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2004.11水牛アーカイブ「日本の獅子舞、インドネシアの獅子舞」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。




『水牛』2004年11月号
日本の獅子舞、インドネシアの獅子舞


この原稿を書いているのはちょうど秋祭りの頃で、ふと獅子舞のことを思い出した。本当は私の地域では秋祭りに獅子舞はないのだが。ともかく今回は私の見たことのある獅子舞を紹介する。

  ●池田の神楽

のっけから話はお彼岸に逆戻りする。私の地域では、獅子舞は春と秋のお彼岸に門付けに来るものと決まっていた。池田の神楽といい、伊勢神楽の系統だったという。ただそのおじさんたちも昔は北陸から山陰まであちこち廻っていたらしいから、神楽の来る時期というのは地域により異なっていたかも知れない。そのおじさん達は私の両親が子供の頃から獅子舞をやっていて、私が高校に上がる頃まで来ていたような気がする。皆鬼籍に入って久しく、いまは担い手がいなくて途絶えてしまったみたいだ。

私が覚えている神楽は3人組で廻って来ていた。1人が獅子の頭役、1人が獅子の胴から尻尾?(辞書によるとホロというらしい)を肩にかけながら横笛を吹く役、1人が小さいシンバルを打ち鳴らす役だった。だが辞書によるとホロには通常2人の人が入るとある。両親が子供の頃(戦前から戦後始めにかけて)には、男衆さんも含めて総勢7、8人が大八車を引っ張りながら来たものらしい。田舎ではご祝儀は米などでもらうことが多かったから、それを載せる車とその車を引っ張る人が必要だったという。当時はこういう神楽グループがたくさんあったそうだ。

獅子は舞いの最後になると真剣を抜いて振り回し、邪気を祓う。獅子に頭を咬んでもらうと息災だというので、親が赤ちゃんを抱っこして獅子の口元に差し出すことがよくあった。どの子も獅子の顔を見るとひしって泣く。ジャワではスカテン[注・王宮モスクで巨大なガムランが演奏される行事]のときに赤ちゃんの頭をイスラムの大太鼓(ブドゥッグ)に当ててもらうことがある。これも息災を願う行為で、この光景を見ると私は獅子舞のことを思い出してしまう。どちらも頭を祓ってもらうのは、頭に人間の霊性が宿っていると考えるからかな、と思う。

一通り舞いが終わるとご祝儀を渡し、一服となる。こういう時はきまってお酒である。それもお猪口でなく、湯呑酒やコップ酒といくのが気風がいい。うちの父は酒飲みなので必ず一緒に飲む。母の実家ではお酒だけでなく、夏ならそうめん、冬ならお味噌汁を作ってもてなしたという。ただそういう家もある一方で、裕福であっても神楽が来ると戸口をピシャンと閉めてしまうような家もあったらしい。

こんなことを秋祭りになって思い出したのは、このおじさん達も亡くなって後のこと、秋祭りの頃に乞食神楽といおうか俄か神楽といおうか、が出現するようになったからだ。今年は見なかったが、あれはどうも、お祭りに便乗するアルバイトという感じがしていただけない。

神楽は門付けだけでなくて、神社の遷宮やお寺のお堂を建て直した時などにも上演される。この時には神社やお寺が特別に神楽を呼ぶのである。私も小学生の頃に近くの神社の遷宮で見たことを思い出す。その時は獅子舞の他に皿回し、それも単に手に持った棒の先で皿を回すだけでなくて、境内に綱を張ってその上に棒を立たせ、皿を回していたことを覚えている。こういうのも神楽の人たちの芸だとかで、とにかくたくさんの神楽芸が出てそれはそれは華やかだった。そして最後には餅撒きがあった。こんな盛大な神楽を見たのは私にはこれが最初で最後だった。たぶんこれより後になると、神楽芸ができる人もどんどん減っていったのだろう。

この神楽が私の原風景にあると言って間違いない。インドネシアでも道端でやっている芸につい惹かれてしまうのは、昔の日本の門付け芸を見るような気がするからだ。でも私が知っているのは神楽くらいである。両親は傀儡(くぐつ)師や法螺貝のおっちゃんなど他にも多くの門付け芸を見ている。法螺貝のおっちゃんというのは、まさに山伏の格好をして各戸を廻り法螺貝を吹く人らしい。単なる山伏とどう違うのか分からないが、よく来たらしい。これらの芸はみな昭和20~30年代で廃れてしまったという。

  ●レオッグ

所変わってインドネシアの獅子舞を紹介しよう。バリ島のバロン・ダンスが有名だが、ジャワ島にもレオッグという獅子舞がある。東ジャワ州の一番西にある町、ポノロゴが有名で、私のいたソロから車で3時間くらいで行ける。

レオッグの頭部は巨大である。獅子頭自体は人間の頭にすっぽり被るくらいだが、その面の背後に孔雀の羽を放射状に張り合わせて団扇状にしたものがくっついている。遠くから見ると人間の肩から上に巨大な団扇が乗っかっているように見える。これは1.5m近くの高さがあり、重さは約60kgくらいあるという。レオッグは上半身を折るように前後に揺らせ、団扇で煽るような動きをすることがある。1つのクライマックスで、見ている人が必ずどよめく。

この巨大なレオッグには子獅子?がつきものである。その面は赤黒く、額の生え際に毛がついていて、日本の天狗の面をもっと素朴にしたような顔である。この子獅子はレオッグの周囲でバック転とかの曲芸をする。レオッグはトランス系の芸能だと言われており、異様な雰囲気がある。

ソロでは昔はスカテンの祭りになると、王宮広場にポノロゴのレオッグが来たものらしいが、現在は見られない。私が留学した当初には、スリクラン[注・イスラム断食月21日目夜の行事。王宮モスクからスリウェダリ公園まで行進がある]という行事でレオッグを見た。王族や王宮関係者、伝統兵、チョロバレン音楽、イスラム歌唱(サンティ・スワラン)などの行進があるのだが、その一番最後尾からレオッグがついて行く。ただし留学末期にはスリクランでレオッグを見なかった。それ以外にも、何かのフェスティバルやら独立記念日やらの折に目にすることがある。

  ●バロンサイ

最近インドネシアに登場した獅子舞として中国のバロンサイがある。共産党を非合法化したスハルト政権下では中国系の芸能も禁止されていたが、スハルトが倒れたのでバロンサイや竜舞(リヨン)が解禁された。私がいたソロでも、独立記念日や旧暦正月、その他のイベントがあるたび中国系の人達の獅子や竜が通りを練り歩くようになった。

バロンサイは白地にピンクか白地に水色という体色で、遊園地にいる着ぐるみ人形が巨大化した感じである。それに漫画のようなぐりぐりの目つきで、長いまつげ付きまぶたがパチパチとまばたきするというファンシーな顔つきである。あの獅子は中国の歴史の中で一体いつ頃出現したのだろう。日本の獅子舞は中国の唐から伝わったはずだが、一体いつの間に中国人の美意識は変わっていたのであろうかと、ショックを感じてしまった。

この獅子は曲芸をよくする。ソロ一番の大通り、スラマット・リヤディで大きな脚立を使って2匹のバロンサイが芸をした時には、獅子というよりは巨大な猫が遊んでいるみたいで壮観だった。邪気払いという意味合いはあの巨大猫にもあるのかどうか、あるにしても私にはあんまり感じられないのだが、これはこれで芸として楽しい。