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2005.8水牛アーカイブ「IPAM=インドネシア舞台芸術見本市  その2」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。




『水牛』2005年8月号
IPAM=インドネシア舞台芸術見本市  その2


6月6日~9日まで、バリ島のヌサドゥアでIPAM=インドネシア舞台芸術見本市が開催されていた。今月はその出品(全27公演)の中から、私の独断と偏見により、印象に残ったものを紹介する。私が日本に招聘するとしたら(お金はないけど)……という観点で見ていたり、サポーターの心情で見ていたり、いろいろである。

6月7日1作目。スマトラ島ランプンの演劇グループTeatre Satuによる" Nostalgia Sebuah Kota(ある町のノスタルジー)"はとてもシンプルで洗練されていた。演劇に分類されているけれど、ジャワでなら舞踊作品に入るかもしれない。身体の動きが美しい。その地域の伝統的な舞踊の動きらしきものも使われているけれど、既存の動きを安易に借用せずにきちんと消化している。台詞は平易なインドネシア語、一部英語で、分量は多くなく、リフレーンが多い。言葉や、鈴や、手桶に入れた米(豆?)の音が重なり響くことによって、イメージがさざなみのように広がっていくという気がする。また照明の色調や変化、衣装の配色が美しい。テーマやメッセージ性を求める人にはよく分からない舞台だろうが、そういう見方をしなくても良いという気がする。視覚的、聴覚的にとても記憶に残る舞台。雨の日に傘を差しているシーンから始まるけれど、日本の秋の長雨のような情緒や湿度を感じさせる。

4作目はソロからKomunitas Wayang Suket。Ki Slamet Gundonoという小錦のような巨体のダラン(影絵操者))が率いるこのグループの面々は、ワヤンを翻案した新しいワヤン的作品を次々に発表している。プログラムでは演劇に分類されているけれど、やっぱりこれはワヤンとしか呼びようがない。私もこのグループとは親しく、そのせいもあって私の名前が登場してしまったので、関係者には大受けだった。ジャワ語主体だけれど、今回はところどころでインドネシア語や英語を混ぜていて、その混ぜ方とタイミングがまたおかしかった。場面の展開だとか、Gundonoの抑揚とか間合いとか、ジャワ人にはこの劇は文句なく面白い。IPAMアドバイザーであるソロの芸大元学長やジャワ人のお役人など、いい年をしたおじさん達が、本当に箸が転んでもおかしいというくらいの笑い方をしていた。でもこういう感受性のよいジャワ人たちが全然いなくて、公演はまじめくさって見るものと思っている人達(特に日本人)の中で見たらどうだろうか。どこまでこの面白さは伝わるのだろうか、私にはまだよく分からない。

最後の10作目はアチェのWalet Dance Companyによる“Rampai Aceh”。ただしメンバーは皆ジャカルタに住む。このおじさんはIPAMに来る前に愛知万博に出演していたらしい。リーダーのおじさんの歌に合わせて20人くらいの女性が密着して横一列に座り、あるいは立ち、体を叩いたり全員が同じ動きを繰り返す。テンポは次第にエスカレートしてゆくにも関わらず、全員の動きは全く乱れずシンクロし続ける。アチェの舞踊も地域によって人数や動きや場所移動のパターンに違いがあるらしく、ここではいろんな地域のものを混ぜているということだった。その技術水準には圧倒されたし、やはりジャカルタでやっているだけあって、アチェ舞踊としても、一段舞台芸術として垢抜けている気がした。にも関わらず、これを単独で上演するのは難しいように思う。どうしても機械的で単調になりがちな気がするのだ。他にいろんな演目があれば、それもジャワ舞踊のようにテンポが遅くて全員の動きを過剰に揃えようとしない舞踊などと一緒に上演されたら、とても引き立つだろうと思うのだけど。実際インドネシア各地の芸能で、これだけ動きを揃えようとする舞踊も珍しい。シンクロするのは共同体の結束、イスラムにおける人と神との合一を求める気持ちの表れだとリーダーのおじさんは言っていた。蛇足になるが、これをワークショップでやるのは面白いかもしれない。1つ1つの動きをゆっくりやれば、あまり複雑ではないし、全員が同じことをするのも安心だ。慣れてきたら徐々にスピードを上げていけば、参加者のレベルによってはかなりの達成感が味わえるかもしれない。

