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2006.04水牛「ここ10年のインドネシアと日本(3)インターネット」
私は、毎月、高橋悠治氏のサイト『水牛』の「水牛のように」コーナーにエッセイを書いていますが、この執筆は2002年11月から始まりました。同サイトにも私のエッセイのバックナンバーが、「冨岡三智アーカイブ」に掲載されています。しかし、サイトのデザイン変更もあって、今のところは大体2007年頃からの分しか移行されていません。それで、『水牛』のアーカイブに未掲載の分をこちらに掲載していくことにします。

水牛アーカイブ未掲載分の目次はこちらです。

※ 今年の6月頃まで、サイト『水牛』未掲載分のエッセイを本ブログにせっせとアップしておりましたが、いつの間にかすっかり忘れておりました。というわけで、またぼちぼち再開します。



2006年4月号『水牛』寄稿
「ここ10年のインドネシアと日本(3)インターネット」

留学から帰国して間もない頃は、最近の日本はどうなっているのだろうと、せっせと本屋を廻って雑誌を立ち読みしていた。ちょうどスハルト退陣(1998年5月)の頃だ。その頃の女性誌には、「仕事のできるキャリアウーマンは、街角で颯爽とモバイルパソコンを開く」といったイメージを強調する特集が載っていたり、今なら始めからパソコンにインストールされている、簡単にプロバイダ接続できるCDが付録についていたりした。おそらくその頃から、一般個人がパソコンを買ってインターネットを利用し始めたのだろう。

逆に帰国前のインドネシアのソロでは、インターネット・カフェがぼつぼつ登場し始めていたところだった。ジャワの有名な音楽家の死亡ニュースを、ジャワに住む自分達よりも日本にいる友人達の方が先に知っていたと分かって驚く、ということが起き始めていた。おそらくジャワに滞在する欧米人がガムランのメーリングリストに情報を発信していたのだろう。

そういうことやなんかでやっぱりこれからの留学生にはパソコンが必要だと痛感して、それから1年半後の再留学ではモバイル・パソコンを持って行った。ソロにもプロバイダができたと聞いていたし、またインターネット・カフェの数もぐんと増えていた。私の住む市役所の裏辺りでは、徒歩10分以内に3軒ネット・カフェがあった。ちなみにその1軒がクスモ・サヒッド・ホテルに入っているALOHAネットだ。欧米からの宿泊客や留学生がよく利用しているが、インドネシア人も多く利用している。芸大でも学長室や各学科の事務室にパソコンが導入されており、さらにそれから半年か1年の間に、図書館の中に学生向けにインターネット室ができた。こんな具合に、日本で個人所有のパソコンが普及していった頃に、インドネシアでは公的機関のパソコンやネット・カフェが増え、おかげで日本との連絡はとても便利になった。

インドネシアでは、私は普段は自宅でダイヤルアップでインターネットにつないでいた。日本から持っていったモジュール・ケーブルがすぐにだめになり、どこで買えばよいかと大家さん(工務店)に相談すると、通りの向かいの文房具屋で売っているという。行ってみたら、そこではケーブルがメーター売りされていた。好きな長さでカットしてくれて、両端にジャック部分を取り付けてくれるのである。日本では長さを選べるといっても限定されているし、1つ1つパックされている。インドネシアの方が合理的で、それに物価から見てもケーブルの値段は安かった。日本ではなんでケーブル類というのはあんなに高く、しかも包装だけ立派なのだろう。

また液晶画面がどんどん暗くなり、ついに画面が見えなくなるということがあった。私の友人でも、ノートパソコンを使っている数人がこういう目に遭っている。これは、インドネシアでは電圧があまりうまくコントロールされていないから液晶に負担がかかるのだと、インドネシアのコンピュータ屋さんは言う。それで高価な家電品――パソコンとか冷蔵庫とか――を使うときには必ず電圧安定装置(スタビライザー、インドネシアではスタビリザーと発音したほうが通じる)を使い、コンセントに直接差し込まないようにとアドバイスされた。そういえば大学のコンピュータは必ず何かにつないで使っている。あれがスタビライザーだったのだ。大学で使っているような、差込口がいくつもあるようなスタビライザーは結構な値段がするので、1つだけのを買うことにする。これは電気器具屋さんで売っている。インドネシアでパソコンを使おうと思っている人は、絶対にこれを買ったほうが良い。

さて画面が見えないと困る。この頃私は芸大の先生を日本に招聘するため、日本と頻繁に連絡を取っていたからだ。けれど画面だけが使えないので、モニターだけを買ってパソコンにつなげば問題ないということになった。そこで中古モニターを買う。しかし私のはパソコンといってもモバイルなので、普通のパソコン用の周辺機器がそのままでは使えないことが判明。結局日本のメーカーから取り寄せることになるが、これが1万円近くもしたので、頭にくる。なんで日本のメーカーは周辺機器にやたら高値をつけるのだ。しかもそれだけでは直接モニターにつなげなかった。端末のオス・メスが逆になっていたのだ。これはいけずだろうか。さらに頭にきながら、オス・メスをつなぎかえる接続部品をインドネシアで買う。

私が2003年2月に帰国したら、私の持っているモバイルのタイプはすでに製造中止になっていた。3年前、2回目の留学に発つ前まではまだモバイル・タイプが多く売れていたのに、世はすでに大型ノートパソコンの時代となっていた。「キャリアウーマンが街角で颯爽と」というイメージではなくて、年賀状を作ったり音楽や映像を取り込めたりできる性能や実用性が強調されるようになっていて、パソコンのサイクルは速いものだと実感する。

話は戻るが、中古のモニターを買うといってもすぐには在庫がなくて、しばらく待つことにする。その間メールを読む手段はないかとプロバイダに聞いてみたら、ウェッブ上で読めるという。という訳で、この頃はよくネット・カフェに通った。私がよく利用したのは上記のALOHAである。ここが一番近くて回線が速かったからだが、大学の先生や芸術系の知人、留学生なんかがよく利用していると分かる。そういえば、私は舞踊のレッスンを自宅でよくしてもらっていたが、その先生はレッスンのあとに決まって友人とALOHAで会う約束をしていた。そんな風に、ネット・カフェはちょっとした社交場になっている。それでパソコンが直っても、私も時々は知人に会うためにネット・カフェに行くようにしていた。

2003年から毎年夏に、私はジャカルタにも行くようになった。住んでいたのは都心部のカンプン(下町)で、その辺りには都心企業に勤める若い人向けの下宿が多い。そんな地域でネットカフェをなんとか1軒見つけて入ったら、そこでメール通信をしている人は誰もいなかった。皆インターネット・ゲームをしていたのである。客筋は中高生の若い男の子ばかり。壁に貼ってある料金表を見れば、基本料金はソロと同じであるものの、3時間とか6時間とかを超えるといくらという風に割引価格も示されている。6時間くらいゲームをする子もいるのかと思って、驚いた。この地域で遊びに来ている男の子達は明らかに華人系の顔で、察するところ、この辺りの裕福な下宿屋の息子達であろうか。下宿の住人達はたぶんオフィスでインターネット・メールを使い(少なくとも私のジャカルタの知人達のメールアドレスは皆オフィスのものになっている)、下宿近くではしないのだろう。ジャカルタにはソロのような社交場的ネット・カフェはないのだろうか、逆にソロにもこんなインターネット・ゲーム専門のようなカフェもあるのだろうか、と少し興味を覚えている。