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2005.11水牛アーカイブ「プカンバルより~第4回コンテンポラリ舞踊見本市~ その2」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。




『水牛』2005年11月号
プカンバルより~第4回コンテンポラリ舞踊見本市~ その2


さて、スマトラ島のリアウ州にあるプカンバル市では私の舞踊がどんな風にとらえられたのだろう。参加者の中で外人らしい外人だったのは私だけだったので、それで注目してもらえたというのは幸運であった。それにインドネシア語でインタビューを受けることができる、というのも良かったのだろう。(英語が話せそうな記者はいなかったから。)私にしても、丁寧なインタビューをしてもらえ、自分の考えをまとまって話せたことは幸いであった。

最初に私の作品について説明しておくと、私のベースはジャワのソロ様式の舞踊で、曲はソロの音楽家に委嘱した。伝統曲と新しく作曲したものが混じっているが、新しい部分も伝統音楽の語法で作曲されている。作品のタイトルは「ON-YO」(陰陽)で、冒頭の歌では古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みのシーンのテキストを使っている。宇宙が混沌から分離生成し死んでいくまでの過程、人の生から死への過程、人と神との合一に至るまでの過程などのイメージを重ね合わせている。

2005 on-yo by zainuddin Boy
写真:Zainuddin Boy

日本語のテキストを混ぜて使っていることは意外だったのか、そのことに言及した評が多かった。実はこれは作曲家のアイデアで、私が意図したことではない。彼はジャワ語と違う日本語の音(オン)の響きを使ってみたく、一部に日本語の詩を入れたいと言ってきたので、それなら冒頭に古事記のそのシーンを使おうと、ひらめいたのだ。私としてはその国生みのイメージを宇宙の始まりのイメージに重ねただけで、あとの歌詞は全部ジャワ語である。ところが、プカンバルの人ならジャワ語のテキストの意味も分からないだろうと思うのだが、それについては全然質問されなかった。日本語の方により意味があると思われたのかもしれない。

ジャワの伝統曲やジャワ語の歌詞を使っていることに対しては、1人(+α)だけ否定的な意見を言った人がいた。スマトラから出演しているグループの音楽家(+その友達)だ。彼は私に、なぜ日本の曲を使わないのか、音楽は自分のアイデンティティと切れないものだから、自分は絶対に出身の地域の楽器と言語にこだわる、と言う。この人は実は全然知らない人ではない。スマトラにある国立芸大の先生だが、私の留学中にソロの芸大・大学院で修士を取っていた。私がソロの芸大・大学院でジャワの伝統舞踊を踊っているのも見ているのだし、それに彼自身も出身地でない地域で勉強するという経験をしているのだから、ジャワの舞踊も私のアイデンティティの一部だと思ってほしかったな、と正直思う。

記者の人や一般の人(ジャワ人以外)からは、「なぜジャワ舞踊をベースにしたのか?」という質問がよくあった。これは今回に限らずよく受ける質問なのだが、質問者が日本人とインドネシア人では少しニュアンスが異なる。日本人の場合は「日本人なのに、なぜ外国の舞踊を選ぶのか?」という意味で質問をしてくる(でも、バレエをやっている人に同じ質問はしないみたいだ)が、インドネシア人だと「インドネシア舞踊の中でもいろいろあるのに、なぜジャワの舞踊を選んだのか?」という意味になることが多い。芸術系の学校や舞踊団体で舞踊を勉強している人は特にそうである。というのは、そういう所ではその地域の舞踊を中心に他地域の舞踊もいろいろと学ぶからだ。いろんな地域の舞踊ができるとインドネシアでは舞踊家としてのチャンスも広がり、また創作にも役に立つ。だから、インドネシアの芸大に留学していろいろ習っただろうに、なぜその中でジャワ舞踊だけを選んだのかと彼らは思うらしい。

さてジャワ人の反応だが、スタッフも参加者も大体知っている人が多かったので、「なぜジャワ舞踊をベースにしたのか?」ということは誰も聞かなかった。しかし作品のジャワ語の歌詞や伝統曲の用い方に敏感に反応する。その1つの感想が、振付が音楽に付き過ぎているというものだ。確かに私は音楽の様式やメロディーを振付では重視する。

ジャワの伝統舞踊では音楽の構成と振付と歌詞が一体化しているのが特徴だ。けれど1970年代にソロで行われていた伝統舞踊改革(PKJTプロジェクト)では、音楽の構造と振付の連関はあまり重視されなかった。(敢えて壊したという側面もある。)またコンテンポラリ舞踊の音楽ということになると、伝統楽器をフル編成の形で使わないという方向に進んでいるようだ。それで楽器なしで踊り手自身が伝統的な詩を歌いながら、あるいは音楽家が詩を歌うのを背景に、踊るということをよくやる。これはインドネシア初のコンテンポラリ舞踊とされるサルドノ・クスモの「サムギタ」(1969年)で既に見られるやり方だ。

私としてはフリーリズムの詩にのせて踊るにも限界があると思っているから、いろんなガムラン音楽の形式を使用したし、伝統的な音楽形式で作曲してもらったけれど、音楽に付き過ぎるのは古いという先入観がジャワ人の間にはあったと思う。そのくせ、振付が歌詞の意味に対応していないと言う人はジャワ人に多かった。

確かに私は振付を歌詞に付け過ぎるのは嫌な性質だ。だから歌詞全体の大体の意味と雰囲気は考慮するけれど、個々の単語の意味に対応するような振付をしようとは初めから思ったことがなかった。おそらく私がジャワ語に精通していても、そういう振付の仕方はしないだろう。それが、ジャワ人から見ると、日本人でジャワ文化への理解が足りないために振付と歌詞の対応まで思い至らない、と見えるらしい。

これらの2点は音楽や歌詞をどの程度まで振付に反映させるのかという問題だ。本当はジャワ人の間でも振付に対する考え方や個人の嗜好によってその程度はいろいろなのだが、こういう見本市のような場になると、どうしても私個人の解釈とは思ってもらえずに、「ジャワ人と違う日本人としての解釈」だと思われてしまう。