6月8日。この日一番期待していたのが、東ヌサトゥンガラ州(バリから東側に延びる諸島)からのササンドゥという伝統楽器の演奏。ササンドゥは昔のインドネシア紙幣の裏側に描かれていて、一度実物を目にしたいと思っていたのだ。弦楽器が同地特産の草で作った共鳴箱?に入っている。この草はまるでプラスチックみたいに頑丈である。余談だが、伝統衣装のおじいさんたちがかぶっている鳥形帽子(成人男子がかぶるものらしい)もその草で織ってある。さて公演はおじいさん3人がそれぞれササンドゥを演奏し、時折1人が手振りで踊るというものだった。この公演を単独で海外公演に持ってゆくのはきついように思う。音楽も単調に聞こえてしまうし、なにしろおじいさんだけでは、やや魅力に欠ける。舞台で見せるためには何らかの見せ方の工夫が必要だろう。むしろ日本の地方なんかで、民俗芸能を継承しているおじいさん達なんかと一緒に、酒を酌み交わしつつ一晩上演する(酒盛りと変わらなかったりして)なんていうのが似合う気もする。また、もしこれがインドネシア各地の民族音楽を紹介するプログラムの中の1つとして上演されるのなら、これでいい。アチェ舞踊のところでも触れたけど、そういう場合にはバラエティの豊富さが問われるからだ。おじいさんの地方性を色濃く漂わせた物腰、帽子や手織りの伝統の布には、ジャワやバリや他の地域の文化とは異なる魅力が十分にある。

6月9日3作目(だっけ?)は南スラウェシのSanggar Kreatifによる“Tongkonan”。生演奏での上演で、演奏家と踊り手合わせて15人くらいいたのではなかろうか。結構大所帯だった。私は彼らと同じ安ホテルに泊まっていた。実は私はIPAMの登録上はプレゼンターになるのだが、宿泊はインドネシア人芸術家用の所を希望していたのだ。それで前日の夜にホテルの中庭でやっていた練習も見ていて、正直なところ、その時点ではあまり期待してなかった。ところが、舞台では皆打って変わって魅力的な舞踊家になったので驚いてしまった。特に魅力的だったのが若い男の子達で、日本でアイドル・デビューしても十分通用するくらいなのだ。作品も舞踊と音楽だけで構成された舞台にはドラマ性があり(後で聞くと、物語はスラウェシの民話を基にしているらしい)、次の場面を予期させるようにうまく場面転換がされていた。最後の終わり方にも、また新たなドラマが続いていきそうな余韻が感じられた。さらに臼と杵を使ってそれで音を出したり、餅つき踊りみたいな踊りがあったりするのも、日本人には親近感がわく。それが地方色コテコテでなかったのが良かった。垢抜けたフォークロアという感じだ。

7作目はソロのマンクヌガラン宮から"Srimpi Muncar"(スリンピ・ムンチャル)である。踊り手は4人だが何しろガムラン演奏家の数が多いから、所帯としては一番規模が大きかった。 スリンピというのは女性4人による宮廷舞踊である。マンクヌガランはソロの宮廷の分家になるのだが、スリンピの演目はジョグジャカルタの宮廷から引用している。この演目はメナク物語から取られていて、中国のお姫様とジャワのお姫様が1人の男性をめぐって戦い、中国のお姫様が負けるというお話である。スリンピの形式にするため中国とジャワのお姫様が2組いるという構成で、また普通のスリンピでは4人とも同一衣装を着るけれど、ジャワのお姫様と中国のお姫様の衣装は異なっている。この時の衣装は5年間の留学中に私の全然見たことのないものだった。聞くと、古いアンティークの衣装だという。またいつもの上演と違って、中国のお姫様の化粧と動きがより中国的(あくまでもジャワ人から見て)である。

舞踊はまあこんなものなのだが、私が以前から気になっているのは中国のお姫様の描き方である。このことは初日のRuly Nostalgiaの作品にも言える。Rulyの作品“sKumolobumi”もメナク物語をたたき台にしている。ジャワ人が描く中国人には、釣り目に京劇のような厚い化粧、衣装と化粧に赤を多様し、中国拳法のような、あるいはわざとぎくしゃくした動きを用いるといったステレオタイプが認められる。これは日本人にすると、あまり気持ちの良いものではない。(そう言うのは私だけでなくて、日本人の留学生の多くはそう感じるようである。)日本人なら、こんなにエキゾチック過剰に中国人を描かないだろう。もしかしたら欧米人には「これが中国の姫」というレッテルがあって分かりやすいかもしれないけど、中国ネタのものを日本に持ってくるのは難しい、というか持ってこないでほしいと正直なところ感じている。

以上、舞踊評だかなんだかよく分からない文章になってしまった。その他にも紹介したい作品は多々あるのだけれど、またそのうち書くこともあるかも知れない。IPAMでは欧米基準でコンテンポラリ舞踊と呼べるものも、伝統舞踊、民族音楽ものも多く紹介された。まだきちんと調査していないけれど、従来のインドネシア政府は「多様な地方芸術」としていろんな地方の芸術をパックにして海外に紹介するということに力を入れていたように思う。それは現在でもあるのだが、それだけでなく単品で海外に出せる=売れるものを後押ししようとしている、という気がする。