2007年2月7日 春節(Imlek)
2月7日は中国の旧暦正月である春節。当然、華人系インドネシア人たちもこの日を祝う。インドネシア語ではImlek。インドネシアでは、1965年9月30日事件以来、スハルトによって共産党が非合法化され、華人文化が抑圧されていたのだけれど、スハルト退陣後の2000年にそれらが解除された。(ちなみに私は2000年から2度目の留学をしていた)そして2002年からは春節も正式に国民の祝日となり、2006年からは、儒教が6番目の公認宗教に認められるようになった。(ちなみに私は2006年から、今度は留学でなくて調査なのだけれど、3度目の長期滞在をしていた)
そして、昨年12月始めにジャカルタに行ったら、タマン・ミニ公園では、儒教コーナーの造成をやっていた。この公園はスハルト夫人の構想で1972年にオープンしたもので、インドネシアの各州の伝統家屋が再現されていたり、各宗教のコーナーがあったりする。儒教公認を受けて、新しくコーナーを作ることになったらしい。たぶん2008年完成は無理と言っていたけれど、いつできるのだろう。
春節といえば、私は2003年の春節の日(もう2度目のインドネシア留学も終わりの頃)に行われた公演に出演したことを思い出す。その日は朝から大雨が降っていて、ちょっと気が滅入っていたのだけれど、インドネシア人の友人が、「中国では春節に雨が降ると豊作だというから、この公演も祝福されているのよ。」と言ってくれたのだった。その後帰国し、日本に留学している中国人の友人に、「春節の日に雨が降ると、中国では豊作になるって言われているそうですね〜。」と言うと、彼女は、「え?それは雨じゃなくて雪なんだけど…」と言う。雪が降るなんてインドネシアでありえないから、雨が降れば豊作という風に言い換えることにしたんだろうか…?
- [2008/02/08 23:25]
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マンクヌガランの即位記念日
1月19日にソロのマンクヌガラン王家で即位記念日の式典があったというニュースを「http://lambangsari.blogspot.com/」で読みました。<というわけで今日はマンクヌガランの即位記念日についての思い出を書くことにします。
今年の即位記念日では、ブドヨ「アングリル・ムンドゥン」とスンドラタリ「アルジュノ・ウィウォホ」が上演されたそうです。
実はマンクヌガラン王家では、即位記念日にやる演目は固定していません。ソロのもう一方のススフナン王家=クラトンが、重要な王家の舞踊演目として「ブドヨ・クタワン」を伝承してきたのとは違って、そういう伝承がないマンクヌガランでは、即位記念日は時代に合わせて一種のイベント化しています。これは、私の勝手な言い草ではなくて、マンクヌゴロの弟で芸術関係の責任者であるヘルワスト王子の言です。
それでは即位式にやる演目は何か。私が留学していた時はブドヨ「アングリル・ムンドゥン」かブドヨ「スルヨ・スミラット」を数年ずつ交代でやっていましたが、最近はどうやら「アングリル・ムンドゥン」に限定してきているようです。
「アングリル・ムンドゥン」といえばクラトンのスリンピが知られています。実は「アングリル・ムンドゥン」は元はマンクヌゴロI世から1790年にクラトンに献上された作品です。詳細が違う話がいくつかありますが、私が師匠のジョコ女史から聞いている話は次のようなものです。
元々マンクヌガランでは3人で踊るブドヨだったが、事情があって上演しなかった。その後踊り子ごと舞踊作品をクラトンに献上し、クラトンではそれに1人足して、4人のスリンピとして上演するようになった。
かつては、マンクヌガランの即位式でその3人構成のブドヨが上演されたときもあります。私の師匠はそのときに構成を頼まれました。しかし現在のブドヨは7人編成で、これは故ガリマン氏が手がけたものです。ちなみにマンクヌガラン家やクラトンの重臣の家では、クラトンと同じ9人のブドヨを作ることは許されていないので、7人で上演されます。
