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2006.01水牛アーカイブ「年末年始の時間~赤穂浪士からとんどまで」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。

昨年9月に2005年12月号をアップして以来、取り紛れてしばらくアップできていませんでしたが、再開します。水牛アーカイブ未掲載分の目次はこちらです。




年末年始の時間~赤穂浪士からとんどまで

年の瀬の追われるようにあわただしい雰囲気の中を駆け抜け、新年に突入してぼーっとする、という日本の年末年始の雰囲気が私は好きだ。

インドネシアでは西洋暦の正月だけでなく、ジャワ・イスラム暦正月、ヒンズー暦正月(ニュピ)に太陰暦正月(スハルト政権が倒れてから祝日に加えられた。中華系の人たちが祝う)が祝日になっている。ジャワで一般の人たちが一番盛大に祝うのはイスラム暦正月だ。宮廷行事や年忌法要、80歳のお祝いなんかはこの暦に従う。また兄弟姉妹が同じ年には結婚式を挙げないという時の暦もジャワ暦で、生活には西洋暦よりもジャワ暦の方が重要だ。

それでもジャワ暦も西洋暦も、大晦日を寝ずに過ごして翌朝の元旦を迎える点は日本の(かつての)正月と同じだ。ジャワだと通りのあちこちで紙製のラッパが売られ、ラッパを鳴らしたり爆竹を鳴らしたりしてにぎやかに大晦日を過ごす。市役所や劇場なんかではワヤン(影絵)や特別豪華版の舞踊劇が催されて人々でいっぱいになる。

ただどちらにしろ、ジャワには大晦日から正月への移行はあっても年の瀬がないという気がしてならない。1年がもうすぐ終わるという追い立てられるような気持ちにならないのだ。旧い年の残りの日々をカウントダウンして、大掃除をして、旧いことは忘れて(忘年)ご破算にして、まっさらの1年に更新しようという気持ちが、ジャワでは沸いてこなかった。暦がたくさんあるのもその一因かも知れない。各正月が巡るごとに追い立てられてはたまらない。あるいは、雨季と乾季のサイクルで巡る国では、時は循環しても前進しないのかも知れない。逆に四季がある日本では、時は循環するにしろ、春から夏を経て秋、冬へとゴールに向かって直線的に進む部分もあるのかも知れない。

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唐突ながら、年の瀬の感を強くするのが赤穂浪士ものの番組だ。日本人は(もちろん私自身も)なんで赤穂浪士の話が好きなのだろう。それはきっと、年末に達成感やこれでおしまい!という気持ちを刺激してくれるからなのだ。12月14日という日も良い。これが暖かく眠気を催す春先だとか、蚊の多い夏だとかだと、討ち入りの悲壮さに欠けてしまって共感できないかも知れない。それに1年の先はまだ長いから、これですべて終わったという心持ちにもなりにくい。やはり寒くなってからがいい。かといって、大晦日近くの本当に忙しい時に討ち入られてもはた迷惑な気がする。正月準備に取り掛かる事始めの日(12月13日)を迎え、なんだか気ぜわしくなってきたところに討ち入りだと、良かった良かった、浪士も本懐を遂げたし、私もこれであとは大掃除と年賀状を出せばおしまい…という気持ちにはずみがつくのだ。

ところで、早や昨年となった12月の始め頃に、赤穂浪士の講談を聞く機会があった。それも別注ネタである。注文主は討ち入り後の赤穂浪士のお預け先となったお家の1つの末裔の方である。そのお家は赤穂浪士へのもてなしがあまり良くなかったと言われているのを口惜しく思い、「大変結構にもてなした」というお話にしてほしいと注文されたのだ。会場はそのお家敷で、八畳座敷を二間続きで使い、床の間を背にした講釈師の前に、その末裔の一家(子や孫も含め)と友人たちの20人足らずが座っている。こんなアットホームな会場に呼ばれたのは初めてですと講釈師も言っていたけれど、こんな風に自宅に芸人を呼んで楽しむのは、現在の日本ではほとんど見られないだろう。今ではなんでも劇場芸術になってしまい、個人がチケットを買って入場するというのが普通だ。このお宅で講談を聞いていると、ジャワの個人宅で催される音楽会だとか影絵だとかを思い出す。ジャワではまだこんな楽しみ方が廃れていない。

それはともかく、昔はある講談を本にするとなると、ネタに関係する大名家などに本をまとめて買い上げてもらいに行ったという。そこで値切られたりすると、講釈師は講談の中でその大名家のことを散々悪く言って恨みを晴らしたらしいのだ。そのために、たとえば蜂須賀家は泥棒呼ばわりされる破目になったという。だから今回別注ネタを注文したお家も、もしかしたらご先祖が協賛金をケチったのかも知れない。そんなことを講談終了後に講釈師が話してくれた。

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こうしてめでたく正月を迎えるのだが、年の瀬がないのと同様、ジャワには正月の時間の長さもない気がする。翌朝は確かに前日よりも静かで、道路には一晩寝ずに騒いだ人たちのラッパやらゴミやらが静かに散乱している。けれど、正月はそれで終わりなのだ。特別にごちそうを食べることもないし、その日の昼からはもう普通の生活に戻ってしまう。

けれど日本でのお正月は松の内の間中続いている。その間に学校や会社は始まっているにしろ、正月気分というのは何となく残っている。松の内の最後の1月15日の夜に青竹を高さ3mくらいに組んで燃やし、正月飾りをその火で燃やす。それがとんどだ。私の地域(奈良県)ではとんどと呼ぶが、他にどんど焼きとか左義長とも呼ばれる。この時、書き初めも一緒に燃やし、それが空高く上がると書道の腕が上達すると言われている。県下には大勢の観光客が見に来るような有名な由緒あるとんどもあるけれど、どの地域でも田圃や広場で普通にやっている(と思う)。

子供の頃はとんどを心待ちにしていた。誰が始めたのか、とんどの夜にかくれんぼして遊ぶという習慣があったのだ。大体中学に上がる頃までそうやって遊んでいた。親も公認で、この日は夜遅くまで遊んでいても叱られなかった。とんどに点火される夜8時頃、子供たちは懐中電灯持参で集まる。しばらくは火に当たりながら書き初めの上がる高さを競い合ったりしているけれど、そのうちかくれんぼになる。思いがけない所、たとえば葉が落ちて裸になった柿の木の上なんかが、夜には立派な隠れ場所になるのが楽しかったものだ。今になって思えば、これでお正月も終わりという気分が子供の側にも強くあったような気がする。夜のかくれんぼは1年に1度、とんどの夜だけの楽しみであった。過ぎ行く正月の最後の夜だからこそ、あんなに時間を惜しんで遊んだのだろう。

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今では松の内の語も7日までを指し、百貨店は2日から営業している。年末の大掃除やお節料理づくりも大層なことはしなくなっている。それでもお正月をはさんで年の瀬、松の内という時間の移り変わりがあることが、私には嬉しい。正月は時間軸上のデジタルな点として存在するのでなくて、旧い年から徐々に新しい年に脱皮して生まれ変わるその時間の幅に存在していてほしい。