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2023.10水牛「ジャワ舞踊のレパートリー(2)男性舞踊」
※ 実は10月にアップし忘れていて、2023.11.6にアップしました。

高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2023年10月」(水牛のように)コーナーに、
ジャワ舞踊のレパートリー(2)男性舞踊」を寄稿しました。

本記事 https://suigyu.com/2023/10#post-9309
冨岡三智バックナンバー https://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka


ジャワ舞踊のレパートリー(2)男性舞踊
冨岡三智


先月に続き、今回は男性舞踊優形のレパートリーについて。私がインドネシア国立芸術高校スラカルタ校に留学したのは1996年3月~1998年5月、2000年2月~2003年2月の2回。男性舞踊については留学後にゼロから始め、芸大の授業履修と教員のパマルディ氏に師事と両輪で進めた。女性舞踊と違ってまだほとんど見通しがなかったので、パマルディに選曲してもらった基本的な演目をやることになった。以下、★印は日本あるいはインドネシアで上演したことがある曲。

最初の留学で習った演目を順番に挙げるとまず「タンディンガン」、次いで「トペン・グヌンサリ(ガリマン版)★」で、これらは1年生後期の授業内容である。1セメスターで2曲習う。留学してクラスに入った時にはすでに授業が始まっていたので、クラスの内容を追いかける形でレッスンを始めた。「タンディンガン」(戦いの意)は芸大では男性舞踊の基礎としてラントヨ(セメスターI)の次にやる演目として位置づけられ、男性優形のクラスでは優形の人物2人の戦い、男性荒型のクラスでは同じ曲で荒型2人の人物の戦いとして同一曲で練習する。戦いものの練習曲だが人物設定はないので、自分でキャラクターを設定したり、また荒型×優形のように組み合わせたりして上演できるようになっている。

その後は「パムンカス」、「メナッ・コンチャル★」、「ガンビルアノム」、「トペン・グヌンサリ(PKJT版)★」といった単独舞踊を習う。これまで挙げた6曲にはすべて市販カセットがある。トペン~とあるのは仮面舞踊で、パンジ物語出典の舞踊は仮面を使う。「メナッ・コンチャル」については『水牛』2014年2月号、2つのグヌンサリについては『水牛』2014年4月号に寄稿した記事で書いているので参照を。「パムンカス」以外はキャラクターがある。パマルディ氏曰く、ここまでは基本的な舞踊なので、アルスをやるなら全部やりなさいとのこと。単独舞踊としては芸大には他にワハユ・サントソ・プラブォウォ氏の振り付けによる「ブロマストロ」があるのだが、それは習っていない。パマルディ氏曰く、それはもう少し難しい曲だから、基礎演目をやったあと自分の方向性として強いキャラクターをやりたいなら習ったらいいという話だった。

2回目の留学ではパマルディ氏は一層忙しく、また当時は現代舞踊・創作を教えることが多かったので、私は授業だけでなんとかマスターし、試験も受けた後でパマルディ氏に見てもらってアドバイスしてもらうという形にした。以前に習った曲を再度授業で履修しつつ、新たに「パンジ―・トゥンガル★」、「カルノ・タンディン」、「パラグノ・パラグナディ」、それから「バンバンガン・チャキル」を履修する。これらには市販カセットがなく、芸大が授業用に録音したものを使う。いずれも芸大で3年生後期以降のカリキュラムだ。前の3曲は古い宮廷舞踊を復曲させたもので、アルスの極みのような曲。「パンジー」は単独舞踊(トゥンガルは1人の意)だが、もともと2人でやる曲を1人でできるようにガリマン氏がフォーメーションを変えたもの。この曲については『水牛』2015年10月号に寄稿した記事「パンジ・トゥンガル」を参照。次の2曲は戦いもの。優形同士のキャラクターの戦いである。「カルノ・タンディン」は複数つながっている曲の最初が、スリンピでも使う「ゴンドクスモ」。グンディン・クタワン形式の曲で、この形式の曲はスリンピでいくつか使われるけれど宮廷舞踊らしい曲でラサ(味わい、感覚の意味)を出すのが難しい。「パラグノ・パラグナディ」は戦いの場面に続くシルップの場面でイラマIVが出てくるところが難しい。このテンポが出てくるのは、私が知る限りではこの舞踊だけ。

