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2018.11水牛「芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場」
高橋悠治氏のサイト『水牛』の
2018年11月」(水牛のように)コーナーに、
今月は「芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場」を寄稿しました。


芸大スラカルタ校のキャンパス プンドポと小劇場

今年の4月からいくつかの大学に教えに行っている(インドネシアの言語とか文化とか)。大学によって立地やレイアウトはまちまちだが、ある大学のキャンパスを歩きながら、そういえば留学先の大学もこんな感じで高低差があったなあ…と思い出した。というわけで、今回は私が留学していたインドネシア国立芸術大学スラカルタ校(以下、芸大と略)のキャンパスの思い出の話。

芸大のキャンパス構内は、私が留学・調査していた頃(1996-2007)より建造物が増えたり教室が改装されたりして、今ではかなり感じが変わっている。芸大キャンパスは、プンドポ(ジャワの伝統的なオープンホール)や大小の劇場、野外劇場などが集まっている辺りが道路から近く、土地が平らである。船をかたどった門が設けられて、これが現在の正門だ。そこから南へ坂を下るにしたがって、本部棟や国旗掲揚広場(その前にある門がかつての正門)、事務棟や図書館、影絵科、舞踊科、音楽科、造形科と順々に配置されている。

実は芸大キャンパスがこの地に移転完了したのは1985年で、その前はスラカルタ王宮の一画:サソノムルヨにあった。サソノムルヨには国の芸術プロジェクト=PKJTの拠点や3月11日大学(UNS)のキャンパスも同居していて、これら3つの機関が揃って今の地域に移転した。というわけで、道路から芸大の船形正門を越えてさらに東に行くとUNSのキャンパスがあり、芸大から南下するとPKJTが発展解消してできた中部ジャワ州芸術センター(TBS)がある。

現在でこそ、芸大に各種劇場が揃っているが、私が留学した当初にあったのはプンドポのみ。ここで入学式や卒業式、すべての試験公演が行われていた。余談だが、このプンドポはキブラット(方角)が間違っていたことが完成後に分かったそうで、そのためルワタン(魔除けの影絵)をして、その影絵人形をキャンパスからほど近いブンガワン・ソロ川に流しに行ったそうだ。

閑話休題。ソロはコンテンポラリ芸術も盛んな地域だが、それらも伝統的なプンドポで全部上演してしまうところに、私はジャワの伝統の懐の大きさを感じて感動した。しかし、同じジャワでもジョグジャカルタにある芸大には当時からクローズドの額縁劇場があった。私はむしろそのことに驚いたのだが、それは恐らく、ジョグジャカルタ校には西洋音楽のコースがあったためではないかと思う。実は、首都ジャカルタの交響楽団で活躍する人の多くがジョグジャカルタの芸大出身者なのである。一方、スラカルタの芸大のカリキュラムには西洋音楽の実践は全然なかった。ピアノを使うのも国歌、校歌を歌う時だけ…という状況だった。

そんな芸大にクローズドの額縁舞台の劇場が建ったのは1997年末か1998年早々で、こけら落とし公演がサルドノ・クスモ作『オペラ・ディポネゴロ』だった。だが実は、この公演時に劇場の電気系統はまだ完成しておらず、発電機を持ち込んでの上演だったと後で聞いた。当時、アジア通貨危機に見舞われて工事は中断し、2000年に私が再留学してきた後に工事が再開した。小劇場が完成した後、舞踊の試験公演はすべて小劇場で上演されるようになり、同時に多くの有料公演もそこで上演されるようになった。スハルトが退陣しオトノミ・ダエラー(地方自治)体制となったことで、それまで入場無料だった試験公演が有料化された。折しも、インドネシアではアートマネジメントの必要性が叫ばれるようになった。国際交流基金がその専門家をインドネシアに招聘したり、現地の財団が公演制作者の育成プログラムを始めたりしていた。というわけで、スラカルタの芸大では2000年前後がプンドポ芸術から劇場芸術への転換点(少なくとも舞踊にとって)だったと言える。

とはいえ、欧米の劇場と全然違うのがクローズドの度合いである。壁は薄く、劇場外の音もよく聞こえる。さらに外からいろんなものが入ってくる。小劇場のこけら落とし『オペラ・ディポネゴロ』公演では、よりにもよってクライマックスのシーンとした場面で、トッケイ・ヤモリの「トッケイ…トッケイ…」という連続する鳴き声が響き渡った。また、小劇場ではないが、プンドポの裏にある録音室で私が舞踊曲の録音をしたとき、一度バッタが入ってきて中断したことがある。トッケイやバッタをシャットアウトしてこそのクローズド劇場だと思うのだが、これでは音環境についてはプンドポと変わらない…(笑)。(つづく)