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2018.04水牛「別天地」
この文章にも書きましたが、2月半ばから3月半ばまで、1ヶ月間缶詰でインドネシア語を教える研修講師として、別府に行っていました。実はここ3年くらい、毎年3月、8月とこの仕事をやっているのですが、今まではりんくうタウンの研修センターでやっていたのが、今回初めて別府にある大学施設を使っての研修となりました。大分県が誘致したそうです。というわけで、私にとっては初の九州上陸でした。ただ、自宅に戻って後、3月は翻訳の仕事に忙殺され、あっさりした文になっています。

高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年4月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「別天地」を寄稿しました。

高崎山
APUから望む高崎山



別天地

2月から3月の1か月間、インドネシア語を教える仕事で別府にいた。私としては初めての九州上陸。大阪から車ごとフェリーに乗り込み、早朝に別府湾に入ると目に飛び込んできたのが烏帽子のような形の山。あとになって、あれが猿で有名な高崎山だと知る。湾岸沿いには他に高い山はなく、この地と海を見晴らすには格好の場所だ…と思っていたら、四方を見極めることができるため、かつては「四極山(しはすやま)」と呼ばれていたそうだ。豊後守護・大友氏が山城を築き、南北朝時代には九州北朝方の拠点だったらしい。

湾沿いに平地と地獄温泉がへばりつくように広がり、その背後に500m級の山がある。仕事はその山の上であり、山頂からは弧を描いて一面に広がる別府湾と高崎山が一望できる。仕事場には毎日、麓のアパートから車で通っていたのだが、その帰り道、対向車とすれ違うのも難しいような山道のカーブを曲がった所で、ふいに眺望が開けて海が見える。そこからもう少し下るとビバリーヒルズみたいなお洒落な住宅街の一画に入り、下り坂の向こうに真っ青な海面が続く。山道から見るよりも海の色が青いのは、それだけ海に近いのかもしれない。ここからさらに下って麓の高台にある神社からは、眼下の湯煙が上がる地獄温泉の向こうに海が見える…。海なし県育ちの私には、海が見える風景はいくら見ても見飽きず、山と海がある光景こそ日本の原風景のように思えてくるのだった。

そのうちふと、小学生の頃に学校で見た社会科のテレビ番組のことが思い出された。清水市を舞台に農業や漁業の様子が描かれていた。調べてみるとどうやらそれは『ぼくらの社会科ノート』(NHK教育)という番組の「清水篇」だったようである。この番組が心に残っているのも、子供心に、海(海幸彦)の仕事と山(山幸彦)の仕事が産業の基本だと思っていたからだろう…と今にして思う。

別府から戻ってきてこの2週間は翻訳の仕事に忙殺され、自宅に籠っていた。時々2階の窓から遠くの山々を見ても、ここからは山の向こうには山しか見えない。けれど、あの山々に南朝方が籠っていた頃、九州でも戦いがあったのだなあ…と別天地に思いを馳せている。