「バンバンガン・チャキル」は見目麗しい武将と羅刹チャキルの戦いもので、チャキルは荒型である。昔から商業ワヤン・オラン舞踊劇で人気の、スラカルタを代表する演目だ。この演目についても『水牛』2004年6月号に寄稿した記事「バンバンガン・チャキル」で書いている。この授業では、学生はチャキルを踊ってくれる相手方を自分で探し、授業外に自分たちで振付を考えて試験に臨む。相手役は同じクラスの人でも、他のクラスや学年の人に頼んでも良い。決まった振付がないのは、昔から踊り手が振り付けるのが伝統だからとの理由だったが、4年生後期のカリキュラムになっているので、自分で振り付られるようになって一人前ということなのだろうとも思う。

留学を終えて2003年の夏、ジャカルタで「スリ・パモソ★」を習う。これは宮廷舞踊家クスモケソウォ(私の宮廷女性舞踊の師匠であるジョコ女史の舅)の曲で、2003年2月に上演された。その経緯については、2020年11月号『水牛』に寄稿した記事「『スリ・パモソ』作品と復曲の背景」に詳しいが、その時に復曲させ踊ったスリスティヨ・ティルトクスモ氏に習った。私はその復曲の過程も見ていて、さらにその曲も自費録音させてもらっていたので、格別の思い入れがあった。
ハルジョナゴロ氏のビデオ公開
明日10月2日はインドネシアではバティックの日です。バティック作家として有名で、スカルノ大統領の要請でバティック・インドネシアを作ったハルジョナゴロ氏のドキュメンタリ―映像を、氏の事業を継承しているNdalem Hardjonegaranの了承も得て公開しました。2007年にNdalem Hardjonegaranで氏と面会した際に記念にいただいた映像です。

"Bung Karno dan Hardjono Go Tik Swan"
https://youtu.be/TKiNWIQnmGk

9/17ジャワ舞踊基礎(ラントヨ)ワークショップ
9/17のジャワ舞踊基礎(ラントヨ)ワークショップも無事終了しました。今回も奈良県北部から2人の参加です。6月以降やってきた内容を振り返ってみました。

6月…歩く動き:右のレンベハンと左のレンベハンと、つなぎの動き:ニグル
7月…歩く動き:ナユンを追加。(8月にやった内容も先取りした?かも…)
8月…歩く動き:クプトレンとつなぎの動き:スリシッ~シンデッを追加
9月…座って合掌する部分を冒頭につける、歩く動き:リドン・サンプールとつなぎの動き:オンババニュ・スリシッ~シンデッを追加。

1回目参加の人が帰った後の回では、つなぎのサブタンの動きを追加。
1回目だけ参加される方と2回参加される方がおられますので、2回目の回では次回を先取りする内容を入れています。

来月は10/22(日)14:00~です(第3日曜日ではありません)。来月でラントヨⅠは一通りできそうです。
2024年インドネシア祝日
2024年のインドネシアの祝日

1月1日(月) 新年

2月8日(木) ムハンマド昇天祭
  9日(金) 有給休暇取得奨励日
  10日(土) 中国正月

3月11日(月) ヒンドゥー新年(ニュピ)
  12日(火) 有給休暇取得奨励日
  29日(金) 聖金曜日
  31日(日) イースター

4月8日(月)〜9日(火) 有給休暇取得奨励日
  10日(水)〜11日(木) 断食明け大祭(イドゥル・フィトリ)
  12日(金) 有給休暇取得奨励日
  15日(月) 有給休暇取得奨励日

5月1日(水) メーデー
  9日(木) キリスト昇天祭
  10日(金) 有給休暇取得奨励日
  23日(木) 仏教大祭(ワイサック)
  24日(金) 有給休暇取得奨励日

6月1日(土) パンチャシラの日
  17日(月) 犠牲祭(イドゥル・アドハ)
  18日(火) 有給休暇取得奨励日

7月7日(日) イスラム新年

8月17日(土) 独立記念日

9月16日(月) ムハンマド生誕祭

12月25日(水) クリスマス
   26日(木) 有給休暇取得奨励日

※2023年9月12日発表
出典) https://plus62.co.id/archives/28378
2023.09水牛「ジャワ舞踊のレパートリー(1)女性舞踊」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2023年09月」(水牛のように)コーナーに、
ジャワ舞踊のレパートリー(1)女性舞踊」を寄稿しました。

本記事 https://suigyu.com/2023/09#post-9267
冨岡三智バックナンバー https://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka


ジャワ舞踊のレパートリー(1)女性舞踊
冨岡三智


突然ながら、今までどんなジャワの伝統舞踊(スラカルタ様式)を習ってきたのか、レパートリーを振り返ってみよう。何をどのように習っていくのか、その方法は様々で人によって違うことと思う。自分がやってきたことを振り返るのは恥ずかしく、また誰の参考になるものでもないけれど、ご笑覧下さい…。