この演目はマンクヌガランの宝とすべく、クラトンにお願いして返してもらったそうで、かつクラトンと同じにならないように、後半の曲を変えてあります。こういう風に、クラトンと同じにならないように、曲の一部を変えるということはよくあります。
それで振付ですが、前半は曲の長さも振付もまったくクラトンと同じで、4人のフォーメーションを7人にしただけです。しかし後半の曲は、すでに時代を反映していて短くなっているため、元のスリンピにある振りを使いながらも、新しいフォーメーションに合わせてアレンジされています。
またこのブドヨでは弓を持つのですが、クラトンのスリンピでは弓は使いません。ただし、元々振付にパナハン(弓を射る)という動作があるので、弓を持つのも矛盾はありません。
マンクヌガラン王家の「アングリル・ムンドゥン」には2種類の衣装があります。どちらもアラス・アラサン(森羅万象の模様)のドドットという衣装で、早い話が結婚式のときの衣装です。私は両方とも見たことがあって、1つはマンクヌガラン・オリジナル制作のもの、もう1つはバティック作家イワン・ティルタ氏が制作したものです。イワン・ティルタ氏の方はやはり金泥もたっぷりと華やかなものですが、舞踊の衣装としてはマンクヌガラン制作のほうが控え目で私は好きです。
★
さてさてスンドラタリ「アルジュノ・ウィウォホ(アルジュノの饗宴)」が上演されたのがなぜか、については私は分かりません。スンドラタリというのは舞踊劇のことです。ただ昨年(だったか?)のマンクヌガランの戴冠式では「アングリル・ムンドゥン」以外にワノロだったか、おサルさんの踊りがありました。先のヘルワスト王子が主催する舞踊団「スルヨ・スミラット」(実はスルヨ・スミラットとはマンクヌゴロI世を指します)で学ぶ子供たちがた〜くさんサルで出演しました。私の師匠の孫もこれで出演してました。ブドヨの上演はやっぱり儀礼的な雰囲気を醸し出しますが、サルは明らかに余興です。「アルジュノ・ウィウォホ」の出演者までは分からないのですが、これも余興的なものだろうな〜と想像しています。
- [2008/01/20 02:10]
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2008年1月9日のキラブ・プソコ
2008年今年の1月10日(木)はジャワ・ イスラム暦1429年正月ですが、その大晦日には王家でキラブ・プソコKirab Pusakaと呼ばれる行事があります。
王家の家宝=プソコである聖なる武器(槍が多い)が市街を巡回するというものです。プソコの霊力によって町を浄める意味があります。武器の後ろに、宮廷の家臣たちや、さらにその巡回の後に続こうと願い出た村々の人々が続いて歩きます。
マンクヌガラン王家の方が先で、確か夜8時頃から始まります。私が見たときは、プソコは宮廷の外側の壁を1周しか巡らなかったのですが、宮廷家臣らは引き続き廻って計7周するそうです。しかし、後で述べるようなスラカルタ宮廷=クラトンのキラブに比べると、あっさりしています。けれど、キラブが出発するここのプンドポは作りが大きくて開放的で、出発前の儀礼も見れて良いものです。
クラトンの方は夜中の0時に始まります。武器の先頭をKyai Slametという牛が進みます。この日は普段は閉じられているカマンドゥンガンの正面の扉が開き、中で終結していたプソコや人々があふれ出てきます。この扉が開く瞬間には、ものすごくエネルギーを感じます。
行列はそこからまっすぐ北に進み、庭アルン・アルン、郵便局を過ぎて東に曲がり、電話局を通り、次にパサール・クリウォンの交差点から南下していってフェテラン通りに入り、ずっと西へ進み、それから、スラマット・リヤディ通りに向かって北上します。確かパサール・ポンの交差点に出てきたような…。その後はスラマット・リヤディ通りをずっと東に進んで、宮廷に再び戻ってくると明け方5時頃になっています。
なんで詳しくルートを知っているかというと、私も2000年頃にこの行列について歩いたことがあったからです。しかし、牛の歩みに合わせて歩いていくというのはとても大変。何しろこのキヤイ殿(牛)に食べ物を上げると良いことRezekiがあるというので、食べ物を差し出す人が多いのです。
