・クンバン(花市場)に寄り、大量の紅白のバラの花(茎はついてない)を買う。お墓に着くとバラの芯をぬいてほぐして花びらだけにしてしまい、それを参列者がお墓に撒く。そうそうジャワの墓石は横長で、その石の上にずーっと花びらを撒くのである。石をまだ建てていない内は墓標(頭の位置と足の位置に標が差し込まれている)の間にずーっと花びらを撒く。それから前日の法事の時から用意していた紅白のバラの花びらを浮かべた水(クンバン・スタマン)を持っていき、それも交代で撒く。クンバン・スタマンというのは飲み水なのだそうだ。精霊にはただの水より良い香りのする水の方がおいしいらしい。お墓にはクンディ(水差し)がよく置いてある。これは埋葬の時に置くものだ。だが先生がクンディに水を満たしたり、あるいはそれで墓に水を撒くというシーンは見たことがない。普通はこれに水を入れるのかもしれないが、私は知らない。それから食べ物は供えない。

お祈りは皆それぞれにしている。先生の一族はイスラムの人が多いが、カトリックもいる。私はお経を心の中で唱えて合掌する。最初は多数派に合わせてイスラム式ポーズをとったこともあるけれど、どうも祈った気になれないのでやめた。やはり自分の思いが伝わるやり方で祈れば良いのだ。あとジャワの人は墓石に両手を置いたり添えたりして祈ったりすることがある。日本では見ない光景だが、私も合掌したあとやってみる。墓石はあったかくて故人と対話しているような気がする。

お祈りが終わるとスナックがある。家から水とおやつを車に積んで運んできているのである。お墓でものを食べるということに最初は非常にびっくりしてしまった。沖縄では一族が墓参りしてそこで食事をするという風習があるらしいが、亡くなった人にはお供えせず、なんで墓参りした人だけが食べるんだろう?と思ったものだ。小さい子達ははしゃいで、墓の周囲に植わっているバナナやブリンビンなどを採って食べている。これも驚きである。墓にあるものを採ったり食べたりしてはいけないと私は言われてきた。でないと死人に引きずられてしまうからである。ジャワではそういうことはないのだろうか。

遺族だとあらかじめ墓守に連絡して行くからそういうことはないが、突然墓参りに行くとサイン帳が差し出される。芸大の創立記念日の行事で芸大関係の音楽家、舞踊家の墓巡りに参加したことがある。この時は行く先々で記帳した。こういう人がお参りしてますよというのを遺族に見せるのだろう。

ということで、別にジャワでお彼岸に墓参りするなんてことはないのだが(たぶん)、なんだか墓参りのことを思い出したので書いてみた。9月になるとだんだん日も短くなり、朝夕が涼しくなり、虫の声もかすかになって、寂しさやもののあわれが身に沁みてきたり、亡くなった人のことをしみじみ思い出したりする。こういう感じはジャワにはないなあといつも思う。9月は日本にいるのがいい。(10月号でこういうことを書くのは間が抜けている気もするが)