私がインドネシア国立芸術高校スラカルタ校に留学したのは1996年3月~1998年5月、2000年2月~2003年2月の2回。その後、同大学大学院をカウンターパートとして、2006年8月~2007年9月に宮廷舞踊調査(公演や記録制作の活動)していた。留学以前に、短期で4回(1か月ずつ)現地に舞踊を習いに行っている。その2回目の短期渡航(1992年)から女性舞踊を師事したのがジョコ・スハルジョ女史で、その当時はジョコ女史はまだインドネシア国立芸術高校スラカルタ校を定年になっていなかった。その時にはまだ気づいていなかったが、スラカルタ宮廷舞踊を全曲修得していたジョコ女史に巡り合えたことは僥倖だった。私は女史が亡くなる2006年までずっと師事することになった。

私が通算5年余にわたる留学で一番やりたかったのは宮廷舞踊:スリンピ10曲とブドヨ2曲の完全版を師匠のジョコ女史から全曲修得することで、幸い目標を達成できた。習った曲名を挙げると、スリンピでは「アングリルムンドゥン」、「ゴンドクスモ」、「ラグドゥンプル」、「スカルセ」、「ロボン」(ここまで完全版で上演済)、「ルディラマドゥ」、「サングパティ」、「タメンギト」、「グロンドンプリン」、「ガンビルサウィット」で計10曲。ブドヨでは「パンクル」(完全版上演済)と「ドゥロダセ」の2曲。実は完全版を習う前にジョコ女史が手掛けた「ゴンドクスモ」短縮版も習ったが、短縮版で習ったのはこれだけである。芸大の短縮版と違っていて非常に勉強になったけれど、やはり長いバージョンの方が充実感があって好きだなあと思う。

宮廷舞踊(スリンピ・ブドヨ)と対極にあるのが民間舞踊(ガンビョン)で、私はこの対極にある舞踊を二本柱にしていた。ガンビョンは太鼓のリズムにのって踊るもので、自分で太鼓の手組を考えたいと思い、太鼓も習っていた。まず、とりあえず入手できる音源は全部踊れるようになりたいと思い、次のような曲を習う:「パンクル」、「パレアノム(ガリマン氏版)」、「パレアノム(PKJT版=2ゴンガン版)」、「パレアノム(ジョコ女史版=3ゴンガン版)」、「ガンビルサウィット・パンチョロノ」。ちなみにゴンガンとは曲の長さのこと。これらは市販の音源がある。他に、芸術高校自主録音の「アユン・アユン」(4ゴンガン、ジョコ女史版)、ジョコ・ワルヨ氏が太鼓を叩いている市販カセット2本。1本は私がどこかの店で買ったもの、もう1本は太鼓の先生が持っていたものだが(テープは半ば伸びていた)、どちらもその後どこの店でも見かけたことがない。古くて再版されなかったものかもしれない。それ以外に、市販のカセットにない太鼓の手組を習いたくて、マルトパングラウィットの太鼓の本に採録されている古い手組を太鼓の先生に叩いてもらって録音し(10ゴンガン、太鼓の音のみ)、それをジョコ女史の所に持って行って習った。

それ以外の曲でジョコ女史から習ったのが「ゴレッ・スコルノ」、「ルトノ・パムディヨ」、「ゴレッ・マニス」。どれも留学前から習っていた曲で市販カセットがある。1,2曲目がクスモケソウォ(ジョコ女史の舅)の曲だが、実は市販カセットは短縮版である。ジョコ女史によると、カセット会社はテープの片面(30分)に2曲収録したいため、長い曲は短縮するようにと要請してくるのだそうで、これらの短縮はジョコ女史が手掛けたという。私は元の完全版も習いたかったので、どちらも完全版を自主録音した。

さらに、ジョコ女史が振り付けた「クスモアジ」も習う。この舞踊作品については『水牛』2020年8月号に寄稿した「ジャワ舞踊作品のバージョン(8)『クスモ・アジ』」で書いているけれど、結婚式で夫婦神が新郎新婦を祝福するために降りてくるという内容で、男女ペアで踊る舞踊で私が習ったのはこれだけである。他の人が振り付けたこの種の舞踊は男女がラブラブな感じで踊るので(演出にもよるが)、私には気恥ずかしい。実はこの曲も録音の準備を進めていたのだが、先生が亡くなるなどで取りやめになってしまった。