そして、昨年からはジャカルタのタマン・ミニ公園でもこのキラブが行われています。私は12月にジャカルタに行ったとき、政府の信仰局長から「キラブがあるから来てね〜」と言われておりましたが、行けてないです。実は、タマンミニでキラブが行われるのはまったく新しいことではないのです。1970年代にスハルトの指示で行われていたのですが、そのうち止めになりました。
実はスラカルタでやっているキラブも、タマンミニと同様、1973年頃にスハルトが宮廷に依頼して始まったものです。宝物巡回という伝統自体はヒンドゥー・ジャワ時代に由来するらしいのですが、現在行われているのは比較的新しい行事なのです。そこには、クラトンの霊的な力によって国家を浄めたいというスハルトの思惑があったと推察されます。一方、クラトンにおいてもこの行事は神聖なもので、この日のキラブに参加する王族、宮廷家臣、村々から来た人々はみな黒色、あるいは暗い色のクバヤ(上着)を着ます。そして行列に加わるものは皆無言です。話してはいけません。そういうクラトンの真摯な取り組みが霊的なパワーを増幅させているのでしょう。
- [2008/01/11 23:10]
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ジャワの大雨
今、中部ジャワ(ソロやカランアニャール)では大雨洪水に見舞われているようです。
ソロで歴史的な洪水といえば1966年にありました。私の舞踊の師の家でも、雨がここまできたという線が柱に残っています。私の背丈くらい水に浸かったようです。私の師はクラトンの壁の中の地区=バルワルティに住んでいますが、その地区の人は皆、クラトンのシティヒンギル(高い所という意味がある)に逃げたということでした。そこだけは水に浸からなかったそうです。
またマンクヌガラン宮では、雨に浸からないよう大急ぎでプンドポに車を上げたということでした。いったいどうやって車を上げたんだろう…
そうやって大洪水に見舞われたため、私の師の家ではそれ以前の古い写真なんかが全部流されてしまったのです。昔の舞踊のことを調べるのに、これほど残念なことはありません。家の権利書だとかを持ち出すので精一杯で、アルバムまで持ち出せなかったとのことでした。
- [2007/12/30 01:49]
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ジャワのこうもり
今日テレビで「世界・ふしぎ発見!」を見ていると、ボルネオ島の洞窟でコウモリの大群が飛んでいくシーンを映していました。まるで竜が空に昇っていくような壮観な眺めです。
実はソロのクラトン(王宮)にも、あの洞窟に負けず劣らずだと思えるくらい沢山のコウモリが棲んでいます。私が見たのは一度だけですが、確か夕方5時過ぎ頃、クプトレン(後宮)の屋根の破風が黒い煙を吐き出すようにコウモリの大群が出てきて、クラトンの上空で何度かとぐろを巻いたあと、どこかへ飛んでいきました。
明らかに鳥の羽音とは違う、きしむような感じの音が辺りに響いたので―あれが超音波だったのでしょう―、あれは何かと聞いたところcondot(フルーツコウモリ)ということでした。クラトンには往時のように多くの人は住んでいないし、手入れされていない建物も多くあるので、コウモリには棲み心地が良いのでしょう。あるいは昔から共存していたのかも知れません。
ジャワの王は南海に棲む女神ラトゥ・キドゥルに守られているという伝説があります。この女王は精霊を統べる女神であり、コウモリも女王に与しているのかも、と本気で思える光景でした。
- [2007/12/30 01:22]
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ジャワのある村長さんの話
ここのところ忙しくて、世間とはテンポがずれています。
大阪市長選では、橋爪先生当選ならず…で残念でした。
大阪の希望の星だったのですが。
さて、ここで(いつも通り)唐突にインドネシアの話になります。私が留学していたインドネシアの国立芸術大学スラカルタ(ソロ)校で、あるとき、振付の授業の課外授業がありました。どこぞの村に行って、田圃で(泥まみれになって)インプロビゼーションで踊るというものです。私は遠いので参加しなかったのですが、後からその授業を企画した先生に、誰が田圃を貸してくれたの?と聞いてみました。そんなことに田圃を貸すなんて酔狂な人は、ジャワでだって、そんなに多くありません。(多分)