最後に、マンクヌガラン王家の「ゴレッ・モントロ」最短版も習ったことがある。同王家の太鼓奏者ハルトノ氏の息子さんの結婚式にミチも踊ってくれと言われて(私は氏が指導するガムラン練習に参加していた)、2,3か月くらいせっせと舞踊練習に通い、多くの踊り手たちと一緒に出た。踊ったのはこの時限りなので、もう忘れてしまった。この王家の舞踊はかわいらしくて好きなのだけれど、どうも自分にはその可愛さが足りない…と気になってしまう作品。
Panggung Maestro公演映像公開
先月の7月5~6日に”Panggung Maestro”という公演がジャカルタの芸術劇場(Gedung Kesenian Jakarta)でありました。教育文化省文化総局のインターネットチャンネルIndonesiana TVの記録(Dokumentasi)コーナーに映像がアップされましたのでご覧ください。
➡ https://indonesiana.tv/video?hashid=vpir1850

また、高橋悠治氏のサイト『水牛』2023年08月号(水牛のように)コーナーに、その公演についてのエッセイ「公演『名人の舞台』」を寄稿しています。
➡ https://suigyu.com/2023/08#post-9221

panggungmaestro2023.jpg
8/20 ジャワ舞踊・基礎練習ワークショップ
8/20 ラントヨ・ワークショップ終了しました。奈良県北部から2名参加してくださいました。
 ワークショップ(1)は今までやった4種類の手の動き(lembehan kanan, lembehan kiri, nayung, keputren)と歩き方(lumaksana)と1種類のつなぎの動き(ngigel)、および新しいつなぎ(srisig... sindhet)を組み合わせて、歩くことに没頭しました。
 ワークショップ(2)では、ラントヨの始まりの部分:床に正座(sila)、次いで立膝(nikelwarti)して合掌する(mangenjali)をやって、やはり歩くことに没頭しました。
 次回は9/17 14:00~(毎月第3日曜)です。
故ジョヨクスモ氏 パラマ・ダルマ文化勲章受章
故KGPHジョヨクスモ氏は、この8月、国の芸術に多大な貢献をした人物に贈られるパラマ・ダルマ文化勲章(文化人・芸術家としては最高の章)を授与されることになりました。氏はスラカルタ王家のパク・ブウォノX世の王子に生まれ、インドネシア国立芸術高校スラカルタ校 KOKAR Surakartaの校長、続いて1964年に発足したインドネシア国立芸術アカデミー ASKI Surakarta(現・インドネシア国立芸術大学スラカルタ校 ISI Surakarta)の初代校長となりました。現在、同芸術大学にあるプンドポには氏の名前が冠されています。また、教育文化省のサイトには、スラカルタにある全私学大学を統合してスラカルタ統合大学 Universitas Gabungan Surakarta =UGS(現・3月11日大学 Universitas Sebelas Maret Surakarta =UNS)を設立するにあたり功績があったことも記されています。授章式は大統領宮殿で行われ、遺族のBRA. Fatimah Retno Hapsariが出席しました。
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●メディア発表
Daftar Penerima Gelar Tanda Jasa Kehormatan dari Jokowi, CNN Indonesia, Kamis, 03 Agu 2023 20:05 WIB
https://www.cnnindonesia.com/nasional/20230803193340-20-981683/daftar-penerima-gelar-tanda-jasa-kehormatan-dari-jokowi.

●教育文化省のサイトにおける記事
AKI 2023, Tiga Begawan Budaya Mendapat Gelar Tanda Kehormatan dari Presiden 15 Agustus 2023
https://www.kemdikbud.go.id/main/blog/2023/08/aki-2023-tiga-begawan-budaya-mendapat-gelar-tanda-kehormatan-dari-presiden?fbclid=IwAR1_I6NRT7jup-nbQ-QSsGzJXEHgH1TQ9Z3ZEC5rGlthE6ruVEsaJ5i9JM8

このサイト内における紹介文
Selanjutnya, Kanjeng Gusti Pangeran Haryo Djojokusumo adalah pendiri Akademi Seni Karawitan Indonesia (ASKI), yang kini dikenal sebagai Institut Seni Indonesia (ISI) Surakarta. Ia merupakah tokoh penting dalam proses penggabungan seluruh perguruan tinggi swasta se-Surakarta menjadi Universitas Gabungan Surakarta (UGS) yang kini menjadi Universitas Sebelas Maret Surakarta (UNS). Gelar tanda kehormatan disematkan melalui ahli warisnya, BRA. Fatimah Retno Hapsari.

●大統領宮殿での授与式の様子(15:21~)
https://www.youtube.com/live/EsHgV6iDdOo?feature=share

2023.08水牛「公演『名人の舞台』 」
★NEW! 文末に公開された公演のURLを掲載しています。(2023.8.23)

高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2023年08月」(水牛のように)コーナーに、
「 公演『名人の舞台』 」を寄稿しました。

本記事 https://suigyu.com/2023/08#post-9221
冨岡三智バックナンバー https://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka


公演「名人の舞台」
冨岡三智


先月の7月5~6日に”Panggung Maestro”という公演がジャカルタの芸術劇場(Gedung Kesenian Jakarta)であった。私の知人が関わっていたため、公演プログラムをもらい、また7月22日には教育文化省文化総局のインターネットチャンネルIndonesiana TVで配信された時に私も視聴したので(リアルタイム視聴のみ可)、今回はその公演を紹介したい。

この公演はインドネシアの地方の伝統芸能を担ってきた名人(マエストロ)たちに焦点を当て、それらの芸術の保存継承と鑑賞につなげるべく企画されたもので、インドネシアの教育文化調査省、文化総局、映像・音楽・メディア局とスポンサーの企業や財団の協力のもと制作された。来年度以降もシリーズで続けていきたいとのことだが、今回第1回の企画として選ばれたのは3地域:パレンバン(スマトラ島南部)、アチェ(スマトラ島北部)、チレボン(ジャワ島西部)の芸能である。

公演タイトルにある「マエストロ」という語は言うまでもなく外来語で、伝統芸術の名人という意味で使われる。ジャワには名人を示す「ウンプempu」という語があるのだが、ジャワ芸術分野というイメージが強いのだろうか、「マエストロ」の方が広く芸術一般に使われているように感じる。私の記憶では2005~2006年頃からよく耳にするようになったように思う。今回の公演では、伝統芸術を上演するというだけでなく、その上演や指導で長年
功のあった名人に舞台に登場してもらうことが重視されていた。

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プログラム
(1)舞踊「グンディン・スリウィジャヤ」(パレンバン)
(2)音楽「ラパイ・パセ」(アチェ)
(3)舞踊「セウダティ」(アチェ)
(4)影絵(チレボン)
(5)仮面舞踊(チレボン)
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●舞踊「グンディン・スリウィジャヤ」(パレンバン)

この舞踊作品は1943~1944年頃、当時統治していた日本がパレンバン理事州(現・南スマトラ州)への来賓を歓迎する舞踊と歌を作るようにと要請して創られたもので、1945年8月2日にパレンバンの大モスクで初めて公に上演された。インドネシアの独立宣言(この2週間後の8月17日)以前に創られているので、案外古い作品である。2014年には南スマトラ州の舞踊としてインドネシアの無形文化遺産(日本のように「重要無形文化財」と言った方が分かりやすいかもしれない)に指定されている。余談だが、パレンバンといえば2018年にジャカルタと並んでアジア競技大会の開催地になった。

この舞踊作品は9人の女性によって踊られ、最前列の踊り手はキンマの葉などを入れた箱を持って登場し、舞踊の途中で来賓に勧める。この日の公演でも箱を持った踊り手が客席に降りて、映像・音楽・メディア局長にキンマの葉を勧めた。このキンマの葉一式は噛み煙草のような嗜好品で、このセットを準備しておいて客人に勧めるのがこの地域のもてなし文化で~日本の煙草盆のようなものと言える~、それがそのまま舞踊に取り込まれている。

この舞踊は通常はアコーデオン、ビオラ、太鼓、歌の伴奏で上演される。だから、西洋音階である。が、元々はガムラン楽器も使われていたとのことで、本公演では前述のスマトラの音楽とジャワのガムランを混ぜた伴奏になった。

9人の女性が豪華な伝統織物の衣装に金の冠を身に着け、手には付け爪をつけてゆったりと舞うのがいかにももてなしの舞踊だが、振付自体はかなりシンプルである。題名の「スリウィジャヤ」はこの地で7世紀に栄えた王国の名前であり、9人という人数はパレンバンの9つの河川を象徴するという。ジャワであれば9つの穴/チャクラと意味付けられるところだが、河川になぞらえるところが海洋交易で栄えたスリウィジャヤならではである。

この公演で踊るのは現役世代の踊り手だが、この舞踊の第一世代のDelima Tatung女史(93歳)と、その次の世代でなお現役で教えているElly Rudy女史(75歳)がマエストロとして舞台に登場する。もう1人健康上の理由で来れなかったAnna Kumari女史(78歳)の名前もプログラムにはある。Delima女史は車椅子に乗っているが、それでも創作当時を知る生き証人としての重みがある。この登壇した2人の女史たちの誇らかな表情が、州政府の式典で上演される舞踊という性格を雄弁に語っていた気がする。

●ラパイ・パセ、セウダティ(アチェ)

ラパイ・パセは楽器の名前である。ジャワではルバナやトゥルバンと呼ばれている楽器(タンバリン状の片面太鼓)と同種だが、より大型だ。それを吊るし、大勢の男性(今回は約8人)が一斉に素手で叩く。音楽の後半では太鼓に加えてチャルメラのような笛と歌が入ってくる。