そうしたらなんと、芸大の舞踊科の卒業生で村長さんになった人がその活動のために場を提供してくれたのだそうです。踊り手や踊りの先生としてだけではなくて、場を提供することで芸術を支える人になる、という生き方もあるのだなと思ったことでした。
- [2007/11/22 14:46]
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断食明けのグヌンガン
2007年10月13-14日 Idul Fitri
断食が明けました。(この記事、ワンテンポ遅れてますが…)
ジャワのクラトンKaraton=王宮では、1年に3回、イスラムの重要な儀礼の日に、グヌンガンGununganが王宮から大モスクにお渡りする。この行事のことをグレベッGrebegという。グヌンガンとは、野菜やらの食べ物で作られた神輿のようなもので、雄雌がある。一般的にはスカテンSekatenという行事の最後の日に出るのが知られているけれど、実は断食明けの2日目にも出る。とはいえ、みんな親族集まって過ごすから、このときのGrebegはガラガラである。スカテン時はものすごい人出でスリも多いけれど、一度グヌンガンというものを見てみたい人には、この断食明けの時に行くのをお勧めする。
●Grebegの種類
Grebeg Besar−Idul Adha(犠牲祭)の時に、グヌンガン雌雄1対出る。
Grebeg Mulud−Maulud Nabi Muhamad SAW(モハメッド降誕祭)の時に
雌雄2対出る。
スラカルタ、ジョグジャカルタ、チレボンの王宮モスクでは、この降誕
祭までの1週間、巨大ガムラン=スカティがひっきりなしに演奏され
る。これがスカテンSekaten。
Grebeg Pasa−Idul Fitri(断食明け)の時に、雌雄1対出る。
※グヌンガンは、一般の年は上記の通り1年に4対出るのだが、8年に一度巡ってくるDal年には、いつもの倍の8対が出る。
- [2007/10/17 02:25]
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断食中の練習―スリクランselikuran の後
断食の間は舞踊やガムランの練習がない、と昨日書いた。たしかに王宮では丸々1ヶ月何もないのだけれど、巷では、スリクランselikuran(21日)とよばれる断食開始後20日目の夜(=21日になる前夜)が過ぎると、練習が再開することが多い。
このスリクランの日に、ソロでは王宮からスリ・ウェダリ劇場までキラブKirab(=パレード)が出る。王族や貴族達、家臣たち、お供え物、チョロバレン音楽(ガムランの古い形式の1つ)、いろんなイスラム音楽団体によるサンティ・スワラン(ジャワ化したイスラム歌唱)の行列が続き、スリ・ウェダリ劇場に着くと、いろんなお祈りやらがあってお供え物が配られる。
この日を境に毎晩、あちこちで夜市(pasar malam)が開かれ、そこではいろんな催しも開かれ、断食明けまでの残り10日間を、人々は浮き浮きと過ごす。
そんな中、おじさんたちが集まるガムランの定期練習なんかも、グループによっては再開する。ただし、通常は夜の練習というと夜8時頃から始まることが多いのだけれど、断食中は夜9時頃からとなることが多い。みんな、夜6時半頃から毎日の断食明け(buka puasa、※断食は日の出から日没まで行う)のごちそうを食べてゆっくりするからである。
- [2007/10/12 22:16]
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断食期間中の楽器のお清め(Jamasan Gamelan)
断食の1ヶ月間は、ガムラン音楽や舞踊の練習はお休みになります。宮廷では楽器を鳴らすことは許されず、この期間に楽器を洗い清めます。