セウダティは男性(おっさん)たちが集団で踊る舞踊。当初はmeuratebと呼ばれていたが、この語はスーフィズムの一形態を指すもので、ズィクル(イスラムの唱念)を教えるものだったというが、次第に庶民の間に浸透してこのような形(共同体ダンス的な、という意味だろう)になったとプログラムにある。男性の歌い手3人が舞台に立ち、交互に歌うのに合わせ、男性たち(今回は8人)が独特のステップを踏みながら舞台をぐるぐると歩き回り、スキップし、時に胸や腹をバチッと手で叩き、歌と掛け合うように声を発する。テンポがゆっくりからだんだん速くなっていったかと思うと急に止まったり、また開始したりする。

アチェの舞踊といえばユネスコの無形文化遺産に認定されたサマンが有名だ。サマンは座って踊るのに対し、セウダティは立ったままという点が異なるが、胸や太ももなどを叩きながら踊る点や、空(くう)を裂くように鋭く切迫した感じで歌う点はサマンに似ている。おそらく歌が主導で、それに息を合わせるように踊り手が動いていると思うのだが、歌の緩急や動きが変わるきっかけが私にはよく分からない。互いにどうやって合わせているのだろう。以前、サマンの踊り手から「一糸乱れず踊ることが神との合一に近づくこと」と聞いたことがあるが、スーフィズムにルーツのあるセウダティも同様だろう。

セウダティの踊りでは、指導だけでなく今も現役で踊っている名人のSyekh Azhari氏(73歳)が舞台に上がった。痩身で、速いテンポもひょいひょいと踊る。公演では、おっさんたちがゴザを広げ、スラマタン(食事を共にして安寧を祈る共同体儀礼)を行うシーンから始まる。実際に現地でこの舞踊を行う時はスラマタンを行うのだそうだ。このシーンはさっと切り上げ舞踊に入るのだが、だらだらとせず、見せ方が上手かったなあと感じた。

アチェの音楽や舞踊は、太鼓や笛の音楽の雰囲気、掛声、おっさんが花形になるところなど、日本の祭りを彷彿させる。ラパイ・パセの演奏は和太鼓の集団演奏を聴くようだし、踊るおっさんたちの掛声は、だんじりや山鉾巡行で聞こえてくる声のようだ。音階だとか発声だとかは日本と全然違うのだが、どこか懐かしさを覚える演目だった。

だが、ラパイ・パセも1970年代までは盛んだったものの、スハルト時代はアチェと中央政府の紛争もあってこの芸術活動もかなり廃れていたとプログラムにある。そのことがわざわざプログラムに書かれているのは、それだけ当事者たちにとってその間の抑圧がきつかったのだろうと想像される。盛り返したのはアチェ特別自治法が施行(2006)されて後だという。ちなみにサマンがユネスコの無形文化遺産に認定されたのは2011年である。

●影絵、仮面舞踊(チレボン)

チレボンでは、影絵や仮面舞踊は娯楽以外に各種儀礼のために上演される。伝統的に昼には仮面舞踊が、夜には影絵(ワヤン)が上演され、両者は切っても切れない関係にある。というわけで、この組み合わせでの上演となった。影絵のダラン(語り+人形操者)を務めたSukarta氏(82歳)は父方がダランの家系、母方がチレボンの仮面舞踊家の家系で、本公演でも仮面舞踊の部では演奏もし、最後には自身も踊るなど、オールマイティぶりを発揮していた。

インドネシアの仮面舞踊のルーツはチレボンにあるとされるが、チレボンの中でも地域ごとに様式が異なっていて、本公演ではクレヨ村スタイルのTumus女史(70歳過ぎ)が登場する。ちなみに、プログラムにはMimi Tumusと書かれているが、Mimiというのはインドネシア語のibu(女史)に当たる語。なお、彼女だけ正確な年齢がプログラムに書かれていない。Tumus女史は幼少期より母親から仮面舞踊を学んで活躍し著名だったものの、なかなか支援が得られない状況の中、1990年代には舞踊をやめて物売りやマッサージ師などをして生計を立てるようになっていた。2015年に各方面からの支援の手が伸び、ガムラン楽器や練習指導できる場所が提供され、クレヨ村のスタイルを次の世代に指導できるようになったという。70歳を過ぎて健康を損ね、起き上がれないようになっていたが、この公演のために奮起、車椅子で舞台に登場した。

衣装を着け、車椅子に乗ったまま、上半身だけTumus女史は踊るのだが、甲高い笑い声のような掛け声に合わせて小刻みに動く仮面の表情が雄弁でぞくっとした。その後仮面を取り、横に控えていたひ孫(11歳)がその仮面を受け取って踊りを続ける。その後、2人の9歳の子供たちが一緒に別の仮面舞踊を踊る。この小さな子供たちがクレヨ村の仮面舞踊の新しき後継者たちなのだ。この間、面をつけないTumus女史がずっと後ろで踊っているのだが、まるで彼女がダランとなってこの子供たちを、そして舞台全体を動かしているかのように見えた。実際に舞台を見に行った知人が、この仮面舞踊は鳥肌ものだったと感想を送ってくれたから、彼女の存在感は圧倒的だったのだろう。



ジャワ舞踊やバリ舞踊のように定評のある優美な舞台でなく、地方の地味な芸術と苦労してきた名人たちを取り上げるという点で、主催者達はチケットの売れ行きを大変心配していたが、盛況に終わったようだ。インスタグラムやフェイスブックでも公演前から公演後もずっと積極的なPRが続いている。今後もこの企画が続いてくれたらと期待している。

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★2023.8.23 この公演映像が公開されたと知らせがありましたので公開します。
https://indonesiana.tv/video?hashid=vpir1850
2023.07水牛「ジョコ・トゥトゥコ氏の1000日法要」
高橋悠治氏のサイト『水牛』(http://suigyu.com/)の
2023年07月」(水牛のように)コーナーに、
ジョコ・トゥトゥコ氏の1000日法要」を寄稿しました。

本記事 https://suigyu.com/2023/07#post-9160
冨岡三智バックナンバー https://suigyu.com/category/noyouni/michi_tomioka


ジョコ・トゥトゥコ氏の1000日法要
冨岡三智


実は仕事をやりくりして、6月半ばから少しインドネシアのスラカルタに行っていた。今回の主目的は、ジョコ・トゥトゥコ氏の1000日法要への出席である。2020年10月号の『水牛』に「ジョコ・トゥトゥコ氏の訃報」を書いたのだけれど、早いもので、もう1000日法要の日が巡ってきた。ジャワでは亡くなって40日目、100日目、1年目、2年目、1000日目に法要を行い、この1000日目に墓石を建てて一区切りとする。ジョコ・トゥトゥコ氏は私が宮廷舞踊で師事していた師匠の故ジョコ女史の息子で、2回目の留学時期(2000~2003年)には大変お世話になった。2000年にインドネシアでは3つの国立芸大で大学院が開講し、スラバヤの教育大で舞踊を教えている彼もスラカルタの芸大大学院で学ぶために実家に戻ってきていた。彼のおかげで私の視野も人脈も広がり、彼の大学院修了試験公演に起用してもらって、その経験は大きな財産になった。私の大恩人だし、師匠の一族とは今まで法要で何度も顔を合わせているので会いたかったのだった。というわけで、渡航の主目的は土曜夜の法要のお祈り、日曜朝の墓参りである。

月曜にジャカルタからスラカルタに飛び、着陸した時に機内でサルドノ・クスモ氏とばったり出くわす。サルドノ氏はスラカルタの芸大大学院で教鞭をとっていた現代舞踊家で、ジョコ・トゥトゥコ氏の指導教員でもあった。なんだかジョコ氏が縁をつないでくれたような感じだ。私が定宿にしている所はサルドノ氏の実家のレストランからすぐ近くなので、一緒に空港からタクシーでレストランまで行き、昼食をとる。サルドノ氏は1週間前に私の3月公演の様子を映像作家のウィラネガラ氏(この3月公演で来日)から聞いていたらしい。というわけで、私の2021年、2023年の堺公演の映像やら、過去の私のコラボレーション作品やらを見てもらったり、ジョコ氏の話をしたりであっという間に時間は経ち、話し足りないということでまた水曜にも会うことになった。