以下の写真は2006年10月9日、マンクヌガラン宮でのKyai Udan Arum, Kyai Udan Asihという銘の楽器のお清めのときのものです。これらの楽器には魂が込められ、イスラム聖人と同じくKyai〜と呼ばれ尊ばれていますので、最初にお供えをして、これからお清めをする許しを得るために祈り、皆でそのお供えを食べてから、洗いに取りかかります。
王宮ではガムランといっても何セットもあります。順に洗っていき、予算の都合で翌年以降に廻されるものもあります。このKyai Udan Arum(香りの雨), Kyai Udan Asih(慈しみの雨)の2セットも、当初は来年に廻すということだったのですが、急遽今年(2006年)洗うことになったというので、私も駆けつけました。
この2セットは王宮らしい豪華なセットで、サロン類の数がやたらに多い、ということは演奏するのに通常のガムラン・セットより多くの人出を必要とするので、なかなか演奏に使われることがありません。私は、2000年、2001年のマンクヌゴロ王の即位記念日で"Bedhaya Suryasumirat"が上演された時にこの楽器を初めて見たのですが、それ以降は使われていないということでした。
【写真1】
お供えは、まあ普通のものです。写真上にあるのがナシ・トゥンパン nasi tumpeng (円錐状のご飯)、写真中がバナナ、果物類とジャジャン・パッサール jajan pasar(市場で買ってくるおやつ)です。jajan pasarといっても、普通は、田舎の人が市に売りに来る手作りおやつが入っているものですが、マンクヌガラン宮のjajan pasarでは市販のパンがよく使われます。確かに買ってくるお供えものというカテゴリーには入っているのですが…。
【写真2】
楽器を安置する部屋の前で、全楽器を代表して4台のサロンを置きます。お香を焚き、水にバラの花びらを浮かべて(kembang setaman)、お祈りをします。
【写真3】
バラの花びらを浮かべた水で、楽器の鍵盤も胴部も洗います。
- [2007/10/11 17:56]
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断食明け(Idul Fitri)と1年忌
1ヶ月間続いていたイスラム教の断食が、10月13日に明けます。私の許にも、もう断食明けの挨拶メールが届き始めました。ただムハマディアは観測法の違いで、明ける日にちが12日になります。
昨年の場合だと、政府発表の断食明けの日は10月24日でした。それで、24,25日(火、水)が祝日(Idul Fitriの祝日は2日あります)、23日(月)と26日(木)と27日(金)がcuti bersama、日本で言うところの国民の祝日?でしょうか。結局、21日(土)〜29日(日)までが連休となりました。昨年の日記を読み返していると、私の家のある地域では、10月23日の日に断食明けを迎えていたので、ムハマディアが多かったみたいです。
インドネシアでは、断食明けの日に、一族の最長老の人の家に集まります。私が舞踊を師事していたジョコ女史は、兄弟姉妹の中で最年長になっていたので、いつも一族はジョコ女史の許に集まってきました。昨年ジョコ女史は断食明けの日に一族皆に囲まれたあと、11月7日に再入院、8日に帰らぬ人となりました。断食明けで皆に会えた後で亡くなるなんて、いい往生だったなと思います。
というわけで、先生の本当の1年忌の日は、断食明けの2週間後くらいになるのですが、断食明けで一族が集まった時にやることになりました。断食が明けて2週間後というのは、ちょうど仕事も通常業務に戻った頃で、休みも取りにくいからということです。先生の子供たちはソロで同居していた末娘の他、ジャカルタ、スマラン、スラバヤに散らばっているのです。
日本同様、ジャワでも、年忌の法要の日にちを変更する必要があるときは前倒しにし、結婚式などのお祝い事は後ろ倒しにするとのことでした。故人の霊は法事を心待ちにしているので、早めにしてあげると喜ぶのだ、と私の母は言っておりましたが、ジャワでもそうでしょうか。
- [2007/10/10 22:33]
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