水曜昼前、サルドノ氏が大学院の授業を行いジョコ氏が終了公演を行った場所に向かう。以前あったプンドポ(ジャワの伝統建築)やダレム(奥の間)は、床や壁の一部が残るばかりだ。実は2008年にここに来た時にはすでに廃墟のようになっていたが、いまはその廃墟の空間を覆うように頭上には鉄骨製の高い屋根ができ、2階にテラスができて、不思議な空間になっている。ここを再び町中の芸術拠点にしようとこの屋根をつけて改装オープンしてすぐにコロナ禍になってしまったので、活動ができないままになってしまっていたという。けれど、そろそろ大学生やらがここで制作したり公演したりできるようにしたい…というわけで、職人が何人か作業をしていた。今後の芸術の方向だとかの話をしたのだけれど、サルドノ氏は今年で78歳。見かけは白い髪と顎髭を長く伸ばした仙人だが、20年前から頭の中は全然老けていなくてエネルギーに満ちているなあと実感。今の60~70代の、サルドノ氏より年下世代の舞踊家たちと比べても若々しく、ずっとトップランナーであり続けている気がする。その後、実家のレストランの3階(月曜に食事したレストランの近くに、もう1軒、3階建てのレストランがある)も見せたいということで、そちらへ向かう。以前、スタジオに置いていた古いガムラン楽器のセットや自身の抽象的な絵画作品が置いてある。この空間を見ると、宮廷舞踊家(ジョコ・トゥトゥコ氏の祖父)の弟子で、にも関わらず1970年にコンテンポラリ舞踊作品を発表してセンセーションを起こし師匠と衝突してしまうことになったサルドノ氏のあり方~根っこの伝統と最先端を両方つかんでいる~がくっきり出ているなあと思う。

他の日には芸大(ISI Surakarta)にほぼ毎日行って、振付の師、学長、第一副学長、ガムラン音楽科の教員らに会い、今年3月と2021年10月に堺で行った公演の映像を見てもらって、いろいろアドバイスをもらったり、これからのヒントをもらったり、意見交換したりした。実は、それが今回の渡航の第二の目的だった。振付の師には創作を指導してもらっただけでなく、私の宮廷舞踊の公演や録音に歌やクプラ(舞踊に合図を出すパート)で参加してもらってきた。ちょうど大学院の入試面接で忙しくしていたが、会って食事し、話をすることができた。学長や第一副学長はウィラヌガラ氏(3月の公演のために映像を制作してくれた映像作家、公演のため来日)から公演の話をすでに聞いていたと言う。サルドノ氏もウィラネガラ氏から話を聞いていたと言っていたし、知らないところで情報をつないでくれることが本当にありがたい。これらの人々には、1時間近い宮廷舞踊の上演や重い曲である「ガドゥン・ムラティ」を演奏したりして、観客からの反応が好評だったこと、有料公演で提示したこと、関西ガムランのレベルの高さなどに大変驚かれた。だいだいジャワ人は、こういう演目は退屈で飽きられると思っている。けれど本当の宮廷儀礼に触れたい、本当の瞑想的な雰囲気に浸りたいという観客は、少ないかもしれないけれど確実にいる、と私は強調した。そうそう、木曜夜に見に行った公演で、元TBS(スラカルタにある中部ジャワ州立芸術センター)で照明をしていた人(すでに定年)が見に来ていて、「あー!君はブドヨ・パンクル公演のミチだね!」と出会うやいなや言ってくれたことが非常に嬉しかった。私の『ブドヨ・パンクル』公演もこの人に担当してもらったのだが、それは2007年のことなのだ。それで、この人にも私の堺公演の映像をみてもらい(私はどこにでもパソコンを持参していたのだった)、照明家ならではのアドバイスをもらった。

ちなみに、ウィラヌガラ氏は毎月スラカルタの芸大大学院に教えに来ていて、今回私の来イネに予定を合わせて授業の日を調整してくれたので、一緒に食事する。その時に、3月の堺公演のためにお祈りしてくれたスラカルタ王家のラトゥ・アリッ王女(故パク・ブウォノXII世の長女)も誘ってくれて、3人で食事となり、やはり公演映像を見ていただいた。公演で使ったウィラヌガラ氏の映像には故パク・ブウォノXII世を始め亡くなった王家関係者が多く映っており、供物を作って王宮の各所に備えている宮廷儀礼の様子も映っていてとても貴重だ。ウィラヌガラ氏は2004年にパク・ブウォノXII世が亡くなるまでずっと王と王家のドキュメント映像を撮り続けてきた人なのである。王女からも様々なコメントや励ましの言葉を戴き、記念にとバティックまで頂戴する。

というような感じで、わたしの滞在はあっという間に過ぎてしまった。いま、これを書きながら、なんだか過去にも似たようなことをしていたような気がしていたのだが…思い出した!ジョコ・トゥトゥコ氏の公演に出た後2週間足らずで留学を終えて帰国し、その半年後に大学院生となってインドネシア調査に行った時に、いろんな人に自分の舞踊に対する批評やアドバイスを求めて廻っていたのだった…。しかも、その時の様子を2004年2月号の『水牛』に「心をとらえるもの」として書いていた。そして、この時もサルドノ氏にいろいろアドバイスをもらっていた(!)。あれから約20年、私はちょっとは成長できているのだろうか…。今は亡きジョコ・トゥトゥコ氏その母や私の師匠の故ジョコ女史に問うてみたら、何と答えてくれるだろうか…。